第10話 地下室の夜




 晩餐という言葉が出てきたところで、そういえば僕たちはまだ何も食べていないことに気がついた。丁度いい時間帯であったので、僕たちは地下空間でみすぼらしい晩餐を開くことにする。


 しかしながら、母が残してくれたのは手軽に食せる非常食である。この中に王女という高貴な人に食べさせられるものが果たしてあるだろうか? 王女に何が食べたいのか聞いたとしても、そもそも王女は僕の世界の食べ物を知らない。だからこそ、何を出せばいいのか見当もつけられないのであった。はて、どうすれば。


「あの、総介さん。そちらの部屋にあるものは一体何ですか?」


「あ、ああ。食料とちょっとした便利道具がそれなりに」


 僕がタイムマシンの中に入っていろいろと物色していると、ラシュトイア王女が興味津々に中を覗き込んできた。


 部屋もそうだが、中にあるダンボールを初めて見たようで、


「この木箱……木ではないですね。これは何で作られているのですか?」


 と入口付近に置いてあったダンボールを凝視しながら尋ねてきた。


「紙です」


「紙!! 紙ですか!?」


 ラシュトイア王女は心底驚いたようであり、耳をつんざくような声を上げた。いや急にそんな大声を上げられるとこっちがビビるわ。


「紙って、あのペラペラの紙ですよね。重ね合わせることで強度を保っているのでしょうか? それでも物を入れて運び出す強度にはならなそうですが……」


 ラシュトイア王女は実際にダンボールに触れて材質を確かめる。明らかに木ではない材質であるが、それが紙であることにまだ納得していないようである。


「硬い紙を使っている上に特殊な貼り合わせをすることで強度を出しているのです。断面を見てみるとわかりますよ」


 ラシュトイア王女は僕に言われて開封しているダンボールの断面を見る。その波状に加工した紙を別の紙で挟み込んだ構造を見て、感嘆のため息を吐いた。


「これが総介さんのお国の技術ですか。それがこんなにたくさん……。ところで、この荷物はどうなされたのですか? 見たところ総介さん一人のようですし、まさか一人でこの荷物を運ばれたわけではなさそうですし……」


「ああ。その、この小部屋自体が乗り物なんだ。これに乗ってここまで来ました。でも調子が悪くなってここで立ち往生してしまったんです。あいにく僕ではない者が作ったので、正直僕には構造がさっぱりで、こいつを再び動かすには、修理の前に構造を把握するところから始めなければなりません。幸い食料は十分すぎるほど持ち込んでいるので、焦る必要はないですがね」


 僕は決して嘘をついているわけではない。わかりやすく現状を説明したにすぎない。よって誤解が生じても僕のせいではない。……きっと。まあタイムマシンも乗り物といえば乗り物だし、動かし方がわからないのも事実である。それをやんわりと言っただけであり、悪意を持って嘘をついたわけじゃないので許されるだろう。なんとなく言い訳がましくなっているが、気のせいだろう。


「そうなのですか。これが乗り物ですか。もし直ったら出発前に私を乗せてください」


 乗せるといっても、実はこれタイムマシンなんですけど。流石に一国の王女を乗せて時間移動はできない。ここは丁重に断らなければ。


「残念ながら、この乗り物結構危ないものですよ。現に、乗っていた僕は身体のあちこちにあざができてしまいましたし」


 そう言って僕は制服の袖をまくり、腕を見せた。タイムマシンによる振動に翻弄されたため、身体のあちこちをぶつけたのである。流石にもう痛みは引いているが、それがあとになっていないとは思えなかったので、僕はそれを見せた。


 僕の腕はところどころに青あざができており、それを見たラシュトイア王女は小さく悲鳴を上げた。僕自身も自分の身体を確認しておらず、今になって予想以上にダメージを負っていたことを知り、一緒になって驚いてしまった。


「その、王女に怪我されると困るので、やめといたほうがいいかと」


「そ、そうですね。怪我したら大変ですし」


 僕はサッと袖を戻し、王女共々笑ってそのことを誤魔化した。


「修理ついでにしっかりとした固定具を取り付けます」


「そのほうがよろしいですね。もし必要であれば、私の方で足りない資材などをご用意いたします。それと、修理が終わるまで別邸の方で暮らすのはどうでしょう。現状これぐらいしかお礼できないのが心苦しいですが、もしそれでよろしければ、お部屋を用意させます」


 ラシュトイア王女の提案は願ってもないものだった。確かにこの埃っぽく陰鬱な地下室に何日も寝泊りするのは気が引ける。


「それではお言葉に甘えてお世話になります」


 僕は提案を承諾した。するとラシュトイア王女は眩しいくらいの満面の笑みを浮かべて頷いた。この王女様は本当に幸せそうに笑う人だ。一人の女の子としては申し分ないが、王女という堅苦しい身分を持つ者としては、幾分陽気すぎるような気がした。別に悪くはないが。


「それよりも食事にしましょう。大したものは何もないですが、腹は膨れます」


 僕は強引に話題を切り替え、いくつか食料を持ってタイムマシンから出る。ラシュトイア王女も僕が出てくるのに合わせて場所を譲った。


「準備するので、しばらく座って待っていてもらえますか?」


 僕はランタンを囲んだ椅子とタイムマシンを行ったり来たりしながら、ラシュトイア王女にそう言葉をかけた。すると王女は律儀に言いつけを守り、チョコンと椅子に座って待ってくれた。


 携帯コンロを設置し、キャンプケトルにペットボトルの水を入れてお湯を沸かす。その間僕は食べ物の用意をする。といってもビニールをはがして蓋を半開きにするだけだが。


 しかし王女はそれが気になった様子で、


「それはどういう食べ物でしょうか?」


 と疑問を投げかけてきた。


「これはカップ麺ですよ」


「カップメン、という食べ物ですか」


 はい。すみませんこれぐらいしかすぐに用意できませんでした。いやよく探せばそれなりのものが出てきそうだけど、あんまり待たせるのも悪い気がしてこれにした。でも本音を言ってしまえば、カップ麺に驚く王女を見てみたいというちょっとした悪戯心があるのだが、これは言わないことにした。


「スープに入った麺の食べ物で、それを乾燥させて保存が利くように加工したものです」


「えっと、スープを乾燥?」


 僕の説明にラシュトイア王女は混乱したようだが、正直これ以上説明のしようがないので、笑って「そうです」と答えた。


「あ、王女は箸で食べますか? それともフォーク?」


 僕は実際に割り箸とプラスチックフォークを差し出して尋ねた。


「で、ではフォークで」


「はい。じゃ僕は箸で」


 僕はプラスチックフォークを手渡した。王女はわけも分からないといった様子で、取り敢えず両手でフォークを持つことにしたようだ。その姿が何故か小動物のように見え、可愛らしかった。


 そんなこんなでお湯を注いで三分が過ぎ、僕は二人分の蓋を剥がし、一つをラシュトイア王女に渡した。地下室にカップ麺の芳しい香りが充満して食欲がそそられる。


「熱いので気をつけてくださいね。まず麺をかき混ぜてください」


 説明をしつつ、僕はお手本になるよう見やすく箸を動かす。ラシュトイア王女も僕に倣いフォークで麺をかき混ぜる。


「そして麺を啜ってください」


 僕は下品にならないようあえて少量の麺をとり、一気に啜った。その様子を見ていたラシュトイア王女は恐る恐るフォークで麺をとり、口に運ぶ。


「ん!? ンー! ンー! ンンー!!」


 その瞬間、ラシュトイア王女は瞠目した。含んだものが外に出ないよう口をきつく結んでいるため、美味しさを表現する言葉は唸り声に変わる。興奮した身体は身振り手振りで衝撃を僕に伝えようとするが、手にスープが入った容器を持っているため、ワナワナと小刻みに震える程度になっていた。何この可愛い生き物。


 王女は夢中に麺を咀嚼し、飲み込む。そして、


「……美味しいです」


 と小声で感想を言った。どうやら美味しすぎて言葉にならないようである。


「さ、スープが冷めないうちにどうぞ」


「はい!」


 僕がやんわりと促すと、ラシュトイア王女は夢中になってカップ麺を食べ始めた。そのため食事の時間は短かった。


 食後余ったお湯でコーヒーを入れてしばし雑談。その取り留めのない話の中で僕は学校の話をしたため、現在僕は遊学中であることになった。一方ラシュトイア王女の情報としては、年齢が十四歳であることが発覚した。そんなこんなで、ほどよく食休みすることができた。


 特段やることはないので、今日はここで就寝することにし、翌日は早朝から王女の別邸に向かうことにした。


 就寝する場所については、流石に女の子を薄汚い地下室の床に寝かせるわけにはいかないため、ラシュトイア王女にはタイムマシンの中で寝てもらうことにした。その際寝袋と毛布どちらがいいか尋ねると、王女は逡巡したのち毛布を選んだ。


 僕としては非常にありがたいのだが、ラシュトイア王女としてはそれでいいのかと疑問に思ってしまった。しかしよくよく考えてみると、もしかしたらラシュトイア王女は寝袋なる寝具を使ったことがなく、その使い方がわからなかった故に、慣れている毛布を選んだのではないだろうか。そう思いラシュトイア王女に尋ねてみると、案の定使い方がわからなかったようだった。


 僕は寝袋の使い方をレクチャーすると、


「ならば、なおさら外でお休みになる総介さんがお使いになるべきです」


 とラシュトイア王女は押しの強い言葉で僕に寝袋を譲った。確かに居心地はタイムマシンの中より外の方が悪いので、僕はとくに反対することもなく素直に王女に従った。


 そんなやり取りを終え、僕はランタンの火を消し、学生鞄を枕にして寝袋に包まった。


 しかし今日一日あまりにも衝撃的なことが起こりすぎたため、脳の整理が追いつかず、すぐには寝付けなかった。僕は寝付くまで今日の出来事を振り返る。


 消失した東京。自然豊かな土地。王政の国。


 そして魔符による魔法。この国にはそれがある。


 僕はふと思う。僕は時空を超えて未来に来たのではなく、次元を超えて異世界に来てしまったのではないかと。


 母の実験は失敗し、東京とは縁もゆかりもない土地に飛ばされたのではないだろうか。でもそうすると、この地下室が存在している理由がわからない。もしかしてタイムマシンの周辺ごと転移したとか? でもそれなら、地下室がここまで荒廃している理由に説明をつけることができない。だがその部分さえ目を瞑れば、異世界説が有力であることは間違いなかった。


「何が何だか、わけがわからないや」


 取り敢えず今日は考えることを放棄した。どのみちこの世界のことをもっと知らなければ、結論に達することもできないのだ。今日は休むとしよう。


 身体の力を抜き、目蓋を閉じる。そうして自然と寝落ちるのを待った。


 僕は元に世界に、東京に帰れるだろうか?




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