どうしてこんなことに?

 なんで? どうして? こんなことがあっていいはずがない。おかしいよ。なんでこんなことになってしまったの? 私のせいで……私のせいでこんな……。


 私は自分の肩を自分で抱きしめるようにして震えを押さえようとしていた。

 タクシーの中、幸也が肩を抱いてくれている。

 頭の中をいろんな思いが錯綜して、涙も出ない。

 みんなにお別れパーティーをしてもらったのは、ほんの数時間前。その時は、別れは悲しいけれど帰ったら元の日常が待っていると思っていたのだ。ただ元に戻るだけだと……。





 数時間前、元の世界に戻ってきた私はいきなり窮地に立たされた。


 え……っと。ここはどこ?


 目に入ってきたのは見慣れない部屋の内部。ログハウス? 丸太で組んだ壁に同じく丸太で作った机と椅子。他には特に物もない。休憩所か何かだろうか。

 私は勝手な想像で、同じ場所に移動すると思っていたのだけれど。


 みんなとお別れした私はティムの待っているゲストルームに戻った。

 最初に着ていた自分の制服に着替え、鞄とみんなからもらった紫陽花の鉢を持つ。


「それで、どうすればいいの?」

「簡単だよ。僕を抱いて目を閉じて5つ数えて」


 そう言うとティムはしゅるんと仔猫の姿になって私の足元に擦りよってきた。

 私は言われた通り黒猫になったティムを抱き上げた。


「1、2、3、4、5…………」


 そして数え終わって目を開けると、ここにいたのだ。


「ティム? どういうこと?」


 腕の中のティムに問いかける。


「…………」


 ティムは何とも答えない。


「ねぇ、ティムったら。ここ、どこなのよ。どうなってるの?」


 詰るように言ってティムの顔を覗きこむと、ティムはするんと私の腕から抜け出した。一緒に抱えていた鉢が落ちそうになる。


「わ。危ない。急におりないでよ」


 文句を言うも返事はなし。

 ティムは普通の猫と同じように私の反応など気にもかけないかのように歩く。もう一度文句を言おうと口を開きかけたとき、入り口近くで振り返り『にゃ~お』と可愛らしい声で鳴いた。


「開けろってこと?」

「にゃあ」


 扉を開けるとそこは――山の中。


「ちょ、ちょっとどうなってるの?」


 ティムは開いた扉から走り出ると、数メートル先で止まって振り返った。ついて来いとでもいうように。

 猫から人型に戻る気はないらしい。仕方なく黙って後をついていく。

 ハイキングコースにでもなっているのか、きれいに整備された道。こんな時でもなければゆっくり散策したいところだ。その山道をティムは駆け下りていく。


 まぁ、考えてみればわからなくもない。行方不明のはずの私がいきなり家にいるのは不可解だろうから。どこかから帰るという形をとるのも頷ける。だけど、その場所がこんな山の中である必要ってあるのかな。


 そんなことを考えながら追いかけて行くと、小さく開けた場所に出た。地図の看板の前にティムがちょこんと座ってこちらを見ている。それを見ろということらしい。


「え~っと、それでここはどこなの?」


 地図に目をやって驚く。


「え? 白鷺山って、遠いじゃない! …………麓まではそんなにないのか」


 ちらりとティムに目をやると、素知らぬ顔で藪の方へ進んでいく。


「ええ? ここで放置するの? 後は自分で帰れってこと?」


 ティムは藪の前で一度止まってこちらを見てにゃ~おと鳴くと、尻尾をくるんと回しそのまま藪の中に消えていった。


 取り残されて呆然としてしまうも、こんなところでいつまでも呆けていられない。夏至が住んだばかりとはいえ、すぐに日が暮れちゃうよ。


 気持ちが急いてたったか山道を速足で下りる。急げば麓まで二十分もかからないだろう。だけどそこからどう帰ろう。多分駅まではバスが出ているはず。でもそこからの電車賃は足りない。どこかで電話を借りなきゃ。



 結局私が電話を借りれたのは、もう辺りが暗くなる頃だった。

 バス停を見つけたものの次のバスまで一時間以上あったから結局駅まで歩いたのだ。駅前の喫茶店で電話を借りてから気づく。


 誰にかけよう。……電話番号がわからない。みんなの携帯の番号なんて覚えていない。全部アドレス帳に入ってたから。家にかけてもまだ誰もいないはず。


 あっ。


 思わず手を叩く。幸也の家だ。佳代さんなら家にいるだろう。


 電話をかけると、佳代さんは驚いて慌てふためいて涙声になっている。いろいろ質問されたけど、とりあえず今いる場所とお金がなくて帰れないことを伝えた。受話器の向こうで佳代さんが「良かった。ほんとに良かった」と涙声で何度も繰り返していた。



 小一時間ほどして、バタンッ カラララーンとすごく大きな音をたてて喫茶店の扉が開くと、幸也が飛び込んできた。


「真由美‼」


 いきなり抱きすくめられる。


「無事でよかった…………」

「…………心配かけて、ごめん」


 心から謝る。誕生日の日にいきなりいなくなって、一週間も帰らなかったんだから、みんなにどれだけ心配かけたかわかるから。


「…………」

「幸也? 苦しいよ」


 ぎゅっと抱きしめられて息苦しくなりそう訴えると、なぜかさらに幸也の腕に力が入る。


「幸也?」

「…………真由美。落ち着いて聞いてほしい」


 幸也の声、震えてる? 


 顔をあげて幸也の顔を見ようとしたけれど、そんな私の頭を押さえて自分の胸に押しつける。


「…………八重子さんたちもこっちに向ってて…………事故に遭った…………」

「…………え?」


 お母さんたちが? 事故ってどういうこと?


「…………二人とも…………」


 胸の奥がざわざわする。聞いてはいけない。怖い。


 幸也の胸に顔を埋めたまま、彼の上着の裾をぎゅっと掴む。身体が震えてくる。目を閉じてごくりと唾を呑み込んだ。

 聞きたくないけれど。


「…………ふ、二人とも?」


 掠れた声で訊ねる。幸也の様子からその後聞かされる言葉が予測されて、訊ねておいて耳を塞ぎたくなる。


「…………即死だって…………」


 目の前が真っ暗になった気がした。




 病院へ向かうタクシーの中で、私はずっと自分の肩を抱きしめていた。

 窓の外の暗闇の中を対向車のライトや信号の色が通り過ぎていく。


 どうしよう。こんなことがあっていいはずないよ。私のために、こんな……。

私を迎えに来るために……。


 喉の奥から何かが突き上げてくるような感覚。それは、突き上げてきそうで突き上げてこない。そこでそのままつっかえてしまったみたい。

 大きな石が胸にのしかかっているような状態のまま、前を走る車のテールランプをじっと見つめていた。


 真由美。ああ、あの子はこの悲しい出来事を中学生の時に一人で耐えたんだ。正人さんに心配をかけないために、一人で耐えたんだ。男言葉を使って、たった一人で。あなた、やっぱりすごいよ。私にはできない。あなたを見習わなくちゃと思ったけど、強くならなきゃと思ったけど、無理だよ。真由美、助けてよ。私は一人でどうしたらいい?

 正人さん。あなたがここにいてくれたら、どんなにか心強いのに。

 ……ううん。違う。真由美なら、あの子なら、こんなこと考えたりしない。あの子なら正人さんがいなくても耐えるだろう。あの子は強いもの。……違う。違う! あの子は強くなんかない。弱かった。それでも強がって見せて、一人で耐えたんだ。まだ中学生だったのに!

 私も耐えなきゃいけない? 自信がないよ。ねぇ、どうしたらいい? 


「真由美、着いたよ」


 足元のふらふらする私の肩を幸也が支えてくれる。


 そうだ。私は一人っきりじゃない。幸也がいるし、佳代さんがいる。……だから、耐えなきゃね? 

 ああ、でも。二人は私を迎えに来たために事故に遭ったんだ。私がいなくなったりしなかったら、死なずにすんだかもしれないのに。……私が帰って来なかったら。


 プルンと首を振る。


 違う。帰らなかったら真由美に迷惑をかけるんだ。帰らなきゃいけなかった。でも私が帰ってきたから……。

 私が。みんなを不幸にしてしまった。私が……。

 私のせいで。私のせいで……。


 自責の念が胸を締めつける。重い石は胸の奥につかえたまま動かない。

 冷たい霊安室で二人に会っても、私は泣くこともできなかった。

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