ホタル

「マミ! マミ!」


 ぺしぺしとほっぺをはたかれている感触と名前を呼ぶ声で目を覚ます。暗闇の中、正人さんに抱きかかえられている?!

 驚きで意識がはっきりすると急激な寒さと冷たさを感じる。


「冷た…………」


 ぶるっと身体を震わせて言うと同時にぎゅっと抱きすくめられた。正人さんがほ~っと長い溜息を吐くのを感じる。


「苦し…………」


 思わず声が漏れるほど強い力で抱きしめられる。


「悪い」


 正人さんが体を離すと、急にひやっとした空気にさらされとてつもなく寒く感じる。身体が冷え切って動かない。ぶるぶる震える私を正人さんはお姫様だっこすると、バシャバシャ音をたてて移動した。

 そっと下におろされる。下は河原?


「痛いところはないか?」


 言いながら着ているデニムのシャツを脱ぎ、私に着せかける。思うように体が動かない私はこくこくと頷いてみせた。


 正人さんが携帯でタクシーを呼んで私を抱き上げて上の道まで移動する間、私は一体何がどうなっているのか考えていた。

 



「ホタルを見に行ってくるね」

「ホタル?」

「うん、小学生たちがこの春に放流したんだって。一昨日あたりから出始めてて、『今日はたくさん見れそうだからみんなで見にいくんだ』って近所の子供たちが話してたの。それでね、大人もついていってみんなで見るっていうから一緒に連れて行ってもらう約束したの」

 

 そう言って夕食後に出かけたのを思い出す。その後約束通り子どもたちと合流して、きゃーきゃー喜ぶ子どもたちとホタルの乱舞を鑑賞して。

 そうだ。

 みんなと別れた後、橋の上から突き落とされたんだ。

 そんなに高くない橋。うまく着地したと思ったんだけど、川底のぬめりに滑って転倒……までしか覚えていない。けど、頭を打って意識を失ったんだろうなぁ。

 どれくらい時間たってるんだろう。正人さん、心配して探しにきてくれたんだ。




「きゃ~、マミちゃん、どうしたの?!」

「マミ、何があったの?」


 正人さんに抱きかかえられて帰ったずぶ濡れの私を見て、杏花さんたちがとんでくる。


「身体冷えてるから、風呂に入れてやって」


 脱衣所で私をおろして出ていこうとする正人さんにお礼を言うと、振り返った正人さんは小さく頷いてさっさと出ていった。ずっと抱えられていたからわからなかったけど、正人さんの顔は真っ青だった……。


 湯船につかると痺れるほど冷えていた身体がじんわりと温まってくる。ゆっくりと手足を伸ばすと生き返るような心地がする。

 ずっと浸かっていたい気がするけど、正人さんの様子が気になる。正人さんも濡れた私を抱きかかえてたんだから濡れているだろうし。……タクシーの中でも一言も口をきかなかった。

 とりあえず温まると大急ぎで身体を洗い、リビングに戻る。


「マミちゃん、ちゃんと温まった?」

「川に落ちたって?」

「みんなで行ってたんじゃないの?」

「どこも怪我はないのか?」


 みんなして口々に言う。


「うん、怪我は大丈夫。頭の後ろにちょっとたんこぶができてるくらいで他はなんともないよ。みんなと別れた後に落ちちゃったのよ」

「そうなんだ」

「びっくりしたわ」

「……正人さんは?」


 正人さんだけがいない。


「正人は着替えに上がったよ」

「ね、正人と何かあったの?」


 加奈がそろりときいてくる。


「ああ、正人の方が顔色悪かったな」

「ううん、その前、帰ってきたときから変だったの」

「変って?」

「一馬と一緒に十時頃帰ってきたのよね。それで『マミちゃんがホタルを見に行ったまままだ帰らないんだけど、ちょっと遅いわね』って言ったのよ。そしたら一馬は『コンビニにでも寄ってるのかな』って言ったんだけど、正人は血相を変えて『どこに見にいくって言ってた? もし帰ってきたら電話してくれ』って飛び出して行ったのよ」

「だって十時だろ? 九時ごろまでホタル見てたらすぐそれくらいになるだろう。川に落ちてるなんて誰が思う?」

「正人はなんでそんなに心配したんだ?」

「マミは心当たりあるの?」


 みんなの視線が私の方を向く。

 正人さんはもしかしたら私が狙われているかもしれないって気づいてた? そんなはずはない。昼間「いうことがあるんじゃないか」って言ってたのは多分怪我のことだろうけど。事故にあっているとは言ってないもの。

 

「わからない。……正人さんにきいてみる。部屋に行ってもいいかなぁ」

「まぁ着替えはとうに終わってるだろうからいいんじゃないか」

「じゃ、マミにまかせた。もう遅いし、オレは寝るよ」

「うわ、もうこんな時間」

「マミちゃん、正人のこと、お願いね。私たちももう寝るわ」


 


 ノックをしても返事がない。

 もう寝てしまったのかな、と思いつつそーっとドアを開ける。寝てそうなら明日にしようと思ったんだけど。

 正人さんはベッドの端に腰かけていた。開いた両膝の上にそれぞれ両肘をついて組んだ手の上に額を乗せて。

 男の人の割に整頓された部屋。それにそぐわずさっきまで来ていた服が脱ぎ散らかされている。


「正人さん……」


 近寄って声をかけるとゆっくりと顔をあげた。さっきよりはだいぶましになっているとはいえ、まだひどい顔色だ。


「温まったか?」


 自分の方こそ冷えたままだろうに。さすがに着替えはすませてたけど。


「うん、ほら」


 ぽかぽかになった右手を出すと、その手を握ってくる。正人さんの手は思っていたほど冷たくなかった。


「ん」

「来てくれてありがとう」

「…………無事でよかった」

「正人さんもお風呂入ってきて」

「ん」


 そう言ったまま動かない。


「…………正人さん?」


 いつもの快活な正人さんとは様子が違う。

 突然握った手をくいっと引っ張られ、バランスを崩した私はよろめいてと正人さんの前に立った。その私の腰に両手を回して引き寄せると正人さんはぽすんっと私の胸元に頭を預けてくる。


 え?


「少しだけ、このままで…………」


 ええ? なに? この状況は!

 固まって身動きできない。ええっと、えっと、どうしたらいいの?

 パニックになってぐるぐるする。少しっていつまで?


 だけど、少し落ち着いてくると、正人さんが震えているのに気づく。いつも朗らかで大きくてお日さまのような正人さんがなんだか小さく見える。


 恐る恐る手を伸ばし、抱きしめる。ずっと前小さかった幸也を抱きしめてあげていたように。


 なんだろう。この気持ち。

 愛おしくって、守ってあげたくって、くすぐったいような不思議な気持ちが胸の奥から湧いてくる。

 ああ、これが好きって気持ちなのかな。


 私はただ黙って抱きしめてあげていた。

 


 しばらくして。

 

「ありがとう、落ち着いた。…………俺、かっこ悪いな」


 自分の顔を片手で覆うと大きく溜息をついた。そしておもむろに立ち上がると、脱ぎ散らかしてあった服を拾い集めた。風呂に入るというので一緒に部屋を出る。


「マミ、ありがとう。…………おやすみ」


 顔色は少しよくなっていたけれど、どことなく淋しそうな瞳が気になった。

 その夜私はなかなか眠れなかった。 

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