trois
「大丈夫、大丈夫だから妹子くんっっ!! うちはね、『トリアノン・ヌーヴォー』はね、経費を削れば利益があがると考えているようなせせこましい会社じゃないの! これはうちの会社の従業員の皆さんへの『愛』なのよ!」
「『愛』?」
「そうなの。『愛』なのよ。最高の環境で働いてほしいという私たちの『愛』よ。あなたはただ『トリアノン・ヌーヴォー』を愛してくれればいいのよ」
でも、深見さんは動揺しているようにしか見えない。
目が泳いでいる。
俺の心のなかで『トリアノン・ヌーヴォー』への疑念が沸いた。
「ちょっとごめんよ」
洋服屋の紳士は、巻尺で俺の頭の寸法を測りはじめた。
「え? 頭?」
喫茶店なのに帽子なんか付けるのかな……。
俺の心のなかでコブラが鎌首をもたげるように疑問が湧き上がってきた。あ、コブラといってもサイコガンを腕に仕込んだ宇宙海賊ではないので、その辺は念のため。
「帽子でも作るんですか?」
「ん? 何を言っとるのかね? 帽子なんぞ作らないよ」
「じゃあ、どうして頭を測るんですか?」
「そりゃあもちろんカチューシャを……。ふぐっっ!!」
深見さんが慌てて紳士の口をふさいだ。
それはもう電光石火の勢いで。
「かちゅうしゃ?」
「ははは。何でもないのよ」
「カチューシャって、頭につけるアレでしょ? 女の子がつけるものですよね」
「そ、そうよね。普通はね……。ほほほ……」
深見さんはフランスのブルボン王朝の貴婦人みたいに口に手をあてて笑い出した。
(というか、あなた今動揺していますよね……)
「失礼ですが、どんな服を作ろうとしているんですか?」
これ以上深見さんに何を聞いても進展がないと思った俺は、『さかざと洋服店』の店主に訊ねた。
「メイド服を作るんだよ」
「はいぃ?」
「君のためにメイド服の寸法を測っているんだよ。そこの彼……いや失礼、彼女には執事の服を」
「坂里さん、それは……」
「深見さん、言っちゃいかんのか? だって着るんだろ?」
「え? え? 俺、『男の娘』になれってことですか?」
俺は興奮してかなりの早口でしゃべっていた。
「最近は不況のせいで、洋服といったら大量生産の洋服ばかり。不況でね。オーダーメイドで洋服を作るお客様が減ってしまったんだよ。そういった時代に『トリアノン・ヌーヴォー』は本当にありがたい。最高級の素材で本物の服をたくさん注文してくれるから」
「本物の定義がおかしいですって!! 本物は本物でも、本物の変態ですってば!!」
「いかんかね?」
「当たり前でしょう!! どう考えても男を執事、女をメイドさんにした方が需要あるでしょうがっっ!」
「それが『愛』なのよ」
深見さんが力強く言った。
「そうよ。社長の『愛』なのよ。社長は本来、わざわざバイトを面接するような人じゃないのよ」
「コスプレ喫茶店の社長じゃないんですか?」
「とんでもない! うちの喫茶店は岩清水グループの子会社なのよ。子会社といっても、社長は岩清水の総帥の岩清水乱介が兼任しているけど。岩清水グループを起こした社長の祖父の初代はただの古本屋だったんだけど、それから様々な事業に手を出して莫大な財産を築き上げたの。お父さまは石油会社のご令嬢と結婚して、乱介社長はその会社を引き継いだので、個人資産は数百億程度では全然足りないわ。ちなみに社長のお姉さんは現役の国会議員よ」
「……そんな大物がなんでコスプレ喫茶店の経営なんてやってるんですか?」
ますます話が怪しくなってきた。
「大丈夫よ。妹子くんは何も心配することはないの」
「……僕、社長のペットにされるんですか?」
「『トリアノン・ヌーヴォー』はそんな喫茶店じゃないからっっ!!」
と、深見さんは首をぶるんぶるん振って否定した。
「社長は人格者だからそんなことしないから大丈夫よ。それに今の世の中にはツイッターとかあるから。アルバイトの子に変なことしたら『ただいま陵辱中なう』とか書かれるから」
「……芦名さんは執事をやることを最初から承知していたの?」
「当然だよ。『トリアノン・ヌーヴォー』はその筋じゃ有名じゃないか!」
芦名美馬は当然と言わんばかりの口調だった。
「この『トリアノン・ヌーヴォー』の魅力はなんといっても最高級のすべての店員が洋服でお出迎えすることなんだよ! 本物の執事の服に袖を通してみたいとずっと願っていたんだ! こんな職場がすぐ近くになったなんて僕は幸せだよ!」
「君、サッカー好きの女の子だよね? どうしてそんなに洋服にこだわるの?」
失礼といえばずいぶんと失礼な質問だが、俺は質問せずにはいられなかった。
「だって、僕はレイヤーだし」
美馬の口から聞いたことのない単語が飛び出した。
「レイヤー? なにそれ?」
「コスプレイヤー。僕、コスプレが趣味なんだ」
コスプレ?
コスプレというと『そっち系』の人々のなかでもかなりマニアックな系統の方々がアニメとかの服を着てポーズとか取っているあの……?
俺は、芦名美馬の凛々しい顔をじっくりと確認した。
ありえない。
いやいや。絶対にありえない。
考えてみてほしい。
高橋陽一や大島司の漫画の登場人物が萌えキャラのコスプレをやるというのがどれだけ違和感があるか。
あるいは、ライオンが『僕は草食動物です。生肉とか勘弁してください』と言うくらいにありえないことである。
信じられないといった表情の俺に、
「証拠ならあるよ。ほら」
美馬はスマートフォンを取り出して、画面を俺に見せた。
愕然とした。
まさしくKOパンチ。
『魔法少女バイバイエンジェル』に出てくる『バイバイハッピー』の格好に扮しているのだった。
ご丁寧に魔法のステッキ持ってポーズまで決めていた。
どう考えても『大きいお友達』が喜びそうな絵面であった。
「……信じられない」
「この画像を見た人間はみんなそう言うよね」
「でも、そういう匂いが感じられないんだよね」
「きっとサッカーやっているからでしょ」
「いやいやいやいや。この画像に写っている人間は絶対に『あっち系』の人間だよ。商業高校なんかに通ってるとそういう人間が多いから匂いでわかるんだよ。女子とかもね」
「でも本人がそう言っているんだから」
「証拠とかあるの?」
「『魔法少女バイバイハッピーーィ』っっ!!」
ああ……。
これはガチですわ。天然ものですわ。
何のためらいもなしにポーズを決めやがった。
今の時代、魔法少女のポーズなんて現役の声優でも照れるぞ……。
「いや、サッカーやっていると『え~。コスプレとかやってんのぉ?』とか言われるけど、僕全然気にしないからね。自分の人生なんだもの。人の目なんか気にせずに楽しまなくちゃ」
サッカー少女でオタク。そういう組み合わせもあるものかと感心した。
なんだか大福にイチゴ入れたイチゴ大福みたいだなと思った。
好きな人にはたまらない組み合わせなのかもしれない……。
とにかく芦名美馬が服にこだわる理由はわかった。
コスプレとはいえ普段から色々な服を着ていれば、衣服に興味を持つようになるのもわかる。
うちの学校の体育会系の女子とかを見ていると、とてもファッション雑誌とか読んでいるようには見えなかったものだから……。彼女たちを見て真っ先に思い出す単語は『買い食い』である。衣服に金を使いたがるようには全然見えない。ウチの学校の体育会系女子は、六本木や原宿よりも横浜中華街を愛するようなアニマル系女子しか存在しないのだから。
「そういうわけで俺は帰ります」
俺が店から出ていこうとすると、深見さんは悲痛な顔で俺の腕をつかんだ。
「妹子くん、今になってそれは……」
「無理です。さすがに無理です。男がメイド服なんて絶対無理」
「でも履歴書を送ってそれは……」
「俺、電柱に貼ってあった求人広告をみて応募したんですよ。そこには喫茶店のウェイター募集としか書いてなかったんです。それで電話をかけたら履歴書を送ってくれと……」
「あ、その広告私が作ったのよ♪」
「普通、喫茶店のウェイターがメイド服着るなんて思いませんよね? 社長との面接のときも説明受けてませんよ」
「そ、それは……」
「しかも『ウェイター』ですよ。『ウェイトレス』とは書いてませんよ。あの求人広告でメイド服着るなんて誰も思いませんよ」
「ごめんなさい。あたし、日本語苦手なものだから。てへっ♪」
『てへっ♪』でごまかそうとしてやがる、この大人……。
「百歩ゆずって、執事だったらやってもいいですよ。でも、メイドなんてちょっと無理です。同じ学校の人間にバレたら人生終わりなんで」
「それは全然問題ないからっっ! うちは完全予約制だし、高校生が来ることは滅多にないから。仮に同じ学校の子が来てバレそうだな~と思ったらその場は逃げちゃってもかまわないから」
「俺、妖怪人間ベムみたいな正体を隠して生きる人生は送りたくないんで。過去にメイドやってましたなんて知られたら俺の人生終了ですよ。執事だったらまだギリギリ耐えられますよ。でも、男がメイドやるなんてのは我慢のラインを完全にぶっちぎっているんで」
「大丈夫よ。人間、慣れれば何だってできるものよ」
「どうして事前に説明してくれなかったんですか?」
「いや、断られちゃうかなって……」
「へえ……。わかってて騙そうとしていたんですね」
「そ、それは、その、うん……」
深見さんの顔から冷や汗が噴き出していた。
これはもう確定である。
「やっぱり、俺、帰ります」
「妹子くん、悪かったから! 悪かったから話し合いましょうっっ!! とりあえず落ち着いて! 冷静になりましょう!」
「深見さん」
芦名美馬が手を挙げた。
「お願いがあるんですけど、僕と妹子の二人だけでしばらく話させてもらえませんか?」
美馬の突然の申し出に、深見さんは面食らったような顔をした。
「いいけど、何を話すつもりなの?」
「それはまあ……」
美馬は曰くありげな笑みをうかべて、曖昧に言葉を濁すばかりである。
「何だかわからないけど、わかったわ」
「それじゃ妹子。外に出よう」
俺と美馬は店の外に出た。
そういえば、こいつは俺が『トリアノン・ヌーヴォー』についての知識がないことに怒ってたな。
ということは、だ。俺がメイド服を着るためにここに来たと思っていたわけだ。
美馬は、高級な執事服が着たくて『トリアノン・ヌーヴォー』に入ってきたのだから。
ひょっとすると、俺も同じ気持ちでいて欲しかったのだろうか?
(そんなわけねぇだろう……)
普通の高校生がメイド服なんか着たがるわけがない。文句を言ってきても、謝るつもりなど毛頭ない。
そういえば面接の時点でおかしかった。
あきらかに俺に男がメイド服を着ることを隠している様子だった。
メイド服を着ることを確認しなかった時点で不備は『トリアノン・ヌーヴォー』にあるのだ。
怒鳴り散らかしてきたら、こちらも全力で言い返してやるつもりだった。
「用ってなに……」
ぞくっとした。
全身の毛が逆立った。
俺の目の前に立っているのは、コスプレかぶれしたサッカー少女だと思っていた。
違った。
芦名美馬は笑っていた。
それも同じ人間とはおもえないほどの艶かしい表情で。
背徳的で淫靡で倒錯的な美しさだった。
美馬の手が伸びる。
俺の首を引っつかむと強引に引き寄せた。
こめかみ同士が触れ合った。
突然の出来事だった。顔が、美馬の吐息の匂いをはっきりと嗅ぎ分けるほど間近にあった。脳髄がガンと揺れるような衝撃だった。フォークダンスを踊るとき以上に女子に近づいたことのない俺にとっては人生観が変わるくらいのショックだった。
「君、駅前の中古本の販売チェーン店知っているかい?」
美馬は自分の唇を舐めた。狼が舌なめずりをするように。
「君、家は菊木駅だろう?」
「ど、どうしてそれを……」
「僕、ここに来る前はあそこで働いていたんだ。入り口に自転車が乱雑に並んでいて入りづらい店だよね……。あの店もさっき話に出てきた岩清水社長の傘下なんだけど、そんなことはどうでもいい。地元の高校生が遠慮なしに扉の前に自転車を置くものだから、愚痴をこぼしながら整理して並べていたよ」
蠱惑するような声で語りかける。
しかし、芦名美馬が行きつけの店でバイトをしていたとは……。
(そういえば……)
思い出した。
こんな顔の店員がいた。
綺麗な顔をしていると思って、すれ違うたびに振り向いた記憶がある。
その古本屋の店員は男性は青いエプロン、女性はピンク色のエプロンをつけている。美馬は女性用のエプロンをつけていたので一目で女だとわかった。
だから、面接のときに女だと確信できたんだ。
気づかなかったが、何度も会っているわけだ。全然初対面じゃなかったわけだ。
「僕、君の秘密を知っているんだ」
その瞬間、俺の心臓が高く波打った。
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