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「いやぁ、まさか美馬ちゃんが女の子だったなんて……」
深見さんは申し訳なさそうに謝った。
「女の子を男扱いしちゃって申し訳ない、うっうっう……」
「いえいえ。慣れてますから。泣かないでください」
美馬は快活に笑った。じつに男前な笑みだった。
俺たち三人は、喫茶店で着る制服を作るために『さかざと洋服店』へと向かっている。
イヌマキの樹を植えた並木道を歩いているが、俺は芦名美馬の足元が気になって仕方なかった。
美馬は先ほど手に抱えていたサッカーボールをドリブルしながら歩いている。横断歩道を渡るときも、つねにボールを蹴って歩く。まるでボールが身体の一部である。
こいつ、一人で11人抜き去りそうだなぁ……。容姿もよければ性格もよさそうだ。あまりに高スペックなので不治の病とか抱えているんじゃないかと疑ってしまうほどだ。
「いつもボール蹴っているの?」
「うん。基本的にいつもボールと一緒だよ。登下校の時も」
「まさかお風呂の時も一緒じゃないよね」
「風呂は一緒じゃないけど、寝るときは一緒だよ。どこかの漫画でも言っていたじゃないか。『ボールは友達』だって」
「すごいねぇ。当然、部活はサッカー部?」
「ええ、一応」
「部活だけど、バイトと掛け持ち大丈夫なの?」
深見さんが心配そうな顔をして訊ねた。
「それは入部の際に部員のみんなに伝えてあります。うちは週6日なんですけど、入部の勧誘を受けた際に土日は休んでいいという条件で入部しましたから。それは部員全員のみならず顧問の方にも会って確認を取りました」
「そうだったの……」
「もちろんサッカーもやりたいんで、毎日ここのバイトに来るというわけにはいかないですけど。土日休む分平日練習しないといけないですから」
「もちろん大丈夫よ! そこはサッカーを大事にしてもらって」
「そういえば君、鹿島妹子といったね? これからは僕のことを美馬と呼び捨てにしてかまわない。僕も君のことを妹子と呼ぶから」
ずいぶんと男らしい台詞である。男よりも男らしい。
これが女性じゃなくて男だったら、どんな女だってホイホイついてくるだろうなぁと感心していると、
「ところで妹子は部活は何をやっているの?」
と、訊ねてきた。
「いや、俺は帰宅部……」
「趣味とかないの?」
「ゲームとか、漫画とか……」
「へえ」
芦名美馬は目を細めた。
一瞬、瞳が猫科の動物のように鋭く光ったような気がした。
「どんな漫画読むの?」
来た、と俺は思った。
こういう質問の返事は、難しい。
なまじマニアックな解答をすると『え~、妹子くんオタクなの気持ち悪い~』となってしまう。
相手は天下の往来をサッカーボールを蹴って歩いているような筋金入りの体育会系である。
無難なメジャー作品を挙げておくのがセオリー。
しかし、念には念を入れて逆にこちらから質問をした。
「芦名さんはどんな漫画好きなの?」
「さん付けなんていいよ。美馬でいいって」
「そ、そうか。ごめん。で、どんな漫画好きなの?」
美馬から返ってきた返事は意外なものだった。
「僕? 少女漫画とか好きだよ」
「へえ? そうなの! 私も子供の頃漫画が大好きで夢中だったのよ!」
と、深見さんが身を乗り出してきた。
「たとえば超能力をもった双子の話とか……」
「それ知ってます。主人公の女の子がピンチになると、彼氏がテレパシーを感じて助けにくるやつ」
「あら? よく知っているわね!」
芦名美馬の横顔を見た。
凛々しくて美しい。
いまはジーンズ姿だが、スカートを穿いても似合うだろうなぁと思った。
俺は自分の首を触っていた。
抱きついてきた芦名美馬の残り香がまだ残っているんじゃないかと思ったからだ。
(バイト先で彼女とかできたら天国だよなぁ……)
「そういえば僕がこの『トリアノン・ヌーヴォー』に応募した理由は洋服なんですよ」
美馬が弾んだ声で言った。
「へえ、そうなんだ」
突然、美馬がドリブルを止めて俺を見た。
ついさっきまでえらく上機嫌だったのが、急に怖い顔になっていた。
「君、どうしてここに応募したんだい?」
「電柱に貼ってあった求人広告を見て」
「『トリアノン・ヌーヴォー』のことは何も知らないの?」
詰問するような口調で美馬が訊ねた。
「うん……」
「ふうん」
芦名美馬は急に無口になった。
無愛想な顔のままボールをドリブルする。
(……え?)
バイト先をろくに調べずに応募した俺に呆れてしまったのか……。
「ま、まあ、妹子くんも入っちゃえばそのうち慣れるから……」
深見さんがあわててフォローするも、美馬の表情は一向に晴れる気配はない。
(なんだよ、こいつ……)
正直なところ、ちょっとムッとした。
見た目が爽やかなので性格もそうだと思っていたが、意外に気難しいらしい。
初対面でいきなり抱きついてきたものだから、
(これはひょっとしたら……)
などと甘い夢を抱いていた俺が馬鹿だったのかもしれない。
それどころか変に生真面目な性格で怒りっぽい性格らしい。このくらいで口を利かなくなるようでは、これから先どのようなトラブルが起こるかわからない。バラ色に思われた俺のバイト生活は一転して暗雲が立ち込めてきた。
『バイト先の女の子とお付き合い』
などという夢のシチュエーションは本当に夢で終わることになりそうだ。
※
「着いたわ。このビルよ」
深見さんが築数十年ほどあろうかという古いビルの前で足を止めた。
中に入って階段を上る。三階に着くと正面のガラスの扉に白いテープで『さかざと洋服店』と貼ってある。ガラスの向こう側には落ち着いた雰囲気の背広の洋服を着たマネキンがたくさん並んでいる。
俺たちが中に入ると、白髪混じりの紳士が奥から出てきた。
ピンク色のシャツを着たその紳士はやはり洋服屋の店主だけあってずいぶんと上品な雰囲気を醸しだしていた。
深見さんは、紫色のネクタイをしたその紳士に丁寧にお辞儀をした。
「これは深見さん。今日は二人いっぺんだそうで」
「はい。この子たちです。よろしくお願いします」
上品な紳士は、俺と美馬を交互にじろじろと見る。
「それで、どっちが男でどっちが女?」
「サッカーボールを持っている方が女の子です」
すると紳士はほう、と感嘆の声をあげた。
「女かね? 私は君が男だと思ったがね。どっちもいい子そうだね。これはきっと服も喜んでくれるよ」
紳士は昔をなつかしむような眼差しをした。
「最近は大量生産の安い服ばかりがもてはやされるから、手作りで服をつくるうちみたいな店には辛い時代なんだよ。そういった世の中で『トリアノン・ヌーヴォー』のような上得意のお客さんは本当にありがたい」
紳士は黒い布を持ってきた。カブトムシの甲羅のような光沢のある布だった。
「見てごらん。100%のシルクだよ。これで君たちの服を今から作るんだよ」
すると美馬は子供のように目を輝かせて近づいてきて、食い入るようにシルクの布を見た。
「わあ、すごいや……」
「あんたたち、こういう生地の服は着たことがないだろう。本当にいい生地で作った服は着心地が全然違うんだ」
「本当にこんな生地でつくった服を着ることができるんですか!?」
「もちろんだよ。そのためにあんたらを呼んだんだ。さっそく寸法を測ろうか」
洋服屋の紳士は、まずは俺を鏡の前に立たせた。そして巻き尺で俺のサイズを測る。
「あんたらのために作る服はとびきり極上だからね」
紳士は巧みに巻き尺を動かしながら言った。
「一着で10万円はするから」
「…………へっ?」
俺は、耳を疑った。
頭のなかでゆっくりと計算してみた。
やがて、とある結論にたどり着いた俺の膝はがくがくと震えはじめた。
「深見さん……」
「どうしたの?」
「俺、どこかの金持ちの婦人とかに慰みものにされるんでしょうか?」
「え? 妹子くん何を言っているの?」
「だっておかしいでしょう。バイトの服に一着10万とか。従業員、それもアルバイトのためにオーダーメイドで服を作るなんてどう考えても採算が合わない……」
「いやいや。妹子くん、落ち着いて」
「相手は誰ですか!? 20代の美貌の未亡人!? いやいや、現実はそんなに甘くない……。50代、いや、ひょっとすると60代のおばあちゃん!? 僕、首輪とかで縛られるんですか? 性奴隷とかにさせられるんですか!? 蝶ネクタイにブリーフ一枚で『おしっこ』の格好とかさせられるんですかっっっ!!?」
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