trois

 俺は二人をVIPルームへと案内した。


「今日は蒸し暑いわね。蘇芳、窓を開けなさい。あと風通しを良くするために入り口の扉は開けたままにしておきなさい」


 提督はまるでこの家の主人が自分であるかのような堂々とした態度で俺に命じた。

(命令するのに慣れている……)

 高校生が店に来て、メイドに指示できるものではない。その態度がじつに堂に入っているのだ。もしかしたら、実家でも本当のお嬢様なのかもしれない。


「さっそくですが、紅茶をもってまいります」

「紅茶も結構だけど、夕食を。お腹がペコペコなの」

「かしこまりました。それではメニューをお持ちします」

「その必要はないわ。そうねぇ……」


 提督は頬杖をついて、

「まず前菜はよく冷えたコンソメジュレにカニと旬の野菜……玉ねぎにきゅうりなんかさっぱりしていいわね。あとキャビア乗っけて。ベルーガ産のやつ。サラダは前食べたうにチーズサラダ。スープはフォアグラスープにふかひれ入れて……あ、ロッシーニ風ステーキ食べたいからやっぱりナシで」

 すらすらと早口で料理を注文し始めたのだ。メモを取る暇もない。


「んじゃ、スープは白トリュフのパイ包みスープで。魚料理はそうねぇ……『トリアノン・ヌーヴォー』の雰囲気には似合わないけど、はもの天麩羅で。ここのシェフは元板前だから日本料理は得意でしょう。で、肉料理はロッシーニ風ステーキ。食後のチーズはサン・ネクテール。あたし田舎っぽい味が好きなの」

「は、はい……」

「フルーツの盛り合わせはチェリーと桃はかならず入れて。コーヒーはカプチーノ・コン・カカオをマイセンのブルーオニオンのカップで。デザートは桜とツバメの巣入りケーキがいいわ。あ、コーヒーとデザートは同時に持ってきてね」


 俺はすっかり硬直して、頭が真っ白になってしまった。

 一気に注文を終えた提督は、もう一人の連れの女性をみた。


「清華(せいか)。あなたは何にするの?」

「特製幕の内弁当でいいです」

「かしこまりました……。それではご注文を繰り返します。特製幕の内弁当が一つ。それから……ええと……」

「あ、いいわ」

「お嬢様?」


 ゴスロリは手帳を取り出すとペンでさらさらと書いて、紙を破って俺に渡した。


「これをシェフに渡せばいいわ」

「あ、ありがとうございます」

「あなたはまだ新参者で仕事に慣れていないようね。まだ日が浅いから手際が悪いのは仕方ないわ。早く主人の意にかなう召使いになるよう努力することね」

「き、期待に答えられるよう精進いたします……」


 俺はVIPルームを出た。

 冷や汗が止まらないとは、まさにこの事だった。

(何なんだよ、あのゴスロリの高校生……)

 メニューも見ずにすらすらと聞いたことないような料理を……。しかも、落ち着きぶりは尋常じゃない。やばりあの人、本物のお嬢様か……などと考えながら俺は厨房へ行って、シェフにメモを渡した。


「これ、お願いします……」


 メモを受け取ったシェフはずいぶんと無愛想な顔をして無言のまま厨房に入って料理をはじめた。

 ここのシェフ、いちおうシェフと呼んでいるが和食の板前の格好しているからなぁ……。

 和食が専門だが、フランス料理イタリア料理中華料理トルコ料理となんでも作れるのだ。

 シェフが料理を作っている間、俺は紅茶を用意することにした。

 ここに来る前は、ポットとカップにお湯を注いで温めておくなんてことさえ知らなかったからなぁ……。

 俺は紅茶をワゴンに乗せるとVIPルームへと向かうことにした。

 部屋に入ると、提督と清華お嬢様が話している。


「先輩、医者にならないんですか?」

「あたし、漫画の道行きたいから」

「もったいないですよ! 先輩すごく勉強できるんだから」

「医学部には行こうと思っているんだけど……。うちの教師はあたしを東大行かせたいみたい。東大行かせないと、うちのやっぱり東大合格者が多ければ多いほど学校に箔がつくから。あら、ごくろうさま」


 俺は紅茶を入れて二人に出した。

 それにしても、医者とか東大とか、やっぱり頭が良かったんだな……。


「蘇芳は年はいくつなの?」

「16でございます」

「あら、あたしよりも一つ年下なの。ますますかわいいわ」


 提督はずいぶんと打ち解けた態度で接してくれる。


 その一方で……。

「いかがでしょうか。『トリアノン・ヌーヴォー』の紅茶は?」

「ええ。美味しいです……」


 清華お嬢様はというと、心ここにあらずといった様子である。まだ『トリアノン』の雰囲気になじめていない様子だった。

 厨房に戻るとオードブルができていたので、銀のトレイでオードブルの皿を運んだ。

 俺がオードブルの皿をテーブルに置くと、


「蘇芳。あなた漫画を描いたことは?」

「畏れながら芸術的才能は皆無でございまして。無能な読者でございます」

「そう卑下することもないわ。読者がいるからこそ芸術家も食べていけるのよ。そのおかげであたしも『トリアノン・ヌーヴォー』に来ることができるのだから」

「それはどういうわけでございましょうか?」

「自慢じゃないけど、あたしの同人けっこう売れているの。この前も二千部売ったし」

「に、二千部……二千部でございますか!?」


 俺は目玉が飛び出しそうになるほど慌てた。

 同人で二千部って尋常じゃねぇぞ……。

 漫画の同人なんてだいたい500円以上するから、売上100万以上ってことかよ……。


「そうよ。ここだって自腹だし、このお洋服も自分で買ったの」


 そう言って提督は自分の真紅のゴスロリの服をつまんでみせた。

 たいへんな才能の持ち主である……。

 高校生で二千部売ったら、プロの編集部が目をつけるレベルである。あの猫みたいな口をした伝説のオタク少女Aも絶対にチェックしているに違いない。


「清華お嬢様も漫画をお描きにならないのですか?」

「あたしはBLとか同人とか嫌いなんです」

「え?」

「漫画とかほとんど読まないんです」


 そんな人間がどうしてゴスロリの格好をしているBL描いているような人間と一緒にこんな場所に来ているんだよ……。


「清華は小説をやりたかったの。でも、うちの学校の文芸部は清華が入学したときに潰れてしまったので、それで漫画研究同好会に入って小説を書いているの」

「左様でございますか」

「ところが、うちの同好会は腐った女子が多くて、繊細な清華はなかなかあたしたちに気を許してくれないの。そもそも部長からしてこんな格好だし」

「ちなみにどういう小説をお書きなんですか?」

「それは、まあ……」


 曖昧な言葉を濁して答えようとしない。

 あまり自分の世界に他人に入ってほしくないというタイプの女の子らしい。


「ド直球の王道ファンタジーよ。王子さまとお姫さまと妖精が出てくるようなの」

「先輩っっ!!」

「言ったっていいじゃないの。そもそも小説は、人に読んでもらうために書くものじゃないの?」


 提督は悪びれもせずに言った。

 清華お嬢様は氷の仮面をかぶったかのように無表情になった。

 はもの天麩羅を一口で平らげて豪快に笑っては引っ切りなしに話しかけてくる提督とは対照的に、清華お嬢様はますます口を閉ざしていった。

 清華お嬢様の特製幕の内弁当ができたので、それを運んだ。


 その弁当というのがまた豪華で。


 『グランドマイティ』とは格が違う。

 でっかい海老のチリソースに鱧の白焼き、合鴨燻製、烏賊とかタコとか色とりどりの野菜とか、とうもろこしご飯にしば漬、もうなんというか、彦麿呂でも連れてこないと表現できないほどたくさんの食材が詰め込まれていた。

 しかし、これほどすばらしい弁当を目の前にしても清華お嬢さまは手をつけようとしなかった。

 眉間に皺をよせて険しい顔をしているのだ。

 提督が楽しめば楽しむほどに、なにかに追い詰められているように緊張していて、いまはもう息苦しくて耐えられないといった表情をしているのだ。

 『トリアノン・ヌーヴォー』の雰囲気が彼女に合っていないのは明らかだった。


「……お加減が悪いのでしょうか?」

「料理が美味しいのはわかるんですよ」

「はい?」

「……蘇芳さん、どうしてここで働こうと思ったんですか?」

「えっ!?」

「男がメイドの格好をしているなんて気持ち悪くないですか?」

「清華! あなたいい加減にしなさい!」

「だっておかしいじゃないですか。男が女の格好をするなんて……」


 清華お嬢様はほとんど泣きそうな声で言った。


「料理が美味しければ普通に給仕すればいいじゃないですか? それなのに男の人が女の格好しているなんて……。どう考えても気持ち悪い……」


 そういえば、おかしいよな。

 俺は、まったく腹が立たなかった。

 清華お嬢様が抱いた疑問は、そっくりそのまま俺の疑問でもあった。

 自分が『トリアノン・ヌーヴォー』の従業員になったのは、美馬の脅されたからであって。

 こんな場所に高校生がいるなんて。それも三人とも。

 メイド服着た男とゴスロリの女とおカタイ女子高生がいるわけだから。

 俺は本当は蘇芳なんて『男の娘』のメイドなんかじゃなくて、帰りに古本屋で『Hな場面のある一般漫画』を買って帰っているようなしょーもない高校生なわけで。


 そう、なにもかもあべこべ……。


「……最初は成り行きだったんですよ」


 清華お嬢様と提督は、きょとんとした顔で俺を見た。


「ふとしたきっかけで『トリアノン・ヌーヴォー』に入ったんですよ。俺もここに入った当初は同じことを考えていたんですよ、普通は逆じゃないのって。気持ち悪い以前に、こんなので商売成り立つのかよって疑問に思いました」 



 本当は許されないことだった。

 本来なら『トリアノン・ヌーヴォー』の蘇芳として振舞わなければいけないのだから。



 しかし、俺は蘇芳ではなくて鹿島妹子として話していた。



「でもよく考えて見たら、違うんですよ。『トリアノン・ヌーヴォー』は夢の世界なんです。非現実の世界なんです。だから男がメイド服の格好をしているわけなんです。男が執事、女がメイドだったら、当たり前の格好なわけでだから逆じゃないといけないんです」


「……気持ち悪くなかったんですか?」

「たしかに最初は気持ち悪かったですよ、俺は意味がわからなかったから」


「意味?」

「はい。でも、今は気持ち悪くありません。男がメイド服を着ることの意味がわかったからです」


 俺は話をつづけた。



「『トリアノン・ヌーヴォー』は不思議の国のアリスなんですよ。何もかもあべこべの世界なんですよ。現実はつらいことの連続だから、せめてここにいる間だけは浮き世を忘れていただきたいんですよ。自分がトランプの兵士やハンプティ・ダンプティや白ウサギやチェシャ猫のような存在だと理解した瞬間、メイド服を受け入れることができました」



 もっとも、その事に気づいたのは今日、たった今この瞬間なんですけどね。

 たった今この瞬間まで、男がメイド服着るなんておかしな喫茶店だと思っていたわけで。

 出逢いが気づかせてくれたわけで。

 そういう意味で、清華お嬢様には心から感謝しなければいけない。


「……以上、一介の高校生としてのつぶやきです。ここからはまた蘇芳に戻らせていただきます」


 部屋が、しんと静まり返る。

 清華お嬢様は沈黙していた。

 しかし、今までのように警戒しているような顔ではなかった。

 表情が和らいでいた。

 清華お嬢様は箸をとって、一口食べた。



「ここのお弁当、美味しいわね」



 小声で呟いた。

 それが、清華お嬢様のできる精一杯の感情表現なのだろう。

 このとき、俺は『トリアノン・ヌーヴォー』のメイドとして初めて笑った。

 ふと背中に痛いほどの視線を感じたので、入り口を見ると、いつの間にいたのだろうか、深見さんが首を出してこちらを覗いていたのだった。

 両目からドバドバと涙を流していた。

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