第29話 世界融合(4)


 ラシュトイア王女は最後まで目を通したのか、スッと視線を上げて僕を見つめた。その瞳は僕を射竦めているかのようであり、僕は服の下で妙な汗をかいてしまった。


「総介さんの使命はわかりました」


「はい」


「その、一つ尋ねてもよろしいですか?」


 かしこまって断りを入れるラシュトイア王女に、僕は無言で頷いた。


「総介さんが過去を改変することの意義はわかりました。総介さんは私の命の恩人でもあるので、私個人としてはそれに同意して協力したいのですが、私の疑問、私の不安に対するお答え次第で、それを拒みます」


 ラシュトイア王女は真剣な眼差しでそう前置きをした。そして一度悲しそうに目を伏せた。彼女のその反応を見て、僕はラシュトイア王女が何を聞こうとしているのか、なんとなく察することができた。そしてそれは、僕がこの説明において、逃げ続けた事実のことである。


「総介さんが過去を改変した場合、今この世界の人たち、ムルピエ王国の民はどうなるのですか?」


 やはり、このことだった。僕は説明で、過去を改変すれば過去の人々が救われるだけではなく、今現在この国が抱えている問題も起こらないと言った。


 確かにその通りだ。しかし、果たして今現在僕がいる未来の世界と、新しい未来の世界が同じであると言えるだろうか? その答えは、否であろう。


 僕がこの世界の技術、つまり現象保存という魔法に関するものを持ち帰り、それを現代の東京で利用すれば、そこで世界は傾き、α世界の未来線は変動する。何せα世界には、魔法という概念がないのだから。


 それによってのちに起こる大規模世界融合を回避することができ、α世界とβ世界は交わらないのだ。お互い干渉することもなく、独自の世界を歩んでいく。


 つまり今このときのムルピエ王国と、改変後のムルピエ王国は、全くの別物になるということだ。


 そして未来が新しいムルピエ王国の方にシフトしたということは、今このときのムルピエ王国は存在しないことになる。


 つまり今このときのムルピエ王国、ひいてはこの世界は、消えてなくなるということ。


 世界が消えてなくなるということは、すなわち、そこに暮らす人々も消えるということだ。


 僕はその事実を、どうやってラシュトイア王女に伝えようか迷った。しかしもうこれ以上逃げることはできない。余計な言葉で飾り立てたり、故意に言葉を伏せたりするのは、流石に失礼に当たるだろう。だからこそ、僕はそのまま彼女に告げるしかない。


「普通に考えれば、この国、この世界は消えます。未来はもうこの世界を選ぶことはないのです。なので、今を生きる人たちも、いなくなると思います」


「……私も、薄々そうなるのではないかと思っていました。過去が変われば、そこから発展する未来も変わると。でもこの国の人々、この世界の人々には、何の罪もありません。何の罪もないにもかかわらず、彼らは消えてなくならなければなりません。それは、死ぬこととどう違うのですか?」


 今度は明確に、僕を責めるような口調でラシュトイア王女は聞いてきた。そしてその言葉は鋭利な刃物のように僕の心を切り刻んだ。ラシュトイア王女は間接的に、大勢の人間を殺してまでもあなたは元の時代に帰るのか、と聞いているかのようだった。


 僕が究極の二択の前で選択することができないでいたのは、このことがあるからだ。


 僕がこの世界、β世界の技術を持って百年前の東京に帰れば、その時点で今いるこの世界は消えてなくなる。当然そこに住む人々もいなくなる。そして民を想い、民を信じている王女にとって、それは看過できない事案である。


 僕としては、彼女が不利になる選択はしたくはないのだ。


「正直、僕はこの世界に来てからの日々を結構気に入っている。ラシュトイア王女やテレをはじめとするこの世界の人たちはとてもいい人ばかりで、何気ない話をしたり行動を共にしたりしているだけで心が晴れやかになる。楽しい気持ちになる。こんな気持ちは、向こうでは久しく抱いていなかった」


 本心を打ち明けているせいか、僕の声は若干震えていた。その震えを整えるため、僕は一拍間を置いてから話を続ける。


「東京にいた頃の僕は、天才すぎる母や言い知れない存在のトワに辟易していた。いや、それだけじゃない。つまらない学校や理不尽な社会にもうんざりしていた。僕の住んでいた東京は、暮らすにはストレスが溜まりすぎる場所でしかない。そんな場所へ帰るのに、そんな場所を救うのに、今いるこの世界を犠牲にしなければならないなんて、そんなはおかしい。だが僕は真実を知ってしまった。東京の命運を託されてしまった。それを無視できるほど、僕は冷徹ではない」


 日常に辟易した結果、合理的で利己的で現実的な性格になった僕だけれども、それでも人間らしい感情は持っている。だからこそ母の願いを無視することができないのだ。


 僕はたまらず頭を抱え込む。


「だから、僕は選ぶことができなかった。過去の東京と今のこの世界を天秤にかけて、身動きができなくなってしまった」


 東京の人々を見殺しにして、今の世界を維持するのか。


 それとも今の世界をなかったことにして、過去の東京を救うのか。


 そんなの、一介の高校生に選べるわけがない。


「総介さん。この話は、保留にしませんか?」


 答えの出ない問いに戸惑う僕にとって、その言葉は意外なものだった。僕は抱えていた頭を上げてラシュトイア王女の方に顔を向ける。てっきり過去改変の真実を知って猛反対されると思っていたから、その反応に思わず「え?」と声を漏らしてしまった。


「総介さんは私の命の恩人です。恩人が故郷に帰って人々を救いたいとおっしゃるのであれば、私はそれに協力するまでです。ですがそれは我々の国に甚大な被害をもたらします。ですので、私はこの国の王女として、ことが最善の結果に至るよう調整したいのです。時間はかかると思いますが、共に双方が納得する道を模索しましょう。総介さん、諦めてはいけません」


 ラシュトイア王女はそう言ったのち、徐に破顔し、屈託のない笑顔を僕に向けた。


 その笑顔は光のように眩しく、僕は見蕩れてしまった。数瞬それを見つめたのち、僕は恍惚としながら「はい」と頷いた。


 仮に東京を救う選択をした場合、ただ技術を持ち帰り、ただ過去改変するだけでは駄目だ。僕はラシュトイア王女が悲しまない方法で全てを救わなければならないのだ。


 どのような選択をし、どのような結果になろうとも、僕はラシュトイア王女の気持ちを最優先する。それがこの人に対する恩返しだ。




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