quatre
(え? 俺、万引きでもしたっけ? いやいや、俺は他人に後ろ指さされるような事はしていないはず……)
「君、あそこで古本を買っただろう?」
拍子抜けした。
そんなことをもったいぶって喋っていたわけか……。
「古本屋で本を買うのは当たり前だろう」
「そうだよ。古本屋で本を買う……」
「高校生だから、そんなにお金ないんだよ」
「お金がない。お金がないのは仕方ないよね。僕もレイヤーとしてよくわかるよ。まったく欲しい衣装はすごい高価なんだ。高校生ってのは本当に貧乏だね。ところでどんな本を買ったんだっけ?」
「漫画だよ」
「そうだよ。君はいつも漫画を買って帰る」
「立ち読みするだけの客よりもずっといいと思うけどね」
「そうだね。君はうちの店にきて立ち読みをしたことがないんだよ。迷いがない。うちの店に来るとすぐに本をレジに持っていくんだよ。お目当ての本がないとすぐ帰る」
もったいぶった口調で美馬は話をつづける。
「君、シリーズものの漫画、けっこう買っているんだよね。いろんなジャンルの。めずらしいよね。ずいぶん漫画が好きなんだなぁと思ったよ」
「それはどうも」
「でも不思議ことにHな場面のある巻だけ買っているんだよね」
「え?」
「それもパンチラとかのぬるい場面じゃないよ。本番。ベッドシーンとかそういうのだけ買っているんだよね」
その時。
俺は、いったいどんな顔をしていただろう……。
語彙の乏しい俺には表現できない。
芦名美馬がどういう表情をしていたのかもよくわからない。
しかし、美馬が何をしてきたのかは、はっきりとわかる。俺の首をさらに引き寄せて、お互いの頬をすり合わせたのだ。磁石のN極とS極がお互いをもとめてくっつき合うように、ぴったりと。
「……気のせいじゃないの?」
俺は美馬から逃げようとする。
が、美馬の腕がしっかりとつかんで俺を離さない。
「そうかな? さっきお金がないとか言っていたけど、それなら1巻からあそこで買い揃えればよかったじゃないか。わざわざ本屋で定価で買う必要あるのかな?」
こ、こいつ……。
全国の書店が怒り狂うようなことを平然と言いやがる……。
「仮に俺が一般漫画のエロい場面ばかりある本を買っていたとして」
俺は緊張で震える声で言った。
「どうして君はわかるんだい? さらに言えば、他の巻は電子書籍で買い揃えたかもしれないじゃないか?」
「わかるんだよ」
恋人同士がベッドの中でささやくような甘い声で、美馬は言った。
「だって君は、僕がレジに立っている時は一度も本を買わなかったじゃないか」
そうなのだ。
俺は女性がレジに立っている時は、恥ずかしくて本を買えなかったのだ。
だから芦名美馬が本屋で整理をしている姿を確認してから、本をこっそりと買った記憶がある。
たしか女性の店員は美馬だけの場合がほとんどだった。だから美馬だけマークしていれば問題なかったのだ。
絶対に気づいていないと思っていたのに……。
「君のことをずっと見ていたんだよ。一目見たときから、君はメイド服が似合うと思ってたんだ。決してハンサムとはいえないけど素朴な顔立ちでさ。イギリスの片田舎で働いているようなメイドやらせたらぴったりだと思っていたんだ」
美馬の指先が芋虫のようにねっとりとした動きで俺のうなじを這い回る。
「君にメイド服を着せるなんて叶わない夢だと思っていたよ。でも、まさか、君のほうからここにやってくるなんて……。僕は運命の女神というものを信じるよ」
その女神は絶対に俺の知っている運命の女神じゃない。
すくなくとも藤島康介の描くような女神では断じてないっっ……!!
「ところで君は紫泉商業だろう? あそこに僕の友人のレイヤーがいるんだ。小酒井って子が君の学校にいるはずなんだよ」
「小酒井? 小酒井マキのことか!?」
「そう。もしも彼女に君の性癖をバラしたらどうなっちゃうんだろうねぇ。君が買った漫画のリストの一覧を書いたメモを彼女に渡したらどうなると思う?」
げえっ。よりによってあの女が……。
小酒井マキのことはよく知っている。うちのクラスの人間で、しかも席が隣である。明石家さんまから笑いのセンスを取り除いたような人間で、自習になると真っ先に騒ぎ出すのがこの女である。
とにかくデリカシーに欠ける女で、どのくらいのレベルかというと『あたし昨日○○くんとHする夢見ちゃった~』とか大声で言うほどのハイレベルでヤバい女である。
あの女が知ったら、光速のスピードであちこちにバラしまくるだろう。
俺の人生が、終わる。
間違いなく終わる。
漫画で言ったら10週で打ち切りケースである。
「ちょっと待て。ということは、さっきどんな漫画が好きって聞いたのは……」
「もちろんわかって聞いたんだよ。妹子がエロエロな漫画大好きだってことを」
「このド変態……」
「ド変態? 最高の褒め言葉だよ。僕は自分で髪の毛から爪の先まで変態だってことがよくわかっているよ。女子サッカー部のみんなも知っているよ。でも、君は周囲の視線に耐えられるかい?」
「べ、べつに俺は悪いことは……」
「君さ、金髪で白い服着た子とか好きなの?」
「え?」
「ほら、ヒロインが吸血鬼のやつ」
「待った!! それはちゃんと全巻買ったぞっっ!! 一般の書店になかったからそこで買っただけで」
「……それは? ほかのは違うのかい?」
「うっ……」
「悪い奴に魂をのっとられた主人公がヒロインの女の子に無理やり乱暴するとか、囚われの全裸にヒロインをしらべようと機械で全身あちこちいじられるロリコン漫画とか、時代劇もので女性は口にするのもはばかられるような淫猥で残酷な拷問を受けていたりとか、幼馴染との大恋愛のすえに初体験とかいったものばかりじゃなくて、鬼畜な内容の漫画もけっこう買っているよね」
「やめろおおおおおおおおおおおっっ!!!!!!!」
「あんまり騒がないほうがいいよ。深見さんたち驚いてこっちに来ちゃうから」
にっこりと美馬は笑う。
悪魔のような女……という表現は使いたくない。悪魔に対して申し訳ない。
とんでもないクソ外道である。
「お前、脅迫までして俺にメイド服を着せたいのか……」
「だってそれくらい愛しているんだよ」
それは、突然の告白だった。
「それって……付き合えってこと?」
「付き合う? 全然かまわないよ。妹子が僕のメイドになってくれるなら僕は君の彼女になるよ。でもそじゃないんだよ。僕の妹子に対する愛情は、彼氏とか彼女とかそういうチャチなものじゃないんだよ。もっと崇高で尊いものなんだよ」
美馬は、俺の身体を抱いた。
力強く抱いた。
そして俺の髪をやさしく撫でる。子猫の身体を撫でるように。
しかも、頬をすり合わせながら髪を撫でているのだ。
傍目からみれば羨ましいかもしれない。
しかし、もしも俺のクラスメートで交代したいという奴がいたら今すぐにでも変わってやる。
小遣いどころか、俺が人生で買った漫画全部差し出してもいいからこの場から逃げ出したかった。
この女は、危ない。
「君はね、きっといい『男の娘』になれるよ」
美馬の吐息の匂いまではっきりと嗅ぎとることができる。
俺は麻薬の匂いなど嗅いだことがないし、そもそも匂いがあるかどうかさえ知らない。
が、もしも匂いがあるとしたら芦名美馬の吐息と同じ匂いがするだろう。
「さっき言っただろう。君には運命を感じるって……。そうだ。ちょうどいい機会だから、携帯の電話番号教えてよ。あと、ケータイのメアド」
俺は泣く泣く教えるしかなかった。
嘘などつけば、どんな悲惨な高校生活が待っていることやら……。
「ありがとう。妹子はいい子だね」
美馬はほくそ笑んだ。
「ひどい奴だと思っているだろうが、どうか僕のことを嫌いにならないでほしい。僕は、おつうが武蔵を慕うような純粋な気持ちで、妹子が一人前の『男の娘』になることを願っているんだよ」
おつう? 『宮本武蔵』のおつう?
冗談もほどほどにしてもらいたい。
おつうが訴訟起こしたら100%勝てる。
『宮本武蔵』のおつうどころか、江戸川乱歩の小説に出てくる気に入ったタイプの若い女性をばかりを誘拐しては惨殺する恐るべき殺人鬼『蜘蛛男』のような執拗さといった方が正しい気がしてならなかった……。
※
芦名美馬は『さかざと洋服店』の扉を開けた。
そして元気いっぱいに言った。
「妹子、メイドになってくれるそうです!」
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