おまけ

「正人! 正人! いる⁉」


 扉を壊しそうな勢いでマミはリビングに駆け込んだ。


「こら、走るなって」


 ソファーの中に沈み込むように座って新聞を読んでいた正人が窘める声も全く耳に入らない様子。


「聞いて、聞いて。入選! 入選したの、私の小説!」

「へぇ、そりゃすごい。…………例のあれ、か?」


 正人は片眉をあげて身を起こした。


「うん、そう。あの時のことを書いたやつ!」


 マミのはじけんばかりの笑みを見て、正人も顔を綻ばせるといつものようにマミの頭をぽんぽんっと軽く叩いて、それからくしゃっと髪を搔きまわした。


「良かったな」

「うんっ。…………何よ、この手」

「読ませてくれるんだろ?」

「…………正人に読ませるのはちょっと恥ずかしい気がする…………」

「なんで? …………ははん、俺のこと褒めまくってるとか?」


 からかうような眼つきでマミの顔を伺う。


「褒めたりなんかしてないよ~だ」


 マミはちろっと舌を出して応戦する。


「ん~、でもやっぱり正人に一番に読んでほしいかな。…………真由美が、あの子がいたらあの子に先に読ませたかったかもしれないけど」

「ふ~ん、俺はあいつの次ってわけか」


 正人がその年に似合わず拗ねたような声を出す。


「そっ。正人は二番手」


 そんな正人の様子を見てマミは、自分の方が三つも年下なのに可愛くって仕方がないって感じで笑いながら、小説の掲載されている雑誌を手渡す。


「一人称だから、私の勝手な思い込みもあるかもしれないけどね。あくまでも私の目から見て書いたんだから」

「オッケー。…………マミ、コーヒー淹れてくれ」


 そう言って正人は雑誌のページをパラパラとめくった。

 コーヒーを正人の前に置くと、マミはソファーにころんと横になり正人の膝に頭を乗せる。そうして正人が読んでいる下でくつろいで庭に目をやった。

 露を含んだ紫陽花が陽射しを浴びてきらめいている。

 正人は読みながらマミの髪を梳くように頭を撫ぜ、マミはそっと目を閉じた。


 そのままうつらうつらしていたマミは、ぱさっと正人が雑誌をローテーブルに置く音で目を覚ました。


「…………なかなかよく書けてるんじゃないか?」

「ふふっ。そうでしょう?」

「それにしても、何年も前のこと、よくこんなに詳細に覚えてるな」

「こっちに戻って来てすぐのころから、ちょこちょこメモを書き溜めてたの」

「最近書き始めたんじゃなかったのか?」

「本格的に書き始めたのは去年の今頃からだよ。書き溜めてたっていうのは、思いつくまま記憶に残ってたことを書きなぐってただけだから。でも、そういうのがあるのとないのとじゃ、全然違うの。連鎖的にいろんなことを思い出すから」

「そういうもんかな」

「そういうものよ」


 よっこらしょと重い身体を起こしてまた庭の紫陽花を眺める。

 

「梅雨になって紫陽花が咲くとね、あの家を思い出すの」


「残しておきたかったのよね。何か、形にして」

 正人がいつだったか言ったように、別の地図の上のできごとなんだもの。もう二度と会うことのできない人たちのことだから、残しておきたかったの」

「紫陽花では繋がってるけどな」


 正人が庭の紫陽花を顎でしゃくる。


「紫陽花の花言葉が絆っていうの、なんとなくわかる気がするね」

「ふうん?」

「だって小花がたくさん寄り集まっているでしょう?」


 がちゃがちゃっと玄関の方から鍵を開ける音。


「お、誰か帰ってきたみたいだな」

「そうだね、あの鍵の開け方は…………」


 ドアの方へ行きかけて正人を振り返り、雑誌を指さす。


「それは、実名をつかった”フィクション”だからね」

「誰でもそう思うだろ。ふつう信じないよ。こんな話」

「…………そうだね」


 マミはくすりと笑うとドアを開け、直接二階へ上がっていこうとしているに声をかけた。


「おかえり。コーヒー、飲むでしょう?」


 地図は違っても縁はどこかでつながっているのかもしれない。

 加奈には、二度と会えないけれど……。

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地図の上の旅人 楠秋生 @yunikon

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