未遂

 買い物の間中、杏花さんはそのことに関して何も言わなかった。

 いつもより少しはしゃいでいる姿は艶やかさを増して、まるで花が咲いているようだ。

 それにしても杏花さんの演技力はすごいと思う。着物を着ているときは普段と雰囲気がまるで違うのだ。

 普段の杏花さんは可愛らしいミニ薔薇のイメージ。だけど着物を着ると、凛として少し可憐なトルコキキョウのイメージになる。

 ご機嫌な様子で服をいろいろ選んでいた杏花さんが、あちこちの店をまわったあげくに買ったのは、私の服だった。


「ごめんね。マミちゃん」


 店を出るときお礼を言った私に杏花さんは神妙な顔で言った。さっきまでのはしゃいだ様子はどこにもない。


「その…………焚きつけちゃって、そのあげくに…………」


 ああ、私の気持ち、やっぱりばれちゃってたのか。


「杏花さんのせいじゃないよ」


 彼女の優しさが嬉しくて、するっと彼女の腕に手を絡めると肩にこつんとおでこをあてて言った。

 店の前のベンチで長い長い女二人の買い物をずっと待っていた一馬さんは、そんな私たちのそばにくるとのほほんと言った。


「これで終わりか?」


 なんだか力が抜けた私たちは思わず顔を見合わせて笑ってしまった。





 突然の事故は、駅のホームで起こった。


 とん。


 ほんとにそんな感じだった。ぶつかったわけじゃなく、故意に誰かが私の背中を押したのだ。プラットホームの一番前に立っていた私の背中を。

 そして、私はその手の主の思惑通り線路の方へとバランスを崩してしまう。

 ちょうどそこへ、まるでタイミングを見計らったかのように電車が滑り込んでくる。いや違うな、タイミングを見計らったのは電車ではなく手の主の方だ。電車が滑り込んでくる瞬間に私を線路へ突き飛ばしたのだ。

 

 キキキーッ キキキキーッ

 

 ブレーキの軋む音とともに電車はどんどん近づいてくる。焦っても傾いてしまった身体はもう態勢を立て直せそうにない。

 立て直せないなら、向こう側へ飛ぶしかない‼

 私は咄嗟に判断し、――というより半ば本能的につま先でプラットホームの端を思いっきり蹴った。

 次の瞬間、右足首に激痛が走る。

 思わず何か大声で叫んでしまう。言葉にならない声。

 反対車線に着地するはずだった身体は、右足が電車に当たった反動でかなり左の方へ飛ばされ、落下後もごろごろと転がる。

 右足が燃えるように熱い。


 どくん。どくん。どくん。どくん。


 血液の流れる音以外何も聞こえない。全身が血管になったような錯覚を覚える。身体中が太い血管になって、右足に血液を運んでいく。


 熱い、熱い、熱い‼

 

 血液の音と喧騒が入り混じって頭の中が混乱する。


 うるさい! 痛い! 熱い! 




「マミちゃん!!」


 不意にすぐ近くで杏花さんの声が聞こえた。

 目を開けると、いくつかの顔といっしょに心配そうな杏花さんと一馬さんの顔が覗きこんでいるのが見えた。

 徐々に人々の叫び声やざわめきが、きちんと理解できる音として耳に入ってくる。多分、客観的にはほんの一瞬の出来事だったのだろう。でも、私にはとてつもなく長く感じられた。

 傾いていく身体と近づいてくる電車。近づいてくる、近づいて……。

 

 ぶるっ。思わず自分で自分の肩を抱いてしまう。寝転がったまま無意識に上半身を動かしただけなのに、ものすごい激痛が右足に走る。


「うぁ~~っ」


 呻き声が漏れてしまう。


「マミちゃん」


 杏花さんの震える小さな声。蒼い顔で彼女も震えているようだ。


「大丈夫。………っいつっ」


 安心させようと笑顔を作りかけて、また顔をしかめてしまう。

 逆効果だろうなとは思いながらも、私はなんとか笑顔に見えるものを作ってみせた。


 


 救急車で搬送され、複雑骨折していた右足は即手術となる。全身麻酔をかけられ、しっかり目が覚めたのは夜になってからだった。手術後、部屋へ移動したり毛布をたくさんかけられたり、いろいろ話もしたような気もするけどうすぼんやりしてどうにもはっきりしない。

 

「…………っ‼」


 何気なく身体を動かそうとして、右足に走った激痛に声にならない呻き声をあげる。痛い。痛い。痛い。……右足だけじゃなく、身体中あちこちが痛い。痛みと同時に恐怖に包まれる。


 怖い。痛い。怖い。


 ベッドの頭の方から近づいてくる足音が聞こえ、ふわりと大きな手が優しく私の頭を包みこんだ。


「動くな。…………麻酔がきれたみたいだな。痛み止め、もらうか?」


 正人さんの声。


「大丈夫だ。ずっとついてるから安心しろ」


 私の不安な気持ちを読み取って言ってくれる。

 不安――恐怖。一体私は誰に狙われているのか。何のために? なんにもわからない恐怖。

 でも、側に正人さんがいてくれる。それだけでなんだか安心できた。いつもより優しい声。優しい笑顔。……妹でもいいや。こんな風に側についてて守ってくれるんだもの。

 安心したら犯人のことが気になってきた。


「目撃者は見つかったの?」


 救急車に乗せらる前に、一馬さんに言ったのだ。「背中を押されたの。誰か見てなかったか探して」と。

 

「目撃者は、一人もいなかった。…………明日、警察が事情聴取にくるそうだ。大事おおごとにはしたくなかったけど、鉄道事故だからな」

「警察…………」


 何物でもない自分のことを聞かれたら、どうしたらいいんだろう。私が普通のこの世界の女の子なら、現状を訴えることもできる。助けを求めることもできる。

 でも、そうじゃない。私自身が異邦人エイリアンなのに。

 

「…………未遂に終わったとはいえ、明らかに怪我させようと思ってる奴の仕業じゃないだろ。怪我じゃなく…………」


 命を狙ってる。――あからさまに声に出すのは憚られるのか口を濁す。


「警察の力を借りるのはやぶさかじゃないが、マミの身上をどうするか考えないといけないな。もう一つ気になるのは、今日は一人じゃなかったってことだ。今までは一人のときだったんだろう? 狙われたのは。人がいても、少し距離があった」

「そう。今日は杏花さんと一馬さんは私のすぐ両脇にいたし、それだけじゃなく周りにはたくさんの人がいたのに」


 もしかして犯人は失敗続きで焦ってる? どうしても私を、……消してしまいたい? また襲ってくる? 

 不意に迫りくる電車が思い浮かび、また怖くなってくる。


「悪かった。まだこんな話すべきじゃなかったな。ゆっくり寝な。ちゃんと側にいてやるから」


 私の変化に気づいて謝ると、椅子をベッド際に近寄せて座りしっかりと手を握ってくれた。

 それだけで安心できる気がするから不思議。


「明日の朝には加奈が来る。みんなで順番に側にいて一人にしないから心配するな」

「そういえば、みんなは? 今何時なの?」

「もうすぐ十時だ。一馬と杏花は少し前までいたよ。真由美と加奈は文化祭後に打ち上げの予定だったから、言ってなかったんだ。さっき文句の電話があったよ。『なんで知らせなかったんだ!』って。で、明日朝いちばんに来るとさ」


 連絡したら飛んできてくれただろうから、敢えて連絡入れなかったのね。打ち上げすっぽかして来たら、後で私が気に病むだろうって思って。

 明日は加奈がぷんすか怒ってやってきそうだ。真由美は無言で怒って。

 ふふっ。正人さんたら、優しいんだ。

 あー、やっぱり好きだなぁ。

 真由美が正人さんを好きでも。正人さんが真由美を好きでも。もう止まらないよ。止められない。

 真由美、今晩だけ正人さん、貸してね。


 手を繋いでもらっているだけなのに、包まれているような安心感でいっぱいになった私はまた睡魔に襲われて緩やかに眠りに落ちていった。

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