文化祭
翌日の土曜日。
午後からは大雨の予報なのにずいぶんすっきり晴れた朝だった。
昨日一日、「一人で出歩くな!」と外出を禁止されたけど、今日は真由美たちの文化祭。この間衣裳を貸してもらった劇がある。一馬さんと杏花さんも一緒に見にいくからとオーケーしてもらえた。
……この二人と一緒に行くのって、デートの邪魔のようで気がひけるんだけど仕方がない。
正人さんはまだ少し熱があったけど、早朝からバイトに行ってしまった。
私が来るよりもっと前、文化祭の日程がわかった時点で真由美に「絶対に観にくるな!」と言われたらしい。杏花さんいわく、「ちょっとした口ゲンカの売り言葉に買い言葉だったんだから、気にしなくていいと思うんだけど」。一体どんなケンカをしたのかわからないけど、それで本当に行かないなんてなんとなく正人さんらしくないような気もする。
久しぶりの学校に行くと、みんなの視線が痛かった。ずいぶんとじろじろ見られて、こそこそと何やら言われてる。「真由美そっくり~」って声がそこかしこから聞こえてくる。間違われないようにつけ毛して、伊達メガネをかけてきたんだけど、顔の構造までは変えようがない。ま、しばらくすれば落ち着くかな。
だけど杏花さんたちが一緒だったおかげでだいぶすくわれた。彼女たちにも視線が集まるから。涼し気な水色に桔梗の柄の入った絽の着物に白っぽい綴れの帯をしめて、今日は髪も綺麗にまとめあげている。そのたたずまいは高校の文化祭ではとても浮いて見えたから。
そしてその隣に立つ一馬さん。……なんていうか、似合うのよね。杏花さんに。美男っていうわけじゃないんだけど、雰囲気がいいというのかな。背も高いし落ち着いているからなのか。普段のぼーっとしている様子はみじんも見せない。
そこここで注目を浴びつつ、ぐるりと展示や店舗を見てまわる。
みんな楽しそうだ。今頃あっちでもやってるんだろうなぁ。ふとそんな思いがよぎるけど、ぷるんと首をふるって追い払う。今日は文化祭を楽しもう。
劇は舞踏会の場面から始まった。
ナレーションがはいる。
「社交界でうつつをぬかしてばかりいる母親は幼い弟妹の相手はまるでしない。いつも着飾って出歩いてばかりいる。そんな母と母が通いつめている社交界を心底嫌っているマリア。仮病をつかってずるずると引き延ばしていた社交界へデビューさせられる日が、とうとう決まってしまった。マリアは母の鼻を明かすため、スーツに身を纏い若い紳士として姿を現した」
数組のカップルがダンスを踊っている。周囲で談笑する人々。
「娘さん、今日初めてお見えになるんですよね」
「お会いできるのが楽しみですわ」
「もうすぐ参ると思います」
「愛らしいお嬢さんと伺っていますわ」
そこへ真由美扮するマリアの登場。
会場内がざわめく。
「おー、真由美かっこいいじゃん」
「先輩、素敵」
「かっこよすぎる~」
女の子たちには人気があるようだ。
舞台の上で人々のざわめきの中をマリアが母に近づいていく。マリアに気づいた母は、一瞬驚愕の表情が浮かべるが、すぐにマリアに微笑み手を差し出す。
「こちらは、カート=オブライエンです。私の遠い親戚でしばらく家に滞在することになりましたの」
取り澄ました顔でみんなにマリアをカートとして紹介する。
「娘が遅いようですので、様子を見てまいりますわ」
行きがかり上、マリアはカートと名のらなくてはならなくなった。
「カート=オブライエンです。どうぞよろしくお願いいたします」
挨拶をすませ、早々に退出しようとするマリア。ところが若い娘たちがマリアを取り囲んでしまう。娘たちの相手に辟易しているマリアを一人の青年が助け出してくれる。
二人は会場を抜け出して(暗転)庭にでる。
「女の子の集団っていうのはどうしてああも騒がしいんだろうね」
「連れ出してくれてありがとう。助かったよ」
「ぼくもああいうのは苦手だからね」
ケインと名のる青年と話をするうちに彼に惹かれていくマリア。彼の巧みな話術に聞き入り、会話を楽しんだ。
「…………でも、君の親戚のマリアに会うのは少し楽しみにしていたんだ」
話の途中でケインがもらした言葉にマリアは思わず名乗り出そうになるけれど、自分の恰好を見て思いとどまる。
ケインはまさか”カート”がマリアだとは思っていない。マリアはこのまま時が止まればいいと思った。けれど時計の針は刻々と時を刻んでいく。
「君と知り合いになれてよかった。今日は楽しかったよ。また会おう」
そう言い残して帰っていったケインを思い出し、マリアは思う。
”あの人はマリアに会いたいと言うけれど、マリアとしてあの人に会っても今日のような関係でいられるかしら? …………いいえ、きっといられないわ。それに、こんな風に男装をして会っていたことを知ったらどう思うか…………”
そしてまた次の舞踏会にもカートとして出かけてしまうのだった。
日がたつにつれどんどん言いにくくなる。
”カートがマリアだと知ったらケインはどう思うだろう”
”すべてを話してしまいたい”
”今の関係を壊したくない”
”どうしたらいい?”
マリアの心の葛藤。
上手い。マリアの心が手にとるようにわかる。
ケインとマリアとして自由に話したい。本当の自分をわかってもらいたい。でも、もしマリアがカートだとわかってしまったら、もう今までの関係ではいられないだろう。それならカートとしてケインの仲の良い友人のままでいたい。
その瞬間、私にはわかってしまった。なぜ真由美がこんなにうまいのか。なぜこんなに観ている人の心を惹きつけるのか。
マリアは真由美自身なんだ。自分は強いと思いこむために男っぽく振る舞った真由美。今さら女の子らしくなんてできないけれど、そうしたいと思っているに違いない。真由美は自分の想いをマリアに重ねてるんだ。どうにもできない想い。素直になれないために行き場を失ってしまった真由美の心が、マリアを通して伝わってくる。
真由美が正人さんに「来るな」と言った理由にまで気づいてしまう。ちょっとしたケンカなんてのはきっとわざとだ。正人さんには観られたくなかったんだ。
きゅっと胸が痛くなる。
真由美は正人さんが好きなんだ。――正人さんは妹みたいに思ってるって言ってたけど、でも真由美をとても大事に思ってるのは確かだ。きっとそのうち……。ずっと真由美を見守ってきたんだもの。
そして真由美の気持ちに気づくと同時に自分の気持ちにも気づいてしまった。
正人さんが好きなのかも。ではなく、はっきりと、好きなんだと。
でも、それはどうしようもない思い。私の入る隙間なんてないもの。好きになっても仕方がないのに。報われない思いを抱いても胸が痛いだけなのに。
ついっと舞台に視線を戻す。劇はクライマックスを迎えていた。
ケインにすべてを告げる決心をしたマリアが、ドレス姿でケインがやってくるのを待つ。期待に胸を膨らませ、どきどきしながら。
”きっと、きっと素敵な一日が待っているわ”
真由美のドレス姿に今度は男子たちがざわざわ言っている。
あはは。男子はびっくりしただろうな。
――そして閉幕。
劇は大成功だった。――真由美のお陰で。自分の想いを重ねているとはいえ、真由美の演技は本当に心を打つものだったから。
会場中が拍手喝采で湧き上がっている中、最初は一緒に拍手していたけれど、私は自分の世界へ入り込んでいった。舞台の上で挨拶をしている真由美を見つめたままで……。
「ね、マミちゃん。お買い物に行かない?」
学校を出た後で、唐突に杏花さんが言った。
「行きましょ。ね?」
私の返事を待たずもう一度こう言うと、先に歩き出した。私と一馬さんはその後を追っていく。
杏花さんも多分、真由美の気持ちに気づいたんだろう。この前私をたきつけるようなことを言ったことを気にしてるのかもしれない。
私は落ちこんでしまいそうになる自分を鼓舞するため、杏花さんの誘いに乗ることにした。杏花さんに気持ちを気づかれないように、ことさら明るい笑顔で。
「いいよ。行こう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます