ホントにアクシデント?
キィと微かな音をたてて倉庫の扉は意外にも軽く開いた。
中に入り鹿沼土の入った袋を見つける。それからスコップとプランター。全部杏花さんに教えてもらった辺りに置いてある。
よいっしょと持ち上げると土のいい匂いがする。
あれ? そういえば、かび臭さがしない。あっちの世界ではおばあちゃんが死んでからあまり使っていないこの倉庫は、たまに入るとかび臭かったのに。
そうか、わかった。初めてここへ来た日にガレージで感じた違和感の正体。匂いだ。真由美と加奈が自転車を横の扉から出し入れする以外、きっと閉めっぱなしになっているんだ。……お父さんの車が出入りすることはないから車の匂いもしなかった。杏花さんもいじらないようにしてるって言ってたし。
表に出てどさっと土を下ろす。
もう一袋いるよね。あと赤玉土と。プランターは二つで足りるかな。
ゆっくりと外に運び出す。今日は珍しく朝から快晴だ。明け方まで降っていた雨の雫が木々の葉の上できらきらと輝いている。
紫陽花を入れたバケツの前にしゃがみこんで挿し木しやすいように葉を切り落していく。花の部分は昨日のうちに切り花にして家中に飾ったので、ここにあるのは茎ばかり。
う~ん、どれがどの紫陽花かわからなくなっちゃったな。ま、いいか。花が咲いてから土におろせばいいだけよね。
「これでよし、と」
軍手をはずして立ち上がり、伸びをする。杏花さんとの待ち合わせにはまだ少し早い時間。珍しく天気もいいし、せっかくだから庭でゆっくりしよう。倉庫の横を抜けて奥まで進む。
うわ~。すごく綺麗にしてる! っていうか、どこの庭園? おばあちゃんもお花が好きで綺麗にしてると思ってたけど、全然違う庭になっている。ここまで変わってしまうなら、真由美が前庭は元のままにっていうのもわかる気がする。
おばあちゃんの庭もお洒落だった。……今は年に数回業者の人に手入れを頼んでいるだけだけど。
ここは……イングリッシュガーデンっていうのかな。雑誌に載ってそうだ。梅雨時のこんな季節なのにたくさんの花が咲いている。
敷石の小道の両脇にはラベンダー。その裾にはタイムかな? ピンクの小花。後ろにあるのは白いボールみたいな花。オオデマリ? とはちょっと違うみたいだけどなんだろう。ところどころにウサギやリスの置物や荷車なんかが可愛らしく置いてある。イソトマにデルフィニウム。これは私の好きな花だ。他にも知らない花がたくさん咲いている。全体にブルー系とピンク系でまとめられていて、すっきりとしていて心地よい空間になっている。
うわぁ。なんだか別世界に来たみたい。自分の家の庭とは思えない。
鼻歌でも歌いたいような素敵な気分に浸りながら薔薇のアーチをぐるりと回りこむ。と、木陰のベンチに大きな人影があり、驚いて大声を出してしまう。
「うわ! …………一馬さん?! なんでここにいるの? 大学は?」
「ああ、一限は遅刻しちゃってね」
「遅刻したのにそんなにのんびりしてていいの?」
「二限に間に合えばいいよ」
初日のパーティーのとき以外ほとんどしゃべったことがなかったけど、なんとものんびりした人だ。
「この庭は一馬さんが作ったの?」
「そうだよ。杏花もいろいろ手伝ってくれるけどね。庭はいいよ~。調和のある世界を自分で創りだせるから」
「調和?」
「うん。全ての物はあるべきところにおさまるんだよ。自分がここに置きたいと決めた以外で突然杏花が持ってきた物も、おさまるべき場所がちゃんとあるんだ」
「…………?」
「わかりにくいけど、人間関係も同じだよ」
意味深に言う。杏花さんから聞いてるのかな。と思ったら。
「マミちゃんの紫陽花をどこに植えるか考えていたんだ」
「え…………でも、つくかどうか…………」
「うん、そうなんだけどね」
しばらく思案気に腕組みして。
「さて、もう行かないと。じゃあ行ってくるね」
ぷらぷらと手を振って出かけていった。
なんだかよくわからない不思議な人だな。でも、あの人の作ったこの庭はとても素敵だ。杏花さんの好きな人だし、きっといい人なんだろう。
ゆっくりと庭を見て回っていて気がつくと杏花さんとの待ち合わせの時間が近づいていた。
うわ。急がなきゃ。
慌てて部屋に戻り、汚れた作業着を着替えて飛び出す。
商店街のはずれまで来たとき、電信柱の影に黒猫を見つけた。昨日の仔猫かな。同じくらいのサイズだ。そっと近寄ろうとしたとたん、ぬちょっと何かを踏んだ感触に、思わず立ち止まったその瞬間。
ガシャーン!!
店の看板が落ちてきた。私があと一歩踏み出していたら確実に頭に当たる位置に。
……ちょっと待って。偶然にしては、頻度が多すぎない? 本当に黒猫が不幸を呼んでる? ……まさかね。それじゃあ、単にこの子の縄張りでたまたま私が事故にあってる? それとも黒猫がたくさんいるの?
見回してみても、仔猫の姿はもうない。
う~ん、どれも納得がいかない。
何か、別の意図がある? 誰かの意思? 黒猫の飼い主がいる? 私に悪意を持った?
それはおかしいな。私は本来ここには存在しないはずだから。私の存在を知っているのは、あの家の住人と幸也くんだけ。
それなら、狙われてるのは真由美? そう考えるのが普通よね。
踏んでしまったガムを落ちていた木の枝でこそげとる。このガムを踏んでなかったら確実に当たってたと考えるとひやりとする。
騒ぎを聞きつけて店の奥から出てきて謝罪する店員に「怪我はなかったから大丈夫」と伝え、集まってきた人垣から抜け出て待ち合わせ場所へ急いだ。
歩きながらこの連続の事故のことを考える。
最初は公園で。自転車で転んだ。……これは関係ないのかな? でも黒猫をよけてのこと。
二回目は階段で足を引っかけられた。……これも微妙だ。黒猫を見かけただけ。
三回目は植木鉢。……これも……なんとも言えない。あそこにいたおばさんの口調からすると猫が植木鉢を落とすのはよくあることみたいだったし。でもここでも黒猫を見かけてる。
最後がさっきの看板。
う~ん? やっぱりただの偶然? さっきは私の方から近づいたんだし。誰かの意図があると思うのは考えすぎなんだろうか。
待ち合わせ場所にはまだ杏花さんは来ていなかった。
腕組みをしてまたぐるぐる考える。
でももし誰かの意図があるとしたら? やっぱり狙われてるのは真由美なのよね? 私が間違われているんだとしたら、私が狙われている間は真由美は安全?
いやその前に真由美には誰かに恨まれるようなことがあるんだろうか?
「むつかしい顔してどうしたの?」
時間通りにやってきた杏花さんが小首を傾げて顔を覗きこんできた。
「なんでもない」
つとめて明るい声を出す。
「さあ行こう」
杏花さんには言わない方がいいよね。どれもこれも曖昧な話ばかりだもの。心配かけるだけだものね。
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