第17話 疑惑


 風呂から出てみると、トロメロさんの言葉通り、僕の学生服や下着は見事にクリーニングされた状態で脱衣所に置かれていた。まるで下ろしたてのようだ。


 綺麗になった服に袖を通し、鏡の前で身なりを整えてから、僕は脱衣所を出た。すると扉の前にトロメロさんが控えており、僕を客室まで案内してくれた。


 廊下の窓から外を眺めてみると、初夏のような開放感のある晴れ晴れとした蒼穹が広がっている。気温もほのかに暖かい。


 僕が実家にてタイムマシンに乗り込んだのが五月であった。どうやらこの異世界、ムルピエ王国も僕がいた東京と同じような気候のようなので、身体が寒暖の差に悩ませられることはなかった。可能性の問題として、猛暑の世界や極寒の世界へ辿り着くこともありえたので、そのあたりは運がよかったと考えることにしよう。


「今晩はラシュトイア王女のご希望もあり、晩餐のご用意をいたしております。少し時間がございますが、お部屋でお待ちください」


 客室の扉の前まで来たとき、トロメロさんは急に振り返ってそう告げた。晩餐まで時間があるそうだが、そういえばこの屋敷での僕の行動目的はない。そのため必然的に時間を持て余すことになる。


 再び廊下の窓から外を覗く。見る位置が変わったことにより見える風景に変化が生じたが、空を覆い尽くす青色に変化はない。時計を部屋の中に置いてきてしまったので、正確な時間はわからないが、あと二時間くらいで夕方だろうか? 東京の空と比べるならば、おおよそ三時か四時といったところだろう。晩餐を七時くらいに仮定すると、三時間から四時間ほど暇になる。ここは言われた通り、大人しく部屋で待つことにしよう。


 僕はトロメロさんに「わかりました」と返事をし、一人部屋の中へ入っていく。そしてベッドに腰掛け、楽な姿勢をとる。


「タイムマシン、解明しなきゃな……」


 僕はボソッと呟く。一応別邸に滞在中は、タイムマシンを調べて元の世界に帰る方法を模索しなければならないのだが、そもそもタイムマシンのもとまで戻るには、何かしらの移動手段が必要になる。あそこまでの距離を徒歩で向かっても、辿り着ける自信はない。


 恐らく、次回の地下迷宮調査の馬車に同乗させてもらい、途中下車して、帰りは途中で拾ってもらうのが、一番迷惑のかからない方法である。しかし、その次回の調査のことはなにもわからない。そもそも調査の帰りに襲撃を受け、王女が一時行方不明になったばかりである。警備にしろ調査方針にしろ、何かしら改善してからではないと調査を再開することは難しいだろう。


 そしてそれは今まさに議論中であろう。それが終わり、調査が再開されるまで、やることはあってもできないのが現状である。


 そんなこんなで、とくにすることなくぼんやりしていると、不意に客室の扉がノックされた。


「失礼する」


 そして僕が返事をする前に扉を開けて入室してきたのは、意外にもラシュトイア王女の側近の少女であるテレであった。変わらず、女性将校のような近衛騎士団の制服を着用している。


「えっと……何かようですか?」


 僕はテレの氷のように冷え冷えとした視線を受けながら、なんとか絞り出すかのように声を出して問いかけた。


 テレは扉の前で立ったまま、僕を射竦める。


「ラシュトイア王女の命により、様子を見に来た」


 そして数拍ののち、ようやく返事をしてくれた。テレ自身はラシュトイア王女の命令と言っているが、王女の人柄的にそこまで高圧的で強制力のある指示ではないはず。きっと穏やかに僕のことを気にかけてくれたと思うのだが、テレにとっては命令でなければ僕の顔を見たりはしないだろう。僕ってとことん嫌われているらしい。


「そう嫌な顔をするな」


 僕が内心そう思っていると、それを見透かしたかのようにテレは指摘した。


「いや、ただ単にあなたが怖いだけです」


「そうか。それはすまない。普段からラシュトイア王女の警護をしている関係上、どうしても初対面の人間、とりわけ若い男性には厳しく接してしまうきらいがある。不快に思ったならば謝罪しよう」


 僕は皮肉を込めて言ったつもりだが、意外に意外、素直な言葉が返ってきたので、少々肩透かしを食らった。


「てっきり、僕は嫌われているのかと思っていたけど」


「そんなことはないが、警戒しているのは事実だ。いくら王女が絶対の信頼を寄せていたとしても、所詮身分があやふやな旅人であるからな。警戒するなと言う方が無理だ。だがあくまで恩人であることには変わりない。妙なことをしなければ、手荒なまねはしない」


「でも出会い頭に、問答無用で僕の鼻の穴にレイピア突っ込みましたよね?」


「あのときは恩人だと知らなかった。賊が王女を人質にとっている可能性を考慮した結果だ」


 テレはそう言うが、それはすなわち、テレという少女は、例え大事な人が人質に取られたとしても、全く動じることはないと言っているようなものであり、テレの精神力の強さに脱帽した。


「私個人としても、ラシュトイア王女を救ってくれたことには感謝している。近衛騎士の立場でなければ、涙を流して礼を言い続けていただろう」


「そうですか」


 僕は思わず口元が緩んだ。


「何が可笑しいのだ?」


 突然笑みを浮かべた僕を、テレは訝しんだ視線で見つめる。


「いえ、意外だなと思いました。クールなあなたがそのようにお礼する姿を想像すると、ギャップがありすぎて可愛いなって」


「か、可愛い、だと!?」


「はい。騎士とはいえ、やっぱり、あなたもちゃんと女の子なんだなって、思いました」


「し、失礼だな。私はこれでも十五の女子なのだぞ。自分で言うのもなんだが、一応人並みに乙女な心を持ち合わせている。普段は任務として凛としているだけであり、四六時中このような態度でいるわけではない。私はラシュトイア王女の騎士である前に乳母子で、王女とは姉妹も同然の間柄である。周りに誰もおらず王女と二人っきりのときは、姉妹らしく親しく接しているのだぞ!」


 僕は笑みを浮かべながら冷やかすと、テレは表情こそ変えなかったが、その頬は甘い果実のように紅潮し、聞いてもいないことをベラベラと勝手にしゃべりだして照れ隠しをした。その姿はまたしてもギャップのある愛らしいものであり、僕の中のテレに対する恐怖は跡形もなく消え去った。どうやらテレは上品なツンデレであるようだ。


「しかし、貴様も笑うのだな」


「まあね。僕も人間だから」


「第一印象として、貴様は感情が希薄な人間だと思ったから、少し意外に思ってな」


 まあ感情が希薄なのは認めるよ。よくお前はロボットみたいだとか、話し方が三人称みたいだとか言われる。でもそれは母の奇行によって辟易し、達観した結果であり、僕としてはなるべくしてなったとしか言い様がないけどね。


 でも確かに、こうして自然に笑うのは久々だった。


 恐らくそれは、ラシュトイア王女をはじめとするこの国の人が、母やトワのように辟易してしまうほど面倒くさい人柄ではないので、その分気持ちに余裕ができたのだろう。幾分心が晴れやかではあるのは確かだ。


 まあそれはさておき、互いに諸々の誤解を解消したが、やはりテレにとって僕は身元不明の男でしかないようだ。一人の女の子ではなく、あくまで一人の騎士として、これまで通り厳格な態度で接する。だがそこには今までのような堅苦しさは消失し、スムーズに会話がなされる。どうやらテレは僕と会話したことにより、僕という人間を理解したようだ。


殿、ラシュトイア王女もそうだが、私も少なからず異国の技術に興味がある。様子を見に来たついでだ、何か珍しいものを見せてくれるとありがたい」


 それは僕のことをちゃんと名前で読んでくれるようになったことが、何よりの証左だった。


 せっかく親しくなったので、僕はテレの申し出を断ることはしなかった。バックパックを取り出し、客室の応接スペースのソファに腰掛け、ローテーブルを挟んでテレと向かい合う。


 バックパックの中身は、タイムマシンがある地下室からこの別邸までの長距離を移動することを想定して詰め込んできたため、水や軽食、その他役に立ちそうなものが入っている。僕としては何が一番驚くか見当もつかなかったが、まず初手として軽めにいこうと考え、取り敢えずそこそこに中身が減った二リットルペットボトルを出してみた。


 案の定テレは軽くて丈夫なペットボトルに驚嘆した。この国は飲み水を運ぶ際は金属製の水筒を使い、大量の水を運ぶ際は樽を使用するため、どうしても容器自体の重量を軽減することはできないらしい。最終手段として現象保存の魔法により魔符に記録させるという方法もあるが、それは魔符の製作が容易に行える王族に近しい人間だけであり、一般的ではないようだ。そのような事情があるため、テレは合成樹脂製の容器であるペットボトルに興味をひかれていた。


 しかし突然、テレは目を眇めて訝しんだ。それは丁度、テレがペットボトルのラベルに目を通した直後であった。一度僕の方を見やり、そして再び視線はペットボトルのラベルに注がれる。テレも僕と会話するために翻訳の効果を保存した魔符を使用しているので、ラベルに書かれている文字を読むことはできるだろう。はて、ペットボトルのラベルに怪訝な表情になるような文章が書かれていただろうか?


 僕も次第に訝しんだ視線をテレに投げかける。それに伴い、テレは僕に対する警戒心を強めた。せっかく関係が改善されたのに、再び元の関係に逆戻りしたかのようであった。


「他にも、見せてくれないか?」


 テレは凛とした鋭い目付きで僕を睨みながら尋ねる。僕は蛇に睨まれた蛙よろしく抵抗することができず、テレを刺激しないよう緊張しながら言うことに従った。次いで出したのは数種類の軽食だが、やはりテレはそのものではなく、袋に記載されている文章に注視した。


「質問だ。これらは確かに、総介殿の国のものなのだな」


「そう、ですけど」


 何故か詰問するかのような口調でテレは尋ね、僕は思わず萎縮して答える。


「他に何かないか? できれば書物のような多く文字が書かれたものが好ましいが」


 何故テレがそのような注文をするのか理解できないが、テレの急変した態度に本能的な部分で恐怖した僕は、従う他に選択肢はなかった。


 しかし思考を巡らせても、テレの注文に該当するものはない。僕としては未知の世界に来ているので、探検するのにわざわざ本とかを持ち歩いているわけがない。それらは余計な荷物にしかならないものなので、バックパックに詰め込む際真っ先に除外したものである。まあ本といっても、学生鞄に偶然入っていた教科書ぐらいしかないのだけれども。


 しかし今はそんなものはありませんと答えても、剣呑な雰囲気を漂わせているテレを納得させることはできないだろう。ならば今現在あるもので代用品を探すしかない。


 そしてそれはすぐに思いつく。それはタブレットPC及びスマートフォンである。僕が現代っ子故にないと不安だから持ち歩いていた品々であった。


 僕は即座に行動に移す。タブレットPCを取り出し、操作する。ただ異世界なので、当然オフライン状態でありネットワークに接続できず、益になるような文章を呼び出すことはできない。


「その、本はないけど、僕がこの国で得た情報を元に考察した文書でよければ」


 そこで僕は、先程書き込んだ文章をテレに見せる。客室に通されて早々打ち込んだものであり、それ以降更新をしていなかったため、大浴場での妄想じみた推測は書き込まれてはいなかった。


 テレはタブレットPCを受け取ると、そこに書かれている文章に目を通す。


「貴様、何者だ?」


 テレは文章を一瞥したのち、お馴染みの鋭利な視線を僕に向けながら、剣呑な態度で僕に問うてきた。


「何者って……どういう意味で?」


 僕はその問いの真意をはかることはできなかった。今更旅人がどうこうという話ではなさそうである。しかし、ならば何故テレは僕の正体を尋ねてきた?


「貴様のような人間が、どうしてにいるのだ?」




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