第19話 テレの襲撃(2)


 逃走中に見つけたその部屋は鍵が壊れており、簡単に侵入することができた。部屋の中を照らす照明の類はなく、室内は暗闇に包まれていた。僕はポケットの中に入っていたスマートフォンを取り出し、それを光源にして部屋の中を調べる。


 窓はカーテンによって閉ざされている。部屋の天上は高く、二階吹き抜けになっているようだ。そして床面は、扇状の階段になっていた。壁一面に取り残された黒板を見るに、どうやらこの部屋は、この建物が学校として機能していたときは講義室として利用されていたようだ。しかし現在は机などが撤去されており、隠れられる場所はなかった。まあ、そもそも隠れる気はないけど。


 空き部屋と化した部屋の中、僕は最下段、机の最前列があった場所と教壇があったであろう場所の間で待機する。その際なるべく部屋の入口から離れるように心がけた。


 ここでテレを迎え撃つ。追われる際にかなり距離を離したが、結局テレを撒くことはできなかった。恐らく一分もかからないうちにこの部屋の中に入ってくるだろう。


 そして案の定、僅かな時間差でテレが入室してきた。


「なぜ逃げる?」


「それは、本能的に危機感を覚えたから」


「やましいことがあるからではないのか?」


「まあ……なくはないな」


 テレは僕に問いかけながら、魔符を収めた腰のホルスターに手をやり、一枚取り出す。そしてそれを自身の目にかざし発動させる。恐らく夜目が利く何かしらの現象を保存した魔符だと思われ、それを使用することで室内の闇に目を適応させたのだろう。それによりテレは僕の位置を正確に認識できるようになったようだ。だが、これから僕が行おうとしていることを加味すると、むしろそれは僕にとって非常に都合のよいものであった。


「なあテレ。化学の問題だ」


「カガク?」


 いくら言葉を翻訳できようとも、そもそも自身にない概念の意味を理解することは困難である。それは外国人が、日本のわびさびの理解に苦しむのがいい例である。それはこの国、この世界でも同様であり、テレには僕の住んでいた世界の理、理学の一分野である化学が、一体どのようなものなのか見当もつかないはずなのだ。なので、これはちょっとした意地悪である。


「ダイヤモンドに酸素を送り込みながら燃焼させると、どうなるでしょうか?」


 僕は抑揚のない、冷めた口調で出題した。当然、テレはその問題に小首をかしげた。


「答えが出ないようだから、正解を教えるよ。ダイヤモンドを燃やすと、こうなる!」


 僕は語気強く言い放ち、左手に持った手札の中から白色の魔符を指でつまみ、実体化する。瞬間、魔符は淡い光を放ちながら形状を変化させ、剣の形となる。


 手に現れたのは、刀身がダイヤモンドでできた宝剣。その純度の高い宝石は、テレの背後から差し込む廊下の光を僅かに取り込み、小さな光彩を放っていた。宛ら夏の星座のようだ。


 僕が武装したのと同時に、テレはレイピアを構え、迎え撃つ体勢になる。しかし僕は剣を持ってテレに迫ることはしなかった。


 僕はその透明な剣を、テレに向けて投擲した。しかし明らかに飛距離が足りない。宝剣は室内にいる僕と入口にいるテレの丁度真ん中辺りで床に落ち、刀身が砕ける。


 よくダイヤモンドは最も硬い鉱物と言われているが、それはあくまでモース硬度が最高なだけである。モース硬度は鉱物の「傷のつきにくさ」という意味の硬さであり、靭性、すなわち耐久度を示すものではない。靭性は精々水晶と同等である。よって、ダイヤモンドでも手荒に扱えば、容易に砕けてしまうのだ。


 そのことを知っていた僕は、あえてダイヤモンドの宝剣を床に放った。床に打ち付けることにより砕け散り、広範囲にダイヤモンドを散りばめるために。


 そしてすぐさま次の魔符を取り出す。その魔符は朱色。火炎を保存したものであった。僕は朱色の魔符を眼前のダイヤモンド片に向けてかざす。すると魔符から炎が吹き出し、火炎放射器の如く勢いを増していく。その炎は、床に散らばったダイヤモンドをくまなく覆い尽くす。ダイヤモンドは燃焼しにくいが、その地獄の業火のような炎によって、ダイヤモンドは強引に赤く染まっていく。僕はそれを確認したのち、三枚目の魔符を切る。


 突風を保存した緑色の魔符。それを頭上に高々と掲げる。その瞬間、僕の背後から風が吹きすさぶ。その烈風は部屋を焼き尽くす火炎を揺さぶるが、火炎はその程度で鎮火することはなかった。むしろ燃焼によって失われた酸素が供給され、更に盛んに燃え広がる。


 そして新たに取り込まれた酸素によって、ダイヤモンドの燃焼が絶頂に達する。


 テレは僕が行っていることが理解できず、取り敢えず静観の姿勢をとっていた。一方僕は、これから起きる現象に備えてきつく目蓋を閉じ、腕で目を隠した。


 転瞬、視覚を保護したにも関わらず、僕の目に光が忍び込んだ。それほどまでに強烈な閃光が眼前で迸った。恐らく目を保護していなければ、今頃閃光弾を食らったときのように一時的な失明をしていただろう。


 そして現に、その状態になっている人物がいた。


「あッ! アガァァァァァッ!!」


 耳をつんざくような裂帛の悲鳴が聞こえたのち、僕はゆっくりと目を開けて周囲の状況を確認する。眼前には相変わらず紅蓮の炎が燃え盛っている。そしてその炎の向こう側では、目を抑えながら蹲る少女がいた。それは紛れもなくテレである。テレは不意の閃光を直に見てしまったため視覚が麻痺し、見当識が失われてパニック状態に陥っていた。


 そう、ダイヤモンドに酸素を送り込みながら燃焼させると、ダイヤモンドは閃光を放つのだ。


 ダイヤモンドは炭素原子によって構成されている。そのため燃焼させると空気中の酸素と結合して多くの二酸化炭素を排出し、跡形もなく消え去る。その化学変化の過程で、ダイヤモンドは強い光を放つのである。


 小粒のダイヤモンドですら眩い光を放つのだ。それがダイヤモンドをふんだんに使った刃渡り五十センチメートルの宝剣であれば、視界を白く染め上げるほどの閃光を放っても何ら不思議ではない。


 そして僕はその効果を最大限引き伸ばすために、できるだけ暗い密室を探し、ダイヤモンドを砕いてばら撒くことによって、その効果範囲を広げたのである。本来なら閃光の威力を上げるために、時間稼ぎをしてテレの視覚が暗順応するのを待つ予定だった。しかし予想外のことに、テレは暗視の効果がある魔符を使用して、すぐさま闇に目を慣らしてしまった。そのためその過程は奇しくも省くことができた。まさに僥倖である。


 未だに悶え苦しむテレ。僕は一度部屋の中の階段を上り、炎を迂回してテレに近づく。テレのもとに辿り着くと、閃光を受けた際に手を離してしまったレイピアを拾い取り、徐にテレの色白の首筋に当てた。


「僕は剣に関しては素人だから、下手に動くと喉切れるよ」


 あくまで一時的に失ったのは視覚だけであり、聴覚や触覚は生きている。テレはパニック状態であったが、僕の言葉と首筋に当てられた冷たい感触から、おおよその事態を把握し、従順になった。


「少し尋ねるが、どこで僕の正体に気がつ――」


 僕がタイムマシンに乗って未来に向かい、失敗してこの世界に迷い込んだことを、テレは何を持って理解したのか、僕は聞かずにはいられなかった。だがしかし、その問は最後まで言うことができず、阻まれる。


「何事だ!?」


 突如部屋の入口に人が押し寄せてきた。着ている服から察するに、全員近衛騎士団のメンバーである。集団の先頭にいる偉丈夫が騎士団のリーダー格なのだろう。リーダー格の男は腰のホルスターから魔符を引き抜き、長剣を実体化する。


「その剣、テレのだな。今すぐ武器を捨てて投降しろ」


 その長剣を僕に向け、リーダー格の男は僕に警告してきた。まあこれだけの騒ぎを起こしたのだから、こうなるよね。流石に日々訓練を受けている騎士集団に大一番を繰り広げるほど、僕は実力差を見誤ったりはしない。ここは素直に従うことにしよう。


 僕はテレの首筋からレイピアを退け、床に捨てた。そしてこの世界に来て三度目になる両手を上げての無害アピールをする。


「その少年を捕らえよ。他の者は速やかに消火作業を」


 リーダー格の男は的確な指示を部下に出し、現場を統率する。僕は命令通りに動いた騎士二人に取り押さえられ、そのまま連行される。テレもリーダー格の男に担がれてその場をあとにした。


 振り返ると、騎士の連中が懸命な消火作業をしていた。騎士の掛け声を聞く限りでは、火の勢いはあるが、そこまで消火に苦戦している様子ではなく、どことなく落ち着いていた。


 それもそのはず、騎士は消化器などの消化道具を用意せず、自身のホルスターにストックしている水関連の現象を保存した魔符を用いて消火活動をしていた。僕が住んでいた東京とは違い、初動で消火に取り組めるため、手遅れになることはないのだろう。僕は改めて魔符の偉大さに感嘆した。




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