第21話 近づいた事実と遠ざかった真実
「よく寝る男だ」
翌朝目覚めると、格子の向こうから声が聞こえてきた。僕は上体を起こし、その方を見やる。するとそこには投獄されているはずのテレが立っていた。そして徐に格子の扉を開け、中に入ってくる。
「……どうやってここに入ってきた? そもそも、どうやって牢屋から抜け出した?」
テレがこの場にいる驚きは、残念ながら寝ぼけた意識と共に跡形もなく消え去ってしまったが、それでも疑問だけはかろうじて残った。
「いや、もう朝になってからそれなりに時間は経っている。私はとっくに釈放された。看守役に総介殿に謝罪したいと言ったら、とくに咎められることなく鍵を持たされた。問題事を起こしたが、まだ信用はされているようだ。そんなこんなで、ラシュトイア王女が来る前に謝罪に来た」
そう答えるとテレは徐に腰を下ろし、牢の中で正座する。
「総介殿、奇襲の件は済まなかった」
そして謝罪の言葉を言ってから頭を下げた。土下座である。
「頭上げてください。確かにあのときは非常事態だったが、それは説明不足による誤解から発生したもの。お互いちゃんと訳を話せば済むことです」
「そうか。確かにあのとき説明が足りなかったのは事実だな。それについても済まないと思っている。そこでだ、これからは総介殿にもきちんと話をしようと思うし、総介殿の疑問にはなんでも答えようと思う。職務上ラシュトイア王女の傍を離れるわけにはいかないが、できる限り協力しよう。さあ、遠慮なく」
そのとき、僕は昨日ラシュトイア王女の言っていたことをふと思い出した。ラシュトイア王女は、僕に事情を話さなければならないと思っていたと告白した。そして王女の置かれている状況は、地底人の地下迷宮の調査である。そしてそれは目下一番不明瞭な部分であった。
どうせこのあとラシュトイア王女直々に実物をもって説明してもらえるが、事前に予備知識を得るのも悪くない。むしろそのほうが、スムーズに王女の説明を聞くことができるだろう。これはこの世界の秘密を知る絶好のチャンスである。
僕はそう思い、ベッドから起き上がり床に座ることでテレと目線を合わせようとした。しかし不運なことに寝すぎて鈍った僕の身体は、ベッドを降りる際にバランスを崩してしまう。そしてそのままテレに迫り、道連れにした。構図的に、僕がテレを押し倒した状況である。
「あたたた……」
倒れ込んだ僕は、テレの頭部すぐ横に右手をついて、テレに接触するのを防いだ。
一方左手は、テレの右乳を下から掴んでいた。騎士団特有の衣服のせいもあって少々手触りが固めだが、その向こう側にある確かな弾力はまさに下乳であった。
「あ、えっと……」
「ヒィ」
僕は左手の行方に気がつき、目が泳いだ。そして状況を理解したテレは、小さく悲鳴を上げる。ああ、これは女の子のアカン反応だ……。
即座に退いて平謝りしなければならないが、どうした僕の身体、まるで動かない。目の前の危機的状況にて僕の神経は麻痺を起こし、起き上がり方を忘れたかのように身体の自由がきかなくなった。思わぬ事態に茫然とする場面は多々あるが、まさかそれを女の子の上に覆い被さった状態で起こるとは思いもよらなかった。いや切実にこの状況どうすればいい? ちなみに左手の場所に気がついた際、テレの下乳を少し揉んでしまったことは、この際なかったことにしよう。掘り返して事態を悪化させるのはよくない。
「そ、総介殿……」
一方僕に押し倒され胸を揉まれたテレは、頬を紅潮させ涙目になりながら僕を見つめていた。僕としては、優れた身体能力を生かした一撃によって制裁されると思ったのだが、意外に意外、テレは非常に女の子らしい反応をした。普段厳格でクールな彼女からは想像できない反応に、僕はそのギャップにときめきそうになった。昨日もそうだったが、テレのギャップ萌えは破壊力がありすぎる。
「そ、その、できる限りのことはすると言い、遠慮もするなとは言ったが……こ、ここまでは、許していない、ぞ……」
テレは恥じらいにより言葉は途切れ途切れになり、目元には小粒の雫が現れ、身体に力が入り縮こまっている。テレのその台詞、仕草があまりにも愛らしく美しかったので、僕は理性が吹き飛びそうになった。そしてテレから放たれる女の子の香りを吸い込んでしまった瞬間、ついに僕の理性は吹き飛んだ。感情が希薄な僕だけれども、所詮男子であり、状況が状況ならばちゃんと劣情を抱くようである。
「そこで何をしているのですか?」
しかし僕の理性が完全に消えうせようとしたまさにそのとき、頭上から絶対零度の声が聞こえてきた。そしてその瞬間、僕は一気に現実に引き戻された。心臓が跳ね上がるような感覚に、僕は恐る恐る頭を上げて声のした方に視線を向ける。
そこにはラシュトイア王女がいた。王女は格子の向こう側から、冷めた視線を僕とテレに向けている。
「王女! こ、これは違います」
「アガァ!」
「総介殿に謝罪しようとしてここに訪れましたが、総介殿は起き抜けによりぼんやりとした様子であり、起き上がる際に姿勢を崩して私の方に倒れ込んできただけです。決して何も間違いなどは起きていません!」
王女の声を聞いたテレは即座に起き上がり、正座してこれまでの状況をまくし立てた。その際、体勢的に僕は思いっきりヘッドバットを食らい悶絶しそうになったが、なんとか持ちこたえてテレの隣に正座した。この構図はなんだか浮気がばれたときのようである。ものすごく居心地が悪く、僕とテレは終始奇妙な汗をかき続けていた。
なんだこれ!? なんでこんなことになっている?
だが冷静に考えてみると、僕が母の奇行にうんざりしたあとに、ここまで動揺したことはないと思う。なんだかこんなにも感情が動いたのは久しぶりで、ある意味新鮮でもあった。
それより、そんなことを思っている場合ではない。冷静になって考えるべきは別にある。
「そうですか、間違うようなことがあったのですね」
ラシュトイア王女はあくまで笑顔である。しかしその影のある表情は、まるで悪魔の笑顔のようであり、僕とテレは揃って兢々とした。
「その、ラシュトイア王女は、どうしてこちらに?」
「どうしてとは、まだご冗談を。それは昨日お話しましたよ。まだ、寝ぼけていらっしゃるのですか、総介さん」
僕は思わず恐懼しながら王女に尋ねたが、ラシュトイア王女は表情を変えず、しかし声色だけは更に冷え切った様子で答え、僕は更に兢々とした。
「私自らわざわざお迎えに上がりました。私の騎士とよろしくしているところ申し訳ないですが、是非ともお見せしたいものがございますので、来なさい」
ラシュトイア王女は「わざわざ」と「よろしく」を若干強調しながら、最終的には命令口調で僕たちを促した。僕もテレも文句や反論をする余地もなく、ただ素直に同意するしかなかった。
僕はラシュトイア王女のあとについて行き、地下から出てくる。その際テレは僕を意識していたのか、チラチラと僕に視線を投げかけていた。まああんなことが起きたあとだから、仕方がないといえば仕方がないのかもしれない。騎士とはいっても、テレも乙女なわけだし。
結局テレの襲撃は、僕の盛った行動によりチャラになった。いろいろと言いたいことはあるが、痴漢行為の前払いというか、事前制裁ということで、無理やり納得することにした。結果としてまたしてもこの世界の秘密を知る機会を失ったが、しかしこれから向かう場所にて王女自らが説明してくれるので、これはこれでいいことにしよう。
こうして連れてこられた場所は、別邸の一室であった。ラシュトイア王女曰く、調査の際に発見し、回収したものを仕舞っておく保管室とのこと。床面は扇状の階段になっており、昨日テレと戦闘した部屋と同質のものであった。恐らくここもかつては講義室として使われていたのだろう。そうすると、昨日の部屋もただの空き部屋ではなく、第二の保管室として準備されていた部屋なのかもしれない。
室内には、朽ちた自転車や潰れたサッカーボール、ボロボロのショルダーバックなどなど、正直僕には多種多様のガラクタにしか見えないもので溢れていた。ただ、そのガラクタに奇妙な違和感を覚えるのは何故だろうか?
ラシュトイア王女とテレはそのままガラクタの間にできた道を進んでいく。僕も慌ててついていく。辿り着いたのは、階段の最上段、部屋の最奥である。そこには木製の机があり、その上には鎖を巻きつけることで封をした木箱が置いてあった。
「形状が私たちの魔符と酷似していましたので、安全のため封印しています」
そのように説明するラシュトイア王女は、徐に鍵を取り出し、鎖に取り付けられている錠を解除していく。錠は複数あるようで、王女が一つ一つ開錠していく無機質な音が静寂な保管室に響き渡る。そして全ての錠を解除し、ラシュトイア王女は木箱の蓋を開けた。
「総介さん、ここにあるものは、総介さんと関連性があると思われるものです。テレが強引な手段で口を割らせようとした理由も、ここに収めているものが原因です」
そしてそれは、この異世界の秘密を解き明かす重要な手がかりになるものだと当たりをつける。
ラシュトイア王女は木箱の中身を取り出し、振り返って僕に手渡す。形状が魔符と似ていると前置きされたので、そのものがカードの形をしていると予測することができた。そして事実、そのものは白い革製のカードケースのようであった。
しかしそれを受け取った瞬間、この部屋に入ったときに覚えた奇妙な違和感が、不意に増幅した。そしてその違和感は僕の中で警鐘へ変わっていく。自然と動悸がして、冷や汗がドッと噴出してくる。
僕は今手にしているものが、怖くてたまらない。何故ならそれは、僕が知っていて、なおかつ馴染みのあるものであったからだ。
僕は一度唾を飲み込み、そして意を決して革製のカードケースをひっくり返した。
ケースの大部分は透明な素材になっており、革は余白として透明な素材を囲っている。そしてその透明な素材の中心には楕円形の切り抜きがあり、指でスライドすれば簡単に中身が取り出せるようになっていた。しかし透明な素材があるおかげで、わざわざ取り出さなくても中身を確認することが可能であった。
中に入っていたものは、横長のカード。カード下部には大小様々な数字が印刷されている。そして上部には、二つの地名が書かれており、その二つの間を矢印によって結びつけていた。そして矢印の上には「学」の文字。
今僕が手にしているものは、白いパスケースであり、中身は、ICカード式の通学定期券であった。
「これを……どこで?」
僕は顔面蒼白になって問いかけていた。名前から察するに女子のものであり僕のものではないが、まるで自分の持ち物であるかのように驚愕した。
「これは、調査区域である地下迷宮にて発見しました。地底人の使う地名では『ヒガシイケブクロエキ』という場所です」
東池袋駅。
それは間違いなく、僕が住んでいた東京の地名であり駅名であった。
どういうことなのか、全くわからない。確かに僕は、母が発明したタイムマシンで百年後の未来を目指して旅立った。
しかし辿り着いたのは、緑豊かな土地と、魔法の存在と、世襲君主制の王国などなど、大都市東京が百年という年月で変化する範囲を逸脱した土地だった。その変わりように、母のタイムマシンによる時空を超えて未来に行く実験は失敗し、次元を超えて異世界に飛ばされたものだと考えた。事実、多少不可解な点が残ったが、それでこの急激な世界の変化に納得することができた。
しかしここに来て、僕の異世界説は破綻した。こうして明確な証拠を提示されてしまったからだ。今思えば、この部屋に入ったときに覚えた奇妙な違和感は、違和感ではなく強い既視感であった。よくよく考えれば、朽ちた自転車や潰れたサッカーボール、ボロボロのショルダーバックなどのガラクタが、この世界にあるわけがなかった。
ここは間違いなく、百年後の東京である。そしてこの国に伝わる「地底人」とは、すなわち「東京都民」である。
テレが僕を襲ったのも得心がいく。自身が仕える主の命を救った恩人が、かつて戦争した勢力と同じ文字を使っていれば、強い警戒心を抱くのは当然である。ましてはその消えた勢力のことを目下最優先で調査している状況下においては、是が非でも情報を得ようとするはず。
テレの行動には十分な正当性があった。テレが僕に対して、どうしてこの時代にいるのかと詰問したのは、何も僕がタイムマシンに乗ってきたということを感づいたのではなく、単にかつて滅んだ地底人が、どうして現代にいるのかという意味の問いであった。
「どういう……ことだ?」
僕は無意識に呟いた。確かにラシュトイア王女の探し物であろう歴史資料と僕が線でつながった。話としては大きく前進した。しかしこの世界のあり様については、ますますわからなくなり、真実から遠ざかっていった。
本当に、どういうことなんだ?
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