メモリーズ
窓の外をぼんやりと眺めていた私の頭にこつんと何かが当たった。見上げると小川さんが戻ってきていて、本のようなもので私の頭をこづいたのだった。
私は見つからないようにそっと涙を拭った。小川さんは私の涙に気づいたのかどうかわからなかったけど、素知らぬふりで言ってくれた。
「真由美のアルバム、見るか?」
さっきの本を差し出すので素直に受け取る。
「そっちと大分違うみたいだから」
パラリとページをめくってみる。
最初のページには幼稚園児くらいの男の子ともっと小さな――三才くらい? の女の子の写真。これは、真由美よね。私の小さい頃の写真と同じ顔。男の子は誰だろう。幼馴染みって言ってたから小川さんだろうか。
訊いてみようと顔を上げると、いつの間にかマグカップを持った小川さんがコトンとローテーブルの私の前にそれを置いて隣に座った。甘いココアの香り。さっき苦いって呟いたのを聞いていたんだろうか。私が飲みかけていたコーヒーはいつの間にかさげられていてない。私、そんなにぼんやりしてたのかな。
「あの、ありがとうございます」
「敬語はなし。かたっくるしいのは嫌いだから」
そう言って自分は置いたままだったマグカップに手を伸ばす。そして冷めきっているであろうコーヒーを一息に飲みほすと、私が膝の上にひろげているアルバムを指先でとんとんとつついた。
「それ、誰だかわかるか?」
「えっと、この手前の女の子は真由美ですよね? もう一人はわかりません」
「敬語はなしだって」
くすくす笑って人差し指で私のおでこをつっついた。
「あ、はい。いや、うん。…………わからない」
「そっか。やっぱりこっちと大分違うんだな。…………アルバムを見ながら俺の話を聞くのと、そっちの話をするの、どっちがいい?」
「話、聞きたい」
あっちの話は、うまく話せる自信がない。帰れるかどうかわからないあっちの話をしていたら、泣いてしまいそうだし。そんな私の気持ちを汲んでくれたんだろうか。優しい人だな。なんだか、見透かされてる感じもするけど。
私の返事を聞くと、小川さんはふわっと優しく笑って話し始めた。
「それ、俺。小さい頃、隣に住んでたんだ。さっきも言ったけど真由美とは幼馴染み。俺が中学一年で引っ越しするまで兄妹みたいに一緒に育ったんだ。
俺の父親は入院してて母親はいつも遅くまで帰って来なかったから、ほとんどこの家で過ごさせてもらってた。真由美の母親も教師で帰りの遅い日も多かったけど、ここにはおばあちゃんがいたから」
ゆっくりとアルバムのページをめくっていく。
ホントに兄妹みたいだ。仲よさそうにじゃれている写真が何枚もある。
普段の写真もあれば、幼稚園の入園式に運動会、卒園式。小学校の入学式。全部二人一緒に写ってる。にっこにこの真由美と手を繋いで誇らしげに笑っている小川さん。
「このころはかわいかったんだけどなぁ。
小川さん、目を細めて懐かしそうに写真を見る。
「泣き虫だった真由美がどうしてあんな男の子みたいになったの? 正人さんはずっと一緒にいたんでしょ?」
「ずっとってわけじゃないんだよな。途中で引っ越したし」
「引っ越したのにまた戻ってきたの? 真由美の両親が亡くなったことを知ったから?」
「あー、そこも聞きたい?」
ぽりぽりと人差し指で頭を掻いて、困ったような顔をする。
「聞きたい」
「半分俺の話になるんだけど」
私がじっと見つめると、そう前置きして話してくれた。
「引っ越し後しばらくは全然会ってなかったんだ。親同士は会ってたみたいだけど。高校時代の親友だったらしい。
だけど俺が高校入学した後にとうとう父親が死んでしまって。やっと看病から解放された母親も気が抜けたのか後を追うみたいに逝ってしまって、俺は祖父母にひきとられることになった。真由美の両親は養子にしたいって言ってくれたんだけどな。祖父母は承知しなかった。…………あの時養子にしてもらっとけば、あいつがしんどかったときに側にいてやれたんだけどな」
声のトーンを落として目を伏せる小川さん。真由美がしんどかったとき? 両親ともに亡くなったのは小川さんなのに?
「その後も気にかけてくれて、時々家によんでくれたり両親の命日に来てくれたりして、年に数回は会ってくれてたんだ。ひきとられるまで滅多に会わなかった祖父母といるより気が楽だったよ。祖父母と仲が悪いわけではなかったけど、小さいときから家族同様に過ごしてた人たちだから。真由美は会う度に最初は照れて口数が少なくなってるんだけど、小一時間もすると元のように真人兄っていろいろ話を聞かせてくれてた。
その二年後の冬、今度は真由美の両親が交通事故で一度に…………。
俺は知らせを受けてすぐにとんでいったんだ。真由美は呆然自失の状態だった。両親を亡くしたときの心細さは俺も経験してるから、しばらく側にいてやろうと思った。
でも、翌日の葬式のときにはもうしゃんとしてたんだよな。…………もちろん表面上だけど。しっかりせざるを得なかったんだよ。縁を切っていたはずの親類たちが家と財産目当てに集まって来たから」
「財産目当てって、そんなのあるの? それに親類って」
「この家だけでも結構な資産になるんだよ。それに亡くなったおばあちゃんが実は割といいとこのお嬢さんだったみたいだし…………ってこれはそのとき小耳に挟んだ話だから信憑性には乏しいけどな。けど、まぁそれを狙ってきた人たちがいたんだよ。それで、真由美を養女にしたいって。誰がひきとるか──つまり誰が養育権を得て財産を手に入れるか。そんなことばかり話してた。腹が立つことに、そいつら誰も二人の死を悲しんでなんかいなかった」
その時のことを思いだしたかのように憤然として言う。
「あの日、夜になって親類の人たちがホテルに引き上げた後に、あいつ初めて泣いたんだ。
『…………悔しい。どうすることもできないの? あんな奴らの言いなりになんてなりたくない! あんな奴らの養女になんて!!』
あいつには両親の死を悲しんでいる間もなかった。あの時ほど俺は自分の非力を感じたことはなかったよ」
悔しそうに顔を歪める。
「それなのに、俺はそんな状態のあいつを一人にしてしまったんだ。
五日目の夜遅くに祖父から電話があった。『一体いつ帰ってくるんだ』ってね。当然のことだろう。俺は受験生だったんだから。俺はとりあえず『もうすぐ帰る』とだけ言って電話を切った。
振り返ると、いつの間にかそこに立っていた真由美が『ごめんね』と一言だけ言って淋しそうに笑ったんだ。『お前が悪いんじゃない。気にするな』って言おうとしたけど、全部見透かしたような真由美の
次の朝、『
ふーっと溜息をついてマグカップに手を伸ばした小川さん、中身が空っぽなのを見て眉をしかめた。
「受験が終わってやってきたときには今みたいに男言葉を使うようになってて、両親を亡くした悲しみからも立ち直ったように笑ってた。本心はわからないけど、少なくともそう見せられるようになっていた。
どういう経緯か知らないけど加奈の父親がこの家の管理をしてくれて、下宿をすることになっているっていうんだ。それで春から加奈も住むっていうから、俺もここに下宿することにしたんだ。
俺の知らない三ヶ月間に真由美が何を考えてたのかはわからない。男言葉を使うようになった理由も。だけど、たぶんあいつはそうすることによって自分は強いんだって思いこもうとしたんじゃないのかな」
「そんな素振りなんて少しも…………」
「そりゃ、あれからもう二年以上経ってるからな。いつまでもひきずってはいないよ。…………ホントにあいつ、強くなったよ。あの日からあいつが泣き言を言ってるのを聞いたことがない。あんなに泣き虫だったのに。もうちょっと頼ってくれてもいいのになって思うくらい」
アルバムをぱたんと閉じながらちょっと寂しそうに笑った。
「…………ここまで詳しく話すつもりはなかったんだけどなぁ。一馬や杏花にも言ってないし」
え、それならなんで私に? っていう言葉を呑み込んだのに。
「なんでだろうな。マミのこと見てたら話したくなった」
「…………」
「俺はもう一人妹が増えたって思ってる。だから、一人で抱え込むな。頼っていいんだぞってこと。…………でも、話したこと真由美には内緒な」
小川さんはいたずらっぽく微笑んで私の頭をぽんっと軽く叩くとアルバムを持って立ち上がった。
そのとき、一枚の写真がぱらりと床に落ちた。ケースの方に入っていたみたい。
ボロボロの写真をラミネートしてある。
そこに写っているのは、最初のページに写っていた小さな真由美と小川さん。そしてもう一人の男の子。菜の花畑の一面の黄色に囲まれて、真由美を真ん中に手を繋いで三人とも満面の笑みを浮かべた写真。
「この子は?」
「…………」
私の手からすっと取り上げたその写真をじっと見つめた小川さんは、黙ってアルバムに差しこんだ。
「…………また機会があれば話すよ」
そこへちょうど柳元さんがびしょぬれで帰ってきたので、それ以上は聞けなかった。
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