第6章 青葉が丘紅茶戦争が勃発しました。

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「えっと、この辺りだよな……」


 深見さんから印刷してもらった地図を片手に、俺たちは芦名美馬の家やってきた。

 手には深見さんから預かっているお見舞いの品の入った紙バックを握りしめている。

 眼前にはそこには『芦名農場』と黒い文字で書かれた旗が立てられていた。

 しかし……。


「……俺一人で行くんですか?」


 俺は、深見さんの運転する車の助手席に座っていた。


「当たり前でしょ? 妹子くんはもう高校生なんだから。一人でできるでしょ?」


 まるで母親が子供にお使いを頼むような口調で言う。


「そうじゃなくて、これ『トリアノン・ヌーヴォー』としてお見舞いにきているわけじゃないですか? だったら深見さんが行った方がいいんじゃないですか?」

「いやいや、普通上司が自宅まで押しかけたらウザいだけだから」

「はあ……」


 深見さんは俺の背中を押す。

 美馬が急病で倒れたと聞いて、深見さんは俺を美馬のお見舞いに行こうと誘われたのだ。

『41度の熱なんて普通の病気じゃないわよ! 妹子くん、一緒に様子を見に行きましょう! 同じ仲間なんだから』

 ということで、俺を半ば強引に連れてやってきたのだ。

 わざわざ平日に車で俺の学校の門の前まで迎えにきたのだから……。

 俺は『芦名農場』のビニールハウスの中に入ると、腰を下ろして農作業をしている女性に声をかけた。


「あのう……」

「はい。何でしょうか?」


 その女性はエプロン姿をしていた。綺麗だが、素朴な感じのする人だった。


「こちら芦名美馬さんの住む家ですよね?」

「そうですけど……美馬のお友だち?」

「鹿島妹子といいます。『トリアノン・ヌーヴォー』を代表して芦名美馬のお見舞いに来ました」


 すると女性は驚いた顔をした。


「まあ、美馬に……」

 俺は、紙袋をその女性に渡した。

「これ、行者ニンニクの味噌漬けとしょうが紅茶にハチミツのレモン漬けです。深見さんから」

「まあ……」

「失礼ですが、美馬さんのお母さんですか?」

「いや、美馬の姉です」

「えっ?」

「いいえ。うちは三人姉妹で私は一番上の佐和子といいます」

「お姉さんですかっ!! それは失礼しましたっ!!」


 しかし、美人なんだけど平凡な雰囲気のお姉さんだなぁ……。

 周囲を見回しても、じつに落ち着いた雰囲気でいかにも農家って感じだし、なんであんな個性的な妹が二人も産まれたのやら。


「美馬……いや、美馬さんは大丈夫ですか? 高熱と聞いてますが」

「心配しないで。だいぶ具合が良くなったから」

「でも、41度超えていたって普通じゃないですよね?」

「ヘルパンギーナ。夏風邪の一種で、主に小さい子供のかかる病気なんだけど。あの子、いつまで経っても子供みたいなところがあるから、そんな病気にかかったのかしら」


 そう言うと、美馬のお姉さんは俺を物珍しそうに見た。


「あなた、ひょっとして鹿島妹子くん?」

「はい、どうしてそれを……」

「バイト先でやっと自分のことを理解してくれる人ができたと言っていたから」

 理解、ねぇ……。

 俺の買ったHな本のリストをネタに脅迫して得た理解なんですけどね。

「ほら。あの子、ああいう変わった子だから。あなたも同じ趣味なの?」

「いや、僕は違います……」


 といっても、一般ピープルにコスプレイヤーとゲーム実況者の違いを説明するのは難しい。今の時代、こっち側の世界の住人は大量に増殖しているが、このお姉さんは間違いなくこちら側とは縁のない世界の人間だった。

 たぶんこの人の脳内では『今どきの子は変わった趣味を持っているわねぇ』という言葉で一緒くたに片付けられているだろうと思った。


「じゃ、僕はこれで……」

「せっかくだから美馬に会ってあげて」

「えっ!? いや、しかし具合が悪いんでしょう?」

「大丈夫、昨日の夜熱が下がったから」

「でも、ぶり返したりとか……」

「平気よ。それに病人って、ただ寝ているだけなのも辛いものなのよ」

「いいんですか?」

「もちろんよ。それにしても、あの子、生まれてこの方一度も病気になったことなんてなかったのに。体力と元気だけが取り柄だったから。よほどショックなことでもあったのかしら」


「美馬、お友達がお見舞いにやってきたわよ」

「……誰?」

「鹿島妹子くんよ」

「……妹子が!?」


 美馬の部屋に入った。

 美馬はベッドの上で臥せっていた。最初会ったときはあれほど元気だった美馬が、

 部屋は、一見サッカー少女らしい簡素な部屋だった。

 本棚をみても、それほど変わった漫画は置いていない。想像していたよりも漫画は少なかった。少女漫画が多かった。サッカー関係の雑誌や書籍がたくさん置いてある。といっても、今の時代は電子書籍で本が買える時代なので、本棚を見ただけではその人の嗜好はわからない。

 もっとも、美馬は自分を偽らない人間なので、ベッドの下にBLの同人誌とか隠しているようなことはないだろう。

 クローゼットがあるが、おそらくその中に大好きなコスプレの服も入っているのだろう。


「熱、平気?」

「うん。だいぶ下がったから」

「食欲は?」

「全然問題ないよ」


 美馬は強がっているが、病気のせいでだいぶ衰弱している。

 俺は美馬のやつれた姿をみているうちに、いたたまれない気持ちになってきた。


「じゃあ、これで」

「もう行っちゃうの」

「うん。それに病人は寝るのが仕事だろ」

「そう……」

「今週の土曜、うちは『グランドマイティ』と勝負することになったよ」

「え?」

「雑誌の企画があってさ。2つのコスプレ喫茶店どちらが勝つか勝負するんだ」


 美馬の双眸に一瞬だが激しい闘志の炎が宿った。


「もし体調がよくなったら、とびきりの執事で頼む。メイド服姿で待ってるから」

 


「どうだった?」

 深見さんは俺が戻るのを運転席でずっと待っていた。

「心配していたほどではなかったみたいです」

 そう言って深見さんの車に乗り込む。

「そうなの! それは良かったわ」

「夏風邪だったみたいです。ただ美馬の場合はこじらせちゃったみたいで」

「ふうん。でも、妹子くん連れてきて良かったわ」

「そうですか?」

「二人とも仲いいし」

「そうですかねぇ?」

「だって同じ年頃の男女が互いに名前でしかも呼び捨てで呼んでいたら、誰がどうみても仲いいでしょ」

 俺は恥ずかしくなって、顔が真っ赤にしていた……。

 そんな時に携帯電話が鳴った。


「あら? 賢一郎くんじゃないの。どうしたの?」

 穏やかだった深見さんの顔が、不動明王のような形相に変わった。

「そう……。わかった。すぐ行くわ」

 会話を終えた深見さんは携帯電話をしまった。

「悪いけど、妹子くんを家まで送るわけにはいかなくなったわ」

 そう言って深見さんはハンドルを強く握りしめた。

「緊急事態よ。青葉が丘に向かうわ」

 深見さんがキーを回すと、エンジンが吼える。

「……深見さん?」

 アクセルが踏まれる。

 その瞬間、深見さんは『頭文字D』状態になっていた。どういう事態か知らないが公道最強を目指すような『走り』で青葉が丘を目指した。俺は再三交通速度を守ろうと言ったが、深見さんは聞いちゃいなかった。俺は今度から深見さんの運転する車に乗るのは控えようと心に誓った。

 もちろん"事故"って"不運"と踊"っちまわないかぎりの話であるが……。


 ※


 さて……。

 ほとんど暴走と言っていい深見さんの運転で青葉が丘にたどり着いた俺たち。

 本当によく警察に捕まらなかったよな……。

 深見さんは現場に到着するや、紅蓮に燃えさかる矢のごとき勢いで車から飛び出した。


「さあ、行くわよっ!」


 来い、と言われて行かないわけにはいかない。

 俺は深見さんについていった。

 南口には人だかりができていた。その中には赤い髪の男が立っていた。

 この片田舎の青葉が丘で髪を赤く染めている人間といったら賢一郎さんくらいしか存在しない。

 賢一郎さんは俺たちに気づくと、こちらに近づいてきた。


「ヤバイ、ヤバイっスよ!」

「どうしたんですか? リアクション芸人みたいに驚いて」

「『グランドマイティ』が宣伝しているんや!」

「またコンパニオンがビラ配りしているんですか?」

「違う! ビラ配りをしているのは一緒やが、その面子は違うんや!」

「まさか、片上愛ですか!?」

「それだけやないで……。桂木ひなたや瀬川葉月、深浦悠がビラを配っているんや!」

「げえっ!? マジですか……」


 片上愛についてはもはや説明は不要だが、他の三人も人気声優である。

 『グランドマイティ』での一件のあと調べたのだ。

 桂木ひなたは、声優でありながら国立の音楽大学を卒業していて、オペラ歌手なみの歌唱力をもつ事で知られている。人は見た目ではわからないものだ。『スレイヤーズ』の下品な格好をした某巨乳魔術師がじつは高貴な血筋だったりするからな。

 瀬川葉月は現役高校生だが、高校生らしからぬ演技力をもちながら芸能の世界に生きる人間らしからぬ性格の良さで知られている。

 あの時のブラジャー姿はいまでも強烈に脳裏に焼きついている。

 深浦悠はミステリアスで独特の雰囲気で、謎めいた魅力が評判を呼んでいる。


「でも、よくこんなに人が集まりましたね? 事前に宣伝でもしていたんですか?」

「今の世の中にはツイッターというのがあるんや! それでつぶやいたらみんな押し寄せてくるやろ! しかもっっ!!」


 賢一郎さんはズボンのポケットに折りたたんでいたビラを俺に渡した。


「今度は声優が接待してくれるんやでっっ!!」

「ああ、それは俺たちも受けました。それが向こうの売りですから」

「ちがうっ!! それは『グランドマイティ』の制服でやろ?」

「そうですけど……」

「彼女たちは自分自身の『持ち役』のコスプレで接待してくれるんやっっ!!」

「はあああああああああああああああっっ!?」


 俺と深見さんは互いに絶叫していた。

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