six
見事なまでに調教されているお客が俺を助ける可能性はゼロだということは痛いほどわかった。
そりゃあ、この状況を見て俺がピンチに陥っているとは誰だって思わない。
声優四人に囲まれている。
(羨ましいシチュエーション……)
でも、俺にとっては絶望的な状況なのだ。
力ずくで逃げようにも、怪力の大食い声優がいるせいで脱出できない。
そもそも漫画喫茶に足を運んだことがある人はわかるだろう?
一部屋に余裕をもって入れる人数はせいぜい二人。
そんな狭い部屋に五人もいるのだ。座っている俺がちょっとでも動けばすぐに取り押さえられる。
「ひなたちゃん。声優やっていると、一般的な常識では考えられないような状況に出くわすわね」
片上愛は俺の手をしっかりと握りしめたまま、ひなたに向かって言う。
「そうね。男の娘を生け捕りにするなんてないよ。面白すぎるわ」
桂木ひなたは人気声優ならこんな不気味な笑みをうかべないだぞ……って突っ込みたくなるような凄みのある表情をうかべた。舌なめずりをして、
「あたしは愛に言われるまで気づかなかったわ。さすが変態の巣窟の『トリアノン』よね」
「お願いですから離してください」
俺は許しを請うが、
「駄目に決まっているじゃないの」
葛城ひなたは
「ライバル店に偵察に来てただで帰れると思っているの? こちらとしても心のこもったおもてなしをしてあげないとね……」
こんな狭い部屋で大声を出しているのだ。当然会話は筒抜けである。
だが、誰も助けに来ない。
むしろ俺たちの会話に聞き耳をたてているような気配すらある。
俺が叫べば叫ぶほどに桂木ひなたの笑顔は光り輝く。
「ヤバい、興奮するわ。男の娘が泣いているなんて声優の業界でもお目にかかれないわ。この『グランドマイティ』は客を舐め腐った商売しているんで、最初、事務所に言われたときはまったくやる気なかったのよ。でも、こんなに面白い事あるとは思わなかった。この仕事引き受けて本当に良かったわ」
こいつ、絶対に美馬やラインハルト本郷と同じくドSだ。
「あんたスカート穿いているけど、チンチンおっ立っているんじゃないの?」
「馬鹿にしないでください! 俺はそんな変態じゃありません!」
「性別偽って女装して店に遊びに来る男の娘の言うことじゃないッスね」
「そ、それは『トリアノン』の業務の一環として……」
「じゃあさ」
ジト目の深浦悠が俺の顔を覗き込むと、
「こんなことをしても平気でいられる?」
いきなり瀬川葉月の服を脱がせ始めたのである。
「え? 悠ちゃん。ちょっと止めて……」
もちろん葉月は抵抗するが、
「なるほど。それは面白そうだわ」
ひなたも一緒に葉月の服を脱がそうとする。
「いや、ちょっとやめて……」
あっという間の出来事だった。葉月の上着はバナナの皮のように剥がされてしまった。
上半身はブラジャーのみ。
声優のブラジャー姿など滅多に……いやいや絶対にお目にかかれるものではない。
しかもこんな美少女うちの学校には絶対にいないし。
「どうだい? 女子高生の新人声優のスケベな姿は劣情を催すんじゃないの?」
嫌がる葉月を無理やりに俺の隣に座らせる。
「葉月ちゃんはただの声優じゃないんだよ。偏差値65もあるお嬢様学校にかよう優等生なんだよ。そんなブラジャー一枚で立っているんだよ。興奮するでしょ?」
興奮する……と本当のことは言えない。
そんなことを言ったら俺の人間としての尊厳が終了するが、牡としての生存本能が反応しているのは哀しい事に事実なのである。
「さ、さ、もっとぴったりくっついて。肩と肩を寄せ合って」
そう言って、俺と瀬川葉月の肩をくっつける。瀬川葉月の顔はすぐ隣にある。恥ずかしさのあまり、顔を耳の付け根まで真っ赤にしている。
「もうちょっと離れた方がいいかしら? 葉月の身体が見れるように……おやおや、股間がいきり立っているんじゃないの?」
「そんなことないです……もう帰してください」
俺は立ち上がろうとするが、
「はぁ? あんた何を言っているの?」
桂木ひなたが俺の身体を押さえつける。女とは思えぬ怪力だ。俺は強引に座らされる。
「やっぱりね。あんた、そんな格好をしているって同級生の子に知られたら大変じゃないの?」
「それだけは止めてください……」
「さあて、どうしようか。くっくっくっ……」
熱いものがこみ上げてきた。
ヤバい。今の俺なら斉藤千和よりもうまく泣ける。
というか、演技じゃなくてマジ泣きなんですけどね……。
声優界腐っているよ……。ソドムの町のように爛れているよ……。この人たちだけが特別おかしいのかもしれないけど。
「ブラジャー姿の声優さんが隣に座っているとか嬉しいでしょう?」
「そ、そんなことないですよ!」
「いっそのことスカートも脱がす?」
「そんなことしないでください! 可哀相です!!」
「そう? でも、内心では嬉しいと思っているんでしょ?」
不意に。
深浦悠がいきなり俺の股間に手をあてた。
そんな馬鹿な真似美馬でもなければしないと思っていた。
ひえっ、と悲鳴が漏れる。
「ヤバいわよ、この子。葉月ちゃん見て興奮しているよ」
「マジで!? どうしようもない変態ね! 男の娘の服の下には獣の本性を隠しているのね! 本当にどうしようもない変態よね!」
桂木ひなたの嗜虐的性癖はまさに絶好調であった。
「ねえ、見て! 男の娘泣いちゃっているよ! 泣いているくせに股間をおっ立てているのね。こんな変態な男の娘を働かせているなんて、『トリアノン・ヌーヴォー』は変態の巣窟なのね!」
俺は罵倒に涙を堪えて耐えていた。
その時であった。
「お客さま、いけません。うちは予約制でして……」
店員の必死な声が聞こえてくる。
「妹子が帰ってないんで。呼び戻すだけだから」
美馬の声だった。
「予約が……」
店員が止めようとするも、美馬は耳を貸さない。
ガチャガチャと音がする。各部屋の部屋の扉を遠慮なしに開けているのだ。
そして俺の部屋の扉が開く。
すさまじい光景だろう。
漫画喫茶の狭い部屋に男が一人、女が四人。しかもその四人は全員声優でメイド服で、さらにそのうちの一人がブラジャー姿なのだ。
だが、美馬は仏像のように落ち着いた顔をしていた。
「妹子。帰ろう」
静かな口調で言った。
「こんな淫靡で汚らわしい場所にいては……。メイドさんってのは清純なものでなければいけないんだ。妹子はふさわしくない。こんな掃き溜めのゴミみたいな場所からさっさと去ろう」
「あ、ああ……」
言われるがままに俺は立ち上がった。
声優四人は目の前に起こっている事を理解できず、ただポカンと口をあけている。
そのまま去ろうと部屋を出たところで、
「止めてください!」
飛び出てきたのはブラジャー姿の瀬川葉月だった。
お客も、女の子がブラジャー一枚で部屋の外に出たものだから、お客の目も釘付けである。しかもそれが美少女声優の瀬川葉月なものだから、口をあけてあんぐりするのも無理もない。
「ちょ、ちょっと、葉月。あんたその格好……」
ひなたは慌てて上着を手に部屋を出る。
「いまお客様の接待中なんです。時間が終わるまでお待ちいただけませんか。もちろん、お客さんが私たちの接待に満足していただけないというのでしたら、お帰りいただいても結構ですが……」
瀬川葉月は潤んだ瞳で俺を見る。
嘘だろ、おい。
ブラジャー姿なのにもうすこしいてくれ、と言ってくれているのだ。
こんな絵に描いたような美少女が。
一瞬、心がゆるんだ。
だが、美馬は仏像のような顔のまま近づくと、なんと瀬川葉月の腹の肉をつまんだのだ。
「太っているよね」
女にとっての禁句である。
「ちょっと贅肉多いんじゃないの? デブだよね。声優って見られないからついついお肉が緩んじゃうのかな」
容赦がない。
声優とてグラビアとかやっている人もいるし、どちらかというと露出する仕事なのだが……などと言っている場合ではない。
瀬川葉月は涙目になっていた。
美馬は王者のように堂々とした足取りで『グランドマイティ』を出た。
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