五章 破滅の逃避行

第30話 年上の助言


 春の太陽は空の彼方で燦々と輝き、その光は途切れることなく地表に降り注いでいた。一日のうち最も暖かいこの時間帯は、上着を羽織っているとほんの少し汗ばんでしまうくらい気温が上昇している。季節がほのかに変わりつつあるのだ。


「総介様、あちらにて昼食のご用意ができております。ご案内いたしますね」


 空を見上げて微々たる季節の変化を感じ取っていた僕に、声をかける人物がいた。


「トロメロさん、いたのですか?」


 その人物は、青みがかった色の薄いワンピースを着た女性であった。侍女のトロメロさんである。えらく久しぶりに姿を見たような気がする。


「今朝からいましたし、昨日も調査隊に同行しています」


「昨日も?」


「はい。ラシュトイア王女自らが調査に参加されていらっしゃるのに、その侍女が別邸にて待機しているわけにはいきません。調査ではお役に立てませんが、皆様の休息のご用意にてお役に立てればと思いまして」


 そういえば昨日は、休憩のことを忘れて調査に没頭していた。皆それだけ僕が目星をつけた国会図書館地下書庫の調査に期待していたのだろう。強いて休憩したといえば、天窓から侵入するにあたり、近衛騎士の人たちが足場を組み立てているときのほんの僅かな時間くらいだ。確かあのときは、誰かから飲み物を一口もらった程度だった。きっと僕の面識のないトロメロさんの同業者なのだろう。昨日も、そして今日も、トロメロさんを含む侍女たちは、調査隊の裏方で貢献しているようだ。


「そうですか。それではお言葉に甘えさせていただきます。向こうですか?」


 せっかく食事を用意してくれたので、食べないわけにはいかない。僕は食事が用意されているだろう方向を見やる。その方向はトロメロさんが現れた方向であり、そこにはいくつもの天幕が張られていた。まるで軍隊の野営みたいだ。まあ調査隊の主体がラシュトイア王女の近衛騎士団なのだから、必然的にこうなってしまうのだろう。


 しかし場所を尋ねてはみたものの、一向に返事がこないので、僕の視線はトロメロさんに戻る。するとトロメロさんは、弟を心配する姉のような視線で僕の顔を注視していた。


「総介様、お疲れではないですか? 少々顔色が優れないように見受けられます」


「ああ……えっと、ちょっと寝不足でして」


 さすがお姉さん気質のトロメロさんだ。年下の人間の様子には敏感であるらしい。見事に僕の体調のことを見抜いてしまった。


 確かに昨日は寝付くのが遅かった。その理由は、地下書庫で発見した母の本であった。結構遅くまで話し込んでいたらしく、話が終わってラシュトイア王女とテレが僕の部屋から退室したのは深夜であった。


 隠し事が減った分僕は少し気持ちに余裕ができた。だが、結局は何も解決していない。今のところ現状維持ではあるが、それをいつまで続ければいいのかが不明である。僕はこれからのことに対する憂いを完全に拭い去ることができずにいた。そしてそのせいで安眠ができなかったのだ。


「やっぱり悩み事の解決は、なるようにしかならないみたいですね。簡単に解決できればそもそも悩む必要なんてないですし」


 僕は明言を避け、寝不足の言い訳をした。別に嘘は言っていないが、どのような捉え方もできる言い方である。


「悩み事は、意外な方向から解決することがあります」


 そんな僕の言葉に、トロメロさんは年上のお姉さんらしく広義的なアドバイスを返してくれた。僕はそのアドバイスの真意を見極めるため、トロメロさんの表情を読み取ろうとするが、当のトロメロさんは柔らかく微笑んでいるだけだった。トロメロさんはその笑顔のまま僕を食事の場所に促し、僕は促されるままトロメロさんについていく。


「その意外な方向がいいことであるに越したことはありませんが、気をつけなければならないのは、悪いことによるものです。悪いことが切っ掛けで悩みが解決する場合、その殆どは、悩んでいる選択肢が奪われることにより、残った選択肢を選ばなければならなくなってしまったときです。そしてその選択には希に後悔が伴うことがあります。ですがそれは後悔しても仕方ないことでございます。結局は自身で選んだ選択です。どんな結果になろうとも胸を張っていなければなりませんよ」


 年の功というほど僕とトロメロさんの年齢は離れていないはずだけれども、そう言わずにはいられない貫禄がトロメロさんの背中から伝わってきた。それにより、その言葉は僕の深いところに染み込んでいった。


「アドバイス、ありがとうございます」


「いえいえ、侍女の分際で出過ぎたことを言ってしまいました。申し訳ございません」


「そんなことはないですよ。トロメロさんの忠告は重々理解しました」


「そこまで大げさに捉えてもらわなくても……」


 トロメロさんは重くなった僕の表情を察したのか、「でも」と言葉を続けた。


「悪いことによって選択したものが、意外と最善の選択であることもありますので、そこまでお気になさらずに。私の戯言だと思っていただけたら幸いです」


 その言葉はきっと、僕に気を遣った結果出てきたものなのだろう。僕はこの世界に来てから何度も誰かに気を遣わせてしまったようだ。なんとも情けない。


「……ありがとうございます」


 僕は再度お礼を言い、トロメロさんのあとをついていく。




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