第25話 託されたもの


 永田町の地下にあるのは、国立国会図書館の書庫である。


 国会図書館は日本唯一の国立の図書館である。納本制度により、日本国内で出版されたものは全て国会図書館に収められるそうだ。その納本の対象になるものは、学術書や図鑑などの国益になりそうなものだけではなく、雑誌や新聞を始め、漫画や小説などの書籍、はたまた音楽CDやゲームソフトまでに及ぶ。また出版社のよる商業出版だけではなく、自費出版や同人誌までもが対象である。まさに日本の知識が一箇所に集った場所なのだ。


 そして全国から集まった膨大な図書を保管するために、国会図書館には必然的に広大な書庫が必要になる。そのうちの一つが新館の下に存在する地下八階による書庫であり、収蔵能力は約七百五十万冊に及ぶという。地下である故に外気の影響は少なく、地震の被害も最小に済ませることができ、加えて温度湿度管理が徹底されていたため、東京にこれ以上適切な書庫は存在しないであろう。


 何らかの天変地異により東京は地上を失い地下に避難してきて、その後地上のムルピエ王国と戦争をしたのである。その戦利品としてムルピエ王国の重要書物を奪ったというのなら、東京都民に唯一残された地下でそれらをちゃんと保管できる場所など、ここ旧国会図書館地下書庫以外考えられなかった。


 国会図書館地下書庫の中央部分は八階吹き抜けとなっており、天上は天窓となっていて自然光が差し込むよう設計されている。僕たちがたった今穿った穴は、どうやら天窓部分に積もった土であるらしく、そのまま天窓を貫通して地下書庫まで穴を開けたようだ。


 身体能力に優れている騎士たちが命綱を身体に巻きつけ、穴から内部に侵入。ぶら下がりながら資材を受け取り、地下一階部分に簡易的な足場を設ける。その作業が終了するとともに梯子を下ろし、一同地下書庫へ降りる。


 ラシュトイア王女が所有している閃光を保存した魔符を実体化する。まるで太陽のように空中で輝き続けるそれを照明として、闇に満ちた地下書庫が文字通り白日の下に晒される。


「この中にムルピエ王国の文字で書かれた書類があれば、それが王女の探し求めている歴史資料ということになるのですかね」


「そうなりますね。その、総介さん、ありがとうございます」


 突然の謝意に僕は意表を突かれ、思わず目を瞬かせて反応してしまった。


「総介さんがいなければ、私たちはこのような地下迷宮の施設に辿り着くことはありませんでした。きっと総介さんに出会わなければ、今も不毛と言える調査を続けることになっていたでしょう。いくら感謝してもしきれません。本当に、ありがとうございます」


 ラシュトイア王女はそう感謝する。心を込めたそれは、確かにラシュトイア王女の本心からの謝意だろう。しかし、声のトーンが若干沈んで聞こえてきたのは、僕の気のせいだろうか?


「ラシュトイア王女、それは歴史資料を発見してから言いましょう。今の段階ではある可能性があるだけであり、確証があるわけではありません。もしなければ、僕は皆さんに無駄足を踏ませたことになります。ですので、その感謝は目的を達成したあとにもう一度言ってもらえないですかね?」


 感謝されて照れた故に、僕はラシュトイア王女の謝意を素直に受け止められず、妙な勘ぐりをしてしまったようだ。本当に沈んだ声であったのなら、それはここまでの移動で疲労が出てしまったからなのだろう。僕はそれ以上気にすることなく、微笑みながら遠慮がちに言葉をまくし立て、ラシュトイア王女の感謝の矛先を躱した。


「はい。わかりました。尽力します」


 僕の照れ隠しを聞いたラシュトイア王女は、太陽の輝きのような屈託のない笑みを浮かべて答えた。


「そういえば……」


 ラシュトイア王女は、僕の顔を見つめながら言葉を続ける。


「総介さん、なんだか表情が柔らかくなりましたね」


「柔らかく?」


 意外な言葉に、僕は少し戸惑ってしまう。


「はい。出会った当初は常に難しい表情をしていましたが、今の総介さんは、時折笑うようになりました」


 そう指摘されたが、それは僕自身自覚があった。というより、ついさっき地上で自覚したばかりだ。最初はわけもわからない世界に一人放り出されたため、僕は常に周囲を警戒していた。それ故緊張が表情に出ていたのだろう。でもここ最近は、信用できる人と関わりを持つことができ、未知の世界の生活にも慣れた結果、気が緩んだのだろう。


「それは、僕だって人間ですから、笑いもしますよ」


 僕はそう誤魔化すが、ふとよく考えてみると、僕はここまで気持ちが明るくなったのはいつ以来だろうか? 元の世界、百年前の東京にいた頃は、天才すぎる母に畏怖するとともに辟易し、トワと関わる度に困惑しており、そして学校生活もとくに語ることがないほどつまらない毎日を過ごしていた。それ故あまり笑うことがなかったと思う。多分今みたいにおおらかな気持ちになったのは、幼少の頃以来だと思う。


 人と関わることが楽しいと思えたのは、間違いなくラシュトイア王女をはじめとするこの世界の人々と出会ったからだ。


 そしてそのことにより、僕の感情が活発的になったような気がした。


 だが今は、それよりもやるべきことがある。


「さ、中を調べましょう」


 僕は気持ちを切り替える。


 僕たちは揃って地下書庫を見下ろす。そして調査を開始した。


 国会図書館の機能が完全停止してからかなりの年数が経っているようで、地下書庫内は無人による劣化が進んでいた。しかしそれでも蔵本に関しては、まだ読める程度の劣化に済んでいたことに感嘆の声を上げざるを得なかった。地下の密閉空間という環境がよい方向に作用したのかもしれない。


 流石に地下八階に及ぶ書庫を調べるのは一筋縄ではいかない。よって、総出で地下に潜り、人海戦術で歴史資料を捜索するしかなかった。まあ目的のものが、ムルピエ王国が使用する文字が書かれたものに限定されるので、識別はしやすいはず。ムルピエ王国の文字は僕にはよくわからないが、僕の存知ではない言語であればそれがそうなのだろうと勝手に当たりをつけて参加した。


 調査隊一行は、伝え聞いた歴史によって地底人に畏怖を抱いているようであり、あまり地下深くに潜りたがらなかった。よって、最下層である地下八階は僕が担当することになった。僕以外には、近衛騎士団の団長であるツルゴを始めとする勇敢な騎士数名が協力してくれた。


 地下書庫の一番下から、階段を通して吹き抜け最上部にある天窓を仰ぎ見る。地下書庫中央にあるこの吹き抜けは「光庭」というらしく、今現在は天窓の上に分厚い土が積もっているため、僕たちが穿った穴からしか陽光が差し込んでいない。だが、それでもちゃんと最下層まで光が届いている。ラシュトイア王女による照明の魔符の効果もあり、閉鎖的な地下にいるという感覚が薄れていき、どことなく安心感が沸き起こってくる。


 僕たちは手分けをして作業に取り掛かった。流石に書庫内部まで外部の光は入ってこないようであり、終始照明をかざすことになった。


 そして数時間本棚と睨めっこしていると、不意に奇妙なものを見つけた。そのものは資料であることには変わりないが、ジャンル分けしてきちんと整理して蔵書しているにも関わらず、それだけは他のものとは様子が違った。なんというか、無造作に押し込まれた感があるのに、その本自体は劣化を防止するためのラミネート加工が施されている。なんともちぐはぐであった。僕はそれに惹かれるように手を伸ばし、棚から取り出す。


 僕はその本の表紙を見やる。そしてそこに書かれている文字に驚愕する。


『世界融合についての考察。瀬尾京子』


 転生したエジソン、平成の平賀源内、日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ。その他、鬼才のマッドサイエンティスト、純粋無垢な発明王、稀代の才女等々、数多な呼び名を持つ僕の母の名前がそこに記されていた。


 そして母の名前と同等に気になる単語「世界融合」。それはもしかして、僕がタイムマシンで未来へ旅立ったあと東京で起きた出来事と、このムルピエ王国の誕生の謎に迫るものではないだろうか。


 僕はその本を手にしてしばらくそのまま固まり、そして次第に身体が小刻みに震えだした。動揺により加速する心拍を無視し、僕は意を決して本を開く。そして僕は日本語で書かれた文章を目にした途端、まるで野獣が獲物を貪り食うかの如く文章を読み進めていった。


 母が書いた本には、このような前置きが書かれていた。


『本書は考察と銘打っているが、これはていのいい文言にすぎない。あくまでこれは実情を検証したものから推理したのであり、私の妄想と言ってしまえば反論することはできない。しかし私の導き出した世界の構造についての真実を、完全に否定できないのもまた事実。本書の内容は、あくまでこの世界に起こった天変地異に対する一つの仮説であることを、まず初めに理解してほしい』


 単に自分の考えに自信がないだけか、それとも、一般人とは違う頭の構造になっている母の考えを一般人に理解できるようにするための断りなのか。この世界は百年後の未来なので、もうこの世界に母はいない。そのため、前置きの真意を確認する術はない。ただ息子として母という人物像を知っている僕は、前者の要素を含みつつ、後者のていで読み進めた。


 一体どれくらいの時間が過ぎたのだろう。時間を忘れるほどに、僕は母が遺した本に没頭していた。それほどまでに、衝撃的な内容であった。


 正直言ってしまえば、牽強付会すぎて母が何を言っているのかがさっぱりわからない。天才な物理学教授は自身の頭の中では完結しているようだが、凡人である僕にとっては理解に苦しむ見解である。前置きにあのような記述をしなければならない理由がよくわかった。


 しかし同時に、母の立場でなければ到達できなかった見解であった。この見解の信憑性は残念ながら皆無だが、それでもこれ以外でここまで説明できる見解もないことも確かである。母が前置きに書いた通りであった。


 僕は一通り本の内容に目を通し終え、脱力感でその場にへたり込む。今まで読んで疲れる本に遭遇したことは多々あるが、ここまでのものは初めてであった。あまりにも突飛な情報を頭に詰め込めすぎて脳が悲鳴をあげている。正直、僕がこの本を読んで、何を信じて何をすればいいのかすら考えることができなかった。


 しかし母はそのことを想定していたらしく、本の最後のページに手書きの文章を書き加えていた。それは読者への、いやこれは僕に宛てたメッセージであった。


 そのメッセージの最後の一文が、僕の心に絡みついてきた。


 母が僕に託したその言葉は、まるでアニメの登場人物が言いそうなものだった。でもまさに、そのアニメみたいなことができる人物は、僕以外には誰もいない。僕がやるしかないのだ。


 だが、本当にそれをやるべきかどうか悩む。何せこの行動は、僕に良くしてくれたラシュトイア王女に対する裏切り行為でもある。


 恩を仇で返す行為。彼女を悲しませるだけの行為。


 僕は究極の二択を前にして、選択することができなかった。


 本を手にしたまま、起き上がることができなかった。これから僕は、どのような行動を取ればいいのだろうか?




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