trois

 深見さんと賢一郎さんが戻ってきた。


 二人ともそれぞれ女執事と『男の娘』メイドの姿に着替えていた。


 深見さんは執事の服装は蝶ネクタイがかわいらしいピンク色なのである。


 愛想のいい執事さん。そんな感じだ。


 賢一郎さんは、俺の着ている服装と違っていた。

 アニメ色のつよい、いかにも『萌え~』なメイド服だった。

 筋肉マッチョな人がメイド服って……。

 細かい感想についてはここで言うのは差し控える。


 さて、二人が俺たちの姿を見ると、

「まあ、似合うわ! 妹子くん、素敵!!」

「自分、似合ってるな」

 じろじろと自分のメイド服姿を見られるのは恥辱の極み。

 恥ずかしいったらありゃしない。


 穴があったら入りたいとはまさにこういう気分だ。


 だが、一方で。

 俺の隣に立っていたのは、先ほどまでのさわやかサッカー少女ではない。


 完璧なまでに執事であった。


 なんというか少年漫画雑誌ではないのである。バイロン卿とかオスカー・ワイルドとか、そういった世界なのである。お耽美なのである。宝塚の男役なのである。


 一点の隙もない。

 そもそも目つきからして違う。


 美少年という言葉はこいつのためにあるんだな、と思った。

 もしも俺が女だったら100%惚れる。


 中身が『アレ』でなければな……。

 男の俺に下着つけて興奮するようなド変態女でなかったら……。


「すごい! 美馬ちゃん初日とは思えないわ! 完璧としか言い様がない執事ぶりだわ」


 深見さんはすっかり興奮していた。


「お褒めにあずかり光栄でございます」


 芦名美馬は恭しく一礼した。

 なんというか、完全に19世紀イギリスの世界観を漂わせているぜ……。

 人間、服を変えただけでこんなに人格が変わるものだろうか?

 賢一郎さんも自分の見ている光景が信じられない様子である。


「自分、プロの役者か声優か? そっち系を目指しているとかは?」

「まったくありません」

「しかし、完璧なコスプレやな。『役』になりきっとるわ」


 賢一郎さんは心の底から感心していた。


「じゃあ、さっそく職場に向かいましょう!」


 と、深見さんが元気のいい声で言った。


「今日は妹子くんと美馬ちゃんの大事な初日よ。こんなにかわいらしいメイドさんとカッコいい執事さんがもてなしてくれるんだもの。お客様もかならず満足してくださるに違いないわ!」


 ※


「ここが今日からあなたたちが働く『トリアノン・ヌーヴォー』よ」


 深見さんは扉を開けた。

 すると……。


 目の前に広がった光景はしみったれた21世紀の日本ではなかった。古き良き時代といわれた18世紀のロココ調時代っそのままだ。官能の世界、『ロココの女王』といわれたマリー・アントワネットの生きていた時代の雰囲気を忠実に再現していた。優雅で軽妙で憂いなどどこにもない。この空間には幸福という概念しか存在しない。


 たしかに素晴らしい部屋だった。喫茶店というレベルではない。こんな豪華な部屋で紅茶を飲んだら誰でも貴族気分が味わえる。


「どう? 驚いた? うちの社長は一切妥協しない方だから。コスプレ喫茶だからって装飾品に手は抜かないわよ」

「すごいや、こんな場所で働けるなんて……」


 美馬も自分がこの館の執事であることも忘れて、部屋の豪華な装飾に見入っていた。

 こういうところで紅茶でも飲んだら、世間の憂さも晴れるだろうさ。


「さて、妹子くん。今日のあなたの『役』は『館に入ってきたばかりで何もわからない男の娘』よ。賢一郎くんの言うとおりにすればいいから」


 ここまで来たらもう引き返せない。

 なるようになってしまえ、だ。

 メイド服で仕事など悪夢でしかないが、夢は夢。金のためだと思って割り切るしかない。


「妹子くん、今日からあなたの名前は蘇芳(すおう)よ」

「蘇芳……」

「そうだ。部屋、最後の仕上げをするから手伝って」


 そう言って深見さんが部屋を出ると、赤くて大きな布を抱えて戻ってきた。


「それは何ですか? カーテンとか」

「旗よ」

「旗、ですか?」

「画鋲だと壁を傷つけるから両面テープで貼っちゃうね。旗広げるから端を持ってくれる?」



 言われた通りにした。

 旗を見ると、ハーケンクロイツだった。



「妹子くん、どうしたの?」


 俺は旗を手から落としてしまっていた。


「どうした妹子。ちゃんと旗持っておけよ」


 美馬が怒ったように言う。


 いや、いやいやいやいや。


 いくら頭の悪い商業高校の学生でも、この旗がなにかくらいは判別できる。

 国家社会主義ドイツ労働者党。いわゆるナチス。


「深見さん」


 震える声で俺は訊ねた。


「何なんですか、この旗は」

「ナチスの旗だけど。知っているでしょ?」


 当然のように深見さんが答える。


「洒落にならないでしょうがっっっ!!! 深見さんひょっとしてナチスを信奉しているんですか!?」


「あたし、そんなに野蛮じゃないわよ」


「じゃあ、どうしてですか?」


「お客様の要望よ。安心して。危ない人たちじゃないから」


 壁に鉤十字の旗を貼るように要望する人間が安全なはずがない。

 俺は思いっきり疑いの眼差しを向ける。


 だが、深見さんは口笛を吹きながら手馴れた手つきで作業をする。両面テープで壁を貼り付けている間、

(俺、喫茶店のアルバイトに来たはずなんだよな……)

 自問自答を繰り返す。


 ナチスを崇拝するなど、ユダヤ人が見たらどう思うか。でも、よく考えたらユダヤ人が全予約制のメイド喫茶、しかも男女性別が逆転した喫茶店にやってくるほど暇だとは思えないなら大丈夫かな?

 いやいや、そんな次元の問題ではない。


 賢一郎さんはまだしも、美馬まで平然としている。


「美馬、お前は平気なの?」

「どうして? なにを妹子はビビってんの?」


 ……こいつはハーケンクロイツの旗のヤバさがわかっているのか。

 まさかナチスそのものを知らないというわけじゃないだろうが。

 俺たちは旗を壁に張り終えた。

 ロココ調の美しい世界は一瞬にして禍々しい退廃的な部屋へと変貌した。

 『ごちうさ』が『ヘルシング』に変わってしまったみたいな、そんな感じ。


「どうしたの、妹子くん。顔色が蒼白になっているけど」

「ええ、なんとか……。お客様、ここでお茶を飲むんですか?」

「そうよ。素晴らしいでしょう」

「そうですね。ルキノ・ヴィスコンティが泣いて喜ぶと思いますよ。じつに退廃的で美しい光景だと思います」

「やだ。そんなに褒めないでよ」


 皮肉で言っているんだっつうのっっっ!!!

 映画以外でこんなことやったらマジ○チ扱いされるっつうのっっっ!!!


「さて。そろそろお客様が来る頃ね。お出迎えしないと」

「この格好で外にでるんですか!?」

「男性のみんなは外に出なくてもいいのよ。外部の方に見られたらマズいでしょう?」

「それを聞いて安心しました。この格好ではさすがに……」

「一応、うちはその筋では有名な喫茶店やけど、さすがに男がメイド服でうろつき回るといわゆる良識的な方々が変な噂を立てるから」

「ははは……」

「以前、賢一郎くんが客寄せのためにその格好でビラ配ろうとしたんたけど、周りの目が怖いからさすがに止めたわ」


 俺は唖然として賢一郎さんを見た。

 当たり前やろ、と言わんばかりのドヤ顔である。

 即座に俺は賢一郎さんから視線をそらした。


「さて、お客様を迎えに行くわよ」


 俺たちは玄関ホールの前で立っていた。


「美馬ちゃんは私と一緒に外でお客様を出迎えるわよ。妹子くんは賢一郎くんと一緒にそこで立っていて」


 だが。

 深見さんたちが連れてきたお客というのが……。

 文字通り、ナチスの将校だった。

 人種はアーリア人種ではない。日本人だ。

 でも、たしかにナチスの軍服なのだ。

 黒い服。黒いネクタイをつけた褐色のシャツの上に黒いスーツだ。スーツの前ボタンは4つ付いており、ふた付きポケットが胸、腰に2つずつ計4つあり、腰ポケット2つは斜めになっている。

 その人物は小太りの柔和そうな男性だった。

 かつかつと、ブーツのが響きわたる。

 若かった。若いといっても、俺より年上だが、25歳以上ということはないと思う。



 そのナチス将校と目が合った。

 将校は俺に向かって敬礼した。

 俺は思わず両足と背筋をピンと伸ばして敬礼を返した。



「馬鹿、何をしとるんや」


 賢一郎さんは小声で俺を叱った。


「え? だって、敬礼したから俺もしないと……」

「俺たちはメイドや。軍人やないんやから、敬礼なんかしなくていいんや。黙って頭を下げていればいいんや」


 ナチス将校は怪訝な顔つきをしたが、すぐに何事もなかったかのように部屋へと向かって行った。


 その後もナチスの将校たちはやってきた。


 百鬼夜行のようであった。俺は誰とも目を合わせたくなかった。この軍国主義の亡霊みたいな連中の巣窟から一刻もはやく逃げ出したかった。



 さっさと終わってくれ……心の底から一心不乱に願っていると、執事姿の深見さんと美馬を引き連れてやってきたのは、マントを羽織って杖を手にした仰々しい格好の男だった。俺の記憶がたしかならナチスの大幹部へルマン・ゲーリングが似たような格好をしていたと思う。マントに白い手袋、杖を手にしている。第二次世界大戦でも始まるのかと錯覚するような格好を見た俺は眩暈を覚えた。



(とんでもないところにバイトに来ちまった……)

 ヘルマン・ゲーリング似のナチス将校は、俺の前で立ち止まった。


「見慣れぬ顔だな」


 ナメクジのような視線で、嘗め回すように俺を見ている。


「元帥。この者は蘇芳と申します。今日はじめてこの館に仕える者です」


 元帥は下品な笑みを浮かべた。

 次の瞬間、電光石火の勢いで左手が動いた。


「ふぐううううっっっつ!!」



 俺の肛門に中指が突っ込まれたのだ。

 稲妻のような衝撃が俺の脳天を突き抜ける。


「貴様、まだ菊の門が開発されていないのか」


 元帥はまさにゲシュタポの看守のごとき笑みをみせた。


「男の娘のくせに尻の穴が手付かずとはなっとらん。これは調教きょういくが必要かな」


 元帥は俺の尻に尽きたてた中指を、まるでシャネルの5番の匂いでも嗅ぐかのようにじっくりと嗅いだ。

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