quatre
「え? 俺のファン?」
平塚さんは驚いて目を白黒させた。
「俺あんまり知名度ないんですけど……」
「それがいいんスよ! 孤高の絵描きって感じで! 平塚さんの緻密な絵を見ているともうアドレナリン大放出っスよ!」
片上愛は疾風怒濤の勢いでまくしたてる。
先ほどまでの物静かな雰囲気とはまるで違う。別人だ。
「なんつ~か自分萌えとかも好物なんスけどSFとか大好きで、たとえばギーガーとかたまんないっスよ!!」
「ギーガーって、あの映画の『エイリアン』の!?」
「そうっス。やっぱり本職の方だからわかってくれるっスか!? 自分ヌルヌルドロドロしたものが大好きなんスよ! 一度でいいからあのエイリアンに襲われてみたいっス!」
「そうなんだ……」
「自分怪物とかメカとか大好きで、人間誰でも一度はそういうのに憧れるっスよね~。あ、いけない! こんなにしゃべっていると時間なくなるっス!」
そう言うと片上愛は平塚さんの手を握った。
それもがっしりと。
平塚さんはびっくりして片上愛の顔を見た。
「じゃあ、さっそく行きましょう! SFについて語り尽くしましょうっス!!」
「う、うん……」
そして二人は奥へと消えていった。
「ずいぶんと積極的ですねぇ」
「当店のサービスです。手をつないでお客様を案内するんです」
「そうなんですか……」
「手を握られるのはお嫌ですか?」
「いえいえい。そうじゃなくて知らなかったので……」
人気声優と手を握れるのは、すごい宣伝材料だ。
握手にはすごい力がある。AKBも握手会でのし上がったし、政治家も選挙のときはやたらと有権者の手を握りたがる。
これは『グランドマイティ』手強いぞ……。
「執事の方も、もうすぐ参りますので」
どんな子がくるのかな……と一瞬期待したものの俺は現在は女なわけで、男が男に接待してもらっても全然嬉しくない。ドキドキわくわく感がこれっぽっちもない。
そりゃあ女性の人気声優に接待してもらった方が断然いいわ。
フランス料理食べさせてもらったんだから贅沢言えんわなど落ち込んでいる自分をなぐさめていると、
「どうも~。チョリ~ッス」
うっわぁ……。これはチャラいわ。
女装していなかったら、一生接触することのない人種だわ。
中身が薄っぺらい。高校一年生の俺から見てもペラペラの薄さである。
いちおう執事の格好はしている。しかし、これが執事とか冗談にもほどがあるわ……。
執事なのに、シャツの胸元開いているんだよね。
芦名美馬の完璧な執事ぶりを見た後だから、なおさら違和感あるわ。
こいつ執事学校絶対卒業できないわ。
「
川窪さんとおっしゃるんですか。そうですか。
俺、心の中であなたのことを『チャラ男』と呼ぶことにしますわ。
「さぁ、さっそくレッツエンジョイ!!」
チャラ男は俺の手を握って奥へと連れていった。
奥にやってくると、そこに広がっていた光景は俺が想像していた世界とは全然違っていた。
(これ、喫茶店というかマンガ喫茶じゃないか……)
薄い板で区切られた小さい部屋ががたくさんある。
「俺たちの部屋は49番、と」
チャラ男は部屋を開けて、靴を脱いで中に入った。部屋はカップルシートになっていた。俺も部屋に入ったが、マンガ喫茶とはちがって中には何もなかった。注文するためのメニューだけ置いてあった。
いや、あと一つ、はっきりと目についたものがあった。
「どう? いいでしょ。二人だけの空間って感じで落ち着くでしょ」
そう言いながら、チャラ男は足を伸ばしてくつろいだ。
「そうでしょうか?」
俺は天井にぶら下がっている防犯用のビデオカメラを指差した。
「あれは俺たちがお客さんに悪いことしないように見張っているわけ。気にしないで」
とはいうものの、目の前に防犯カメラがあるのに気にするなと言われてもね……。
防犯カメラのレンズが、若い女性の入浴中を覗いているノゾキ魔のように不気味に光っているように感じられた。
「君、名前は?」
「詩織といいます」
俺はさらりと偽名を口にした。
ええ、なにしろ本名が妹子なんですから、詩織くらいじゃ何とも思わないですよ。
「詩織ちゃん! いい名前だねぇ。年いくつ?」
「16歳です」
「16歳。いいねぇ。そのくらいが人生一番楽しいよねぇ。学校どこ?」
「紫泉商業です」
「そうなの! いいねえ。俺、高校中退したから」
「そうなんですか?」
「そうそう。昔悪かったから。チャラチャラしてて、中退してもしばらくは働かず遊んでいたんだけど親にぶっ叩かれて、それでフリーターしてたんだけど、ある日声優学校の応募が目に飛び込んで、業界のことまったく知らないくせに声優になったの。この仕事だけは性に合っているみたいで、プロになって5年続いているの」
チャラ男は昔を懐かしむような顔をした。
どんな人にも歴史というのがあるものだなぁと俺はしんみりした気分になった。
トントン、と扉を叩く音がした。
「失礼します」
扉が開いた。フットマンが立っていた。以前に賢一郎さんが説明していたが、男性版のメイドさんだ。どうやら彼は声優ではない普通のバイトらしかった。
紅茶を運んできたらしかった。紅茶を手渡しで受け取ったチャラ男は、それを俺の目の前に置いた。
(おや……)
紅茶のカップが、安っぽい。100円ショップに売っているような無地のカップなのだ。
「さあどうぞ飲んでちょーだい」
俺は出された紅茶を一口飲んだ。
「……ん?」
「どうしたの」
「何でもありません。美味しい紅茶ですね。ははは……」
……マズいな、これ。
面接のときに社長に飲ませてもらった紅茶とは雲泥の差だ。
味が薄いし、なんか変な臭いがする。
水道の水の方が美味しく感じられるくらいだ……。
「その紅茶、おいしくないでしょ?」
俺が気分を害しているのを察したのか、チャラ男が言った。
「うちはセコいから。余分なところにお金はかけないんだから。その紅茶、出がらしだよ」
「いいんですか!? 店員さんがそういうこと言って……」
「いいのいいの」
チャラ男は手をひらひらさせた。
「俺、お客さんにウソはつきたくないから」
この店のサービスが酷いという自覚はあるんだな。
お客には誠実な人間なのかもしれない。
といっても、足伸ばしてくつろぎながら言っているんだぜ。この台詞。
いちおう執事とお客様という設定なんですよね。
これが片上愛だったら全然許せる。
しかし、困ったことに目の前にいるのはチャラ男なわけで。
客の前で舐めた態度取っているわけで。
……マジで切れる5秒前ですわ。
「俺は動物とか大好きなんだよ」
「動物ですか」
「飼っているんだよ。ほら」
チャラ男はケータイの待ちうけ画面を見せた。
そこにはかわいい三毛猫が映っていた。
「今度遊びにきなよ。よかったら俺の住んでいる部屋の場所教えるよ」
「は、はい……」
つづいてお弁当が運ばれてきた。
……のり弁?
目の前に出されたのは海苔がご飯の上に乗っかった弁当だった。それにたくあんとバラバラに切られた魚肉ソーセージが乗っかっているだけ。
手抜きにも程度があるというか……。梅干しさえ乗っかってない。
これ、1時間1万円なんだよね。もちろん一人につき。
食べてみたらやはりマズい。すっごくマズい。
厨房にミスター味っ子かクッキングパパでも置いとけよと言いたくなる。
「マズい?」
「うん……」
「俺たちも食ったことあるけど、すっごくマズいよ」
「そうなんですか?」
「前はもうちょっといいもの出してたんだよ。でも、最近来た店長がケチでさぁ、材料費ケチってお客にマズい物出してるわけ。文句言われたらお前らで何とかしろってさ。すごいブラック企業だよ、ここ」
そう言いながらパクパク弁当を食べる。
それにしても。
客に出されたものを、客の目の前で食べる店員ってすげぇな……。
俺はチャラ男が弁当を食べているのを黙って見ていた。
こいつラオウ軍に入っていたら間違いなくラオウの怒りを買って乗っている黒くてでっかい馬に踏み潰されて死ぬわ。
「ふう、食った食った」
チャラ男は満腹になった自分の腹を叩いた。
「ちょいと待ってて」
何を思ったのか、チャラ男は部屋を出た。
しばらくして、何か持って戻ってきた。
カップラーメンと冷凍みかんだった。割り箸が添えられている。
「これ、食べてよ」
俺は言われるままにカップラーメンをすすった。
「美味しいでしょ?」
「うん……」
いや、本当にうまいのだ。
日本のカップラーメンはレベルが高い。
しっかし、カップラーメンよりもマズい弁当を出す店って……。
「これ、俺の自腹だから」
「えっ? 店のじゃないんですか?」
「違うよ。こういう努力しないと俺の順位上がらないから」
「順位って何ですか?」
「ほら。ホストクラブとか知らない? 入り口にホストの看板がいっぱい飾ってあって、No1はてっぺんにでっかく飾られているの」
「そう言えばテレビのドラマで見たことがあるような……」
「『ラブポイント』が多い奴が一番なの」
「なんですか? たくさん指名してくれると上がるんですか?」
「うちは色んなオプションがついていて、様々なサービスを行っているんだよ」
チャラ男はそう言ってメニューを手にとって渡したので、俺はメニューを読んでみた。
「へえ……。同伴出勤とかもあるんですね。このドンペリ8万円というのは?」
「それは大人用。君ら未成年には関係ないから。そう……。声優が朝に電話で起こしてくれるなんてのはどう?」
と、チャラ男がメニューの一つを指差した。
「本当は1回千円なんだけど、君はかわいいから一週間五千円にサービスしてあげる。若いからあんまりお金持ってないでしょ?」
……高校生相手に5000円とかナメてんのか、と。
そりゃあ、基本料金だけですでに1万円払っているが。
こういう金持ちお嬢様の格好をしているから、搾り取ってやろうと考えているのだろうか。
「でも、料理をもう少し美味しくした方がいいんじゃないですか?」
「そういうのは『トリアノン・ヌーヴォー』に任せりゃいいから」
チャラ男の口から意外な言葉が飛び出てきた。
まさか、敵から『トリアノン・ヌーヴォー』のことを喋るとは。
この場は何も知らないフリをして、チャラ男にしゃべらせておくことにした。
「『トリアノン・ヌーヴォー』知らない? 駅の向かい側にあるんだよ。うちと同じコスプレ喫茶が。あそこは料理がうまくて、わざわざ料理目当てに足を運ぶお客がたくさんいるし。料理人も一流だし、素材は最高級のものしか使わないからねぇ」
そんなに有名だったのか、あそこの料理……。
というか、俺はそこの店員なんだけど食べたことないし、そんな評判知らなかった。
「だけどさぁ」
チャラ男がケタケタ笑って言った。
「俺だったらあんなところに遊びに行きたくはないなぁ」
「どうしてですか?」
俺は素知らぬ顔をして訊ねた。
半ば騙された上に、脅されて強制的に入らされた会社ではある。
しかし、ここまでフザけた商売はしていない。すくなくとも現時点ではブラック企業でもない。歪んだ部分はあるかもしれないが、それでも従業員に『愛』を注いでくれる喫茶店である。
こんなクソまずい弁当を出すような連中には見下されたくない。
「だってあそこ、男がメイドやってんだよ。しかも女が執事やってんだよ。普通、逆じゃね? 料理がうまいなら料理店やればいいじゃん。俺たちの仕事は『コスプレ』喫茶なんだから」
そういって、ほとんど口をつけていない紅茶を指差した。
「このクソまずい紅茶は売り物じゃないわけ。あくまでも俺たちメイドや執事が『商品』なわけ。お客さんは俺たち目当てにやってくるわけだから」
チャラ男はそう言って自分自身を指差した。
「ところで、詩織ちゃんは好きな漫画やアニメとかある?」
ははぁ、と俺は思った。
(話を、自分の得意分野に持っていこうとしているな……)
声優ならそっち系の話は得意中の得意だろう。自分の業界なんだから。
だから、あえてここは意地悪をすることにした。
「いや、あたしは漫画やアニメ見ないんですよ」
「……えっ?」
チャラ男は自分の耳がおかしくなったのではないかと思ったったような顔をした。
「興味がないって、まったく何も見てないの?」
「はい」
「俺みたいな無名の声優に興味ないってんならまだわかるよ! 漫画やアニメ自体に興味ないの!?」
「うち、親の教育方針でそういうの見るの禁止されているんです」
「マジかよ……。21世紀の人間とは思えねえ……。じゃあ、どうしてウチに来たの……!?」
チャラ男はなかば切れ気味に訊ねた。
「お兄ちゃんがアニメ好きなんで……」
「お兄ちゃんが!?」
「ええ。家を出た一人暮らしをしてからアニメにのめり込んでしまって……あたしはお兄ちゃんの付き添いみたいなものです」
「じゃあ、家に帰ったら何をしてるの? 勉強?」
「ううん。バイトして……。あとうちに帰ったら友達と携帯でお話して。あたし長話とかしちゃうんで。友達が彼氏とうまくういかないとか、そういう恋バナをしています」
「……その友達は漫画とか読んでいるの?」
「全然。うちらそういうの興味ないんで。漫画を読むと頭が悪くなると思っている親が多いですし」
「……この辺って、そんなに頭のいい子ばかりだったっけ?」
「そうじゃなくって」
俺は平塚さんの妹の詩織になりきって、小さく首を横に振った。
「漫画読んでいる暇があったら、外に出て高学歴高収入の男をつかまえろって親から教えられているんで」
「マジかよ……」
「あたしたちみたいな頭の悪い子がお金持ちの生活をするには、そういう方法しかないんですよ」
「天国から手塚治虫先生連れてきてその大人どもを全員正座させて説教させてぇ」
吐き捨てるようにチャラ男が言った。
(本当は思いっきりインドア派で漫画アニメ大好きな『男』なんですけどね)
「国也」
後ろの扉が開いた。メイドが立っていた。
二十五歳くらい。茶髪に丸顔で、なぜか手羽先をバリバリとかじっていた。
……よっぽど腹が減っているのかなぁ。
「なんスか、ひなた姐さん? いまお客さんの接待中なんスけど?」
「愛が呼んでるわよ」
「愛ちゃんが? なんでまた……」
「あたしも知らないわよ。とにかく呼べって」
「いやぁ。詩織ちゃんごめんね。ちょっと待っててね」
チャラ男はひなたという女性と一緒に出ていった。俺は部屋で一人取り残された。
(たしかにえげつない商売だわ……)
そりゃあ、深見さんが腹を立てる気持ちはよくわかる。
俺だって、こんな連中に負けるもんかって思えてくる。
『トリアノン・ヌーヴォー』のために頑張る気持ちが沸いてきた。
しばらく待っていると、
「お待たせしました」
「……え?」
戻ってきたのは、チャラ男こと川窪国也ではなかった。
超人気声優の片上愛だった。
「何か用でしょうか……?」
「申し訳ありませんでした」
片上愛は深々と頭を下げた。
「お客さまが男性であるにもかかわらず、女性向けの接待をしてしまって」
「えっ? でも、あたしは女で……」
「服装は女性ですけど、男性ですよね」
「声だって……」
「まだ声変わりしていないんですよね」
俺は天上から稲妻の直撃を食らうほどの衝撃を受けた。
「私たち、声のプロですから」
片上愛は微笑んだ。
「平塚さんには先に帰ってもらいました」
俺はあわてて携帯電話で時間をたしかめた。すでに一時間経っていた。
「ご心配なく。私どもあらためてお客さまの接待をさせていただきますので。もちろん料金はいただきません」
そう言うと、片上愛は部屋に入りこんだ。唖然としている俺の横に座った。
さらには俺としっかり握手した。
指と指をからませて……。
「いやぁ、こうして『男の娘』を間近で見るのって初めてっスよ」
片上愛は、平塚さんとしゃべっていた時の口調に戻っていた。
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