二十六、夏の種を蒔いた

『また、笑ってる。絵哉って、空見ると笑うよね』

『前も言ってたっけ。自分ではよくわからないんだよな』

『わからなくていいんだよ。なんか、笑ってるみたいに見えて、僕が好きなだけなんだと思う。……君の目には青い空が映っているのかな、君は空を綺麗だって素直に思える人なんだろうなって思ったら、羨ましくてさ。だからあの絵は、目を青で塗ったんだ。絵の中の絵哉の目が、空そのものになればいいと思った。

 もう……燃えたんだね』

『そうだよ』

『あの絵は、結構真剣に描いたんだよ。ねえ、覚えてる? 僕、前に言ったよね。僕はさ、写実画描いてると、描いてるものの命を削り取ってる心地がするんだ。でもね、多分僕は、途中から……どんどん僕のどろどろの心に踏み込んでくる君が怖くてさ、でも離れていくのも怖くて、本気で、君を切り取ってしまおうと思ったんだ。花を根こそぎ摘み取るみたいに、草を引き千切るみたいに、君を根こそぎ摘み取ってしまいたくなった』

『もしかして、夏の草むしりのことを言ってる?』

『ああ、うん。そうかもしれない』

『なんだそれ』

『夏休みの間中、ずっと目の前が暗くて、どろどろしてたんだ。だから、これといったきっかけをよく覚えてない。でも、君をスケッチした時はね、それ以上踏み込んじゃいけないと思ってたんだよ。だからあのモノクロのスケッチを見ながら、想像で絵を描くつもりだった。色を乗せるつもりだった。なのに、なんでかな、絵哉の眩しい笑い顔見てたらさ、目の前が真緑になって、君を家に呼んでた。君を見ながら描きたいと思った』

『真緑、ねえ』

『あ、なんか馬鹿にしてるだろ。ほんとに目の前が緑っぽくなったんだよ』

『それ、ただの草色じゃね? お前、草むしりの間ずっと草をガン見してたじゃん』

『君ってほんとそういうのばっかだね』

『ありのままを言ってるだけだっつの』

『へへ』

『俺が空なら、梓だって空に笑ってるよ』

『……絵哉は、どこにも行かないよね』

『行かねえよ、多分。あと、お前のお母さんも簡単にいなくなったりしない。多分な。お前の絵が破れたり燃えたりしたくらいで、人がころころ死んでたまるかってんだよ』

『はは……絵哉は僕の心を読むのが上手いね。……絵が燃えたって聞いた時、僕の中の絵哉が神様に引き剥がされた気がした。僕がやってたことと同じだよね。僕、こんなに歪むくらいなら、絵なんてやめたほうがいいんじゃないかな。こんな、こんな、絵がぼろぼろになる度、胸がかき乱されてたんじゃ、どうしようもないよ』

『芸術家ってみんなそんなもんだろ。芥川龍之介とか太宰治だって、あとゴッホさんだって自殺してんじゃん。それだけ紙一重ってことだよ』

『でも、僕は狂ってるんだよ。絵哉は気味悪いとか思わないの』

『狂ってるなんて、本人が決めることで、他人がどうこう言うことじゃねえ』

『まともの定義なんて知らねえけど、お前が自分を狂ってるって思うならそうなんだろうよ。なら、俺はお前にとっての【まとも】で居続けてやるよ。【まとも】な俺がずっとお前の側にいたら、少しは楽だろ。絶対、裏切らないよ。誓ってやる。大体、俺だって似たりよったりだよ。お前は教室勝手に飛び出して出てって勝手に来なくなったからさあ、知らないだろうけどさあ。俺、ここで転んで、露草根こそぎ摘み取って、お前のバケツにばら撒いたんだぞ。気が違ってんだろ。お前がそれを見てくれなかったことにムカついて、手洗い場に水ごとぶちまけたりしてさあ』

『え……何のためにそれやったの』

『わかんねえ。ただ、なんとなくさ、小学生の時の自由研究思い出したんだよ。露草を水に漬けると青い絵の具みたいになるじゃん。だから、それをお前に見て欲しかったんだと思う』

『はは……もったいないことした。その色で目を塗ってやればよかった。そうだね、気が違ったみたいに花も買ってきたりしてさ、君も十分まともじゃないよね。僕のせいだと思うけど――』

『せい、とかじゃねえよ、むしろおかげだよ。お前と同じ、世界線に立ちたかったんだ。別に、嫌じゃねえよ』

『何、その言い回し。またゲームの何か?』

『そう』

『ははっ、あー、もう、ほんとになあ。それにそれ伝わんないよ。知ってるだろ? うちゲームは一つも買ってもらえてないの。親の方針で』

『あーあ……ほんと、僕と同じとこまで墜ちてきてどうすんの。君は普通の家庭の子供だろ』

『お前んちよりは貧乏だよ』

『ピアノも習えないしって?』

『そう』

『はは……僕はゲームとか漫画は買ってもらえないし、おあいこみたいなもんじゃん。そういうの、ないものねだりって言うんだよ。知らない?』

『……別に、嫌じゃねえもん』

『また笑ってる。ねえ、僕さ、今は君と話しててすごく楽だし、こうして笑っていられるよ。でもさ、心の中のこのどす黒い何かは、それでも少しも消えちゃいないわけ。ねえ、僕は、いつか君にもぶつけるかもしれないよ』

『もう、ぶつけやがったじゃんか』

『あんなの、欠片にもならない』

『いいよ』



『種、植えようぜ。これ、夏には枯れんだろ?』

『だから……どこに』

『この辺?』

『えー、勝手にいいのかな……大体、スコップも持ってきてないけど』

『いいじゃん、ばら撒いとけば』

『ちょ……、何やってんの……ああ、もう、なってないなあ。間隔狭すぎ。適当すぎ。そんなんで楽に花が咲くとか思わないでよ?』

『いいじゃん、咲けばもうけもん、ってとこだろ』

『梓は? 蒔かねえの?』

『僕は……花壇にちゃんと植える……ねえ、なんで勿忘草なの』

『夏には枯れんだろ』

『それ、さっきも言ってたね。それが、何?』

『この花は、俺達だ』

『え?』

『夏になる度、殺そうぜ。死んでしまおうぜ。それでまた、秋を迎えるんだ。俺にとっての夏は、この夏だけで十分だよ。大人達は俺達に何か言ってくるかもしれないな。でもさ、その度にやり過ごして、毎年やり過ごして、頑張ろうぜ。で、夏になる度思い出すんだ。俺達だって、子供なりに、傷ついてたんだって。この勿忘草は、その誓いだ』

『僕でも思いつかないような、変なこと……たまに言うよね、絵哉って』

『お前の友達には十分だろ?』

『うん』

『仮にお前が月の裏側に行っちゃって、暗闇で這いずり回って、道を踏み外して、みんなから後ろ指指されてもさ、必ず追いかけるよ。お前が道に迷ったら、俺が探しに行ってやる。それでもし一緒に迷っても、笑ってようぜ。……幸せに、なってやろうぜ』

『ははっ、はは……く、はは……いいよ。一緒に、道に迷おう。ね、高校生になったら、二人でバイトしようよ。それでお金貯めてさ、卒業したら旅行に行こう。僕さ、ルーマニアとか、モルドバ行ってみたいんだよね。絵哉も一緒に行こうよ。あ、それとも大学行きたいかな?』

『……っ、は? モルドバ? どこだよそれ』

『ルーマニアの隣の国』

『隣って言われてもな……そもそもルーマニアの位置も怪しいんだけど』

『ああ、絵哉、地理苦手だったね。あの辺にはね、壁画がすごく綺麗な、世界遺産登録されてる修道院とか教会がいくつもあるんだ。それを見てみたい。この目に焼き付けたいんだ。前に言ったろ? 僕ね、宗教画ってすごく好きなんだ。僕もああいう絵が描けるようになりたい。いつまでも残るような、燃えても簡単に消えないような、壁画を』

『そっか』

『一緒に見に行こう。それまでなら、僕はどれだけでも笑うよ。頑張って、生きる』

『はは、大袈裟だな。いいよ。行こうぜ。それで、行ったあとは今度はお前が壁画を描いてみろよ。楽しみにしてるから』








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