quatre
「よかった! いやぁ、本当によかったわよ! 妹子くんっっ!!」
休憩室。興奮している深見さんが俺の肩をバシバシと叩く。
「お客様すっかり満足して帰ったわよっっ!! えらいっっ!! よくぞ言ってくれたっっ!! 感動したっっ!!」
深見さんはよっぽど嬉しかったのか、俺に頬ずりする始末である……。
俺は愛犬じゃないんだから。
「でも、ああいうお客様っているんだなぁ……」
「ん? 何のこと?」
「清華お嬢さまです」
すると、深見さんは大きく頷いた。
「うちは友人の付き合いで『仕方なく……』というお客様が本当に多いのよ」
「そうなんですか!?」
「コスプレ喫茶なんて世間から偏見の目で見られているわよ。ただのコスプレ喫茶でさえそうなんだから、男がメイドさんで女は執事なんていったら……」
たしかに傍から見れば、『トリアノン・ヌーヴォー』はおかしな店だ。
正直なところ、俺の『トリアノン・ヌーヴォー』に対する第一印象も気持ち悪いの一言だった。
男が執事、女がメイドでいいじゃないか。どうして性別が逆なんだと思わない方が不思議である。
清華お嬢様に言ったあの言葉だって、とっさに口から出てきたものだ。普段からそんなことを考えていたわけじゃない。
「うちは『トリアノン・ヌーヴォー』に行ってきたとみんなに自慢できるような店にしたいの。コスプレ喫茶店ってはっきり言ってまだいいイメージが浸透していないから。とりあえずメイド服着てオムレツにケチャップかけて『萌え萌えキュン♪』とか言っていればいいと思っているような店にだけはしたくないのよ!」
と、自店に対する愛情を熱く語る深見さん。
「よしっ! 決めたっっ! この企画終わったら、お姉さん特別に妹子くんの時給を200円UP。1200円にしちゃうわよっっ!!」
800円が1200円。
一ヶ月で時給が1.5倍……。
すげぇぞ、マジで……。
「でも、男のメイドは希少価値なんでもともと時給上がりやすいんやけど」
と、横からケータイの中のアイドル育成に励んでいた賢一郎さんが口を挟んだ。
「男のメイドで1200円は最低限やから」
「賢一郎くん、余計なことは言わないで」
深見さんは横目で牽制する。
「うちで『男の娘』なんて貴重なんだから。もう妹子くんはうちの主力といってもいいかもしれないわ」
「僕が主力なら、美馬ならあっという間にエースでしょう」
「う~ん……。それはどうだか」
上機嫌だった深見さんが、突然渋い表情になった。
「初日の美馬ちゃんだったら、時給2000円以上考えてあげてもいいのよ。でも、どういうわけか急に元気なくなっちゃって。やる気がなくなっちゃったのかしら。あれだとちょっと困るのよね……」
「妹子。これは秋葉原で起こったことを言った方がええんとちゃうか」
「そうですね……」
「なに? 秋葉原で起こったことって?」
「じつは……」
俺たちは秋葉原で姉の芦名摩美に出会ったことを説明した。
「そうだったの……」
事情を聞いた深見さんは、う~む、と考え込んだ。
「男の子に間違われちゃったの。それはショックよね……」
「美馬はコスプレをしている間は『女の子らしくない自分』じゃなくて『女の子である自分』に戻れるとということを言っていましたから……」
「そうなの!? でも、まさか美馬ちゃんのお姉さんが『グランドマイティ』の店長とはね……」
深見さんは溜め息をついた。
「芦名摩美の名前は以前から知っていたわ」
「え?」
「『グランドマイティ』はね。以前はそこまで悪質じゃなかったの。でも、業績がかんばしくなかったから宇賀神が当時銀座でホステスをやっている芦名摩美を引き抜いて責任者にしたのよ。それ以来あっという間に業績を伸ばしたんだけど、手段を選ばないやり方に批判が殺到しているわ」
「じゃあ、『グランドマイティ』の評判が悪くなったのって……」
「芦名摩美が諸悪の根源よね」
きっぱりと深見さんが言い切った。
「ホステスをしていた当時からあらゆる手管を用いてお客様から金を搾り取っていたから、同僚の評判も悪かったわねぇ。まさか、芦名摩美があんなお姉さんがいるとは……。全然似てないわよね」
たしかにあの姉妹は何から何まで似ていない。
「同じ家庭から美馬ちゃんみたいな女の子が育っているんだから、家庭環境が彼女をそうさせたとは思えないわよね。どうしてなのかしら?」
それについては俺は深見さんと一緒に悩むしかなかった。
16歳の俺に人生の深淵について答えを出せというのはさすがに無理難題というものだ。
「でも、カメラ丸って人は『男の娘』専門のカメラマンでしょ? 普段から見慣れているのに、どうして気づかなかったのかしら?」
「美馬は特殊でしょう。そもそも深見さんも賢一郎さんも初見じゃわからなかったわけだし」
「普段の男っぽい私服なら見間違うわよ! でも『バイバイハッピー』のコスプレしてそれはないわよ! ピンク色の長髪のウィッグまで付けているのよ! 」
「たしかに……」
「ちょっとそのカメラ丸って人の撮った写真を見てみましょう」
深見さんはスマートフォンを取り出してカメラ丸のホームページを見た。
『男の娘』のコスプレと美馬のコスプレを押し黙ってしまった。
「他の『男の娘』のレベルも高いわね……。これじゃ間違うのも無理ないわよ……」
「いや、ちょっと待った」
携帯ゲームのアイドル育成に励んでいたはずの賢一郎さんが突然口を挟んだ。
「最初見たときには気づかなかったけど、この写真、美馬と他の連中の写真とではあきらかな違いがあるで」
「どういうことですか?」
「他の『男の娘』の写真はスタジオで撮ってあるのに、なんで妹子のだけコミケ会場なんや?」
「あっ……」
言われてみれば、変である。
「ということは他の『男の娘』は最初から呼ばれていたのに、美馬だけたまたま通りすがりにコミケ会場で撮影したというわけやな」
「賢一郎くん、すごいじゃないの! ホームズ並みの観察力じゃないの!」
「でも、 どうしましょうか?」
「そんなの簡単よ。このカメラ丸のところへメールすればいいのよ」
「あっ……」
「だって本当は女なのに、男と間違えてるだなんて失礼でしょ? あきらかに女の子だとわかるコスプレしているのに。抗議して削除させるから。それにしても……」
深見さんはスマートフォンの画像にすっかり見入っていた。
「この『男の娘』たち、本当にレベルが高いわねぇ」
「深見さん?」
「『トリアノン・ヌーヴォー』で働いてくれないかしら」
……深見さん。
美馬のことについて文句を言うついでに、この人たちの住所を調べ上げてスカウトするつもりじゃないんですか?
※
仕事を終えて館を出ると、すでに外は真っ暗だった。
裏口から出ると、誰かが立っていた。
「……美馬?」
サッカーボールをトラップしているものだから、芦名美馬だと一目でわかった。
美馬はたしか今日は非番だったはずだ。
そもそもこんな時間帯からバイトということはない。
電灯に照らされた美馬の顔は、不安そうだった。。
今まで見たこともないような表情だった。切羽詰っているような、どこか追い詰められたような表情をしていた。
「公園へ寄ってかない?」
「公園?」
「だって、君は公園が好きだろう?」
ああ、と俺は秋葉原のことを思い出した。
「あれはたまたま寄り道しただけだから」
「とにかく何でもいいんだ。公園に行こう」
美馬のいう公園は『トリアノン・ヌーヴォー』のさらに奥にあった。奥といっても100mもあればたどり着けるが。
ラグビーやアメフトのポールまである大きな公園だった。
俺たちは公園の中で歩いた。
すでに夜だったので、子供たちの姿はなかった。
美馬は自動販売機の前に立つと、缶コーヒーを買った。
「ほら、妹子の分」
缶コーヒーが宙に舞う。
「おっと……」
俺は慌ててキャッチした。
「缶コーヒー代ぐらい出すよ。コスプレの服買いたいんだろ?」
「いいんだよ、そのくらい」
美馬はぶっきらぼうな口調で言った。
それから美馬は何か俺に言いたい様子だったが、踏ん切りがつかない様子だった。
「僕と付き合ってくれないか」
「ぶっ……」
俺の口から缶コーヒーの中身が拡散ビーム砲となって噴出した。
「な、な、なな、ななな……」
「僕じゃあ、役不足か?」
「いや、そんなこと……」
いきなり何を言い出すのかと思えば……。
ふざけているのかと思ったが、美馬は真剣だった。
「見てのとおり、僕は色気のない女さ」
缶コーヒーを握りしめた美馬は、うつむいたまま話した。
「コスプレ姿をしていても女だと見分けがつかないのは、僕自身に色気がないからじゃないかって。ひょっとして男と付き合えば、女らしくなれるのかなって……」
「……なあ」
「妹子?」
「それってアレか? 男なら俺でなくとも誰でもいいってことか?」
「妹子……」
「やめてくれないかな。そういうの」
俺は怒気を含んだ声で言った。
「それって違うんじゃないのかな? 色っぽいお姉さんにコンプレックスを感じているだけじゃないの? サッカーもコスプレも『好き』だからやっているんだろ? それって周りに流されているだけじゃないか?」
芦名美馬は狼狽していた。
そんな美馬の姿をみて、俺はますますわけのわからない怒りに?き立てられた。
単純に『好き』だと言ってほしかったのかな、俺……。
会話が途切れた。
俺は、公園を出た。
美馬は呆然として、その場に立ち尽くしていた。
※
それからの一週間、俺は今までと同じように過ごした。
美馬は、怒りにまかせて小酒井マキに漫画のリストをバラすということもしなかった。
何事もない平穏な日常だが、俺の憂鬱な気分は晴れることがなかった。
勉強に身が入らないのはいつものことだが、ゲームをしていても5分ほどでやめてしまう。
美馬のせいで何に対しても集中できない。
(どうも俺、おかしいな……)
あの女はぶっちゃけ脅迫魔の変態である。
にもかかわらず、俺は美馬を心配している。
どうして俺がそういう感情を抱いているのか、わからない。
誰か教えてくれたら古本屋で集めた秘蔵の漫画全部くれてやっても構わない。
が、結局複雑な感情はこじらせた風邪のように癒えないまま『トリアノン・ヌーヴォー』の出勤日を迎えた。
俺は裏口から館に入ると、
「やっほー♪」
すっかり気が滅入ってる俺とは対照的に、深見さんが上機嫌で俺の肩をたたいた。
「んふふふふふふ」
なんか気味の悪い薄笑いをうかべている。
「ねえねえ、いいこと考えちゃった」
まるで女子高生のようにはしゃいでいた」
「美馬ちゃんって『役』になり切れないと女の子になれないんでしょ?」
「本人はそう言ってました」
「だったら可愛い女の子の『役』をやればいいんじゃないの?」
「えっ?」
「つまり、コスプレでうちの仕事やってくれればいいのよ。 メイド服着た漫画のキャラなんていっぱいいるからそれ着て仕事すればいいのよ!」
「でも大丈夫なんですか? アニメのキャラで商売なんかして」
「大丈夫よ。出版社に電話かけて許可とれば」
「OKしてくれるといいんですが……」
「問題ないわ! 岩清水の影響力は半端じゃないから」
深見さんは絶対の自信をもって言った。
「うちが頼めば必ずYESと言うに決まっているから」
すごいな、岩清水の影響力……。
岩清水の名前というのは水戸黄門の印籠くらいの破壊力があるよな。
携帯電話のBGMが鳴った。深見さんだった。
「あら。誰かしら?」
深見さんは休憩室の端に行って話した。
会話が終わってこちらに戻ってくると、深見さんは暗く沈んだ顔をしていた。
「美馬ちゃん、今日休むって」
「風邪ですか?」
「いや、それが」
深見さんの言葉は沈鬱な響きを帯びていた。
「……数日寝ても病気がよくならないみたい」
「えっ!?」
「熱が41度超えているというし、どうも尋常な様子じゃないみたい」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます