第21話:コピーキャット

 不知火は冷淡とも取れる絶対零度の頬笑みを向けたまま、動揺もしなければ激怒もしない。『どうして』と無言のまま続きを促している。


「ある段階から、私は早乙女と不知火、どちらかがコピーキャットだと疑っていた」

「どうしてですか?」

「此処には多くの殺人鬼が集められた。毒牙の魔女千日紅、鋏の殺人鬼佐原真緒、そして恐らく死体アーティストは日ノ塚沙奈だ。生きている人間への興味が極端に薄かったからな。死体にのみ興味を示していたのだろう。相馬は刑事。真緒、日ノ塚、相馬は殺害されているがためコピーキャットにはなりえない。故に不知火か、早乙女が怪しかった」

「ボクを探偵として扱いながら犯人として扱うって酷くない?」

「それに、探偵と事務員も残っていますよ」


 早乙女、不知火の指摘は尤もだ。


「私は探偵だ。自分は犯人じゃないと知っている。私は殺人を自らの手で犯すよりも、他人が犯した殺人事件の物語、その結末を見たいからな」

「あはっは。キミって探偵というより犯罪者のストーリーテラーみたいだね」

「ストーリーテラーをあえて設定するなら、私ではなく漆原しかあり得ないだろ」

「じゃあさ、探偵さん。探偵なら当然気付いているのデショ?」

「……そうだな」


 含みを持たせた早乙女の言葉に徒野は同意した。

 主語の存在しない、秘密の会話。

 秘密の内容が気になったが、徒野は詮索される前に素早く言葉を切り替えた。


「早乙女が探偵であることは、早い段階から疑っていた。確信したのは暗号が解読されたのを知った時だがな」

「暗号解読されているの?」


 千日が信じられないと早乙女を見た。早乙女はその中性的な顔で頷く。千日は半信半疑なのか、ゆったりとした動作で扉の方へ向かい、そして扉を開けた。


「……本当だわ」


 確認が取れた千日は、そのまま外へ出ることはせず暖炉の前に戻ってきた。香水がふわりと漂う。


「どうしてわかったの?」

「こんなもの、遊びだからダヨ。実験と漆原が表現していたのだから、不可解な暗号とかは用意していないデショ」

「それでも、あたしはわからなかったわよ」


 千日の言葉に同意である。

 例え遊びの暗号だったとしても、俺にだってわからない。

 俺は探偵ではない。


「探偵って役割なのにボクを疑ったのは何故?」

「探偵だからコピーキャットじゃないと除外するのは愚かな早計だ。二重の役割を与えられている可能性もある。探偵で殺人鬼がいても不思議ではない」

「まっそれもそうだね」


 実際、探偵である早乙女は、自分を利用したことが許せなくて、漆原を殺害している。


「なら、あたしが毒牙の魔女兼コピーキャットでも問題はなかったわよね? どうして、あたしを外したのかしら?」

「そうだよそうだよ」


 早乙女が頬を膨らませてふてくされていた。

 こういうところは高校生らしくて可愛いと思う。いや、高校生がやるにはいささか幼いか。


「簡単だ。千日をコピーキャットから外したのは、相馬宗太郎が殺害されているからだ」

「どうしてですか?」

「あいつは、梼昧とうまいな程、赤いリボンの殺人鬼へ熱中していた。警官として毒牙の魔女に興味がないほどに、赤いリボンの殺人鬼だけを視野に入れていた。だからといって、相馬は、千日が毒牙の魔女であり三人の夫を金目当てで殺害した犯人だと確信している。その相馬が、千日と一対一で話す場合、殺されるような隙を見せることはあり得ない」


 赤いリボンの殺人鬼が、この館に現れたと本物であると盲目していた相馬だが、殺人が起きた以上、毒牙の魔女に対して警戒を怠るわけがないと徒野は信頼していたということだ。


「体格や、腕っぷしから言っても女が、刑事であり武術に秀でた相馬を組み伏せて鋏でぐちゃぐちゃに殺害できるとは思えないしな」

「千日さんの色気に惑わされたのかもしれませんよ?」

「はっ。相馬は女の色香に惑わされるような愚か者ではない」


 鼻で笑いながら不知火の言葉を切り捨てた。


「不意打ちをつかせるために、睡眠薬や筋弛緩剤を飲ませるか? 定番中の定番、クロロホルムでも使うか? 使わせる隙を相馬は見せないし、毒殺を手法としている千日の前で飲み物なんて間違っても口にしないよ。あいつは、愚か者だが、馬鹿ではない」

「だからこそ、あたしは除外されたのね。あたしが、毒牙の魔女であるから」

「そういうことだ」

「けど、なおさら疑問が残るわよ。あたし以外の誰かが赤いリボンの殺人鬼だと疑っていた。そんな状況下で、どうやって相馬を殺害できたの? 不知火や早乙女だって、相馬と力比べして勝てるとは思えないわよ?」


 見た目から筋骨隆々としている相馬ではないが、引き締まった体つきはスーツの上からでも判別できただろう。

 一方、中性的な顔立ちをして、折れそうなほど細い腕の早乙女は千日以上に力があるとは思えない。

 不知火だって同じだ。柔らかい雰囲気を纏う男が、相馬と取っ組み合いをして勝てるとは思えない。


「大体、どうやって部屋に招いてもらったのですか? 警戒心があるでしょう。貴方や、葛桜さんならばともかく」

「簡単だ。日ノ塚が殺されたことに関して気付いたことがある。もしくは、赤いリボンの殺人鬼のことで話があるといえば、言いだけだ」


 赤いリボンの殺人鬼を餌に、相馬の懐に入って殺害した。


「赤いリボンの殺人鬼の名前を出せば、一瞬の隙を見せるだろう。そこを狙って一撃を加えればいい。取っ組み合いが不安ならば鋏で殺害する前にスタンガンでも使えばいい。弱らせれば、組み伏せることだって用意だ」

「確かにそうだネ、けど、その方法なら千日だって仕えたと思うよ?」

「いいや、千日には使えない。刑事が毒牙の魔女を前にして、赤いリボンの殺人鬼という餌をぶらさげられたところで、隙を見せるとは思えないし、何より、相馬には千日紅を警戒する個人的理由があった」

「――相馬が、お金持ちだから」

「そうだ」


 俺の答えに、徒野は満足したように頷いた。


「保険金目当てで殺害するのも資産家の妻になって遺産を狙うのも、どちらにしても莫大なお金が転がり込んでくる。殺害対象でありえることを相馬は理解していたはずだ。ならば、篭絡してくる可能性があると危惧することも当然だ。ならばこそ、赤いリボンの殺人鬼という言葉を出されて警戒こそすれ、隙を見せるわけがない」


 徒野の言葉には、反論が見つからなかった。

 俺が馬鹿なだけかもしれないと、早乙女や不知火を見たが納得しているようで成程といった面持ちだ。


「故に、容疑者は真緒が殺害されている以上、早乙女か不知火の二人に絞られる。そして、この二人のうち凡ミスをしたのは不知火だけだ」


 不知火の怜悧で優美な雰囲気ばかりを漂わせていた表情が歪んだ。


「私が一体何のミスをしたというのですか」


 完璧な仕事をした、という自負が漂っていたが、俺も不知火が何をミスしたのか、一つだけ知っている。


「この場に集められた殺人鬼の手法を真似るのは面白い案だ。実際、見た目ならば完璧に模倣し、本物のような殺害の仕方だ。けれど、な。一つ教えておいてやる。赤いリボンの殺人鬼は――日ノ塚沙奈を殺害しない。彼女を殺害するに至る条件を、満たしていないんだ」


 条件を満たしていない以上、それは決定的な失敗である。


「私や、千日は赤いリボンの殺人鬼に殺害される条件を満たしている。さらに言えば、漆原あやめも満たしている。しかし、日ノ塚沙奈だけは、この場に集まった女性の中で唯一、条件を満たしていないんだ。それなのに殺害した、それはミスでなくて何だという」

「……日ノ塚沙奈さんだけは殺害しない理由は?」


 不知火は慎重に言葉を選びながら、日ノ塚沙奈だけが条件を満たしていない理由を探しているようだ。


「リボンのメーカー、巻き方も完璧だった。赤いリボンの殺人鬼に執念を燃やしていた相馬も知らなかった事実だが、赤いリボンの殺人鬼は、んだよ」


 徒野が告げた、相馬も知らなかった事実。

 不知火は目を見開いた。信じられないと赤いリボンの殺人鬼の殺人歴を思い出して思案し始めたのだろう視線が泳いだ。


「二十一歳未満の女性は殺さないって……どういうことですか」


 しかし、回答は見つからなかったようだ。


「そうよ。大体、赤いリボンの殺人鬼は二十歳の女性だって殺害しているわよ!?」


 千日も会話に加わる。声には驚きがにじみ出ていて、動作も大げさだったのでワンレンの髪が揺れる。


「赤いリボンの殺人鬼が、最後に二十歳の女性を殺害したのは、二年前だ。それ以降は殺害していない。そして、十九歳の女性が殺された年月をお前らは会話していたよな? いつだ? 最後に十九歳の女性が殺害されたのは三年前だ。そして、今年殺害された女性は二十三歳、二十五歳、三十一歳、二十二歳、二十八歳だ」

「……もしかして」


 不知火が愕然とする。


「そう、そのもしかしてだ。赤いリボンの殺人鬼は、。年下も同い年も殺害はしない」


 つまり、現在赤いリボンの殺人鬼の年齢は二十一歳ということになる。


「……それは盲点でした。全く気づきませんよ。私は漆原からコピーキャットとしての依頼は受けました。けれど誰がどの殺人鬼であるかは、面白くないからといって教えてもらえませんでした。ただ、この場に招かれた殺人鬼だけ教えられて、あとは私の方で殺害方法を模倣したのですよ」


 不知火は自らコピーキャットであることを認めた。


「成程な」

「もっとも、赤いリボンの殺人鬼が誰だか教えてもらえたとしても、無理だったでしょうね。私が、その年齢の条件に気付いていなかったのですから」


 妹を殺害された相馬すら気付かなかった条件だ。

 不知火が気付けないも当然だろう。

 赤いリボンの殺人鬼の年齢を知らないのだから、そして――過去に十代も殺害していた事実から、その思考には至らない。

 何より、何故赤いリボンの殺人鬼が赤いリボンで女性を絞殺するのか、その理由を知らない。


「それだけですか? 失礼ながらそのミスだけならば……決定的ミスでこそあれ、早乙女さんがコピーキャットでなくなるとは思えません」

「そうだね。ボクも、その条件は気付かなかった。模倣しようと思って赤いリボンの殺人鬼に対して、調べていたのならば気づいただろうケド」


 早乙女はいちいちプライドが高い。


「他にも不知火は凡ミスをしているからだ。お前、葛桜に漆原のことを聞かれたとき――『彼岸花の和服を着ているのは』といったそうだな。何故、和服だとわかった?」

「……あっ!」


 不知火は滑らかな指先を口元に当てた。自らのミスに気付いたのだ。


「相馬と早乙女、私は漆原に会ったとはいったが、『和服』だということは一言もいっていない。肖像画にも和服は着ていなかった。なのに、どうしてお前は一度も会ったことがないはずの漆原が和服――正しくは和ゴスと呼ぶべきかもしれないが、着ていることを知っていたのだ? 答えは簡単。お前は漆原と会っているのだ。それなのに会っていることを隠した。それは何故だ? お前がコピーキャットだからだ」

「――それはついうっかり口走ってしまったようですね。貴方の言う通り凡ミスです」


 不知火は肩をすくめた。

 ミスから、不知火は己がコピーキャットであることを露呈させた。

 少なくとも千日はそのようなミスを犯していないし、早乙女もミスしていない。


「それにな、最後の最後に、早乙女は一つの行動に出たんだ」

「それは何ですか?」

「早乙女は、自分を利用した漆場が許せなくて、彼女を殺害したのさ」

「なっ――!?」

「なんですって!?」


 不知火と千日の驚きが重なる。

 千日が驚きから、口を隠すように手を当てることで、真っ赤なマネキュアが鮮烈に視界へ入る。血のように美しい色が、漆原あやめの死を脳内で再生される。


「自分が利用されたのが許せなくて漆原を殺害した早乙女が、コピーキャットなわけないだろ? コピーキャットであったのならば、自分が利用されたわけではなく共犯関係だ」

「そうですね。ただ、その推理に欠点を上げるとしたら……いえ、共犯だったのに漆原が、裏切ったとかそういう可能性はどうでもいいですね。私のミスがそれで帳消しになるわけではないのですから」

「あぁ。どうでもいい。お前がコピーキャットであるのだからな。裏切りとか、そういった可能性は存在しない」

「全く、仕方ありませんね」


 はぁと不知火はため息をついてから、残酷な笑みを――数多の血に濡れた殺人鬼としての顔を露わにする。


「なるほど、足掻くんだ」


 他人事のような態度で早乙女は言った。


「コピーキャットとして仕事は失敗しました。けれど、コピーキャットであり、他人の犯罪を隠れ蓑として動いてきた私のことを見破られたら今後不便です。ですから事実を知るものには、死あるのみですよ」


 柔和な笑みは、人の善意の塊である印象を与える。

 けれど実際は死の悪魔だ。

 不知火は懐からナイフを取り出し動き出す。

 コピーキャットとしての仕事は終わった以上、殺害方法に拘る必要はないということか? それとも死体アーティスト、鋏の殺人鬼、赤いリボンの殺人鬼、毒牙の魔女、それ以外の殺害方法を真似ているのかもしれないが――例えば、早乙女が漆原を殺害したように――関係ないことだ。

 俺も徒野も殺されるつもりは到底ない。

 不知火は徒野に向かっていく。

 徒野は軽やかな身のこなしで回避しながら、反撃の隙を見つけようとするが流石にコピーキャットとして殺してきただけあって、動きが手慣れている。

 徒野は攻めあぐねている。徒野を万が一にでもコピーキャットなんかに殺されてはたまらないので、俺は背後から加勢をする。

 左足に重心を乗せ、身体に勢いをつけながら回し蹴りを放ったが、後ろに目があるのかと疑いたくなるほど華麗に不知火は交わし、次いでとばかりに拳を放ってきた。


「ととと」


 頬を掠めたが、不知火との距離が近づいたのを好機と懐へけりを入れる。


「邪魔しないでいただきたいですねっ!」


 後方へ下がった不知火へ、徒野が飛び蹴りを放とうとしたが、それを腕で受け止めて徒野を放り投げる。

 空中で体制を整えた徒野は、地面へ着地する。ふわり、とスカートが舞う。

 不知火が底冷えのする笑みを浮かべなが、徒野へ休む暇を与えず滑らかな蹴りを連続してくる。

 ナイフがクルリと手のひらで回転し、徒野の腕をかすめる。真っ赤な鮮血が視界に映る。

 ――美しい。

 一瞬心に宿った感情を無理やり打ち消す。


「ちっ。この!」


 徒野が蹴りを入れるが、不知火は体操選手かと思えるほど軽やかな身のこなしで回避する。

 徒野を庇うように間に入る。


「ちょっと、千日も早乙女も手伝ったらどうだ!」

「あたしが荒事に長けているわけないでしょ!」

「ボクは狙われたら反撃するよ」

「おい、後半!」


 おもわず叫ぶ。まぁ期待はしていなかったけどな!

 千日は仕方ないと思うけど、早乙女は何なんだあいつ!

 探偵であり、自分の招待を見破った徒野を最初に殺害しようとしているようで、不知火の視線は彼女へ向いている。

 そうはさせない。徒野だけは殺させない。


「徒野さがってください!」

「私に命令するな!」


 手で背後へ押さえつけようと思ったが猫のように素早い動きで、腕の下を掻い潜られ徒野は不知火へ向かった。

 徒野の素早い連撃が不知火へ向かうが、ナイフを避けながらなので分が悪い。

 とはいえ、此方に武器があるわけでもない。

 不知火の慣れた手つきで華麗に披露するナイフさばきは、俺たちに決定打を与えない。不知火の蹴りが徒野の鳩尾にはいりせき込む。その隙を不知火が見逃すわけない。

 ナイフが突き出される。

 咄嗟に割り込んだ。腹部にナイフが突き刺さる。肉が、ずぶりと音を立てた。

 鈍い痛覚が、痛みを訴えるが、無視をする。

 ナイフの鍔を不知火の手に重ねるように握って抜き取り、反動を利用して手の位置を変えて、不知火の腹部に刺す。


「ぐっ――」


 不知火の顔が苦悶に浮かぶ。


「ははっざまー」


 痛みを偽るために笑う。汗が流れてくる。呼吸は荒い。血がどくどくと流れる。


「くそっ」


 不知火の綺麗な皮が剥がれ、怒りに満ちた表情を露わにする。

 猫を被らない、これが不知火の本性なのだろう。


「諦めないのですか?」


 顔を盛大にしかめながら問う。

 このまま諦めてくれればよかったのに。無理そうだ。


「おい、桜」


 徒野が心配そうに声をかけてくれる。


「大丈夫ですよ、まだ」


 血が流れるが、致命傷ではない。まだ動ける。

 不知火が動き出した。ナイフを抜き取り、血を流しながら動く姿はゾンビのようだな、なんて思った。

 それにしても喧嘩に自信があるから、素人ならナイフを所持していても問題はないが、玄人にナイフは反則だ。

 鬼に金棒を持たせることを許すなよ漆原、と既に亡きものへ文句を言う。

 傷のせいで動きが鈍くなり、腕をナイフが貫く。


「っあ」


 いてぇなこいつ。

 ナイフを不知火が勢いよく抜き取ったせいで、血しぶきが噴水ようにあふれる。

 鮮血が舞うたびに、心には美しいという感情が宿ってきて思考を乱される。

 落ち着け。思考を乱すな、不知火へ集中しろ。

 状況は不利になる一方だが、諦めるわけにはいかない。

 傷は痛いが、まだ動ける。まだ、死んでいないのならば動けると、不知火へ拳を突き出そうと思った瞬間、不知火の瞳が見開かれた。

 突然の驚愕が、絶望が襲ったかのような表情は、苦悶よりも憤怒に見て取れる。

 何が起きたのか、俺が理解するよりも早く、不知火は俺の方へ倒れてきた。

 咄嗟に、避けようと思ったが、不知火の手が伸びてきた。苦悶に満ちた表情は、救いを求めているかのようで動けなかった。

 不知火の体重に押され、地面へ倒れる。衝撃が傷口に響いて、痛かった。


「ぐう」


 呻きながら、動かない不知火の身体をどかそうと手を背中に回すと何かにぶつかった。顔の位置を変えて、視線を向けるとナイフ柄だ。

 ようやっと、不知火の身体をどかすと、斜めから骨の間を縫うようにして不知火は心臓を貫かれて絶命していた。

 脈もなく、瞳は見開いたまま。ナイフが刺さったままだからか、血はほとんど流れていない。

 俺は不知火の影になって姿を視認できなかった存在を、確認する。


「……早乙女」

「ボクが漆原を利用したという動機で殺害したというのならば、コピーキャットで漆原と共犯だった不知火を許すとでも思ったの?」


 そうあっさり告げながら鉛筆を回すように、もう一つ折り畳みナイフをくるくると手のひらで回転させた。

 武器持っていたのならよこせよ。

 しかも今、手で弄んでいるナイフはどう考えたって未使用だよな!


「お前……こっちは怪我をしているんですけど」

「流石にボクだって真正面からやりあうのは難易度高すぎだよ。不知火の方が、動きを見る限りボクより強いわけだしね。相手の力量を無視して挑むなんて愚かな行為するわけないデショ」


 ものすごく殴りたい。


「徒野と葛桜が頑張ってくれたから、ボクは隙をつけたわけだし」


 笑うその笑みは無邪気で残酷だ。


「だったらナイフ貸してくれてもいいじゃないですか!」

「嫌だよ。ボクがナイフを所持していると不知火に気付かれたら、隙を作れなくなるかもしれないデショ。ボクが殺せなくなっちゃう」

「お前の都合なんて知るか!」


 心から叫んだ。やはり一発殴る必要がある、と思った時だ。徒野は上着を脱いで、それから早乙女へ手のひらを差し出した。


「ん? ナイフ?」

「そうだ。止血をする」

「いいよ」


 早乙女がナイフを徒野の手のひらへ乗せる。

 その行動に気が抜けて、もう殴るのはどうでもいいやと思った。

 徒野は上着をザクザクと切り裂いて簡易的に包帯を作っていく。


「千日、悪いが傷の処置ができそうなものを漁ってくれ。それまで私とこいつは応急手当をしておく」

「毒ならすぐに用意できるのだけれど」

「殺すな」

「ふふ、冗談よ。ちょっと待っていて、まずは不知火の部屋を漁ってくるわ」

「頼んだ」


 千日が走って手当ができる道具を探しに行った。

 不知火の部屋には、彼自身が怪我をする可能性を考慮して手当の道具がおいてあると千日は推測したのだろう。

 徒野が切り裂いた上着をもらい、腹部に巻いていく。

 徒野は腕に巻き終わったあと、残った上着の切れ端で、俺の腕にも巻いてくれた。

 それをただ立ちながら悠々と早乙女は眺めているので殺意がわいてきた。

 その無駄にサイズが合っていないセーターをこっちにくれてもいいものを。


「さて。コピーキャットの件は片付いたし、ボクも探偵として、活動くらいしておかないとね」


 天使のように可愛らしい笑みを此方へ向けながら、早乙女は言った。


「探偵として暴こう。葛桜鏡――いや、赤いリボンの殺人鬼さん」


 俺は、笑った。

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