cinq

 働くということがこんなに疲れるとは知らなかった。


 たった90分あまりの労働である。


 それもたいした労働ではない。ただメイド服を着て立って黙ってうなずくだけの仕事である。



 それが、疲れる。

 とくに神経がボロボロに磨り減った。



 今日は午後にお客様をもう一組応対するだけで終わりだが、すでに疲労困憊している。

 俺と賢一郎さんが休憩室に戻ってくると、深見さんがいた。机にはプラスチック製のタッパーが数個置かれていた。皿やお箸が並べられていて、電子ジャーまで用意されていた。


「お疲れさま」


 深見さんが弾んだ声でねぎらった。鼻歌まじりの上機嫌だ。


「どう? 妹子くん? 最初のお仕事は」

「ええ……。何といいますか、自分が自分でなくなってしまうような気分で……」

「あら、それはみんな誰でもそうよ。最初は誰でも通る道なの」

「はあ……」

「慣れよね、慣れ」


 そうですね。慣れですよね。ドイツ第三帝国の生き残りみたいな人たちと接するのも慣れですよね。


「見て見て!! これ、みんなの昼食よ。妹子くんのためにお茶碗や箸まで買ったのよ」


 そういって俺に見せたのは桃色の茶碗に桃色の箸だった。

 ちなみに賢一郎さんのは普通の青い茶碗、美馬の茶碗は黒である。

 どうやら、深見さんのなかで俺のイメージカラーは『桃色』らしい……。


「本当に今回は収穫だったわ。妹子くんに美馬ちゃんの二人も優秀な人材が来てくれたんだから」

「いえいえ……」

「妹子くん、元帥閣下にずいぶんと気に入られていたわねぇ。妹子くんは人にはない特別な魅力をもっているわ」

「ははは……」

「それとすごいのが美馬ちゃん! お客様は美馬ちゃんにメロメロで、もうあたしなんか邪魔なくらい。初日なのに一人でお客様と応対できるから、安心して抜け出してみんなの食事が用意できるのよ。とてもコスプレ喫茶初心者とは思えないわ!」


 深見さん、大絶賛である。


「ちなみにどんなお客さんを接待したんですか?」

「普通の女性二人」


 俺、そっちのが良かったなぁ。


「あたしもまだ雑用があるから、二人で先に食べててよ。美馬ちゃんもしばらくしたら来ると思うから、その時はよろしく」


 深見さんは俺たちの昼食の用意を終えると休憩室を出た。


「じゃあ、さっそくいただくか」


 賢一郎さんは料理を食べはじめた。

 俺も席に座って生姜焼きを口に運ぶ。

 うまい。

 やはり生姜焼きは冷めてもうまい。

 米もある。味噌汁まで用意してある。


「うん。やっぱり深見さんの作った料理はうまいな」

「そうですね……」

「どうした? 具合でも悪いんか?」

「まず、一つ言わせてください」

「なんや」

「こんなに美味しそうな食事を用意してくれたのはうれしいんですが……」

「ん?」

「どうして俺を彼女と一緒に着替えさせたんですか?」


「なんでって、そりゃあ面白いからや」


 賢一郎さんは微笑んだ。


「……俺らが未成年ってこと考慮してますか?」


「そりゃあ深見さんが考えることや。俺、バイトやし。なにか問題起こっても俺は責任取る立場やないし」

「しかし……」

「深見さんは変態やから」

「はあ? 意味がよくわかりませんが……」

「自分、冷静に考えてみろや」

「はい?」



「こんだけ豪華な施設なのに、ロッカールームがないと本気で思っとるのか?」



「………………はあああああああああああっっ!!?」



 つ、つまりそれって……。

 俺と美馬をくっつけようとするためにわざとああしたってことかい……。

 競馬の馬主みたいな感覚で『この子とこの子なんか合体させたらどんな風になるか楽しみ~』とか、そんなノリで現実の人間をくっつけようというつもりなのか……。


「ほら、自分、名前が妹子やろ」

「は、はぁ……」

「そんであいつはあんな感じやんか。男っぽいし」

「ははぁ……」

「ほら、お前はメイド服似合うし、あっちはイケメンやからお似合いやと思ったんちゃうか?」

「そんなのどう考えてもおかしいでしょう!!」


「お前、この職場がまともやと思ったか? 何から何までおかしいだらけの店やで」


「それはまあそうですが……」


「おかしいといえば、ここの商売も変やで」

「たしかに強烈なお客様相手にしてますからね」



「そういう意味やないで。だって、一着10万の洋服をバイトが入るたびにオーダーするなんて、誰がどう考えても赤字やろ?」



「でも、その分お高いんじゃないですか?」

「さっきのナチスの残党の皆さんはVIP待遇やけど、一般客はもっと格安な値段やで。一般的なお客様のお会計は消費税込みで一人2000円や」

「何を出すんですか?」

「ケーキと紅茶」

「それで2000円は高すぎでしょう!」

「でも、帰りにお土産持たせているんやで」

「中身は何ですか?」

「チョコや」

「チョコくらいならたいした金額じゃないでしょう?」


「ベルギー王室御用達の最高級チョコな」

「……採算合うんですか?」


 賢一郎さんは考え込んだ。


「おそらく、合わへんやろうな。よくてプラマイゼロ。たぶん赤字やろ」

「どうしてそんな商売やっているんですかねぇ?」

「それは『愛』やな」

「『愛』ですか」

「うん」

「どうしてでしょうねぇ」

「『愛』に理由なんかあらへん。というか。完璧に社長の趣味やろ」

「趣味ですか」

「それ以外に考えられへん」

「深見さんもそう言ってました」

「社長には面接のときに会ったが、なんでこんな店を作ったんやろうなぁ」

「そうですねぇ」

「この『トリアノン・ヌーヴォー』は『愛』にあふれている。が、逆にいってしまえば『愛』しかない。『グランドマイティ』とはえらい違いやな」

「なんですか、その『グランドマイティ』って」

「うちのライバル店や。あっちは男が執事で女がメイドやけどな」

「なんだ、そっちの方がまともじゃないですか。お客さんみんなそっち行くでしょう?」


 すると、突然賢一郎さんは不機嫌な顔つきをした。


「……賢一郎さん?」

「お前は『トリアノン・ヌーヴォー』さえ知らんかったから仕方ないけど」

「はい?」

「『グランドマイティ』ってのはまともな店じゃないで」

「そうなんですか?」

「とにかくお客に貢がせるんや。悪徳の極みやで」

「賢一郎さんだって、携帯ゲームのアイドルに貢いでいるじゃないですか」

「俺はせいぜい3万くらいや」


 そう言って賢一郎さんは携帯電話の入っているポケットを叩いた。


「携帯ゲームに3万って理解に苦しむレベルなんですけどね」


 3万あったらどれだけの漫画が買えることやら。


「『グランドマイティ』は客に消費者金融に行かせるほどやで」


 え、と思わず口から驚きの声が出た。

 想像していないほどの返事が帰ってきたので、俺は唖然とした。


「それ、マジですか……」

「ホンマや。俺、嘘なんかついてへんで」

「それが事実なら、話題になってそうですが……」

「甘い考えやで。『グランドマイティ』の社長の宇賀神は建設会社を起こしてのし上がったんやが、動画サイトやら雑誌やら作って、ついにはサッカーのクラブまで買収しおった。マスコミ関係に絶大な影響力を持っているから、誰も『グランドマイティ』の真実を暴くことができないんや」


 そう言って賢一郎さんは生姜焼きを口に運んだ。


「この仕事やけど、思ったよりも楽やないで」

「はい」

「といっても、それほどキツい仕事でもない。向いている人間には滅茶苦茶簡単な仕事や。ただお客に愛想を振りまいていればいいし、困ったことがあったら深見さんたちがフォローしてくれる」

「この仕事って、覚えることたくさんあるんですか?」

「『役』にさえなり切れば、そんなに必要ない。ただお茶を入れられれば問題ない。本当はただお茶を入れるだけでも難しいんやで。茶道なんて専門の分野があるくらいや。しかし、ここの仕事のいいところは不器用でもそういう『役』だと言ってしまえばある程度は逃げれるもんや。執事はそうはいかんけどな。ある意味、男にとってはラクな仕事やな」

「どうしてですか?」

「俺たちはメイドやから」

「メイドだとどうしてラクなんですか?」

「下っ端の仕事やから。メイドにたいした仕事を任せられることはあらへん。しかし、執事ってのは違うんや。自分、執事ってのは男の仕事と思ってへんか?」

「え? 違うんですか?」

「執事というのは上級使用人のことやで。メイドよりも格上や。男のメイドにあたる職業はフットマンというんや。実際に女の執事もおるで。ただ、世間的にはほとんど執事は男やから、この喫茶店では執事は女がやることになっとる」


 そう言うと、賢一郎さんは箸で俺を指した。


「自分、この店に『客』として来ようと思うか?」


 俺はしばし考えた。


「難しいですね……。高校生に2000円はキツいと思います」

「せやろ? ここに来るお客様はほとんどが社会人や。たまに高校生も来るけど。社会人ってのは世間を知らん学生よりも要求が厳しいんや。普通の喫茶店よりも高い金払っているわけやからな。しかも少女漫画に出てくる執事とかは美形で仕事を完璧にこなせるから、めちゃくちゃハードルが高い。手際の悪さのためお客様に『あんたそれでも執事!?』と怒鳴られてショックで辞めた子もいるくらいや」

「マジですか……」


 俺は頭から血が引いていくのを感じた。たぶん『ちびまる子ちゃん』みたな顔をしていると思う。


「俺、ここでやっている自信なくしましたね」

「だから男は大丈夫やって」

「そうですかねぇ?」

「自分、『ドジっ子』わかるやろ?」

「わかります」


「メイドには『ドジっ子』はおる。失敗しても、そういう『役』だと言い張ればけっこう許してもらえるもんやで。しかし、執事に『ドジっ子』は存在しないんや。つねに完璧でないとアカン。だから、執事で長く勤められる人間はそうそういないんや。それが」

 と、賢一郎さんは言葉を区切った。


「芦名美馬。あいつはすごいな」


「彼女ですか……」


「ここに勤めているけど、一日目から完璧に執事をこなせる人間は見たことないで」


 俺は先ほどまでの美馬の執事ぶりを思い返した。

 たしかに完璧としか言いようがない。


「体育会系だからですかね?」

「いや。他にもスポーツで全国大会出るレベルの女子高生がここで働いていたけど、中身は全然どこにでもいるような普通の子やったで。あんな19世紀ヴィクトリア朝な雰囲気出せる人間はほとんどおらん。あれならあっという間に時給2000円以上いくんやないか」

「時給2000円!? そんなにくれるんですか?」

「常連のファンがつけばそのくらいくれる。ヘタなアイドルよりもずっと儲かるで。ついでやから、ここの給料のシステムについても説明しとこうか。いろんな仕事を覚えればその分時給が上がるで」

「ああ……」


 それはどこの職場でも同じことだろう。


「ただし」


 と、賢一郎さんはつけ加えた。


「ここの場合、ただ仕事を覚えるだけやないんやで」


 ざわ……ざわ……と、どこからともなく擬音が聞こえてきそうだ。


「『トリアノン・ヌーヴォー』では『役』を演じることが要求されるんや」

「『役』ですか……?」

「そうや」

「それならとっくにやっているじゃないですか。俺たちメイド服を着て『男の娘』演じているじゃないですか」

「それだけじゃ、あかんのや」

「えっ……。やっぱり、お金持ちの婦人とかに調教とかされるんですか?」

「何を言ってるんや、お前は」


 賢一郎さんは呆れ顔だった。


「違うんですか!?」

「初心者のうちは関係あらへん。しかし、仕事するにつれて自分で『男の娘』であることを表現せんといかんのや」

「表現……!?」

「それからただ普通の『男の娘』とかやとあかんのや。お客様の求めに応じて、たとえば今日は『イタリア人とのハーフ』で演じてくれと注文を受けたら、そういう『役』を演じないといかんのや」

「じゃあ、エッチなことしてくれとかいわれたら……」

「お断りするに決まっとるがな。うちはそういうお店やないから」

「それは安心しました」

「まあ、高い時給が欲しくなかったら現状で妥協してかまへんのやけどな。高い給料が欲しければそれだけの技能が必要ということや」

「その辺はシビアですね」


「もっとも、メイド役が邪険に扱われることは絶対ないで。女で執事になりたいなんて奴は少ないが、男でメイドになりたがる奴なんてホンマに希少価値やで。天然アワビやで」

「だから深見さんは必死に俺を止めたのか……」


「男尊女卑という言葉があるが、この『トリアノン・ヌーヴォー』は男は尊重される世界なんや。といっても世間でいう意味とはまったく違うけどな」

「は、はあ……」

「男のメイドにくらべると、女で執事にあこがれるってのは意外とおるで」

「でも、芦名美馬は普通じゃないですよ」

「そうかぁ?」

「そういう意味じゃありません。彼女はなにしろ……」


 俺は、美馬に脅されていることを賢一郎さんに言おうとした。

 が、その時。


「お疲れさまでした!!」


 芦名美馬がやってきたのだ。

 見事なまでにいいタイミングで……いや、この場合は最悪のタイミングとでも言うべきか。


 私服に着替えた美馬はすっかりサッカー大好き少女に戻っていた。

 俺は美馬の方を振り向かず、黙って背を向けて食事を続けた。


「この料理は?」

「それ、深見さんが作ってくれたんや。もちろん芦名の分もあるで」

「本当ですか!! これはうまそうだなぁ。僕、生姜焼きが大好物なんですよ」


 そう言って俺の左隣に座った。


「ところで僕がどうかしたって?」

「い、いや……」

「僕の話をしてたんでしょ? 続きを聞きたいな」


 美馬の右手が僕の太ももの上に置かれた。

 なにげないその仕草が俺に恐怖の感情を抱かせる……。

 俺に向けるその表情は、サッカー少女のものではない。

 美しくて、そして怖かった。


「自分ら、ひょっとして知り合いかぁ?」


 すっかり俺が動揺しているのを見て、賢一郎さんは怪訝な顔つきをした。


「いやいや、そんなことないですよ。面接のときに会ったのが初めてだよね?」


 右手が太ももから離れた。

 かと思ったら、今度は俺の左手をしっかりと握りしめたのだ。

 しかも、指と指をからませて……。

 賢一郎さんの座っている場所からは死角になっているのでわからない。

 手のひらの温度がはっきりと伝わってくる。

 俺は食事どころの気分じゃなかった……。

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