エピローグ

 たとえばWEB小説を読むとする。WEB小説のサイトに置かれている小説の数は膨大で、一日や二日で読みきれるようなものではない。だからついつい最後の場面だけ読んで小説全部を読んだ気になってしまう。が、それで小説すべてを読んだとはいえない。それで読破したといえるなら、世界名作全集を一日で読破することだって可能だ。


 俺と美馬の関係もそのようなものだ。


 こうして一緒に歩いているが、傍目にみれば普通の友達にしかみえない。

 だが、今日に至るまでのいきさつはとても語りつくすことはできない濃厚なものなのだ。


 ※


 コスプレ喫茶店が優れているかという企画は、そのままお流れになってしまった。

 その代わり、『グランドマイティ』のこれまでの悪行の数々が『週間ウェンズデー』の紙面をにぎわすことになった。


 『グランドマイティ』の青葉が丘店は開店早々にして店を閉じることになった。

 芦名摩美がその後どうなったのかは知らない。その後、美馬から姉について語ることはなかった。どうやら芦名摩美のことはあまり触れて欲しくない話題らしかった。

 カメラ丸のホームページから美馬の画像が撤去されていた。


 ついでに美馬の欲しがっていた『篝火マキ』の服だが、手に入れることができたそうだ。日頃からコスプレ界の付き合いが功を奏したのか、所有者から定価よりもやや高額で譲り受けることができたらしい。


 次のコミケにはこれを着るんだと、美馬は晴れ晴れとした顔で言った。その日がやってくるのが待ち遠しくて仕方ないといった様子だった。


 ※


 もうすぐ夏休みがやってくる。


 俺は相変わらず『トリアノン・ヌーヴォー』で働いている。


 賢一郎さんは携帯ゲームで小学生のアイドルを育てているし、平塚さんはメカばかりを描いた同人誌を発行したがやっぱり『萌え』がないと売れないとぼやいているし、最上さんは紅茶の研究に余念がないし、深見さんは基本的に週一で働いている俺にもっと勤務日を増やしたらどうかと言ってくる。


 芦名美馬の執事ぶりはやはり群を抜いて素晴らしかった。女性の人気は素晴らしく、美馬のファンが多数『トリアノン・ヌーヴォー』に押しかけてきた。しかし不思議なことに、セーラー服姿の美馬がサッカーボールを蹴りながら通学しても誰も声をかけないというのだ。どうやら美馬のファンたちは絢爛豪華な世界に生きる執事としての美馬に興味があるわけで、女子サッカー部員でコスプレイヤーとしての彼女には興味を持たないらしかった。


 女子は噂好きだからあれこれ詮索しそうなものだが……と俺は思ったが、事実最初は美馬がどういう人間なのか調べようと動きがあったらしい。


 ところが急に美馬のファンたちは調べるのを止めた。なぜかというと、芦名美馬は同じ職場に彼氏がいるらしいという噂が出てきたからだ……男がいると聞いて彼女たちは『まあ、温かく応援してやろうや』と穏やかな気持ちで美馬を見守ることにしたそうな。たぶんこれは美馬を知ってから間もない初期段階だから彼女たちもオトナな対応をする余裕があったわけで、これが美馬のファンになって数ヶ月も経っていたら、その噂の男はどういう目に合わされていたことやら。


 ……俺、美馬と付き合っているのかな? 俺にはそういう意識は全然ない。

 そりゃあ一緒に遊んだりはするようになったけど。


 そういえばこの前、驚くことがあった。水原清華が……そう、あの清華お嬢様のことだ……ふたたびお客としてやってきたのだった。しかも今度は一人だった。相変わらず無口で、紅茶とケーキを食べただけで帰っていったが、『トリアノン・ヌーヴォー』の雰囲気を楽しんでいる様子だった。


 ※


「そういえば」


 仕事が終わった帰り道、俺は美馬に訊ねた。


「いつ『トリアノン・ヌーヴォー』に来たの? 俺たち、9時過ぎからずっと改札口にいたんだけど」

「9時には公園にいたよ」

「9時に公園? なんで?」

「執事になるためのイメージトレーニングをしていたんだ」

「イメージトレーニング!? そんなことを普段からやっているのか!?」

「ううん。でも、とびきりの執事で頼むと言っていたじゃないか」


 たしかに見舞いの時にそう言った。

 美馬はそれを覚えていたわけで。

 だから普段ではないとびきりの執事姿でこちらに来てくれたわけで。

 それにしても。


(深見さん、おそらくやってきた美馬を見て何かを察したんじゃないだろうか……)


 だから、美馬を駅まで寄こしてきたのだろう。

 あの人、本気で俺たちをくっつけるつもりなのかなぁ。

 この『トリアノン・ヌーヴォー』に入ってから、一つ大きく変わったことがある。

 俺は普通に美馬と一緒に帰っている。

 俺は美馬から逃げなくなった。

 というか、美馬から逃げる必要もなくなったわけだ。

 美馬にしてみれば、俺が『トリアノン・ヌーヴォー』を辞めるつもりがなくなったので、もはや俺を脅す必要もなくなったわけで。

 もちろん、美馬がまたさらに変なことを企んだら、それはまたその時で考え直す必要が出てくるわけで……。


「そうだ!」


 美馬が突然思い出したように叫んだ。


「この前、自己紹介文みたよ! あれは素晴らしいよね! 僕感動したよ! あんなに素晴らしい文章を書けるとは思わなかったよ!」


 俺はあれから自己紹介文など書いていない。

 となると、それは深見さんが書いたものだろう。

 あの美馬が絶賛するとは。さすがに深見さんはこの業界のプロだけある。


「そういえば自己紹介文どこで見たの?」

「『トリアノン・ヌーヴォー』のホームページのスタッフ紹介のところで」

「げえっ!」

「心配しなくても大丈夫だよ。顔は載ってないから。名前だって蘇芳だし」


 俺は、美馬のスマートフォンで深見さんが書いたであろう自己紹介文を見た。


『はじめまして♪ 僕、蘇芳って言います。


 裁縫とお菓子作りが得意な、ちょっと内気な男の子ですぅ。

 甘えん坊で弱気な僕だけと、お姉さまたちに気に入られたくて一生懸命頑張ってます。

 お姉さまたちにかわいがってもらいたくて、僕はもう夜も眠れません。

 こんな愛に餓えています僕でよかったら応援よろしくねっ♪』


「おい」


 俺はショックと屈辱と恥ずかしさで震えていた。

 全身から冷や汗が出た。


「なんだ、この自己紹介文は……」

「はぁ? 妹子が自分で書いたんだろう?」

「絶対にこんな文章書かねぇよっっ!! なんだよこの万年発情期のショタっ子みたいなのはよぉぉっっ!!」

「そうかな? 妹子にお似合いの自己紹介文だと思ったんだけど」

「ありえねぇよっっ!! 俺はこんな『役』絶対に演じねえぞっっ!! 時給2000円だろうが3000円だろうが絶対にお断りだっっ!!」

「どうしても駄目かい?」

「駄目に決まっているだろうがっっ!! たとえHな本のリストをバラされてもお断りだからなっっ!!」

「何を言っているんだ、妹子」


 美馬はドリブルを止めてその場に立ち止まった。


「僕がそんなひどいことをするわけないじゃないか」


 優しい声色で美馬は言った。その優しさが俺にはかえって怖かった。

 本当に大丈夫かな……と思ったその瞬間、カチリ、と冷たい金属音が俺の耳に入ってきた。

 俺は自分の腕を見た。

 手錠がかけられていた。

 美馬は、自分の腕にも手錠をかけた。


「……芦名さん?」

「どうしたの、妹子。そんなよそよそしい呼び方をして」

「俺がルパン三世でもなければ、お前が銭形警部でもないよね?」

「当たり前じゃないか」

「手錠、どこで買ったの?」

「秋葉原で。あそこは色々と売っているから」

「……手錠、いつも持ち歩いているの?」

「だって」


 美馬は頬を染めて女の子らしい顔をして言った。


「好きな人にはいつも傍にいて欲しいじゃないか」

 俺は、今の気持ちを表現する言葉が見つからなかった……。


「さあ、妹子。公園に行こう! 本当の『男の娘』とはどうあるべきか語り合おうじゃないか!」

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