二十一、黒髪の少年は空に哭く(一)

 僕は須﨑家の一人息子として生まれた。

 母は元来子供好きで、僕のことを目に入れても構わないほどにかわいがってくれたという。母のお産は重く、出生後しばらくは僕も母も具合が悪くなってしまった。母は高熱を出し、僕は黄疸。初めて母が僕を抱き上げた時の僕の白目は尚も淡い黄色に染まっていたらしい。

 父は母に厳しい人だった。厳しいというと、普通の人はどんなことを想像するのだろうか――とにかく変な人だった。自分の感情を制御できず、どうでもいいことにばかり目が行く。母がミルクを作っている間、僕のことを頼まれていた父が僕から簡単に目をはなし、寝返りを打った僕がソファから床に落ち頭を打って泣いたという話は母から何度も何度も聞かされた。父はどうでもいいことですぐに逆上し、そこに人目があろうがなかろうが、昼間だろうが深夜だろうが、どこでも大声と汚い言葉で母を罵った。そして口癖が「離婚だ! 離婚しろ!」だった。それに対して母は気丈に言い返した。その大喧嘩はほぼ毎日のように繰り返され、いつまでも終わらないのだった。父がキレて自分の部屋に引っ込んでいる間、幼い僕はどうしたらよいのかわからないまま母の傍に黙って座っていた。そうすると母がしばらくしてぽつりぽつりと話し出すのである。どういうことで喧嘩になったのか。父がどう言って、母がどう返したのか、どちらが悪いと思う?

 幼いながら、僕はどの喧嘩も母は悪くないと思った。父親がおかしいのだと思った。それは殆ど確信にも近かった。七歳の時、母は大病でしばらく入院したことがあった。だから余計に、九歳ごろまで僕は母にべったりだったのである。

 十歳を過ぎた辺りで、不意に喧嘩のあと一人で部屋に籠る父親のことも気にかかるようになった。父は父で、めちゃくちゃながら言い分はあるのかもしれない。だから僕は母親の愚痴を聞いた後で、こっそり父の部屋にも顔を出した。父は幾分か穏やかな声で、喧嘩の経緯を説明する。父は狡いもので、そこで「僕も悪かったんだけど」と言った添え言葉も忘れないのだった。自分はあまり悪くない――そう、僕に思われたいのだ。ありのままを赤裸々に話す母と、僕に悪く思われたくなくて少し事実を曲解して語る父の言葉。僕は父を不憫に思った。父は友達が少ない人だった。兄弟からも疎まれている人だった。理解力が無く、妙に頑固でプライドが高い。だから僕や母の「こういう時はこういう風に言えば角が立たないんだよ」なんてアドバイスも絶対に聞かない。そうして孤立している父を、僕は哀れに思った。その時点で、僕は父に対して情がわきこそすれ、諦めてしまったのだと思う。この人にはもうつける薬もないと、僕は父親を見下したのだ。

 だからこそ、僕の反抗期のターゲットは母になってしまった。普通息子は父親に反抗することが多いと同級生からは聞いていた。けれど僕は、父に反抗する気にはならなかった。父が逆上すると暴力をふるって恐ろしいことを知っていたこともあるだろう。僕は臆病者だった。父は、母には暴力を振るっても、実の子供には手出しができないような人間だったのだけれど。

 母との楽しい思い出も、父との楽しい思い出も、僕はちゃんと抱えて育った。思い出そうとすればいくらでも出てくるのだ。いつも母が温かいお弁当を持ってきてくれたこと。一緒に笑いあったこと。誕生日にケーキもプレゼントもちゃんと用意してくれたこと。父が僕を足の上に乗せて、恐竜ごっこをしてくれたこと。寝枕に即興で物語を作って聞かせてくれたこと。三人でテレビから流れる歌に合わせて歌ったこと。ピアノを習わせてもらったこと。けれどどうしたことだろう。中学生になって突然、僕は自分が不幸だと思い始めた。

 目の前が真っ暗になる。重たいギロチンが振り落とされ、自分の首が取れる夢を何度も見た。夢の中の僕の身体は、首から血を流しながら母の悩みを聞き、父の母に対する不満を聞き、頭のない首をうんうんを大きく動かしながら背中を丸めて膝に手を添えて椅子に座っていた。それを、暗い冷たい床に転がった僕の頭は冷ややかに眺めていた。そんな夢を何度も見ているうちに僕は発狂しそうになった。夢と現実の区別がつかない。そう、これは比喩だ。中学生になって、ある日突然、僕は死にたいと強く感じるようになったのだ。自分を傷つけたくてたまらない。けれど痛い思いは嫌だった。身体を自傷するのは怖くて、僕はまず、自分が小学生の頃から描きためてきた絵を破り捨てたのである。それも、突発的に。母の目の前で。

 きっかけはなんのことはない。それはいつも通りの光景だった。夕方帰宅したら、ビルの二階から上がってきた父が母と言い合いをしていた(僕達は祖父の建てたビルの三階に住まい、二階では父が事務所を開いて生計を立てていたのである)。僕は手を洗って椅子に座り、テーブルの上のお菓子を食べながら、その喧騒が父親の癇癪――ドアを壊れそうなほど音を立てて閉めることで終わるまで、二人の姿をぼんやり眺めていた。その後いつも通り母が、こちらから聞いてもいないのに一体何があってけんかになっていたのか説明をした。いつも通りの下らない理由だ。たとえ喧嘩をしていても必ず「おかえり」を言ってくれる母が、その日だけはむすっと顔をしかめたまま僕に「おかえり」と言ってくれなかった。ただそれだけのことだった。それだけのことで、僕は声には出せずとも気が狂いそうになった。腹の虫がおさまらなかった。そのまま足音を忍ばせて子供部屋へ向かった。僕は父のように、腹が立っているからと言ってものに当たりどすどすと音を立てて歩くような下品な真似はしたくなかった。母が最近、食器を洗いながら父のように悪態をつくようになっていることが悲しかった。僕はドアを開けて、静かに閉めた後、何のためらいもなく画用紙を収めた黒いプラスチックのケースを開き、そこから今までに学校で描いてきた自分の拙い絵を吟味した。この絵はまだ破りたくない、この絵はもういいや、どうでもいいや、そんな仕分けをして、僕はためらいなくびりびりと僕の絵を引き裂いたのである。「おやつ食べる?」と言いに来た母がその僕の後姿を見た。当然母は「何やっているの!」と金切声をあげて、僕を叱った。冷静になれば、それは叱っているのではなく、悲しんでいたのだと、僕は母に対してひどいことをしたのだとわかったのだろうけれど、僕はその時初めて母に暴言を吐いた。うるせえ、だまれ、と。

 簡単でちんけなみすぼらしい話だ。僕は単純に、そんな僕の愚行をよりによって母に見とがめられたことが、気恥ずかしかっただけだった。そのはずだった。けれどその日から、僕の暴言は止まらなくなった。自分の体の中に、毒々しい何かが蠢いている。それが、ちょっとした母の一言で溢れ出す。勢いよく。弾けて、唾をまき散らかす様に汚らしく。それでも夫婦げんかは止まらなかった。母はいよいよ家庭内で孤独になっていく。敵が僕と父の二人もいるのだ。僕は二人の喧嘩に割り込んで怒鳴った。

 親の喧嘩に子供が口を挟むな、と父親が言った。子供が親に何をえらそうなことを、と母が言った。僕は絶望した。僕が今まであなた達の愚痴を聞いていたのはなんだったのかと、目頭が急に痛く、熱くなった。子供だったら何? 僕は、子供だから当たり前のことも意見しちゃだめで、子供だから黙って聞きたくもない話を聞いて、いたくもない空気の中でじっとしていなければならないの?

 僕はそこで初めて、僕は二人の愚痴を聞くことが本当は嫌だったのだということを自覚したのである。その日から、僕にとっては二人が僕の敵になった。両親共に敵。不思議なもので、僕の反抗が母にも父にもおよび――といってもやはり母に対する反抗の方が程度が酷かったのだけれど――、孤立するにつれ、母と父は団結を見せたのである。夜中、僕が寝室に籠った途端、僕が今日こんな反抗をしたあんなことを言ったと父親に剣呑な声でいちいち報告する母、それを聞きながら僕を「駄目な人間だ」と評し嘆息する父。そのひそひそ声を、聞いていた僕の気持ちが誰かにわかるだろうか。そのひそひそ声を、無視して眠ることもできず、傷つくとわかっていて聞かずにはいられなかった僕の気持ちなんて、わかってもらえるものなんだろうか。

 よかったね、と僕は思っていた。僕のおかげで仲良くなれたじゃない、と。僕の反抗が激化してからというもの、反比例するように夫婦げんかは激減した。母の敵はようやくただ一人になった。僕は母の見ていないところで残りの絵も全て破り捨てた。その頃から母は、僕がピアノの練習をする度「心が綺麗じゃないと綺麗な音が出ないんだから、素直でありなさい」と諭すようになった。それが本当かそうでないかはどうでもいいのだ。僕もそれを真実だと思ったのだから。だって世の中のピアニストの、写真を見てみるがいい。あんな穏やかな顔をして、優しい顔をして、ピアノを好きだという気持ち一杯に弾いているじゃないか。今の僕の中身はどす黒だ。溝みたいなものだ。それなのに彼らと同じ綺麗な音が出せてたまるか――そう思った。同時に、ピアノを弾いていると心が安らぐのも事実で。言うほど僕はまだ濁っていないと、まだ綺麗な音を出せていると、僕は自分で自分に言い聞かせた。まだそこまで、堕ちちゃいないよって。だってこの僕の反抗、当然じゃないか、僕が何が悪かったというんだ、なんて。

 どうして僕はいつの間に、悪者になっているんだろう――

 僕は自分の絵や、過去の日記を破り続けた。破り続けながら、どうして僕はこんなことをしているんだろうと思い始めた。そうしてふと思い出したのだ。幼い頃、うんと幼く、まだ幼稚園に通っていたかも定かではない頃、母があまりに聞き分けのない僕を罰するため、僕の描いた絵を破り、そうして悲しいと言って泣いたこと。

 あの時の僕は、母が泣く理由がわからなかった。時を経るごとに、どうして母にそこまでさせたのかすら分からなくなった。母はよく、僕に父親のような悪癖があると言った。父親のような性質を持ってはいけないと。反抗期に入ってからは、父親とそっくりだと言われた。僕は心外だと思った。僕は、父と似ている自分が嫌いだったのだろう。絵を破く度、僕の心に深くとげが刺さった。僕は存外馬鹿な人間で、母が僕の絵を破ってつらいと泣いたから、自分も同じことをしたのである。きっかけなんてどうでもいい。自分の描いた絵を破いたら、愛する人の絵を破ったら、どれだけ自分が苦しいか知りたかったのだ。事実それは僕を過呼吸にさせるほどに苦しかった。そして僕は、その痛みをいつしか快感に思い始めていた。

 そして同時に、僕はこのこじれた家族との関係を、どうやって修復すればいいのか、途方に暮れていた。

 そんな時だった。絵哉かいやが僕に光り輝く青い空を見せてくれたのは。

 絵哉は、僕の希望だった。赤司絵哉――僕はこの親友を、生涯忘れることができないのである。……忘れることが、捨て去ることが、できなかったのだ。


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