アクシデント
雨音で目を覚ます。今日も雨。
梅雨は嫌いじゃない。じっとりと纏わりつく湿気には辟易するけど、雨音は好きだから。もう一度目を閉じて雨音に耳を澄ます。
ぽたぽたぽたぽた。ぴちゃん。ぱたたたた。
いろんな音がする。
ガチャ
「行ってきま~す」
階下の声が聞こえて飛び起きて時計を見ると、まだ六時前。
今の声、真由美? 朝練にしては早いよね?
慌てて着替えようとして頭を抱える。またしても置いてあるのは、たぶん杏花さんの服。
しまった。今日こそ真由美に借りようと思ってたのに。
仕方なく……借りてるんだから文句言える立場じゃないんだけど、着替えをすませてリビングへ行く。
「おはよう。早いのね。もっとゆっくりしてていいのに」
キッチンからエプロン姿の杏花さんが顔を出す。
「真由美の出かける声が聞こえたから」
「あー、服ね? ごめんなさい。言ってみたんだけど、『オレと区別がつくからちょうどいいんじゃないか?』ってそのまま行っちゃったのよ」
なるほど、区別ね。そりゃそうだね、真由美の服着てたらみんながわからないか。仕方ないね。私の方がよそ者なんだし。
「服なんか一緒でも区別つくのにな。マミの方が…………」
コーヒーを片手に新聞を読んでいた正人さん、そこでぷつりと言葉を切る。
「私の方がなに?」
「いや、なんでもない」
「何それ~。言ってくれないとわからないよぉ」
「マミの方が…………いっぱい入る言葉があるだろう? 自分で考えてみな」
にやっと
どうせ、マミの方がしっかりしてるとか大人っぽいとかかっこいいとか言うんでしょ。ぷぅっとふくれて拗ねていると、くすくす笑いながら杏花さんがお盆に朝食をのせてやってきた。
「はいはい、マミちゃんも一緒に食べちゃって」
「杏花さんも私と真由美と区別つく?」
「そうね。二人いるのを知ってたら、間違えたりはしないわね」
そんなに違うのか。
「どこが?」
ときいたのだけど、その声は加奈の声にかき消されてしまった。
「きゃー、寝坊しちゃった。真由美、先に行ったの? ひどいよ~」
ばたばたと朝の支度をすませ、飛び出していく。
他の三人もそれぞれ自分の用意をしはじめる。手持無沙汰な私はキッチンで洗い物をした。
「マミちゃん、助かるわ。ありがとう」
杏花さんのほんの一言に嬉しくなっていたのに、正人さんなんて「皿、割るなよ~」って笑いながら行ってしまった。
そんなにどんくさくないですよ~だ。
出ていった後の扉に向かって舌を出してみせていると、入ってきた一馬さんにしたような形になってしまった。正人さんにしたのはわかったみたいで苦笑しただけで何も言われなかったけど。
もう、正人さんのせいで恥かいちゃったじゃない。
慌ただしくみんなが出かけてしまうと、取り残されたように一人ぼっちになる。
普段忙しい毎日を過ごしていたから、こんな風にすることがないと何をしたらいいのかわからない。頼まれた買い物にもまだ早すぎるし。テレビをつけてみてもたいして面白い番組もない。ソファーでゴロゴロしていてふと思いついた。
普段したことのない掃除機をかけ洗濯をする。
服を借りたり食費も払ってないのに食べさせてもらってるんだから、家事くらい頑張ろうと思ったのだ。
一通り家事を終えてもまだ昼にならない。手持ち無沙汰な私は本棚の前に立った。私の家にはない本がたくさん並んでいる。
この頃本なんて読んでなかったなぁ。
一冊を手にとってパラパラっと中を見る。推理小説だ。前はよく読んだんだけどな。幸也に借りて。
他にすることもないのでそれを持ってソファー戻るとページを開いた。
夢中になって読んでいるとあっという間に時間がたっていた。読み終えて時計を見ると二時になっている。お腹がすくはずだ。ぱっぱとご飯食べてそろそろ買い物に行かないと。立ち上がってう~んと伸びをする。こんなに動かないと体がなまっちゃうな。
雨はもうあがったようだ。
買い物帰り、散歩がてらいつもは通らない道を遠回りして帰ることにした。真っ直ぐに帰ってもまた本を読むくらいしかすることもないし。
ぶらぶら歩いていくと、見たこともない町並みに出る。
すぐ近所なのに、この辺りは来たことないなぁ。学区外だから友達もいないし。
うわぁ。綺麗! この家、いろんな紫陽花が咲き乱れてる。色も形も様々ですごく綺麗。紫陽花ってこんなにたくさん種類があるんだ。
足を止めて紫陽花に見入っていると、玄関の引き戸がガラリと開いて中から少し腰の曲がった老婦人が出てきた。
「すごく綺麗ですね」
「ありがとう。いろいろ集め過ぎてしまってね。紫陽花だらけでしょう」
「こんなにいろんな種類があるの、知りませんでした」
「そうなの。私も五年前まで知らなかったのよ。亡くなった主人と最後に出かけた紫陽花園でいろんな種類の花を見たのがきっかけでね。それから新しい花を見つける度についつい買ってしまって。いつの間にかこんなになってしまったのよ」
紫陽花に目をやる夫人のまなざしがとても優しい。
「いくつか持っていらっしゃる?」
「え? いいんですか?」
「ここで紫陽花を愛でてくださる方にいつも差し上げているのよ。ご迷惑でなければぜひお持ちになってちょうだい」
「いただきます」
「どれがいいかしら?」
老婦人は目を細くしてゆっくりと戻っていき、ハサミを取ってくると私の指す数種類の紫陽花を切って花束を作ってくれた。
「育てるのにも興味があるなら、簡単に挿し木にもできるのよ」
「そうなんですか?」
することがない私は早速帰ったら挿し木もしてみようと思った。
「紫陽花の花言葉をご存知かしら?」
「あんまりいいイメージじゃなかったような…………。”浮気”とか”移り気”とかですよね?」
「そうね。そう思っている人が多いのよね」
「違うんですか?」
「いろいろあるみたいなのよ。色によっても違うみたいなのよね。だから私はその中で自分が気に入った言葉を花言葉だと思っているのよ」
くしゃりと目尻に皺を寄せる。
「その言葉はね。”絆”。この花を愛でて育てている私と主人の絆も繋がっているし、これから出会う人との絆にもなるの。はい。これで私とあなたとも繋がったのよ」
「また来てもいいですか?」
「どうぞいつでもいらしてくださいな。いつも一人でおりますから」
手渡してくれた花束を大切に受け取り、またゆっくりと散歩を続ける。花束を抱えて歩いていると気分まで明るくなってくる。
”絆”か。うまく挿し木できたら、庭におろせるといいな。……いつか私が帰ってしまっても、みんなの心と繋がっていられるように。
軽やかな足どりで歩いて、ふと最後に追加で差し入れてもらった一本が落ちそうになっているのに気づいて足を止めた。
ガシャーンッ
「危っな!」
目の前に落ちてきたのは植木鉢。足を止めてなければ直撃するところだった。
見上げるとアパートの手摺につけた台の上にずらりと並んでいる。その内の一つが落ちたようだ。
植木鉢の影へするりと黒い尻尾が消えていくのが見えた。
猫の仕業か。
黒猫。ここんとこ黒猫に祟られてるみたい。不幸を呼ぶ黒猫、二度あることは三度あるって言うけれど。
と思ったら、屋根の上や階段、廊下の隅にたくさんの猫がくつろいでいる。
猫屋敷ならぬ猫アパート! 黒猫だからでなく猫が山ほどいたのか。
フーッ
フギャーッ
ギャーッ
あら、二階の廊下で喧嘩が始まっちゃったみたい。そんなとこで喧嘩したらまた植木鉢が落ちちゃうよ。
お節介とは思いつつ階段をのぼってみると、さっきの黒猫が五六匹の猫に囲まれている。囲んでいる猫たちに比べて黒猫はかなり小さい。
余所者なのかな。
そう思ったのと、三匹の猫が黒猫に飛びかかったのとほぼ同時だった。
「こら!」
黒猫救出のために走りよると、攻撃していた猫たちはさっと散って少し離れたところから様子を伺っている。
黒猫は右前肢と左肩にケガをしたみたい。
近づいても逃げないところをみるとこの子は飼い猫なのかな? 首輪はしてないけど。少し緑がかった色の瞳で見上げている。
抱き上げようともう一歩近づいて手を伸ばしたとき、後ろでドアの開く音がした。振り返ると箒と塵取りを持った小太りのおばさんがじろじろ見て言った。
「あんた、どこの子? 猫にあんまりかまわんとって」
「すみません。この子が一方的に苛められてたからつい…………」
指差しながら振り返ると、さっきまでいたそこにいた黒猫の姿はもう消えていた。
「猫のケンカなんかしょっちゅうや。人がかもたらあかん。さっきの物音もどうせそこの植木鉢落したんやろ。何回置き方注意してもききよらん」
ぶつくさ文句を言いながら階段を下りていく。後ろをついて下りていくと、おばさんは前を向いたままつっけんどんに言う。
「あんたも猫にエサやらんとってや。ケンカの仲裁もせんでええから。猫がぎょうさん集まって困ってんのや」
そのままさっさとさっき落ちた植木鉢の欠片を塵取りに集め、屈めた腰を上げたときに目が合った。
「まだおったんかいな。さっさとどっか行き」
追い払うようにあごをしゃくると、また階上に戻っていった。
う~ん。私も猫扱い? まぁいいけど。
猫に困ってるのは確かなんだろう。これだけの数が集まってたらいろいろあるんだろうなぁ。誰かがエサをあげてるんだろう。あの口ぶりからすると住民間のトラブルがありそうだ。とっとと退散しよう。
私は首を竦めてその場を離れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます