quatre
「元帥閣下。蘇芳はなにぶん新人ゆえ不調法をお赦しくださいませ」
深見さんが俺と話すときとは違った、荘重な面持ちで答えた。
「ふむ。そういうことなら仕方あるまい」
「困ったドジっ娘でございますな」
嘲笑う美馬。
こいつ、初日とは思えない落ち着きぶりだよな……。
本当の執事と見間違えるほどだ。
「仕置が必要ではないですか」
さきほどの『事件』が脳裏に甦る。屈辱的なセクシャルハラスメント。
あんな恥ずかしい目には二度と合いたくない。
それにしても。
こういう店にくるのは、かわいい物が大好きな普通のお姉さんとかを想像していた。
だが、やってきたは第三帝国の生き残りみたいな連中。
喫茶店という概念が俺のなかでベルリンの壁のように崩壊しつつあった。
俺たちはハーケンクロイツの旗を貼った例の部屋にやってきた。
扉を開けると、元帥に気づいた将校たちが一斉に椅子を蹴って立ち上がった。
「ジーク・ハイル!!!!」
ナチス式敬礼で出迎える。
元帥も手をあげてこれに応じる。
二十一世紀の平和な日本でなんつうことをしているんだ、こいつら……。
(見てはいけない社会の闇を見てしまったよ……)
「深見に頼みたいことがある」
「なんでしょうか?」
「今日の担当はそのドジっ娘にしたい」
俺は心臓を口から吐き出してしまいそうなほどに驚いた。
絶対に止めてくれ、と目くばせをしきりに送ったが、
「蘇芳は館にきたばかりで何も知らぬ子ですが、よろしいでしょうか?」
「我輩はドジっ娘が大好きだ。多少の粗相は問題ない」
「では、仰せのとおりに」
「深見さん深見さん」
俺は深見さんの腕をつかんだ。
「いくらなんでも無理すぎます。俺があの人の相手をするんですか? 吸血鬼率いて戦争をしかけそうなほどの危険人物ですよ。俺はあんな人と一緒にいるのは嫌……」
「どうした? なにをしている?」
元帥の声が飛ぶ。
「元帥閣下の横に立っているだけでいいから。そして紅茶が運んでくるから、黙って注げばいいだけよ。いいわね? 大丈夫だから。頑張ってね」
深見さんはそう言って、無慈悲にも俺を置いて去っていった。
やめてくれ。
俺をこんな危ない人たちの巣窟に置いていかないで……。
涙目の俺をみて、
「生娘のように純粋だな」
尻を触る。
「ひぐうっっ!!」
俺は服のなかに毛虫でも入ったかのような悲鳴をあげた。
「どうした。なにを怖がっている。ここはただの喫茶店ではないか。怖がるものなど何もないぞ」
愉悦の笑みをうかべている。
まさに生粋のサディスト。
元帥は席に座る。
「それにしても、『トリアノン』は男の娘がメイド服で接待してくれると聞いてはいたが……」
ナチス将校の一人が興味津々で俺を見る。
「これほどまでに見事な男の娘が地上に存在するのは夢想だにしていなかった。僕は男色に目覚めてしまいそうだよ」
「教授は性欲があり余っているな。手当たり次第に女を漁っても満足できず男にまで魔の手をのばそうとするとはまさにゲスの極み」
そういう展開は二次元だから面白いんです。
リアルでやられたら災難以外の何物でもないんですよ……。
「深見に頼んでこの部屋にベッドでも用意してもらおうか」
「さすがラインハルト本郷閣下。男の娘が陵辱されるのを眺めて楽しむとは、相変わらず下衆のきわみでございますな」
豚天使が下品な笑みをうかべる。
「……ラインハルト本郷元帥閣下は銀河を手に入れようとなさっているのですか?」
俺が突っ込むと、ラインハルト本郷は顔色も変えずに、
「いや、元ネタは某SF小説じゃなくてラインハルト=ハイドリッヒ」
「……漫画やアニメじゃなくて、実在の方ですか?」
「うん。ナチスドイツの国家保安本部の初代長官にしてユダヤ人問題の最終的解決計画の実質的な推進者で……」
「わかりました。ありがとうございます」
俺は話を打ち切った。宇宙を手に入れようとしている金髪の孺子の百倍も千倍も危険な人物であることがわかった。こんな狂気の沙汰の会合が爽やかな午前の朝に開かれているのが信じられない。
深見さんが部屋に戻ってきた。銀のトレイに乗っていたのは紅茶ではなかった。ワインの瓶とワイングラスだ。
助けを呼ぼうと思ったが無意味なことだと悟った。いまの俺はナチス将校たちの生贄にすぎないのだ。
「元帥のお好きなトロッケンベーレンアウスレーゼです」
ワインの瓶を手にとって見せると、ラインハルト本郷は鷹揚にうなずく。
深見さんは見事な手つきで元帥の前でワインのコルクを開けてみせ、
「元帥には蘇芳が開けなさい」
俺はものすごく緊張しながら、元帥のグラスにワインを注いだ。
「では、我々のを祝して『ホルスト・ヴェッセルの歌』を歌おうではないか」
元帥が立ち上がると、他の将校たちも一斉に立ち上がった。
Die Fahne hoch!
Die Reihen fest (/dicht, sind) geschlossen!
SA marschiert
Mit ruhig (/mutig) festem Schritt
|: Kam'raden, die Rotfront und Reaktion erschossen,
Marschier'n im Geist
In unser'n Reihen mit :|
男たちの歌声が館全体に響きわたる。
二十一世紀の日本にナチスの悪魔たちが甦った……。
悪夢のような現実に俺は日本の足で立っているのがやっとである。
もうこんな喫茶店辞めよう、そう心に誓ったところで、
「あのさ。べつにうちら、本気でナチス復活させようとか考えてないから」
「え?」
「うちらSLGのサークルの集まりだから」
ラインハルト本郷の表情が素に戻っていた。
「日本に第四帝国をつくるとかいう野望を持っているわけじゃないんですか……?」
「まず資金がない。仮に第四帝国をつくったところで国家を運営するのは至難の所業なのだよ。我々の力だけでは不可能ということは承知している。あくまでもナチスの時代を楽しむためにこういう格好をしているわけであって、リアルの人生でこんな格好をしていたら頭おかしい」
「で、では怪しい秘密結社ではないんですね……」
「ないない。ツイッターで活動報告とかもしているし。動画サイトでゲーム実況のチャンネルも開設しているので登録よろしく」
狐につままれたような気分とはまさにこのこと。
「トリアノンは大変素晴らしい。深見たちをはじめ、我々に対して完璧に接してくれる。日本じゅうを探してもこんな店は他にない」
ラインハルト本郷元帥は、至極満足げにうなずく。
「以前、メイド喫茶の一室を貸しきってオフ会を開いたことがある。ところが、見事なまでにドン引きされたよ」
そうだよね。
いきなりナチスの軍服来たお兄さんたちがやってきたら、さすがに女の子たち泣き叫ぶよね。
「泣かれたからね。マジで。我々はナチスの軍服でやってくるとあらかじめ伝えてはいたのだが、情報の伝達が不徹底だったようだ。ただ部屋に集まって身内だけで騒いでも面白くない。遊ぶなら徹底的に遊びたいわけだよ。ところが我々の趣向に心から共感してくれる店はなかなか……。
その点、『トリアノン・ヌーヴォー』は完璧にやってくれる。目があった瞬間からナチスの将校扱いしてくれるから。せっかくナチスの軍服まで着ているんだから、特別な気分を味わい尽くしたいんだ。
徹底的に遊びたいんだよ。中途半端じゃ我慢できないんだ。それをわかってくれるから我々は『トリアノン・ヌーヴォー』を贔屓にしているんだよ」
「なるほど……」
「今回特別にこんなことを話したのは君がこっち側の人間だからだよ。君は我々と『同じ臭い』がする」
「……………………………………………………………………え?」
「わかるんだよ、私には」
元帥は俺の腰をポンポンと叩く。
アウシュビッツの看守のように素晴らしい笑みを浮かべている。
否定させない狂気の光がラインハルト本郷の双眸に宿っていた。
俺は、はは、と曖昧に笑った。そうするしかなかった。
「ところで閣下は職業はなにをやっているんですか?」
「霞ヶ関で国民の犬として働いています」
官僚さまかよ。えらい人ってのは酔狂な方が多いんだな。
「ところで国会議員の娘さんとかいない? よかったら紹介して欲しいんですけど」
「へっ」
「ほら。やっぱり選挙で勝つには裸一貫で打って出るよりも、地盤をいただいた方がてっとり早く選挙で勝てるじゃない? いくら駅前で辻説法やっても、権力に飼い慣らされた有権者の皆さんは耳を貸してくれないだろうし」
「政治家目指しているんですか!?」
「うん」
止めてくれ。こんなのが政治家になったら世も末だ。
「べつに国会議員とかでなくてもかまいませんから。県会議員でもいいんで」
「そういう名士の知り合いはいませんよね……」
「では、うちらの動画チャンネルの登録をよろしく。うちらは有料のチャンネルもやっているんだけど、とりあえず無料のでいいんで」
「そのくらいだったら……」
「ありがとう。よろしく頼むよ」
ラインハルト本郷閣下は俺とがっちりと握手をした。
「将来、政治家として立候補するときには応援よろしく」
「……どんな政治家になりたいか聞いてもいいですか?」
「このラインハルト本郷。国民の皆さまから票をもらって当選した暁には粉骨砕身、持てる力のすべてを尽くして私利私欲のために働くつもりだ」
「駄目じゃないかそんなのっっっ!!! 典型的な汚職政治家じゃねえかっっっ!!」
※
こうして悪夢のような会合は終わった。
たぶん、俺、この午前中だけで三キロ痩せた。
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