エピローグ

 私が高校を卒業した後、正人さんはうちに引っ越してきた。

 引っ越しの片づけが落ち着いた天気のいい日曜日、二人で花咲公園を散歩する。満開の白木蓮が真っ青な空に映えて上品な香りを漂わせている中をゆっくりと歩く。つないだ手から伝わる温もりに幸せを感じて、私は絡ませた指にきゅっと力を入れた。

 自動販売機でホットコーヒーとホットココアを買い、芝生広場のベンチに並んで座る。すっかり春めいて温かくなってきた公園には、たくさんの親子やカップルがあふれている。


「人は生きている限り、出会いと別れを繰り返していくんだね」


 卒業式を終えて少し感傷的になっていたのかもしれない。

 しみじみとそう思う。いろんな人に出会って、いろんな考え方や生き方を知り、そして成長していくんだ。


 ”バイプレーヤー”


 不意にその単語が頭に思い浮かぶ。


 そうだ。みんなバイプレーヤーなんだ。私が一生かけて演じるドラマの、バイプレーヤー。でも、決してエキストラではなくて。私が成長していくうえで、ドラマを演じていく上で必要不可欠の人たち。

 バイプレーヤーだから。主人公ではないから。

 通り過ぎていく。私の”人生”というドラマの中を。


「みんな、それぞれの”人生”っていうドラマを演じているんだね」

「うん? みんな歩いてるんだよ。自分の道を」


 唐突に言う私の言葉に正人さんは真面目に答えてくれる。


「…………でも、やっぱりちょっと寂しいな」

「何が?」

「人がそのドラマの主人公である限り、いつかバイプレーヤーと別れなきゃならないでしょ」

「バイプレーヤー?」


 正人さんが怪訝な顔をする。


「うん、バイプレーヤー。みんなそれぞれが主人公になって”人生”っていうドラマを演じてるわけでしょ? そのドラマに出演する人たち。エキストラじゃない必要不可欠のバイプレーヤー」

「で、そのバイプレーヤーとの別れがあるのが寂しいって?」

「うん。…………でも仕方ないよね。みんな自分のドラマが最優先なんだから。他人のドラマには”出演”しているんだものね」

「…………確かにそうも考えられるかもしれない。けど、それってちょっと寂しいんじゃないか?」


 そうかな。……寂しい、かな。


「それじゃ人間は各々が”自分の人生”っていうドラマを演じるために生きてるのか?」

「うん。で、そのドラマがよりよくなるようにみんな苦労して、バイプレーヤーに励ましてもらったり手助けしてもらったりしながら生きていくの」

「みんながみんな、自分のドラマを最優先して他人のドラマには出演してるだけ? …………その考え方でいくと、人間、生まれた時から死ぬまでずっと一人きりみたいじゃないか。主人公とバイプレーヤーってはっきり区別してしまうと、それこそ出会いがあれば絶対別れがあるって感じになるだろ?」

「う…………ん。でも実際そうじゃない?」

「それって寂しいだろ。…………確かに出会いと別れってのは一組セットになってるかもしれないけど、それじゃ一生つき合っていく人ってのはいないってことか?」

「そんなことはないけど。でも、最終的にはどっちかが先に死んじゃうじゃない? そうしたら死んだ方は主人公がいなくなるからドラマは終わっちゃうけど、もう…………」

「もう一人、残った方のドラマは終わらないから、結局死んだ奴はバイプレーヤーだっていうのか?」


 正人さんが私の言葉を途中からひったくる。


「それってやっぱり寂しいよ」


 ……断言されてしまった。


「そ、かな? …………じゃ、正人さんはどう思うわけ?」


 さっきから寂しい寂しいって連呼されて悔しいから、ちょっと拗ねて反問してみる。


「道を歩いてるんだよ」

「道? それって私の言ってるドラマとどう違うのよ? 道でもドラマでも結局同じじゃない。自分の道があって、他の人はすれ違ったり横切ったりしていくんでしょう?」


 私がぷっと頬を膨らませるのを見て正人さんはくすくす笑う。


「お前が想像してるのって、真っ直ぐな道じゃないか? そこを直進していく自分に対して他人がどうこうするんだろ?」

「そうじゃないの?」

「なんていうのかな、俺が言ってるのは一本道じゃないんだ。

 一枚の地図を想像してみろ。人はみんないろんなところからスタートして、そこから自分の道を歩いていくんだよ」


 指で空中に四角を描いてみせ、その四角の上を二本の指で歩くような仕種をする。


「自らすすんで危険な道へ行く奴もいれば、絶対安全な道しか行かない奴もいる。同じ目的地に行こうとしていても、そこへ直進する奴もいれば大きく回り道してしまう奴もいる。そうやって地図の上をあっちへ行ったりこっちへ行ったりしながら、いろんな人に出会い、行き先が違えば別れ、同じなら一緒に歩いていく。時には三人になったり四人になったり、大勢で歩いてみたり、また一人に戻ってみたりして。

 ずっと歩いていれば、昔出会った奴にまた会うこともあるかもしれない。違う道を歩いていても、それが並行している道ならいつでも会えるだろうし、反対の方へ向かっている道ならもう二度と会わないかもしれない。だけどもしかするとずっと先でUターンしてまた出会うかもしれない。

 そうやって出会いと別れを繰り返しながら、自分と同じ道を同じ目的地に向かって歩いていくパートナーを見つけて一緒に歩いていこうとするんじゃないか? 

 で、パートナーが見つかったら、相手が転んだときには助け起こせるように、自力で起き上がれそうなときには見守ってあげられるように、寄り添って同じ道を歩いていくんだよ」


 正人さんが至極真面目な顔で言う。


「正人さんって、意外とロマンチストなのね」

「意外とってのはなんだよ。…………でも、そう思わないか? 個々のドラマっていうんじゃなく、同じ地図の上を自分で道を選んでいくんだと俺は思うよ」


 同じ地図の上を歩く人たち、か。


 思い浮かべてみる。地図の上を歩き回っている人たちを。迷いながら、でもちゃんと大地を踏み締めて歩く人たち。


「いいかもしれないね。その方が」

「ドラマがいけないってわけじゃない。ただ、そのドラマってのは、個々が別々に作ってるんじゃなくて、道を歩いているその情景自体がドラマなんだと思う。そこにはそれぞれのドラマがあるんだろうけど、それはあちこち重なり合ってできたいるんだ。

 それに、ドラマは”作る”んじゃなくて、その人が歩いてきた道程、それが後で振り返るとドラマになってるんだと思うよ。その時々には、ドラマを作ることじゃなく道を歩くことに必死になっていて、ね」


 うん、そうだね。必死になって道を歩いて、地図の上を右往左往して、迷い迷いながらも目的地に向かって一歩一歩近づいていく。

 そして、いつか。

 ゆっくりと振り返る。自分の”人生”という素晴らしいドラマを。


「だけどやっぱり少し寂しいな。卒業式で別れたみんなとはまた会えるかもしれないけど、真由美たちとはもう会えないもんね」


 あの一週間のことを思いだす。


「私たちがこれから歩いていく道には、絶対に現れないことがわかってるから」

「お前は別の地図の上に飛んで行ってしまったんだものな」


 正人さんがいつものように私の頭をぽんぽんっと叩く。


 …………正人さんも、別の地図の上に飛んで来てしまったんだものね。全ての知人友人を捨てて、誰一人知り合いのいないこの世界へ。私のために来てくれたんだものね。


 不用意に言ってしまった言葉を後悔する。

 ごめんなさい。もう寂しいなんて言わない。あなただって、ううん、あなたの方がずっと寂しいに決まってるもの。



 私はどこにも行かないからね。一緒に歩いていこうね。


 旅をしよう。この地図の上を。

 そうしていつか二人で素敵な目的地に辿りつこう。


 私たちは、同じ地図の上にいるんだから。


 私はそっと正人さんの指に自分の指を絡ませて、大好きな彼の頬にキスをした。正人さんは驚いたようにちょっと目を見開いて、それから優しく微笑んで私の唇にキスを返してくれた。


 春風が二人の髪をそっと撫ぜていった。

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