第5話 母の発明
数瞬の時が過ぎた頃、
「母さん、何を言っているんだ?」
我に返った僕は、改めて問うた。
「うん。だから、タイムマシンを発明した」
僕は苦虫を噛み潰したような表情をしたが、百歩譲って天才科学者である母ならやりかねないと無理やり納得してみる。問題はその次だ。
「それで?」
「総くんに、試してもらいたいの」
問題は発明品の試運転を実の息子に頼むことである。聡明な科学者である母ならば、怪しげな発明品による人体実験に危険が伴うことを理解しているはずである。
何事にも、未知の領域に足を踏み入れる際には、常に危険が伴うことを承知しなければならない。そしてその危険が死につながる最悪なものである可能性もあるのだ。
その危険な役を、よりにもよって血肉を分け与えた子供にやらせようとしているのである。最早親として、そして人として、堕ちるところまで堕ちたようだ。
未知の領域に対して畏怖を抱かない、もしくはその畏怖を押さえつけられるだけの別の意志を持っている者が、先駆者としての第一歩を踏み出せる。そのような人のことを俗に「偉人」もしくは「変人」と言う。そしてその変わり者の言動が、凡人の許容の範囲を超えることはよくある話である。
「なんで僕なんだ?」
僕は鋭利な刃物のような眼差しを母に向け、剣呑な口調で尋ねた。僕の平穏な日常を壊さないでほしい。僕は大人しく自分の世界を堪能したいのだ。
「え? だって、私じゃないと観測できないじゃない。つまり、実験は私ではない誰かにやってもらわないと困るのよ」
しかし母は目を丸くし、何を今更といった様子で平然と答える。母の中では、どうしてそんなことに疑問を抱くのか理解できていないようだ。僕としてはそのことが少し癪に障ったので反論しようとしたが、
「それに、未来の世界を初めて見る人は、私の大好きな総くんであってほしいの」
母はまるで少女のような屈託のない笑顔で言葉を続けた。その表情と台詞のせいで、僕の反論は口から出ていかなかった。
今までもそうだった。母の個人的研究の中心部にあるものは、常に僕なのである。毎回最悪なことを更新し続けているが、別に僕をいじめたいからやっているわけではない。息子である僕に自分の愛情を表現しているだけなのだ。その方法は歪んでいて正直迷惑なのだが、悪気はないのである。
僕は自称リアリストである故、普段クールや大人びていると言われる一方、薄情や無慈悲と囁かれている。そんな僕の思考回路としては、非常に利己的なものとなっている。この場合穏便かつ早急にことを終わらせるには、この方法が一番だろう。
「……仕方がない。一回だけ付き合ってやるよ」
僕は諦め、従うことにした。負うべき被害は最小に、だ。状況が悪化する前に母を満足させなければならない。
そもそも、タイムマシンなんてものは作れない。これまで数多の研究者が挑んできたテーマであり、様々な仮説が立てられたが、そのどれもが仮説の域を越えられないのだ。どれも致命的なエネルギー不足のせいで成立しないのである。それはいくら母が天才であろうとも、母一人では不可能なのだ。
天才だろうが、鬼才だろうが、奇才だろうが、無理なことは無理なのである。
例えトワというアンドロイドを作り出した天才といっても、流石にタイムマシンは無理だろう。母の実験は失敗する。一秒たりとも未来や過去に行くことはできないのだ。
そんなことを思っていると、ふとトワがいなくなっていることに気がついた。そのことを母に聞いてみようとしたが、
「じゃあ別室に装置があるから、そっちに移動しましょう」
尋ねる前に母はそそくさと背を向けて歩みだした。研究室の奥に扉があり、別の部屋に繋がっているようだ。
「な、なあ、トワはどこいったんだ?」
僕は母の背に向けて問いかけた。
「んー? トワちゃんも実験に参加するよ。重要な役割であり、動力源というか、ちゃんと機能するための制御というか――」
「えっと……、サポートとかアシスト的な役割ってことか?」
母はトワの役割を説明しようとして、僕に伝わる言葉を選ぼうとしているらしいが、適切な言葉が出てこないらしく、結果的に曖昧な説明になってしまった。しかしなんとなく言いたいことはわかったので、僕は僕なりに解釈した。母はそれに「そんな感じ」とかなり適当な答えを返した。
「ところで気になったのだが、そもそもどうやってタイムマシンを実現させたんだ?」
僕はトワの失踪に気がつく前に抱いた疑問を再び呼び起こし、母に投げかけた。
様々な方向から研究されているタイムマシンだが、現代では架空の存在であり、SF作品を構成する一つの要素でしかない。この世に魔法があるとか、別次元に異世界があるとか、正直それらと言っているレベルは変わらない。そんな空想の産物を母はどうやって可能にしたのだろうか?
「考え方としてはすごく単純よ。時間と空間を関数の要領で考えると、人間は時間という等速で変化する軸に対して、空間という軸はある程度自由に可変できる。簡単に言えば、時間が進めば空間を移動できる距離が伸びるということよ。つまり、人間は空間を変質させることができる生き物なのよ。そしてその逆の存在がいるとしよう。要するに、空間という等速で変化する軸に対して、時間という軸をある程度自由に可変できる存在。今回のはね、時間と空間の軸を一時的に入れ替えて――」
そこまでタイムマシンの理論に造詣があるわけではなく、擬似ブラックホールとか宇宙ひもなどを利用するといった断片的なことしか知らない僕だけれど、母の理論は今までに聞いたこともないものであった。うん、理解できなくもない説明ではあるけど、じゃあ実際どのような方法でそれを実現させるのか、僕には想像することができなかった。
しかしながら母についていくかたちで別室に入ったその瞬間、僕の思考は停止し、想像することを放棄した。それと同時に、母の説明が全く頭に入ってこなくなった。
工房のような雰囲気だった研究室に対して、その隣の部屋は鉄骨が剥き出しの無骨な空間であった。飛行機の格納庫とか、港の倉庫とかを縮小したと言えば、イメージしやすいのかもしれない。研究に使う資材等が積まれており、大型スーパーのバックヤードのように雑多な状況である。まあ、スーパーのバックヤードなんて入ったことないから、完全にイメージだけで言っているけどね。
その鉄臭い空間の中心に、それらしいものが置かれている。ただ断言できない理由は、その形状が、一般的に思い浮かぶタイムマシンとは明らかに異なっていたからだ。
「えっと……防音室?」
それは、自宅で楽器演奏などをする際に使用される、ボックスタイプの防音室を彷彿とさせる外見をしていた。窓などがないため内部の様子を窺うことはできないが、何か大掛かりな装置が外部に取り付けられているわけでもなく、ただ単に部屋の中に部屋がある状態である。……部屋の中に部屋があるこの光景はかなり違和感があるけど。
「あ、あの……これは?」
僕は困惑しながら、止まることなくしゃべり続ける母に尋ねた。
「え? あ、うん。そう! これが、私が発明したタイムマシン」
母は急に説明を遮られて虚をつかれた様子であったが、即座に立て直し、堂々と目の前の小部屋を指してタイムマシンと明言した。
「えっと、本当にこれがタイムマシン?」
「そうだよ」
「これで本当に時空を超えられるの?」
「私の理論は完璧だよ」
そう豪語する母を、僕は直視できなかった。うん。なんか、非常に痛々しい。ただここまで自信たっぷりな母に素直な気持ちを言うと傷つきそうなので、ここは仕方なく放置することにした。
この部屋に一度入って、何事もなく出てくれば、今日の面倒事は片付く。母は今まで以上に突飛なことを言い出したが、実際にすることは今までと比べると大したことはない。うん、大丈夫だろう。
「この中に入ればいいのか?」
僕は母に確認する。それに対して母は満面の笑みで首肯する。その反応を見てから、僕は例の部屋の前に行き、ドアノブに手をかける。開けた手応えがカラオケの扉そのままであり、まさに防音室をただ魔改造しただけのようだ。
そして肝心の内部である。広さは三畳あるかないかくらいだろうか。実際に防音室というものに入ったことがないので、だいぶ感覚的な表現になってしまうが、ドラムセットやグランドピアノが入りそうな広さである。
しかし今は楽器の類はない。代わりにあるものは、実用的なバックパックと大量のダンボール。そのせいで、実質一畳分くらいしか足の踏み場がない。まるで引越ししたばかりの部屋である。
「なにこれ? 備えが充実している避難所か?」
率直な感想としてはそれである。なんだろう、遭難することを前提で整えられた感がある。確かに時空を超えて未来や過去へ行くのだから、不測の事態が起こることを想定しなければならない。しかし半ば強引に実験に巻き込まれた身としては、それは不安を掻き立てる要因でしかないのである。
準備をしておけばいざというときでも安心できるという意味で、「備えあれば憂いなし」ということわざがあるが、こちらとしてはその「いざ」や「憂い」が恐ろしく怖い。
「それじゃあ総くん、百年後の東京を楽しんできてね。あ、それと、何か証拠になるものもお願いね」
「え――」
部屋の中を見渡していると、急に母が早口でまくし立てる。その言葉に僕は反応しようとするが、その前に扉は勢いよく閉められる。
状況をうまく把握できていないが、閉じ込められたことだけは即座に理解できたので、僕は飛びつくようにドアノブを掴み捻る。しかし外から鍵がかけられたのか、扉はびくともしなかった。
「お、おい! 何やってんだよ。開けろよ!」
次いで僕は扉を強く叩きながら喚き散らすが、防音室のように遮音性に優れているこの部屋では、内部の音は外に伝わらない。だがそれでも諦められない僕は、懸命に扉を叩き続けた。
閉鎖空間に閉じ込められた不安から、徐々に恐怖にかられ始めた僕であったが、その恐怖が一気に増幅する。
「な、なんだ!?」
まるで顔面を殴られたかのように突然意識が明滅し、視界がぼやける。脳内が混濁し、はっきりと状況を認識することが困難になっていく。それに伴い、重力よって抑圧されるかのように身体の自由が効かなくなっていく。立っていることもままならず、僕は受け身を取ることなく無造作に倒れ込む。この理解し難い状況は、ただただ僕に恐怖を植え付けていくだけであった。
部屋全体が振動している。しかし部屋の中の荷物は何かしらの方法で固定しているらしく、その振動に揺さぶられることはなかった。僕だけがその振動に翻弄されている。まるで洗濯機に放り込まれたかのようだった。
そしてしまいには、僕の身体の自由は完全になくなった。指一本すらもう動かすことはできない。しかし痛覚はそのまま維持されている状態なので、ダンボールや壁に打ち付けられる度に悶絶しそうになる。
『考え方としてはすごく単純よ。時間と空間を関数の要領で考えると、人間は時間という等速で変化する軸に対して、空間という軸はある程度自由に可変できる。簡単に言えば、時間が進めば空間を移動できる距離が伸びるということよ。つまり、人間は空間を変質させることができる生き物なのよ。そしてその逆の存在がいるとしよう。要するに、空間という等速で変化する軸に対して、時間という軸をある程度自由に可変できる存在。今回のはね、時間と空間の軸を一時的に入れ替えて――』
神経が疼痛に支配される中、不意に母の説明がフラッシュバックする。その意味を、現在の現象に照らし合わせて考えてみる。
まさか……本当に……。
しかしここで僕の精神が限界を超え、意識がなくなる。僕は気を失った。
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