quatre
「せっかく秋葉原までやってきたのに……」
美馬はすっかり落ち込んでいた。
秋葉原にくるまでは意気揚々としていたのに、品物が買えなくて大学受験にでも失敗したかのような陰鬱な顔をしている。
「なんというかショックだよ……。『スーパーマリオ』というゲーム知っているだろう? 一面の最初の敵のクリボーにやられるくらいのショックだよ……」
「逆に考えるんだ。『クリボーさんがマリオに勝てて幸せだった』と考えようよ」
「うるさいなぁ! 僕はマリオの話をしているんじゃないんだ。コスプレの話をしているんだよ!」
お目当てのコスプレの服とご対面できなくてよほど悔しいらしい。
あれから秋葉原のコスプレの店という店すべてに足を運んだ。針の穴をも見逃さないほどの執念で探した。
だが、それでも美馬の努力は徒労に終わった。
お目当ての服はなかった。
喫茶店に入って、美馬をなだめている最中なのである。
それにしても。
コスプレの服が買えなくて、まさかここまで落ち込むとは思わなかった。
呪詛のようなわけのわからない言葉をつぶやいているし……。
「ないものはないんだから、あきらめよう。そのうち中古で出回るかもしれないし」
美馬はこっちを恨めしげに見た。
「君なんかに僕の気持ちがわかってたまるか……」
そしてまたがっくりとうなだれる。
うわぁ、困った。
スランプ状態が長くつづいて引退寸前の矢吹丈みたいな目をしやがって……。
このままの状態だと困る。
「そうだ! これ見てくれよ!」
俺は原稿用紙を取り出して美馬に渡した。
「自己紹介文だ。『役』になり切ることのできる美馬の意見を聞かせてくれ」
美馬はやる気のない目で俺の自己紹介文に目をとおした。
『はじめまして、蘇芳(すおう)と申します。
このたび『トリアノン・ヌーヴォー』で働くことになりました。
慣れない環境ではありますが、心やさしい先輩たちに囲まれて働いています。
まだまだ未熟者ではありますが、『トリアノン・ヌーヴォー』にふさわしい使用人となれるよう頑張りますので、皆様どうぞよろしくお願いいたします』
「こんなんじゃ話にならないよ」
いきなり原稿用紙を破り捨てられた。
「うぉわあっっ!!」
お、俺が一晩中必死に考えて書いたのに……。
文章書き慣れている人間にとっては些細な文章かもしれないが、自発的に文章を書いたことのない高校生がこれだけ書くのってどれほど大変だかわかってんのかよ……。
「『男の娘』としての自己紹介を書かなきゃ。それは普通の自己紹介だよ」
「じゃあ、どうすりゃ『男の娘』らしくなるんだよ」
「それは自分で考えなきゃ!」
「普通の高校生は『男の娘』の気持ちなんてわかんないだろ!!」
「それをどうにかするんだよ!」
「だからできないって言ってるだろ!!」
こうなったら売り言葉に買い言葉である。
途中から議論というよりも、単なるわめき合いになっていた。
どれほどの時間が経過したか……。
「はあはあ……」
「ぜいぜい……」
お互いとっくに疲れ果てていた。
「だからお前の考えている理想の『男の娘』の形ってのは何なんだよ……」
「それを妹子が考えろと言っているんだよ……」
「……お前にあれこれ言うよりも深見さんに相談した方がよっぽどいいわ」
深見さんの名前を出すと、さすがの美馬もひるんだ。
「深見さんに?」
「だって深見さんはお前よりもよっぽどその道のプロだろう」
深見さんの名前を出した途端、美馬は急にうろたえはじめた。
「そ、それは自分で考えないといけないだろう……」
「いや、今の時点で自分で考えていると言えないから」
「ふ、深見さんには深見さんの仕事があって忙しいだろうし……」
「朝の5時に起きてバイトの昼食つくるほど面倒見のいい人だよ、絶対に相談に乗ってくれるって」
「うっ……」
「じゃあこの話は深見さんと相談するんで」
「ちょっと待て……」
「お前、俺を一人前の『男の娘』にしたいんだろ? それなら深見さんしか相談相手はいないだろ」
「うう……」
「それじゃあ、この話は終わりということで。これからどうしようか? 用事が終わったからもう帰ろうか」
「……妹子。君は正気か?」
「えっ?」
「せっかく来たというのにもう帰るって? 秋葉原に来たのに満喫しないという手はないさ」
「満喫といっても、遊ぶ場所なんかあるのか?」
「僕が案内してあげるよ」
「というか、そもそも秋葉原に観光名所ってあるかい?」
「あるよ。たとえばおでん缶自販機とか」
「ごめん。俺はおでんは出来たてを食べたい」
「あとはAKB劇場とか」
「AKBあんまり詳しく知らないんだよ」
「君は本当に面倒な男だな。そのくせ公園なんかではしゃいだりして、わけがわからないよ」
「安上がりで経済的だろう」
「それじゃあ、その辺をブラブラしよう。きっと妹子の気に入る場所が見つかるさ」
そう言って美馬が立ち上がると、俺の手を握りしめた。
俺はびっくりした。
美馬の行動には恥じらいというか、照れがない。
(ひょっとして、こいつ男慣れしているのかな……)
喫茶店を出てから、そんなことを考えた。
こうやって手をつないで歩いていたら、まるっきし彼氏と彼女である。
『男の娘』のメイドになれば彼女にでも何でもなるとは言った。
だがそれは言葉のアヤで、実際に付き合っているわけではないのだ。
芦名美馬は男っぽいが、容姿に関していえば誰も文句をつけることができないほど端正である。
美しいのは間違いない。男か女か見分けがつきにくいだけの話である。
実際には性格はかなり問題があってサディストなんだが、見ただけではそんなことわからない。
そんな奴に男が寄り付かないなんてことあり得るだろうか……。
「ねえ、美馬……」
「なに?」
「怒らないで聞いてほしいんだけど」
「何だい。急にあたらまって」
「美馬、彼氏とかいるの?」
「いないよ。過去にも男と付き合ったことはない」
美馬はさも当たり前のように言った。
「本当に?」
「ああ、僕なんか全然相手にされないよ」
「嘘ついているわけじゃなくて?」
「僕の周りにいる男どもは花屋でひまわりに水をやっているような女が好きなのさ。男って保守的でさ。とくに僕の学校にいる男どもは退屈ったらありゃしない。あいつら全員『魔法少女まどか☆マギカ』さえ見ていないんだ。あいつらまったく教養がないよ!」
そういう基準で語られてもなぁ……。
そもそも教養ってこういう時に使う言葉か……。こいつの教養はの基準はアニメかよ。
でも、しかし。
うまく口では説明できないんだけど、ほっとしたような、妙な安堵感があった。
「妹子、あれ見なよ」
美馬が指差した先には、秋葉原名物のメイドさんたちがいた。
秋葉原にやってきた頃には姿はなかったが今は午前11時過ぎ。街が賑わしくなる時間帯になったので勧誘のために姿を見せたのだろう。
しかし、まだビラを配っていない。
大量のビラを抱えたまま、スーツ姿の男性の話を真剣な顔をして聞いている。
どうやら勧誘のための色々な指示を受けているらしい。
「俺たちの同業者だね」
「違うよ」
「でも、同じコスプレ喫茶だろ?」
「君の同業者だ。僕は執事だから違うよ」
彼女たちは新入りのようだ。見るからに初々しい。
俺は親近感をもって彼女たちを見ていた。どうしてかはわからない。以前は秋葉原のメイドなど変わった子だなぁ程度にしか見ていなかったが、いまは同業者ということで不思議に間近な存在としてみることができた。きっと俺が男の娘になったからメイドさんを見る立ち位置が変わったのだろう。
「しかし、かわいい子たちだねぇ」
「レイヤーはおしゃれさんが多いから」
「そうなの?」
「だって、きれいな洋服に興味があるから必然的におしゃれになるわけで」
なるほど、言われてみれば理にかなっている。
「遊びに行ってみるかい?」
「ダメだよ。こういうのって男が行く店だろ?」
「そんなことないよ。『お姫さまランチ』という料理を出しているところもあるんだから」
「へえ……」
「お店は女の子にだってきて欲しいさ。女の子はかわいいのが好きなんだから、かわいいお店に行くのは当たり前のことじゃないか」
なるほど、と俺は納得した。
「でも、お金いいの?」
「妹子に『男の娘』としての心構えを教えるためならお金は惜しまないよ」
「そ、そうかい……」
「それに、欲しいコスプレの服はしばらく買えないしね……」
そう言って美馬は寂しく笑った。
まだ精神的ダメージがかなり残っているな。
「……おや?」
メイド喫茶の入り口から一人の男が出てきた。
赤い髪の筋肉マッチョ、半袖シャツのその男は賢一郎さんにすごく似ていた。
というか、あれ賢一郎さん本人だよな……。
間違いない。
あれは『トリアノン・ヌーヴォー』に『男の娘』のメイドとして勤務しているプロ格闘家の川崎賢一郎さんだよな。
すっかり馴染みの客という雰囲気を醸し出しているんだが。
「あれ、賢一郎さんだね」
「……帰ろうよ」
「どうして? 挨拶しないの?」
「いやいや! 見つかったら色々と厄介だろ」
「どうして?」
「どうしてって、そりゃあ……」
「僕たち悪いことしてないよ? どうして賢一郎さんにバレたらまずいの?」
美馬は本当にわからないといった顔をして訊ねる。
こいつは天真爛漫なのかアホなのか……。
「あれ? そこにいるのは妹子と芦名か?」
……賢一郎さんが俺たちに気づいてしまいました。
「お前らどうしてここにいるんや?」
そう言いながら賢一郎さんは近づいてくる。
「け、賢一郎さん。どうしてここに……」
「アキバは俺にとっては庭先みたいなもんや」
賢一郎さんは後ろにあるメイド喫茶を親指でさして、
「アキバに来たらまずはメイド喫茶で紅茶を飲むのが俺の日課なんや」
「はあ……」
「それにしても最近の子たちはススんでるわ。おっちゃんついていけんわ」
「え?」
「いや、みんなには言わへんし言わへんし」
「賢一郎さん、そうではなくてじつは……」
「いやいやそれ以上言う必要ないって」
この光景をみたら誰でも誤解するわな……。
美馬はというと何事もなかったかのような顔をしている。どうも賢一郎さんに誤解されていることに気づいていない。
ホントに鈍い奴だなぁ……。
「あれ?」
俺の目の前で宣伝カーが通り過ぎた。
その宣伝カーに書かれてある文字をみて、俺の見間違いじゃないかと目をこすった。
見間違いではなかった。
「賢一郎さん、あれ……」
「ん? 宣伝カーか。秋葉原ではけっこうよく走っとるで……」
呑気な顔をしていた賢一郎さんの表情が強張った。
「あれは『グランドマイティ』の宣伝やな」
その通りなのだ。
ケバケバしいピンク色の文字で『グランドマイティ』と書かれているから一目瞭然である。
俺たちを去っていく宣伝カーを目で追った。
「そういえば、あいつら定期的にここで宣伝するんや」
賢一郎さんは駅のある方角を向いた。
「おそらく駅前でも大々的に宣伝しているはずやで。妹子。美馬。来い。敵情視察や」
そう言うと、駅に向かって歩いていった。
俺たちは急かされるようにして秋葉原の駅前にやってきた。
するとメイドたちがビラを配っているのだ。
一人や二人ではない。
何十人もいる。
俺はメイドたちを一人一人見た……全員美人ときている。
もちろんメイド服なのだが、アキバのメイドさんたちの服装とは全然方向性が違うのだ。
胸元あらわなお色気満載の服装なのだ。
「見てみい。あれは『グランドマイティ』のメイド服やで」
「あっちの服装はズバリですね」
「色気で馬鹿な男どもを騙そうとしているだけや」
賢一郎さんの顔には嫌悪感がはっきりと滲み出ている。
この人も『トリアノン・ヌーヴォー』という職場に誇りを持っているらしかった。
「すごい数ですね。この日のためにたくさん雇ったんでしょうね」
「あれ、おそらくただのバイトちゃうで」
「えっ?」
「この日のために大量に用意した派遣コンパニオンやろうな」
俺は『グランドマイティ』のメイドたちを一人一人観察した。
平均年齢が高い。お姉さんたちばかりだ。
先ほど見かけたメイドの女の子は、俺たちと同じ十代後半といった感じ。
しかし、この『グランドマイティ』のメイドたちはほとんどが二十代半ばといったところか。
「メイドさんの派遣社員みたいなもんですか?」
俺はコンパニオンという言葉を、きれいなお姉さんが色気振りまく仕事だというくらいしか理解していない。
「まあ、結論だけいうと時給が違うんや」
「高いんですか?」
「ビラ配っているメイドいるやろ。あれはほとんどの店が時給1000円いかへん。でもコンパニオンはだいたい時給3倍やで」
「3倍!?」
俺は唖然とした。
「それならみんなコンパニオンやった方が儲かるじゃないですか!」
「わかってへんな」
賢一郎さんはリングにでも上がるような険しい顔つきで俺を見た。
「『お色気』込みやから時給が3倍なんやで。時給がザクとシャア専用ザクほどの差があるのには、それなりの理由があるんや」
「理由というと?」
「アキバのメイドさんってのはやな、基本的に『かわいい服が着れる』のと『仕事が楽そうだから』の二つの理由で。『かわいい』を満たしてくれるのがメイドさんの仕事なんや」
「……つまり仕事の心構えが違うと?」
「いや、派遣のコンパニオンだって心構えはメイドさんと似たようなもんやろ。金がほしいからバイトしているだけで」
「じゃあ、どこが違うんですか?」
「一番の違いはメイドさんは『かわいい』を売っているが、コンパニオンは『女』を売っていることや」
「でも、メイドさんの仕事だってそういう部分あるんじゃないですか?」
「たしかに変な奴がカメラ持ってメイドさんを追い掛け回すこともある。しかし、コンパニオンは変なカメラ小僧が出てきても嫌な顔をしてはいかんのや。さすがにヤクザ臭いのが近づいたら追い払うが、兄ちゃんがエロい目でカメラのシャッターを切っても『エッチなお姉さん』でいなければいけないんや。メイドさんは『メイドさん』。コンパニオンは『女』なんや」
俺と賢一郎さんが会話している間、芦名美馬は『グランドマイティ』のメイドたちをずっと睨んでいた。
「……美馬?」
美馬はメイドたちに近づいた。
「ビラをよこすんだ」
「はい?」
「さっさとよこすんだ!!」
「ひっ……」
もの凄い剣幕だった。
その場にいた一同、全員黙った。
賢一郎さんが、怖ぇ……とつぶやくほどの剣幕だった。
美馬はビラを見た。
微動だにせずじっと見ている。
俺たちはこっそりと美馬の背後に回ってビラを覗き見た。
ビラに描かれている絵だが、どこかで見たことのある絵柄だ……。
「これ、描いているの有名漫画家の朝川やないかっっ!」
賢一郎さんはほとんど絶叫していた。
「その漫画家、誰でしたっけ? 名前は聞いたことありますが」
「お色気漫画で有名な先生やで」
「売れているんですか?」
「めっちゃ売れとるで。総売上部数は1000万部超えているで」
「げえっ……」
「そう簡単にイラストなんか描いてくれるような人やないで。『グランドマイティ』の圧倒的な財力のなせる技やな」
「しかも描かれているのは巨乳ばかり」
嘲笑うように美馬が言った。
「どうして男は大きな胸が好きなのかね?」
美馬が、じっと俺のことを見る。
氷の刃のごとく鋭い眼差しだった。
「そう言えば君が全巻買った本に出てくるヒロインの吸血鬼の女の子も巨乳だったねぇ」
「ごめん……。人前でその話は絶対にやめておねがいだから……」
「おい、このビラ……」
賢一郎さんがビラを指差した。
「右隅に新しく近日オープンって書いているで。 しかも場所が青葉ヶ丘……」
「なっっ!!」
青葉ヶ丘は言うまでもなく『トリアノン・ヌーヴォー』のある町だ。
「なんであんな片田舎に……」
「そんなもん決まっとるやろっっ!! 『トリアノン・ヌーヴォー』を潰すためやっっ!!」
吐き捨てるように賢一郎さんが言う。
「青葉ヶ丘なんて片田舎に店を建てるなんてそれ以外考えられへん! これは『グランドマイティ』がうちを潰そうとする魂胆に違いないで」
「ちょっとあんた、人の商売を邪魔しないでくれる?」
それは茶髪のギャル風の女性だった。腰までとどく長髪にはパーマがかかっている。ギャルというには物腰が落ち着いている。おそらく20代だろう。他のメイドと同じ格好をしているが、彼女がこのメイドたちのリーダー的な存在らしかった。
とても美人なのだが、どこか女王蜂を思わせるようなところがあった。なぜかわからないが、蜂の黄と黒のまだら模様が危険を感じさせるように彼女のケバケバしい格好をみてこの人は危ないと直感した。
ちなみに胸は大きい。Eカップ……いや、Fカップあるかも。
「い、いや、すいません……」
俺は謝った。
しかし、美馬と賢一郎さんは頭を下げない。
とくに美馬は怖い顔をしていた。
「『グランドマイティ』ではずいぶんと儲けているみたいだね、姉さん」
「えっ!?」
俺と賢一郎さんは驚きの声をあげた。
「姉さんって……」
「
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