トリアノン・ヌーヴォーへようこそ!

神楽 佐官

第1章 時給でバイトを選んだらコスプレ大好きサッカー少女に捕獲されました。

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「じゃあ、座って」


 面接官の男性が椅子に座るよう勧めたので、俺は腰を下ろした。椅子はとても前衛的なデザインをしていて、デンマークだがスウェーデンだかわからないが北欧のおしゃれな国から取り寄せたのだろうなと推察した。


 女性がお茶を運んできた。紅茶だった。たいへん美しい黄金色のストライプが描かれたティーカップだった。一口飲むと、すばらしく芳醇な香りが口の中いっぱいに広がった。口内でオーケストラが交響曲を奏でるような、そんな感じ。『うまいぞ~!!』と絶叫するような素晴らしい味の紅茶だった。


「これ、美味しい」

 と、俺が言うと、

「そうだよねそうだよね」


 面接官の男性が嬉しそうにうなずく。

 白髪混じりだがそんなに老けていない。普通の男性とくらべて、

(あきらかに雰囲気が違う……)

 東京駅の改札口で一日中立っていても、似たような種類の人間を探し出すのはまず不可能と言い切れるほど個性的だ。

 具体的にどう個性的かと聞かれても困る。俺のような高校生がいきなり宇宙人に出くわして適切な表現をしろと言われても無理な相談だ。俺は国語の成績はよくないし、ラノベ作家志望でもない。とにかく雰囲気が違うのだ。


「喫茶店のバイトの面接でマズい紅茶を出すわけにはいけないから」


 甘ったるいコンデンスミルクみたい声色で言う。


「僕、ここの社長の岩清水というんだよ。あらかじめ送ってもらった履歴書、読ませてもらったよ」


 机の上には、俺が郵送した履歴書が置いてある。

 通学路にある電柱で貼られてあったバイトの求人広告をみて応募したのだ。

 履歴書を送って、選考を通過した者だけを事務所で面接するというわけだ。

 それで運よく面接を通った俺がこうして事務所に呼ばれたわけだ。

 たかがバイトで履歴書を郵送するなんて面倒くさいとは思ったものの、高い時給は魅力的だった。

 1200円以上くれると書いてあった。

 普通高校生時給なんて普通は800円くらい、高くてもせいぜい900円程度。

 努力しだいでは2000円以上もくれると書いてあった。

 こんな高時給を見逃がす手はない。


「まずびっくりしたのが」


 社長の指先は、履歴書に書かれている俺の名前を指差した。



『鹿島妹子』



「この妹子って、あの小野妹子と同じ名前?」

「はい……」


 また、いつもの話題である。

 俺の名前を聞いて、それを訊ねない人間はいない。

 唇の端が微妙に痙攣している。

 話題が自分の名前についてあまり深く詮索されると、唇の端のあたりの筋肉が痙攣する癖があるのだ。


「変わった名前だよね。子供の頃いじめられなかった?」

「それについては……」

「ん?」

「いやというほど色々とありました」

「ほう」

「できれば触れられたくないくらいで」

「そうだけど、こんな名前なんだもの。みんな聞くでしょ?」


 社長が疑問に思うのも無理はない。


 タイガーマスクが覆面つけたままサウナ風呂に入って『あれ? お風呂でも覆面つけたままなんですかぁ?』と訊ねたくなるくらい、はじめて俺の名前を見た人は違和感を感じるだろう。


「うちね、時給いいから結構応募くるのよ。たかがバイトだけど、履歴書だけ見て会わずにお断りするケースも多いんだよね」


「はぁ」


「でも、君はうちの仕事絶対に向いているよ」


 社長は断固たる確信をもって言い切った。


「『トリアノン・ヌーヴォー』の貴重な一員になれるよ。僕の勘がそう告げているよ」

「お仕事って大変なんですか?」

「いやいや。難しい仕事はさせないよ。誰にでもできるよ。じゃ、採用ということで」

「え? もういいんですか?」

「いいんだよ。僕が社長なんだから」

「はあ……」

「あ、そうそう。一つだけうちで働くために大切なことがある」


 社長は立ち上がると、忍者のように足音もなく背後に回って俺の両肩に手を置いた。


「この仕事はね。誰に対しても偏見をもたないことが大事なんだよ。まず一番大事なのは無断欠勤しないこと、これは絶対。次に大切なのはお客さまに偏見をもたず平等に接することが大切なんだよ。君、どんな質問をされても当意即妙に対応することがうちの仕事で一番大事なことなんだ」

「とういそくみょうに……」

 なんだかややこしい四字熟語が出てきたぞ、と。

「遅刻欠勤はともかく、なんか大変な能力を要求されているような気がします」

「大丈夫だよ。困ったことがあったら店長が助けてくれるから。うちの店長は面倒見のいい人だから」


 社長は携帯電話を取り出した。スマートフォンではなくて、旧式のガラゲーの黒い携帯電話だった。


「もしもし? 僕だけど。来てくれる? うん。新しい人。気に入ったからもう制服作っちゃう」


 社長は携帯電話を切った。

 そして俺の顔をじっと見た。


「君は天使みたいな子だ」


(はぁ? 何を言っているんだ、この人は……)


「君、声変わりしてないの?」


 社長は、自分の喉仏を指差した。


「えっ!? ああ、はい……。いまだにこないんですよ」

「ほう」

「16歳にもなって声変わりしてないのは、むしろ病気なんじゃないかと心配になることもあります」

「いや、変声期が来なくて死んだ奴なんて聞いたことないから、べつに大丈夫じゃないの?」

「はぁ……」

「君。天使というのは性がないんだよ」


 俺は、社長の言葉の意味がわからず首をひねった。


「正しくは性別を必要しないといった方がいいのかな。男性でも女性でもある必要がないというのかな……。天使は子供を作らないからね」


 なるほど。それは知らなかった。

 そういう意味では俺は天使じゃないですね。


 容姿も中性的なら良かったんだけど、誰がどうみても普通の高校生ですし。


 人並みに性欲とかありますし。まだ若い年頃ですし。

 いや、むしろ人並み以上かも……。


「失礼します」


 水色のワンピースの女性が部屋に入ってきた。


「紹介するよ、うちの店長の深見ふかみるいくんだ。こちら話していた鹿島くんだ」


 深見さんの第一印象は、やさしい保母さんといった感じだった。

 見たところ三十歳くらい。絹ごし豆腐のような白い肌に真紅のやや厚ぼったい唇の左下に大きな黒子。さらさらの黒髪でボブカットで目はやや垂れ目。ほわっとした感じの人で、商売人というよりは地方公務員のような雰囲気いったほうが正しいかもしれないが、堅苦しいところのない気さくそうな人物だった。


「鹿島妹子くんね。はじめまして。深見です」

「はじめまして……」

「社長。『トリアノン・ヌーヴォー』にぴったりの子ですね! この子はいい子に育ちますよ!」


 深見さんは新入りである俺を心底歓迎している様子だった。


「大切に育ててくれよ」

「もちろんです。社長、うちの仕事についての内容は……」

「まだ僕は何も言っていないよ」

「それは良かった。じゃあ、早速行きましょうか」

「え? ちょっと待ってください」

「妹子くん、なにか……」


「ここって喫茶店じゃないんですか? なにか特別なことをするんですか?」


 深見さんの表情が変わった。


 俺には知られてはならないと言わんばかりの表情。


「それについてが深見くんがあとで説明するから」


「そうですか……」


「深見くん。『さかざと洋服店』へ行くのはもう一人の面接が終わってからにして。もうすぐ来るから、面接が終わってから二人とも連れて行って」


「はい。わかりました。じゃあ、妹子くん。他の部屋で待ってましょうか」


「いや、ここにいていい。すぐ終わるから。おや、もう来たみたいだね」


「失礼しますっ!!」


 その人物は、元気のいい声とともに勢いよく入ってきた。

 涼しげな春風を感じさせるような少年だった。

 短髪でジーンズ姿のその少年は、なぜかバイトの面接だというのにサッカーボールを抱えていた。

 凛々しい顔立ち。大きな黒い瞳。

 まるで少女マンガの恋人役みたいだ。

 その凛々しさに深見さんは、はぁ、と瞳を潤ませて溜め息をつく。

 美少年ぶりに魂を吸い取られてしまったかのようだ。


芦名あしな美馬みまくんだね」

「はい!」

「君、これから深見くんと一緒に付いていってくれ」

「この男の子の面接はしなくていいのですか?」


 社長はにやりと笑う。


「面接する必要はない。即、採用だよ」


 その言葉に、深見さんも微笑んだ。


「わかりました。こんな美しい少年ですもの。採用しないわけがないですよね」

「それと深見くん。君は一つ間違えている」

「はい?」


 深見さんは何のことかわからず、目をぱちくりさせている。

 俺は、少年の顔を見た。

 少年、といっても俺と年齢はほとんど変わらないだろうけど……。


「ひょっとして女の子?」

「……嘘でしょ? このイケメン男子が?」


 深見さんはぎょっとして目を剥いた。

 でも、俺の予感は当たっていた。

 芦名美馬は『少年』ではなくて『少女』だった。 

 その証拠に芦名美馬は、雑誌の懸賞にでも当たったかのような喜色満面の笑顔になった。


「君!? どうしてわかったの!?」

「いやぁ、何となくだけど……」

「君、いやぁ本当に嬉しいよ! 16年生きてきたけど、いっつも僕は男扱いされていたから!! 君の名前は?」

「……鹿島妹子」

「いもこ?」

「妹に子どもの子って書くんだよ」


 社長が美馬に教えた。


「妹に子で妹子。なんか女の子の名前みたいだね!」


 どうやら芦名美馬は、小野妹子を知らない様子だった。

 しかし、

(性格のいい子みたいで助かった……)

 同じ職場で働く人間の性格が悪かったら最悪である。

 しかし、なぜ俺は芦名美馬を女性だと直感したのか……。

 正直なところ、わからない。

 わからないのだが、芦名美馬は女だと一目見てこれは女だと自信をもって言うことができた。


「鹿島妹子か。いい名前だよ。これから僕のことは美馬と呼んでくれ。イモコとミマか。なかなか相性のいい名前だと思わないかい?」

「そうだね……」

「これからもよろしく!」


 そう言うと、美馬はいきなり俺の首筋に抱きついてきた。


「まぁ……」


 深見さんは口に手をあてて凝視した。


 あまり見つめないで欲しい。恥ずかしくて俺の顔が真っ赤に染まっているだろうから。


「おやおや、これはこれは……」


 社長も微笑した。


「これはお似合いの二人になりそうだな」


 などと、大人二人は微笑ましく思っているが。

 こっちは突然のことに頭のなかが真っ白だ……。

 初対面の女の子に突然抱きつかれたんだから。

 男みたいな風貌とはいっても、相手は女の子。

 俺はかっと全身が熱くなった。

 嬉しいやら、恥ずかしいやら。

 天真爛漫というか、恥じらいをしらない子供のような性格というか……。

(なんでこの子、俺に抱きついてきたんだ……?)

 女の子同士ならまだしも、男と女だぜ。

 芦名美馬は、俺の首に腕をまきつけたまま離れようとしない。


「嬉しいよ。君となら楽しいバイト生活が送れそうだよ。君からは運命のようなものを感じるよ」


 それが俺、鹿島妹子と芦名美馬との最初の出会いだった。


 ※


 自己紹介をしよう。


 俺、鹿島妹子は紫泉商業高校の商業科の高校1年生だ。


 つくづく思うのだが、なんで俺の両親は子供が将来いじめられるような名前を子供につけたのだろうか……。


 坂本龍馬や織田信長に憧れる人間は山ほどいる。


 が、小野妹子に憧れる人間など聞いたことがない。


 疑問におもった俺は、ある日家族で歌番組を見ているときに思い切って訊ねた。

『ああ。もともと女の子が欲しかったんだ』

 けろりとした顔で父は答えた。


 べつに小野妹子に憧れていたわけでもなんでもなく、もともと女の子が欲しかったのだが、実際には男の子が生まれた。それでせめて名前だけでも女らしくということで、妹子という名前にしたのだそうな。


 あれだよね。


 RPGの主人公の名前を『ああああ』とか『トンヌラ』とかにするとか、そういうレベルの話の内容だよね。どうしてうちの母親は『こんな名前じゃ将来息子が苦労する』とか言って途中で止めなかったのだろうか?


 ちなみに俺が生まれてから二年後に、待望の女の子が生まれた。


 俺は、血を分けた実の妹に『妹子』と呼ばれているわけである。


 『妹に妹と呼ばれるのウチの兄貴くらいだよね』などと中学二年の14歳の少女に半笑いの顔をして言われるわけで。


 その妹も『式部』なんて名前をつけられているので五十歩百歩なわけだが。


 この妹子という名前が世間にあたえるインパクトたるや相当なもので。


 俺の名前をはじめて知った人間はたいてい目を剥いて驚く。


 驚く程度ならまだいい。


 今でも思い出したくない小学校時代……。


 小学生の思考など単純なもので、『子』がつく名前はすべて女の名前だろうということで、ずいぶんと苦労した。


 ぶっちゃけ、いじめられました。


 体育の時間『お前女なんだから女子と一緒に着替えろよ』と言われたことはしょっちゅうで。


 生徒に言われるだけなら、まだいい。


 教師まで一緒になって俺の名前を馬鹿にするから始末に負えない。


 某ロボットアニメの主人公は女性みたいな名前のせいでコンプレックスを持ち、年長者に殴りかかっていたが、その気持ちは痛いほどわかる。


 しかし、現実はちがう。すこしくらい不愉快なことがあるからといって、すぐに人に殴るわけにはいかないのである。アニメじゃないのである。


 親に与えられた名前がどれほど子供の人生に与えるのか身をもって知ったわけである。


 中学時代も、小学校の暗黒の生活がさほど改善されなかった。



 高校に入るとかなり環境もよくなったしいじめもなくなったが、それでもやはり『妹子』という名前が俺の人生に重くのしかかっている現状は、タイガーマスクが虎の穴出身の悪役レスラーだったという過去をぬぐい去ることができないように、ずっと変わらないのである。

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