三話:望まれた探偵

 日曜日の朝十時。

 朝食を食べ終えて、読書をしていると徒野探偵事務所の電話が鳴った。

 珍しいこともあるものだと電話に出ると、珍しいことに依頼だった。


「徒野。明日は隕石が降ってきますが、依頼受けますか?」

「お前は私が仕事をするのを天変地異の前触れだと思っているのか」

「だってそれぐらい暇ですもん」


 保留ボタンはもちろん押してあるので、相手にこの馬鹿な会話は聞こえていない。

 徒野へ受話器を渡す。保留ボタンを切り徒野が会話を始めると目が爛爛と輝いてきた。

 嫌な予感がしながら待っていると徒野が依頼を溌剌とした声で承諾したようだ。


「さぁ葛! 仕事だ、行くぞ!」


 電話を切った徒野は、水を得た魚のようで、パジャマ姿から瞬く間に着替えを済ませた。とりあえず部屋で着替えろ。ここはリビング兼事務所だ。何度言ったら男がいる前で堂々と着替えるのをやめるんだ。

 抗議しようと伸ばした手をするりと交わして徒野が外に出たので嘆息しながらそれに続く。

 一階のガレージで可愛らしいを車の形に詰め込んだ軽自動車に乗る。

 助手席でシートベルトを楽しそうに着用する姿は、公園に出かける小学生のようだなと思いながら車を走らせる。

 場所は避暑地として有名な場所だ。


「依頼は何だったのですか?」

「殺人事件の解決だ」


 薄々そうだとは思っていた。

 徒野が目を輝かせて依頼に取り組むのだから、徒野好みであることは間違いない。


「警察も知らない出来立てほやほやだ」

「ほやほやって……」


 思わずハンドル操作を間違えそうになった。


「いいんですか? 警察に連絡しなくて」

「いいんだ。警察より早く私へ依頼したということは、犯人に自首してもらいたいということだろう」

「なるほど」


 ならば警察より頼った先が探偵であることにも納得がいく。

 他の探偵ならば、こうはいかなかったかもしれないが、徒野だからこそ警察には通報をしない。

 高速道路を使って約二時間後、依頼人が待っている別荘へ到着した。

 冬晴れの空は暖かい日差しでぽかぽかと身体を温めてくれる。

 徒野が車から降りるのを待っていると、中々徒野が助手席から降りてこない。

 いつまでたっても鍵を閉められないじゃないか――と思ったところで、今の季節が乾燥の冬であることを思い出して、ため息をつきながら助手席の扉を開けると「遅いぞ、葛」と文句を言いながら徒野が降りてきた。


「静電気を怖がらないでくださいよ」

「私は静電気と友達なのだから仕方ないだろ。できれば絶縁したい」


 服だけではなく髪も含めて摩擦する面積が多いからかもしれないが、徒野は静電気が起こりやすい。冬になると静電気が起きやすい服は着ないようにしているらしいのだが、あまり効果はないようだ。


「なら土に手を当てて電気を逃しましょうよ」

「手が汚れるから嫌だ」

「我儘ですね」


 此処でグダグダしていても仕方ないので、適当に切り上げて別荘の方を向く。

 別荘の駐車スペースに車はない。木造建築の二階建てで高さ一メートル程度の塀が囲っている。インターホンの横には防犯カメラ設置中のマークが貼ってある。簡単に見渡すと、木の間に防犯カメラらしきものがこちら側を見ているのが発見できた。

 インターホンを鳴らすと暫くしてから明瞭な女性の声が聞こえた。


「依頼された探偵の徒野だ」


 徒野が客商売には向かない偉そうな声で名乗ると、少々お待ちくださいとインターホンが切れ、玄関の扉が慌ただしく開いた。

 現れたのはやや落ち着きがない様子の女性だ。

 アッシュ色に染めたウェーブのかかったミディアムヘアーに、白のニットセットアップを着ている。健康的な肌にはナチュラルメイクが施されており、年のころ合いは僕より少々上の二十代中ごろと見える。

 黒の瞳が落ち着きのない動作で僕と徒野を交互に見る。

 思ったよりも探偵である徒野が若いことに驚いているのかもしれない。


「……ありがとう、ございます……此方へ」


 女性は砂羽さわと名乗った。

 玄関で靴を脱いでスリッパに履き替えお邪魔しますといいながら廊下を歩く。細長い廊下の先にあるリビングに入ると、女性が二人お茶を用意しながら砂羽と同じく落ち着きのない動作で動いていた。


「こちらが、百合子ゆりこ千奈津ちなつです」


 砂羽が女性二人を指さして紹介した。百合子と千奈津はお茶をテーブルに置いてからお辞儀をする。

 百合子は柔らかい茶髪を内側に緩くカールをかけ、ハーフアップにして結んでいる。長さは胸元まである。白のニットにミモレ丈のスカートを組み合わせ、全体的に清楚なお嬢様といった印象だ。

 千奈津は黒々とした髪を降ろし腰したまでのロングヘアーに日焼けした肌はノーメイクだが、それが着飾らない感じと健康的な女性さを引き立たせていた。顔立ちはやや童顔だが、身長は高く、僕よりやや低い程度なので恐らく百七十はある。


「……警察に、連絡しないで頂き、ありがとうございます」


 沈んだ声で百合子がお礼を言った。話しにくそうに百合子は殺害された被害者と自分たちの関係性を告げた。

 被害者の名前は紀子のりこ

 容疑者は百合子、千奈津、砂羽の三人。

 一応外部犯の可能性を徒野が状況を聞きながら調べたが、外に設置してある監視カメラには不審者はおらず、また外から侵入したような痕跡はなかった。

 彼女らは高校の同級生で、高校時代はいつも一緒に行動している程仲が良かった。

 高校卒業後は進路の関係で別別の道を進んだが、定期的に連絡を取り合っていた。

 しかし大学を卒業後仕事が忙しく、中々会うことは叶わず二年ぶりに全員の日程がかみ合い別荘で会うこととなった。

 別荘の持ち主は千奈津だ。


「二年ぶりの、楽しい時間を私たちは……過ごしていたんです」


 百合子の瞳に涙が浮かぶ。二年の歳月を埋めようと皆で別荘に引きこもってお喋りを満喫していた。


「皆、かわっていた……あたしたち老けたねって顔を見て笑いあったんだよ……。あたしは髪を染めたし、千奈津はベリーショートだったのがロングヘアーになっていて驚いたし、髪が長かった紀子は短くしていたし……」


 砂羽も感情を揺れ動かしながら語る。

 この時間が明日も続くと疑っていなかった。

 だが現実は非常にもその時間に終止符を打った。


「紀子は最近趣味で卓球を始めた、とか、百合子は相変わらず読書が好きで乱読しているとか……色々話したんだよ。まだ、話足りないから徹夜しよっかって話していたんだけど、お酒が入っていたから……起きていられなくて寝ちゃったんだ。また明日にしようって」


 千奈津が天井を見上げる。あの時の笑顔はもう帰ってこないと呟いたのがはっきりと聞こえた。

 翌朝、紀子が起きてこないので、寝坊をしたなと三人で笑いあいながら和室を開けると紀子が死んでいた。


「第三者が偶々紀子を殺害したっては到底思えなかったんだ……わたしたちの誰かが犯人だろうって、だから警察は呼びたくないってわたしがいったの」

「砂羽の言葉に、最初私たちは驚いたけどでも、そうよねって私も思って……だから、探偵を呼びましょうって私は言ったの。探偵さんなら、きっと犯人を見つけ出してくれるから」


 探偵を呼んだのは百合子の提案だったことが判明した。

 砂羽が重たい足取りで和室の前に立つ。そして震える手でゆっくりと扉を開いた。

 紀子の死体はそのままで置かれていた。

 現場保存としては正しいが、その光景は痛ましい。

 砂羽は口元を抑えて失礼と言ってから洗面所へとかけていった。千奈津と百合子も顔色を悪くして立ち止まっている。

 徒野が千奈津と百合子に和室に入らないようにと言ってから足を踏み入れる。僕は続く。

 僕は扉を閉めた。少しでも千奈津や百合子、それに砂羽へ友人の死を見せないでおこうと思った。

 被害者の紀子は、明るく染めたマッシュルームカットに、寝巻の黒いパジャマを着ていた。身長は目算だが、この中では一番小柄だ。

 首には縄で絞められた索状痕が残されており、死因は縊死でまず間違いがないだろう。

 首の周りには吉川線もあり、抵抗した痕跡が残っている。

 顔は憤怒と苦悶、絶望に染まっており、目玉が今にも飛び出してきそうだ。

 縄の跡が色濃く残っている首だが、縄は犯人の手によって持ち去れたようで、現場にはない。

 紀子にあてがわれた和室を見渡したが凶器になりそうなものはない。


「凶器探しますか?」


 死体の前で屈んでいた徒野に声をかける。


「いや、探す必要はない」

「え? どうしてですか? 確かにこの部屋から見つかるとは限りませんが……」

「凶器には見当がついている。問題はない」

「本当ですか!?」

「私が嘘を言ってどうする」

「では犯人も」

「あぁ。犯人の動機は知らないが、犯人が誰であるかはわかったし、証拠もある」

「……やはりあの三人の誰かが?」

「そうだよ」


 高校の頃からの仲良し四人組。その中の一人が犯人だと思うとちょっと悲しかった。

 徒野は一通り現場を検証できて満足したのか立ち上がり和室の扉を開いた。


「リビングへ戻るぞ。砂羽は?」


 まだ戻ってきてないようで、千奈津が首を横に振った。リビングへ戻り暫くすると吐いて少しすっきりしたのか顔色が多少なりと良くなった砂羽が戻ってきた。


「さて、お前たちの中で誰が紀子を恨んでいたとか、そういったことを私は知らない。だが、犯人はわかった」

「犯人、誰だかわかった、んですか?」


 涙声で砂羽が尋ねると、徒野が大胆不敵自信満々の笑みを浮かべる。


「千奈津だよ」


 はっきりと、その名を告げた。

 細身の長身で、健康的な肌をした腰まで髪を伸ばした女性。千奈津。


「なっ! わたしが犯人だっていうのかい!?」


 千奈津があんぐりと口をあけながら信じられないとばかりに徒野へかみついた。


「そうだ。お前が犯人だ」

「しょ、証拠は……」


 動揺しながら千奈津が徒野へ尋ねる。


「お前が身に着けている。その――髪だ」

「冗談。いくら、わたしの髪が長いからっていっても、頭にくっついているんだ。この程度の長さじゃ絞殺なんてできないよ……それに絞殺するために縄状……三つ編みとかにしたら、さらに短くなるんだから……徒野さん、くらいの長さがあれば別だろうけどさ」


 確かに徒野なら二人くらい余裕で絞殺できそうだ。冗談だけど。


「そうだな。けれど、それは頭にくっついていた場合の話だ。ウィッグならば可能だ。それを凶器にして紀子を殺害した」

「……どうして、わたしの髪がウィッグだと思うのさ」


 徒野がおかしそうに腹を抱えて笑った。


「ベリーショートだった髪が、二年程度で腰までの長さに伸びるわけがないだろ! お前はどんだけエロ本を読んだというのだ」

「徒野……それはちょっと失礼ですよ」

「一か月に髪が伸びる平均は一センチ。二年で二十四㎝だ。人によって、個人差があるのはもちろん当然だ。だからお前の髪の毛の伸びが早くて三十㎝伸びたとしよう。けれども、三十㎝伸びた程度では、ベリーショートの髪から腰下までのロングヘア―にはなれっこない」


 僕の言葉は華麗に無視されたが、徒野の言葉は納得ができるものがあった。

 千奈津の身長は僕に次いで高く、約百七十㎝ある。その身長であれば当然座高も高い。ベリーショートだった髪を腰下伸ばすとすれば、それは三十㎝じゃ足りない、四十㎝伸びても無理だ。

 現場に凶器がなかったのは犯人が身に着けていたから。

 千奈津は髪の毛に手を当てると、バサッとその長い髪が取れた。現れたのは黒黒としたベリーショートだった。


「さて、お前はどうする」


 徒野の問いかけに千奈津は唇を噛みしめるように黙っていたが、数分後口を開いた。


「自首、するよ」


 深々と千奈津は頭を下げた。

 百合子と砂羽が、自首する前に千奈津と話し合いたいといったので、徒野は承諾して報酬を受け取って別荘を後にすることにした。

 時刻は三時を回ったところだった。

 日が沈むのが早い季節だが、折角なので少しばかり観光をして帰ってもいいだろう。

 団子を食べながら並木を歩いていると、徒野が口を開いた。


「恐らく、百合子も砂羽も千奈津が犯人だと気づいていた。わざわざ髪の毛の話を持ち出したのも私に気づきやすくさせるための誘導だ――そんなことをしなくても私は気づいたが」


 予想外の言葉に目を丸くしながら徒野が続きを話すのを待つ。


「自首を望むからといって警察に通報しないで探偵を呼ぶことなんて普通はない。砂羽が警察を呼ばなかったのは、百合子が探偵を呼ぼうといったのは、千奈津に自首をさせるためだ。警察に通報すればあんな杜撰な殺人計画すぐに露呈して千奈津は逮捕されただろうからな」

「なら……どうして、砂羽さんと百合子さんは、直接千奈津さんに自首を進めなかったのですか?」

「仲良しだからだろう。自ら真実を追求すれば火に油を注ぐだけの結果かもしれないし、素人の自分たちでは下手に千奈津を追い詰めるだけになるかもしれない。葛藤があった。だから、第三者の探偵を呼んだんだ」


 友人だから自首をしてほしい。けれど友人を殺したのだからその罪は償ってほしいというわけだろうか。


「けど、どうして砂羽さんや百合子さんは犯人に気づけたのですかね?」


 一人ならまだしも二人ともだし、迅速な行動から言って紀子が殺害されたのを発見してすぐに犯人に気づいている。


「紀子を殺害する動機を千奈津が持っていることを知っていたのかもしれないが――まぁ女だから気づいたのだろう。二年程度じゃ、腰下まで髪の毛は伸びないって。葛のように髪を伸ばさないのならば気づかないかもしれないがな」


 確かに僕は気づかなかったが、同じ髪を伸ばす女性として不自然に気づいたとしても不思議はない。

 髪の毛は、一年で平均たった十二㎝しか伸びないものなのだから。 

 彼女らの本当の関係は僕らにはわからないが、そこに友情があったことは真実だろう。

 それにしても美しいと思った。

 ――ん?

 何を美しいと思ったのだろうと自分の思考に疑問を抱いたが、友情に対してだとすぐに気づいた。

 人間関係が希薄だった僕には、学校に通っていたころから友人らしい友人は一人もいなかった。

 昔は両親が怖くて、友人なんて関係を同級生と作れる余裕はなかった。

 一人になってからは、優しさに耐え切れなくて高校を中退したし、日々を食つなぐために必死になっていたころは友情を築く余裕はなかった。

 今は隣に徒野がいるが、徒野は『友人』というくくりではない気がする。

 恩人で、大切な人で、上司で――

 空を眺めると、いつの間にか夕日に変わっていた。明日もいい天気だろうか。


「徒野。折角ここまで来たんですから、夕食も食べていきませんか?」

「そうだな。そうするか! ステーキにしよう!」

「魚がいいです」

「なら間をとってオムライスだ」


 間、とってなくない?

 呆れながらも、僕は笑って徒野の隣を歩く。


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