第4話 秘密の地下室へ
トワ誕生の切っ掛けは、成長した僕が母の歪んだおもちゃに興味を示さなくなり、諦観の念を抱き始めた頃であった。そのことを悟った母は、別の方向から僕の気を引こうと模索した結果、「やっぱ遊び相手となる兄弟は必要ね」「でも思春期だから、女の子の方がいいかしら」などという結論に至った。
そして母は作ってしまったのだ。人間と同等のものを。自分の頭脳を駆使して。
頭脳にあたる人工知能は母一人で開発し、身体の方はロボット工学を研究している旧友の協力を得て制作、仕上げとしてラブドール製造に携わる知人――どうしてそんなコネを持っているのかは謎だが――に依頼してシリコンでボディ外装を整えた。
こうして僅か数年で、僕のために人造人間を作り上げてしまったのである。正直、ここまで精巧なものは世紀の大発明として名声を得られそうなものだと思うのだが、母はトワのことを一切公表せず、何事もなく自宅に住まわせている。
言わば、トワは母の歪んだ人間性の象徴のような存在である。故に僕は妹(?)と対面する度に困惑してしまうのだ。人間ではないが、限りなく人間に近いトワに対して、人間の扱いをしていいものなのか、わからなくなる。
ただ母とは違い、トワは僕に忠実である。それは誕生の切っ掛けが僕の相手であることに起因しているため、基本的には無害なのだ。僕の態度を正確に読み取り、それに見合った距離感を維持し続ける。しかしながら、それは人間でいう感情に相当する部分であり、母が人間の感情を人工的に作り上げたことの証明でもあった。それは現代では誰も成し得なかった偉業である。
よって、トワの人間性を垣間見るたびに、母に対する畏怖を禁じ得なかった。
「総介さん?」
「あ、ああ……」
人工音声とは思えないトワの美しく澄んだ声を聞いて、僕は我に返った。
「ど、どうした?」
「実は今日、京子さんが昼頃帰宅して、ずっと地下室に篭っていらっしゃいまして……その、伝言を仰せつかっております」
京子とは、僕の母の名前である。
かしこまって言うトワの仕草は人間の少女そのもので、どうやってそれを実現しているのかは凡人である僕には皆目見当がつかないが、紅潮する姿は愛らしくて美しい。だが、当の僕は嫌な予感が過ぎり、血の気がなくなる感覚がした。きっと今僕は人形のように青白い表情をしているだろう。母が僕に用事があるなんて、ろくなことが起こらない。
「総介さんが帰宅したら、すぐ地下室に来るように、と」
それは開かずの扉に誘い込む内容であった。僕はその伝言に逆らおうかと思ったが、母は直情径行な性格なので、呼び出された時点で僕に拒否権はないのである。むしろ下手に断れば、母はどんどんエスカレートしていき、後々もっと面倒なことになりかねない。ここは素直に従い、負うべきダメージは最小限にとどめるべきかもしれなかった。
「別にいいけど、その用はすぐ終わるのか?」
「さあ? 内容までは伺っておりませんが……」
トワは困惑した表情を浮かべながら首を傾げた。その反応を見る限り、ここでああだこうだ言っていても仕方がないらしい。
「わかった。じゃあ、行くよ」
僕は制服姿に学生鞄を持ったままそう答えた。それに対しトワは小さく頷き、地下室に続く扉に向かう。地下室は他の部屋と同様の素っ気ない扉の向こうにあり、そこを開けるとほの暗い階段が地の底に向けて伸びている。僕はその幅が狭く急な階段をトワについていくかたちで下りていく。
その後ろ姿を見ていると、トワが人間ではないことを忘れそうになる。それくらい、動きがスマートであるのだ。それに身体的稼働だけではなく、知識面でも人間味溢れる。母の手によって埋め込まれた元々の情報だけではなく、本を読めばそれを吸収し、日常の動作を繰り返す度に洗練されていく。すなわち、トワにも人並みの学習能力が備わっているのである。
無機質であるトワに、生物特有の生気を感じることが多々ある。それはまるで、人形に付喪神が憑依したかのようであった。もしくは、別の知的生命体の意識だけをロボットの身体に封じたかのようである。
そんなことを思いながら薄暗い階段を下りていると、
「なんだか、本当に生きているみたいだな、トワは」
と、思いが声として漏れ出てしまった。当然、それを聞いたトワは反応する。
「それを京子さんに言うと、きっと喜びますよ。私自身、私の存在は奇跡の上に成り立っているものですから、京子さんには足を向けて寝られないですよ。それに私のような存在は、この時代には私しかいませんけど、今後誕生してくることもないでしょう。私自身、まさに勿怪の幸いといったところでしょうか」
トワは母に感謝する旨を言うが、一部分、後半に言ったことが妙に引っかかり、僕は思わず眉をひそめた。
「この時代には」と言ったのは、今は人造人間の実例は自分一人しか存在していないが、近い未来科学技術が進歩し実用化されれば、同質の存在が誕生するだろうという可能性がからである。しかしそのあとに続く言葉で、それを打ち消している。言葉の前後で矛盾が生じている。しかも、それほど長くもない言葉の中で。自家撞着もいいところだ。まるでトワ自身、現在と未来の全景が見えているかのような言い方であった。
トワは一体何者なのだろうか? 今まで何度も思ったそんな疑問が、より一層強く感じられた。
「つきました」
そうこうしているうちに階段は終わり、地下室のエントランスと呼ぶべき空間に到着する。
僕は目の前の扉に視線を移す。威圧感を与えるその扉はどことなく銀行の金庫のようであり、丸い形状で中心にバルブのようなものが取り付けられ、かなり無骨で重量感のあるものであった。前に侵入しようとしたときも思ったが、なんだよ、これ。シェルターかよ。
トワはその間、扉横のパネルで複雑に設定された電子錠を開錠しようと操作している。
そして全てのパスの解除に成功し、扉は重苦しい音を立てながらゆっくり開いていく。僕とトワは、その分厚い扉の向こうの部屋に入っていく。
研究室と聞くと、冥暗な室内で怪しげな計器類が発光しているイメージを抱くが、実際はそんなことはなかった。目がくらむほど明るく照らす照明の下、金網に引っ掛けられた工具類が目を引く。
その工具はドライバーやレンチなど活躍場面の多いものから、ノミやカンナなのどの木工加工道具、その他には金槌や半田ごてなどなど、比較的軽くて小さなものが多種多様に掛けられていた。部屋の一角には大型のボール盤やバンドソーが置かれ、壁際には集塵機とエアコンプレッサーが耳をつんざく音を立てながら稼働していた。
研究室というよりは、工房と表現した方が正しい空間だ。小学校の図工室や高校の工芸室を私的利用したような雰囲気である。
その工房のような研究室の奥に、人一人が寝っ転がれるほど大きい作業台が鎮座していた。意外と几帳面な性格をしている母は、自身の作業スペースが物で埋まることを嫌っているため、目の前の作業台は整理整頓が行き届いており、現在は今必要な道具しか置かれていない。
その作業台で作業している人物が僕たちの入室に気づき、その手を止めた。そして徐に立ち上がり、騒音発生源である機械の電源を落として僕たちと向かい合う。
作業着としてつなぎを着て、髪を一括りにした上にタオルで頭を巻いた女性。一見工事現場の姉ちゃんにしか見えないこの人こそ、天才物理学教授である
「総くんおかえり。突然で悪いんだけど――」
そして開口一番、母は僕を秘密の地下研究室に呼び出した要件を告げる。
「――タイムマシンを発明したから、実験台になって」
…………。
僕はしばらく思考が停止した。なんなら、僕という時間そのものが停止した。そういう意味ならば、母は実にユニークなタイムマシンを生み出したと称賛できるが、真面目にふざけたことをするときのいつもの表情を見る限り、母の言ったことは本当なのだろう。
「……は?」
母の本気具合を察した僕は、捻り出すかのように、ようやく声を発することができた。
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