sept
「どうした。妹子。生足だよ」
俺を助けた美馬は、どういうわけか靴下を脱いで俺の頬をぐりぐりしているのだ。
「サッカー少女の生足だよ」
言っておくが、俺には足で踏まれて喜ぶ趣味はない。ふつうの高校一年生にはそんな性癖はない。
『グランドマイティ』の魔の手から救ってもらったはずなのだが、
(怒りはこみ上げてくる……)
助けてもらったのにちっとも嬉しくないのはなぜだろう。
どうして俺はこんな屈辱的な扱いを受けなければならないのか。
「やめなさい。美馬ちゃん」
深見さんがたしなめる。
三毛猫の顔のイラストが入ったコーヒーカップでアールグレイを飲んでいたが、仕方ないと言わんばかりの顔をして、
「妹子くんは捕まっちゃったんだからしょうがないでしょ。しょうがないから話は事務室で聞くわよ」
と言って、俺を事務室へと連れて行った。
「深見さん。バレてしまってすいません……」
俺は頭を下げて謝った。
深見さんは椅子に座ると笑って、
「いいわよいいわよ。それにしてあの片上愛まで投入してくるなんて、向こうは全力でウチを潰しに来ているわね」
「はい」
「じつは昨日社長が来たの」
俺は、初日に面接の時にあった社長の顔を思い出した。
「社長は今回の件でたいへん胸を痛めているわ。こんな片田舎にわざわざコスプレ喫茶店を出店してきたってことは、『トリアノン』に対する挑発行為以外の何物でもないわ……それと、ここだけの話なんだけど、『トリアノン・ヌーヴォー』と『グランドマイティ』を取材したいという雑誌があるの」
「どこの雑誌ですか?」
「『週間ウェンズデー』よ」
『美女と巨乳は眠らせない』のキャッチコピーで有名なあの雑誌か。
「コスプレ喫茶店を取り上げるという企画があって、それで二つのコスプレ喫茶店どちらが優れているかを競い合うの」
「それは店にとっていいことじゃないですか」
「ところがそう安心してもいられないの。敵の宇賀神から社長に直接電話が来たのよ」
「えっ!?」
「今回の企画はいい機会だから、どっちの喫茶店が上が企画を決着をつけようと言ってきたのよ。でも『トリアノン・ヌーヴォー』が『グランドマイティ』に勝てる可能性は1%もないから断っても結構とか抜かしやがったらしいわ」
「そんなこと本当に言ってきたんですか!?」
これはもう単に『トリアノン・ヌーヴォー』と『グランドマイティ』の争いでは済まされない。
岩清水と宇賀神、二つの企業の代理戦争である。
「引き受けても大丈夫なんですか? 宇賀神が裏で『週間ウェンズデー』に手を回してってことは……」
「それは大丈夫。岩清水グループも『週間ウェンズデー』に広告たくさん出しているし、それにそこの編集長は頑固者の変人で、そういった脅しが通用しないらしいから。ちょっとの間は予約制やめようと思うのよ」
「どうするんですか?」
「庭にテーブルや椅子を置いて、野外で新規のお客さまに『トリアノン・ヌーヴォー』を堪能してもらおうと思うの。今回は値段をさらに安くしてメニューのほとんどを1000円以内で抑えてさ」
うちの客単価は最低でも2000円以上だった。半額以下にするとは、これは大きく勝負に出たな。
「妹子くん、うちの店をみなさんに知ってもらうチャンスよ! これから正念場だから、一層お客様の接待には心をこめてね」
「わかりました」
ここからが正念場だ。負けるわけにはいかない。
そうだ……忘れるところだった。
「深見さん、ちょっと待ってください。渡すものがあります」
「あら? なにかしら」
「自己紹介文です。これを出さないと給料が上がらないと聞いたので」
ちなみに、書いた文面は美馬に破り捨てられたものとまったく同じである。
「あぁ。それだったらいらないわよ。妹子くんのはあたしが書いとくから」
「いいんですか!?」
「だって普通の高校生がいきなり『男の娘』になって文章を書くのは無理だもの。美馬ちゃんには自己紹介文書いてもらうけど、妹子くんはいらないわよ」
「じゃあ、時給も……」
「もちろん上げとくわよ」
やった! 何にもしないで時給1000円にUP。これはラッキーだ!
「うちは真面目に働けば時給2000円以上いくから。それにしても……」
と、深見さんは俺の女装姿を見た。
「妹子くん、似合っているわよね」
深見さんの俺を見る眼差しが『ヌメッ』としているんだよね。
俺、まだ女装した格好のままなんだよね。
大人の女性にそんな濡れた瞳で見つめられると、高校一年生の俺はすこし怖くなってくるんですけど……。
オネショタは先ほど『グランドマイティ』で胸焼けがするほど味わったのでおなか一杯である。
女装した俺の姿をみて陶酔したような眼差しだ。
「せっかくだから、妹子くんその格好のまま帰ったらどうかしら」
「……はああああっっっっ!?」
「ね、一回その格好のままで帰ってみなよ」
「お、俺の服はどうするんですかっっ!?」
「紙袋あげるから、それに入れて持って帰ればいいじゃない」
「電車にこんな姿知り合いに見られたくありませんっっ!?」
「青葉が丘駅のトイレで着替えたらいいじゃないの。美馬ちゃん元気ないんだからそのくらいのサービスしてあげなさいよ」
おかしい。
なんかおかしい。いや、何もかもがおかしい。
なぜか俺がこの格好のまま帰らないと『場を読めない奴』にされてしまう空気がいつの間にかできあがっていた。
「それはそうと、怒らないであげてね」
「どうしてですか?」
「美馬ちゃん。嫉妬しているのよ」
「……部屋にいたのは捕まったからですよ」
「それでも感情的に納得していないのよ。美馬ちゃん、見た目は凛々しいイケメンだけど中身は女の子なんだから」
※
※
報告を終えた俺は、駅へと歩いた。
閑静な住宅街を突っ切って歩く。防犯シールが貼られている住宅が結構ある。
俺一人ではない。仕事を終えた美馬も一緒だ。
もちろん俺は男の服に着替えている。
女装はあくまでも仕事と金のためだ。プライベートまでは御免である。
美馬はボールをリフティングしながら歩いていた。そのボール捌きは相変わらず見事である。
お互いに声を発しない。
無言である。
まるで古くさいTVの恋愛ドラマだ。
「僕って、そんなに女に見えないかい?」
先に言葉を発したのは美馬だった。
すこし伏し目がちだ。
「え? だったら、もう少し女の子らしい格好をすれば……」
「今はいいんだよ。コスプレをしている時の話だよ」
「秋葉原での写真のことだったら気にすることないよ。あんな格好しているのに男と間違うだなんて、カメラ丸って奴の目が腐っているんだよ」
「物心ついた時から男っぽいと言われてきたから。上にはいつもあの姉がいたから」
秋葉原で会ったあのお色気むんむんの摩美お姉さまか……。
第一印象では性格は最低っぽいが、あれは絶対にモテるよな。
「あのお姉さんならモテただろうね」
「10人同時に付き合っていたから」
「じゅ、10人!?」
「もちろんPTAが推奨するような清い付き合いじゃないよ。姉の男好きの凄さといったらケータイ小説も真っ青さ。僕は男みたいな性格になったのも、おそらくお色気たっぷりな姉への嫌悪感というか反動だろうね」
「はぁ……」
「姉は僕が12歳の時に家を出たんだけど、うちは一時期不良の溜まり場になっていたから。両親はそれでずいぶんと泣いていたよ。高校時代の姉は一週間で指導カードを10枚もらうほどのワルだったからねぇ」
「そうなんだ……」
「酒やタバコだけならまだいいよ。わけのわからない謎の葉ッパまで吸っていたから」
それ犯罪じゃないのか……。いや、未成年が酒やタバコをやっている時点でイカンだろ。
「僕は中学の2年までは本当にサッカー一筋でね。ところがうちの部活にヤンキーと付き合っている子がいてね。だいぶ深い付き合いをしていたよ」
「深い付き合いというと?」
「そう……漫画にしたら君が喜ぶくらいにね」
そういう言い方は止めてほしいな……。人によっては本当に泣くぞ……というか、俺すでに相当精神にダメージ喰らっているんですけどね。
「で、ヤンキーがよく女子サッカー部に遊びにくるんだ。『これ面白いから』って漫画雑誌を置いてね。ヤンキー系の漫画ばかりだけど。その雑誌の中に『魔法騎士シュバイアン』が載ってたんだよ」
たしか『魔法騎士シュバイアン』といえば、むかし深夜にカルト的な人気を誇った魔法少女アニメである。あのアニメのキャラクターデザインは女性漫画家だったはずだ。そのあたりが女の子である美馬の心を掴んだのだろうか……。
「あとでりり子店長から聞いて知ったんだけど、アキバでメイド服きてビラ配っている子に意外とヤンキー系の子がいるんだよね。彼氏の読んでいる漫画みてそっち系にハマるのかなぁ? 我慢できなくて、お年玉でコスプレの服を買ったんだ。そして、着ているだけじゃ我慢できなくなって、ネットで撮影会というものを知ってレイヤーを募集していたから、迷わず応募したんだ。
じつはその最初の撮影会は『1対1』だったんだよ。
あとで知ったんだけど、性的なトラブルに巻き込まれる可能性があるからよほど相手に気を許してないかぎり『1対1』の撮影会は避けないといけない。
これは撮影者の性別を問わない。男性はもちろん女性相手でも気を許してはいけないんだ。
たまたま最初の撮影者は若い男性だったんだけどいい人でさ、すごく紳士的に接してくれたんだ。
最初のカメコ……カメコというのは撮影者のことね……良心的な人物で本当に助かったよ。
中学生が見知らぬ人間の家に一人で行くなんて危ないって、あとでりり子店長にすごい怒られたよ。
店長と知り合ったのは最初の撮影会からしばらく経って、ネットで知り合ったんだ。
りり子店長は、僕のコスプレの師匠でね。
身元のしっかりした人間の撮る安全な撮影会を色々と紹介してくれたよ。
りり子店長は、レイヤーとしての心構えというかイロハを教えてくれたんだ。
たとえば下着を撮られる可能性があるから、あらかじめスパッツを穿いてから撮影にのぞんだ方がいいとか。
それから、あまり過度な露出のある服は止めた方がいいと。
その場にいる男性みんなには喜ばれるかもしれないが、同じ女性レイヤーを不快にさせたらそれはやはりいけないわけで。
りり子店長には本当に感謝してもし切れないよ! 店長がいなかったら、僕はレイヤーとして変な方向に行ってしまったかもしれない。
この道に入ってからたくさん友人ができたよ。
サッカーの友人の数に負けないくらい友達が増えたと思う。
それに、コスプレを始める前の自分は女を捨てていたというか、諦めていたんだよね。サッカーさえやっていれば他はどうでもいいやって。でも、色々なコスプレの服を着ているうちに、コスプレの世界では願えばどんなキャラにだってなれるって気づいたんだ。魔法少女にだって、執事にだって……」
でも、急に美馬の表情が暗くなった。
「なれると思ってたんだ。コスプレの世界では何にだって……」
美馬の声のトーンが急に低くなった。
「まさか女にさえ見られないなんて……僕の渾身のコスプレが……」
そう言うと、美馬は自分の胸をわし掴みにした。
「この胸がいけないんだ、この胸が……。僕の胸がもうすこし大きければ、女の子扱いしてもらえたのかもしれないのに」
俺は何も言わずに視線をそらした。
こればかりは如何ともしがたい。
貧乳ばかりはペルシャの幻術師でもどうしようもない。まさか豊乳手術受けろとも言えないし。そもそも、
『貧乳はステータスだ! 希少価値だ!』
という名言があるのだ。美馬は美人でスタイルはいいので、貧乳はそこまでのハンデでもないと思う。
だが、問題はただの貧乳だけではない。
姉に対して女の部分でコンプレックスを感じているのが一番の問題なのだ。
どうすればいいのやら、などと考えていると、美馬はいきなり俺の腕をつかんだ。
そして……。
「み、美馬!!」
「僕の胸、そんなに小さいかい?」
強引に自分の胸を鷲掴みにつかませたのだった。
「ちょ、ちょっと……」
いくら閑静な住宅地だからといっても、これを他人に見られたらとんでもない誤解をされるわけで。
いや、美馬は女なんだけど男の格好で、俺は男なんだけど女の格好をしているわけで、それが女である美馬の胸を強引に触らされているわけだから。
美馬は、スイカなどではなかった。
肉まんでもない。
強いて言えばグミキャンディー……。
絶壁だった。
船越英一郎が2時間ドラマのクライマックスシーンで立っている断崖絶壁を思い出すほどに見事なまでの絶壁だった。
「貧乳の女ってのは無様なもんだよ。女の格好をしても男扱いされるんだから……」
美馬は自虐的な笑みをうかべていた。
俺が手を引っ込めようとしても、その手を放そうとしない。
美馬は自虐的な笑みをうかべていた。
夜はだんだんと俺たちの住む世界を闇色に染めていく。
どこかで犬が吠えていた。
「僕の胸、小さいかい? 妹子、答えてくれよ……」
知らねえよっっ!! 答えれられるわけないだろうがっっ!! というか、他のを触ったことないから比較できねえだろうがっっ!!
しかし、今の美馬の表情をみれば、どんな答えを返したところで心に届かないのは明白であった。
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