二十、【第一部】

 須*梓の絵画の歴史は三つの時代に区分することが出来よう。第一期は幼少期から中学二年生まで、第二期は彼の名を全国に轟かせた幻の作品『赤髪の少年』を描いてからルーマニアへ留学するまで、そして第三期はルーマニア在留期間にあたる。以後は、それぞれの時代に従って彼の作品を解説していく。


     ✝


 第一期


 この時代の須*の作品は、そのほとんどが失われている。残存しているのは彼の父が保管していたものと、コンクールで賞を得、母校で保管されていたもののみである。


『無題』

 須*の三歳・四歳時の作品群である。当時放映開始したアニメ『******』の主人公を描いたものであり、独特な色彩の才はこの頃より片鱗をのぞかせている。同年、母親により破られている。(画材:クレヨン)


『おとうととぼく』

 須*五歳・六歳時の作品群である。須*に兄弟はいなかったため、これは空想の弟を設定し描かれたものであると考えられる。一連の作品群にはストーリー性があり、途中から弟が兄である須*を真っ黒なクレヨンで塗りつぶし、一人っ子になり替わると思わせる描写があるが、その絵のみ須*自らの手で破られ捨てられている。以降の絵では黒髪の子供が一人しか存在しなくなるが、それが須*本人の模写であるのか空想上の弟なのか、我々には判別がつかない。転居時に紛失していたが、彼の死後父親が見つけ出した。(画材:クレヨン、色鉛筆)


『おうごんのくにのおうさま』

 幼稚園にて描かれた。当時読んでいた絵本に触発され描かれた空想の西洋風の王である。王の全身は金で纏われており、母親にも出来を褒められ須*自身も気に入っていた。転居時に紛失し、須*は以降もこの絵のことを心残りとしていた。(画材:クレヨン)


『おかあさん』

 後に須*自身の手で全て破り捨てられている。須*七歳時の作品群である。一連の作品で、須*の画力は目覚ましい成長を見せている。特に最後に描かれた作品は現役美大生の画力にも及ぶであろう。この時期、須*の母が手術のため入院し、数か月家を空けていたということである。(画材:鉛筆、色鉛筆、クレパス)


『海のなかの人魚』

 須*八歳時の絵である。『第**回全国児童*コンクール』にて文部**賞を受賞。海を青で表現している子供たちが多い中、須*の表現は赤と紫、灰色を主に用いることで青い海を錯覚視させるものであった。特に印象的なのは、須*はこの絵に一つも青を用いていないこと、そして人魚の鱗に用いられた金色と緑が波の陰影を表現しているように見える点である。これらの錯覚的表現法はこの頃から須*の中で培われ、『赤髪の少年』へとつながったと考えられる(画材:水彩絵具)


『さようならぼくの家』

 須*九歳時の絵である。『第**回こども**コンクール』にて****美術館賞を受賞。翌年の一月、須*は家族で転居した。竹が紫で、蛇が赤で、家が金で、蜂が緑で、ヤモリがピンクで、といったようにそれぞれ違う色を用いて表現されているが、遠目で見ると夜明けの竹藪の中にひっそりと佇む木造家屋が認められる。須*はこの絵を描く際、祖母の編んでいた編み物を参考にしたと後に語っている。メインの色遣いの中に、補色を緻密に編みこんだような筆致である。この絵は当時須*が通っていた小学校にて現在も展示されている。(画材:クレパス、水彩絵具、クレヨン、サインペン)


『ユリ』

 須*十歳時の作品。この頃の須*は家の花壇に植えられた花を描くことに夢中であった様子であり、全て鉛筆やボールペンで描かれている。学校に提出する作品も色一色のものばかりであり、コンクール提出の対象とはならなかった。ここから十二歳まで、須*は多彩色を用いることをやめている。同級生や当時の担任からの「絵は普通の色で描きましょうね」という言葉が子供心ながらに堪えていた様子である。「どれも同じ色に見えるんだ」と泣いていたことを、当時の友人が気味悪がっている。

 ただし、青一色で描かれたこの作品は、当時の小学校の校長より気に入られ、今も校長室に飾られている。他の絵は後に鉛筆画は須*自身の手によって消しゴムで消され、ボールペン画は全てごみに捨てられた。母親が後にゴミ袋から取り出し、自分の机の中に入れていた。この頃より、須*は友達ができないと悩むことが多くなり、同時に母親から叱られることが多くなったという。(画材:青色ボールペン)


『服』

 須*十一歳時の作品。洗濯前の皺の寄った父親の仕事着をスケッチしたものである。空間の使い方は空想的であり、洗濯物の押し込まれた籠の中に、疲れた透明人間が服を着たまま押し込められているようにも見える。須*がこの絵を描いた同時期、従兄への手紙に「お父さんがお母さんをなぐるんだけど、ぼくはどうしていたらいいの」という言葉が記されていた。不幸なことに、従兄がそれを自身の母親に伝え、そこから須*の母親にも話が伝わり、「家の事情を他人に軽々しく話すな」と泣かれている。この絵における筆致は粗く、担任の先生には褒められ教室の後ろに飾られていたが、終業式の折、須*はこの絵を持ち帰らず、絵はそのまま誰かの手によって処分された。(画材:鉛筆)


『魚、海へ帰る』

 須*十二歳時の作品。須*が久しぶりに多色で描いた透明水彩画であり、身をさばかれたり、塩焼きや煮つけにされた魚達が活き活きと描かれている。背景の海はアサリやシジミ、サザエなどの実際の貝殻を破片にし貼り絵にすることで表現されている。この絵を完成させる際、父親と一緒に貝殻を砕き、糊で貼ったということが当時の須*の日記(担任の教師への連絡帳)に楽しそうに綴られている。

 実はこのタイトルの絵は二つ現存し、先の説明はその一つ目の作品である。二つ目は、「調理済みの魚の表現がリアルすぎて残酷性が感じられる」という先生の言葉をきっかけとして、表現をソフトに描き直されたものである。またその際、『第**回海の*コンクール』に提出するために、貝殻の海を全て水彩絵の具で描き直している。結果的に、それが元々貝殻であったことは伝わりにくくなったが、光の瞬きと海の透明感、魚達の躍動感が表現された一枚絵として生まれ変わり、同コンクールで文部**賞を受賞した。一枚目は父親が保管し、二枚目は学校から返却されないまま行方知れずとなっている。(画材:透明水彩絵具、貝殻、サインペン)


『花瓶と月』

 中学校に入学、美術部に入部した折の、最初の作品である。須*はここで初めて抽象画の描き方を学んだ。月のクレーターが花瓶の底で、月の輪郭が歪曲した花瓶の側面から覗く花の茎で、月光が花弁で表現されている。須*本人はこの絵を気に入っており、学校の廊下にも三年間飾られたが、両親からは「見てもよくわからない」と言われた。以来、須*は積極的に抽象画を描かなくなり、学校の授業で描いても家に持ち帰らなかった。卒業後、それらの絵は美術部の後輩に渡された。(画材:不透明水彩絵具)


『夏の稲』

 中学一年時の夏休みの課題で描いた絵である。須*の母親の実家へ向かう途中、電車から見える水田をスケッチしたものである。須*には珍しく写実的に描かれたものであり、同級生や家族からの評価は高かったが、各コンクールには入賞止まりであった。ここで一旦、須*はデッサンに集中し、課題以外で色を用いた絵を描かなくなった。同時期、須*はとあるピアノのコンクールで優秀賞を取り、しばらく絵よりもピアノに集中していたようである。(画材:透明水彩絵具)


『鍵盤と雨傘』

 中学一年生の冬、学校の課題で描いた抽象画である。ピアノの鍵盤で楽譜を、雨傘の骨で黒鍵を、雨の雫で白鍵を表現しており、色遣いはそれまでと異なり、ポップさを感じさせるパステル調であった。この頃の須*はよく笑っていたという。またこの絵は同級生の女子に気に入られ、須*の手から直接その子に譲られたが、須*本人はその女子が誰だったかもよく覚えておらず、その子ともそれ以来気恥ずかしいまま話さなくなったという。(画材:不透明水彩絵具)


『始業式の日』

 中学二年生の春に描かれたものである。表現はソフトであるものの、少しずつ以前の独特さを取り戻している。誰もいない教室の風景と、黒板に射す日の光、カーテンと窓の透明感、薄青の空の表現が瑞々しい。机や椅子の僅かな配置の歪み、そこにあるはずのない薄墨色の人影が、そこにまるで透明な生徒たちが生きているかのように思わせる。窓の傍には真っ黒な花弁を湛えた鉢花が一つ置かれており、黒板に射す光の筋に沿ってその花弁が舞っている。色遣いは淡く美しく、一見すると希望に満ち溢れた絵だが、黒板と黒い花には一抹の不安を感じさせられる。(画材:透明水彩絵具)


『葉桜』

 同じく中学二年生の一学期に描かれた、須*初の油絵である。写実的に描くことに心を配ったようであり、油絵ながらまるで写真のような美しさを感じさせる、中学校の校門を描いた風景画である。桜の幹に不自然なほどに真っ直ぐに引かれた黒い線が、絵画全体に儚さをもたらしていたが、後にコンクールに提出する際、その黒い線は削り取られた。同作品は『第**回全国小中学校****絵画コンクール』にて文部**賞を受賞した。当時の同級生Aに、「黒い線があった方が好きだった」と言われており、それがきっかけで須*はAと一層親しくなった。(画材:油絵具)


『赤髪の少年』

 須*はタイトルを『黒髪の少年』とするか最後まで迷っていたという。須*梓という一人の画家を孵化させた傑作である。中学二年生時に、地元の美術館の展覧会に出展された。遺作『誰か』を除き、須*がまともに描いた最後の人物画であり、先述した友人Aを描いた作品である。幼少期からの須*の表現法が全て如何なく発揮されている。生粋の日本人の髪を赤く、目を青く、空を赤く、大地を紫で描いていながら、写真や映像に残されたそれは確かに青空の下、緑の大地で笑う黒髪黒目の少年の姿なのである。驚くべきは、これが透明水彩絵の具のみで表現されているということである。水彩絵の具の塗り重ねによる画用紙の歪みまでもがこの作品を写実化させる重要なピースとなっており、須*自身も紙の歪みまで計算した上で描いたとテレビの取材にて語っている。不幸なことに、同作品は美術館の焼失と共にこの世から消え去った。また数奇なことに、友人Aもその後事故死している。この作品を境に、須*の表現法はがらりと変化する。(画材:透明水彩絵具)


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