花咲公園

「マミ、キャッチボールできるか?」

 

 洗濯物を干し終わってリビングに戻ると、午前が休講になったという正人さんが唐突に言った。


「キャッチボールかぁ。久しくやってないけどできるかな」


 小学校の頃はよくやったけど。


「やったことあるなら大丈夫だろ。ちょっとつきあってくれ」


 家を出ると正人さんはパシッパシッと左手にはめたグローブにボールを投げ込みながら歩く。私もグローブを片手にボールの動きを目で追いながら隣に並んで歩いていくと、正人さんは公園があるのと反対側へ曲がる。


「花咲公園に行くんじゃないの?」


 この辺りでキャッチボールができるような大きな公園ってあそこしかないんじゃないのかな。


「あそこは危ないだろ?」

「どうして危ないの?」

「どうしてって…………」


 手を止めて訝し気に視線をよこす。


「ああ、そうか。お前の所とここは違うんだったな。…………そんなことも違うのか」


 納得したように言い、説明してくれた。


「二年前、あの公園で一つの事件が起こったんだ」


 正人さん、ここで一旦言葉を切り、ちょっと考え込んで。


「事件って言っても、はっきりしたことは何もわかってないんだよな」

「未解決事件ってこと?」

「いや、そうじゃなくて。なんて言ったらいいのかな。わけが分からない事件なんだ。ある晩あそこで殺人事件が起こった。殺されたのは三十七人」

「…………大量殺人ね。無差別発砲でもあったの? 日本でもそんなことがあるんだ?」

「違うよ。それじゃ別にわけがわからないってことはないだろ。…………そうじゃなくて、殺した人間の数も三十七人だったんだ」

「どういうこと?」

「つまり、殺人事件が同時にあの公園内で三十七件あったってことなんだ」

「誰かが指揮を執ってたの?」


 小さく首を振る。


「それが全く別の事件なんだ」


 …………嘘みたいな話。


「動機はそれぞればらばらで、すべて計画なしの衝動的な殺人だったらしい。ほとんどがカップルで、数件は通り抜けしようとしている友人同士だったり、同僚だったりしたみたいだ」


 そんな偶然ってあるんだろうか。なんだかそんな話を聞くと、私のこの間からの事故もただの偶然のように思えてくる。


「だけどそれだけじゃないんだ」


 正人さんは更に言葉を続けようとする。……これ以上何があるっていうんだろう。


「その晩あの公園にいたのは、その三十七組だけじゃなくてもっとたくさんの人がいたんだ」


 あの公園ならそうだろう。夜は通るのがはばかられるほどいつもカップルだらけだもの。


「その残りの人たちのうち、半数以上が…………消えちまったらしいんだ」

「消えた? 人間が?」

「そう、突然ふっと。カップルの片割れだけが消えてしまったり、二人そろって消えてしまったり。最終的に人数は百名前後って発表されてた。正確にはわからないらしい。消えるのを見てる人がいた人はわかるけど、二人そろって消えた人たちや一人で歩いていた人なんかは、誰にもわからないから。ただ、当日から行方不明になった人はきっとそうなんだろうと推測されただけ」

「その消えた人たちって、その後見つかったの?」

「いや、警察の発表では一人も見つからなかったらしい。その上、残った五十三人は全員精神病院に入れられたそうだ」

「精神病院ってどうして?」

「…………目の前で凄惨な殺人見てしまったり、人が消えるところを目撃したりしたらどう思う? 自分の目の前で彼氏や彼女がふっと消えて見ろ、驚くだけじゃすまないだろ? それに保護された後、公園外に連れ出されるときにはそこらに転がっている死体もたくさん見ただろうし」


 それ……は狂いたくもなるかも。


「事件直後はまともな人もいたらしいんだけど、時がたつにつれてノイローゼ気味になって、最終的には正常な人間はいなくなった」


 ……なんとも凄絶な事件……。


「それであの公園には誰も近寄ろうとしないのね」

「そう、その上…………」


 え、……まだ何かあるの?


「当日駆けつけた警官は大丈夫だったんだけど、次の日現場検証に行った警察官も数人消えたんだ。その後、役所が公園を閉鎖して別のことに使おうとしたときにも工事関係者が数人消えて、結局工事はできなかった」


 確かにその後にもそんなことがあったんじゃ、誰も入ろうと思わないわね。


「それであの公園に誰もいなかったのね」


 思いだす。あれは私がここへ来た日。飛び出した仔猫をよけてすっころんだ、あの時の不気味なほど静かな公園。あれは、その事件のせいなのか。


「あの公園に入ったのか?」


 正人さんはかなり驚いた様子で大声を出した。


「うん、だって知らなかったから」

「もう近づくなよ」

「わかった」


 そんな話を聞いて近寄りたいとは思わないよ。


 土手を上り河川敷に下りていくと正人さんが振り返り、ぽいっとボールを放って寄こした。軽く投げ返す。


「正人さん、野球部だったの?」

「ああ。小学校から高校までずっと野球ばっかりやってた」


 少しずつ距離を伸ばしていく。


「お、なかなかうまいな。コントロールもいいし」

「バカにしないでよね。スポーツは得意なんだから」


 少しきつめのボールを胸元に投げ込むと、パシッとうけとりながらにやっと嗤って言う。


「スポーツは、ね」


 うわ、なんかイヤな言い方。


「どうせお勉強はイマイチですよ~だ」

「イマイチなんだ?」


 う、墓穴……。


 悔しいから思いっきり投げてやる。でもさすがは元野球部。簡単にキャッチする。


「お~、いい球投げるな~。遠投は? どれくらいいける?」


 ってさらに離れていく。距離が離れるにつれ会話は減り、黙ってキャッチボールを続ける。何分ぐらいしたんだろう、身体がしっかり温まって、どちらからともなくまた距離を縮めていった。


「ポジションはどこだったの?」


 並んで土手に腰をおろすときいてみた。


「ショートだよ。それなりにわかるのか?」

「失礼ね。これでも小学校のときは近所の子たちと野球やサッカーやってたんだから」

「そうか。杏花も加奈も野球音痴だから、女の子ってそんなもんかと思ってた」

「真由美はわかるんでしょう?」

「あいつはいつも俺についてきてたから。お前んとこには俺、いないんだろ?」

「正人さんがいなくても、私自身がガキ大将みたいな感じだったからね。私が幼馴染みの幸也を連れて行ってた方だよ」

「幼馴染み? 幸也が?」


 意想外のことを聞かされた風に目を丸くする。


「ふ~ん、俺じゃなくて幸也が幼馴染か…………」


 …………あれ? なんだか機嫌悪くなってる?

 

 ふと昨夜の杏花さんたちの『やきもちやくんじゃない?』という言葉を思い出す。

 まさか、ね。

 そうよ、そんなこと考えるなんて図々しすぎるよ。

 でも……自分の思いつきにドキドキしてくる。ちら、と正人さんの方を窺うと、ばっちり目が合ってしまう。


 うわ~。なにこれ。急に心臓がバクバクいいだしたよ~。


 顔が熱くなってくるのがわかる。私はぶるんっと頭を振って、おかしな考えを吹き飛ばし、話を野球にもどした。

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