trois
「ここだよ。ここに行きつけの店があるんだよ」
中央通りを横切って、たくさん乱立している小さなビルの一つの前で美馬は足を止めた。
「この店はコスプレの服をたくさん取りそろえているんだよ」
遠足に行く子供のように嬉しそうな顔で美馬が言った。
俺は携帯を取り出して時間を確認した。
まだ開店までには時間がある。
しばらくは待つことになりそうだなぁと思っていると、ビルの入り口から小柄な女性が出てきた。
その小柄な女性は電飾スタンドの看板を重そうに運んでいる。
いや、運んでいるというよりは引きずっている。
よいしょ、よいしょと電飾スタンドを運ぶ女性は茶髪のツインテールで身長が150センチもない。
童顔である。
大学生にはみえないし、俺らと同じ高校生か? まさか中学生じゃないだろうな……。
「店長!」
と、美馬が声をかけると、
「あら、美馬ちゃん~」
店長と呼ばれた子は両手を振ってこっちに近づいてきた。
この人がお目当ての店の店長さんなのか……。
「その子はだぁれ?」
と、店長さんが訊ねてきた。
「同じ職場の子」
「あら。そうなんだぁ」
「これでも『男の娘』なんですよ」
「ええっ!? ウソっ!? 本当に!? あたしけっこうレイヤー歴長いけど『男の娘』って見たことない! 握手してもらってもいい? サインとかもらってもいい?」
途端に、店長さんは間近までやってきて俺の手を強く握りしめた。
え、いや、あの、俺は好きで『男の娘』をやっているわけじゃないんですけどね。
あ、そんな雪国でホッキョクギツネに出会ったみたいな目で見ないでください……。
しかし……、
「この店、労働基準法は守っているよね?」
「ん? どういうこと?」
「この人の年齢……」
「りり子店長は2児の母親だよ」
「ええっ!?」
俺はまじまじと童顔の店長さんを見た。
どう考えても、高校一年の俺よりも年下には見えない。
「失礼ですが、年齢を聞いてもかまわないですか?」
「26だよぉ」
10歳も年上でしたか。それは失礼しました。
「しかし、ずいぶんと彼女と仲いいですね」
「うん。同じレイヤー仲間だから」
コスプレ仲間ですか。そうですか。
「せっかくだから名刺渡しておきますねぇ」
そう言って、りり子店長は俺に名刺を渡してくれた。
名刺にはセクシーな小悪魔のコスプレをしている店長の姿がプリントされていた。
さすがコスプレ店の店長、名刺にまでコスプレの格好ですか……。
「レイヤーでコスプレの格好をした名刺持っている人って、けっこう多いよ。コスプレ専門の名刺屋さんがあるくらいだから」
「それは初耳です。しかしけっこう未成年と間違われませんか?」
「うん。撮影会に行くとしょっちゅうカメラの人からお菓子もらうの。もっと美味しいお菓子をあげるからうちに遊びに来いと誘われたりもするし。それで『あたし2児の母親なの』って言うと、みんな『げっ、ババアかよ』って人生に絶望したような顔をするの」
俺は、ははは、と乾いた笑いをうかべた。
「色々と大変ですね」
「いいの。りり子、男性経験のある女は価値がないと思っている男どもの顔が絶望に歪んでいくのを見るのが大好きなの」
それはとてもいい趣味をお持ちですね。
いまの俺、たぶんその男どもと似たような表情をしていると思いますよ。
「店長。妹子はコスプレ初心者なんだ」
「そうなの!?」
「だからコスプレとは何かということを知ってほしくてこの店に連れてきたんだ」
「そりゃ一大事。この業界で『男の娘』なんて貴重なだから大切に育てないと」
いや、そもそも俺が『男の娘』になったのも隣にいる奴に脅迫されたからなんですが……。
「コスプレの魅力というのはなんといっても『なりたい自分になれる』ということっっ!」
と、りり子店長は握りこぶしで力説した。
「コスプレはその服装さえ着ればどんなキャラクターにだってなれるんだから。コスプレには無限の世界が広がっているのよ!」
「そうですか。俺、コスプレの世界ってもっと閉鎖的だと思ってました」
「あ、それはすごく閉鎖的」
「あらら……」
「最近は市民権あるけど、やっぱりマニアックな趣味だから。カメコとレイヤーが集まって撮影会とか一般人には理解しがたいでしょうから……。あ、カメコってカメラマンってことね。そういう同好の士が集まって部屋を借りてわいわい騒ぐわけだから、閉鎖的といえば閉鎖的だけど。この世界をわかってくれない人に説明するのって難しいの」
りり子店長はそう言って考え込んだ。
「ただマドンナのヒット曲の『Vogue』に『みんな失敗して 今日よりもよくなりたいと切望するなら 私は逃げ場所を知っているわ それはダンスフロアーと呼ばれる場所 ここはそのためにあるのよ』という意味の歌詞があるんだけど、ダンスフロアーをコスプレに置き換えれば、私たちレイヤーの目指す世界がわかってくれると思うの」
「なるほど……」
いや、すごくわかった。
りり子店長の短い説明でコスプレをする人たちの気持ちを理解することができた。
さすがその道の業界のプロの言葉である。
「店長。ここにやってきた一番の目的は新作を見るためなんだよ」
と、美馬が切り出した。
「ひょっとして篝火マキ?」
「そうだよ! 店長はさすがに僕の好みをわかっているね!」
「それなんだけど……」
「うんうん」
「じつはね。昨日売り切れちゃったんだよね」
困り果てたような顔で、りり子店長は言った。
「篝火マキの服はウチにはないんだよ」
美馬はまるで地獄の谷底に突き落とされたような顔をした。
「嘘でしょ? そんなの信じろと言っても無理だよ」
「本当にごめんねぇ」
「次はいつ入荷するの……?」
「さあ……。人気キャラの服なら大量に作るからすぐ補充できるんだけど、篝火マキはわりとマニアックなキャラだから生産数が少ないと思う」
「じゃあ……」
「ひょっとするともう無理かもしれない。悪いけど他の店見てもらうしか……」
「いや、この店になければたぶん他の店にもないよ!」
美馬はスマートフォンを取り出した。
「おい、どうするんだよ」
「決まってるだろ! 製造元に電話をかけるんだよ!」
すげえ執念だな、おい。
ていうか、電話番号も見ずにどうして電話かけられるんだ?
製造元の電話番号知っているってことか?
「もしもし! ちょっと篝火マキの服について聞きたいんですけど、次はいつ出荷するか……。なにっ! 限定品だからもうないって!? ふざけるなっっ!!」
「ちょ、ちょっと美馬……」
「ファンの要望に答えるのがクリエイターの使命だろうがっっ!!」
「無茶言うなよ、会社には会社の事情があるんだから」
俺は美馬の肩をつかんだ。
「どうしてそんなにムキになるんだ!?」
「知りたいかい……?」
美馬は、すっかり欲望に燃えさかった眼差しを俺に向けた。
「そこに『買いたいもの』があるからだよっっ!!」
有無を言わせぬ迫力があった。
「美馬ちゃん、ごめんなさい……」
りり子店長は目頭を押さえた。
瞳が潤んでいた。
「あたしが『商品』を多く仕入れなかったばっかりに……」
せっかくお店に足を運んでくれたお客さんを満足させることができないのが申し訳なくて、りり子店長は小さな肩を震わせていた……。
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