第22話:赤いリボンの殺人鬼

「キミが赤いリボンの殺人鬼だ。桜くん」


 早乙女が先刻、徒野に問いかけていた主語なき秘密の会話は、赤いリボンの殺人鬼の正体を知っているという意味だったと理解した。

 当然、答えはYESだ。


「驚かないんだ」


 平然としている俺の表情が詰まらなかったのか、早乙女は床を何度か蹴った。


「気付かれた以上、驚く必要はないじゃないですか。尤も口外するというのならば殺しますけど」

「ボクは男で、キミより年下だ。赤いリボンの殺人鬼の殺害方法には違反するケド?」

「赤いリボンの殺人鬼は、赤いリボンでしか殺害しないというだけの話です」

「赤いリボンを使わなければ殺害できるってことネ」

「必要とあれば、男女問わず」


 とはいえ、早乙女は高校生でしかも外見が中学生のように幼いから、実際問題殺そうと思って殺せるかは微妙なラインだった。

 男も、女も、必要とあれば赤いリボンを使わず殺害できる。

 ただ、幼い子供は無理だった。無垢な子供を、殺すことだけはどうしてもできない。

 彼らは守られるべき対象であり、奪われる対象ではない意識が強く働く。

 姉が、弟である葛桜鏡を守ってくれた過去があるから、幼い子供は殺せないのだ。

 そんなこと、早乙女には間違っても告げないで、殺せるかのように振る舞うけどな。


「まっ、口外はしないよ。そんな面白くないこと」


 笑いながら断言する早乙女は、やはり漆原や徒野と同類だ。

 犯罪を物語ととらえ、事件を面白いとみている。

 利用されたことが許されないと漆原を殺害しながらも、早乙女自身も今回の実験を楽しんでいた非道な一人だ。

 世の中そんな歪んだ人種は少ないだろうが、こうも周囲にいると類は友を呼びすぎだと抗議したくなる。


「一応、定番のセリフをいっておきますよ。どうして気付いたのですか?」

「キミが異物だったから」

「異物?」

「そう。この暗黒の館には、殺人鬼と刑事、探偵が招かれている。ボクは恐らく、探偵と犯罪者両方の側面として招かれたのだろうけど」

「自覚あるんですね」

「煩い。となると、キミだけが異物になるんだよ。探偵の事務員。一般人という役割を与えられた人物がいても不思議じゃないけどね、探偵の事務員は一般人じゃないよ。探偵に近すぎるからね。けれど、探偵として役割を担うキャラでもない」

「一般人を雇うなら、刑事とも探偵とも接点のない人を選ぶということですね」

「うん。さて、此処で判明した殺人鬼を上げていこう。毒牙の魔女は千日紅。鋏の殺人鬼は佐原真緒。コピーキャットは不知火礼司。そして、不知火が殺害した手法には赤いリボンの殺人鬼と死体アーティストの物があった。つまり、葛桜と日ノ塚、どちらかがどちらかの殺人鬼であるということになる。死体アーティストは日ノ塚デショ。そこは徒野と同意見。なら、赤いリボンの殺人鬼はキミしかいなくなる」

「そうですね」


 消去法で行けば、そうなる。

 あまりものの赤いリボンの殺人鬼は、俺しか該当しない。


「尤も、コピーキャットは葛桜か不知火のどちらかだと疑っていたけれど……でも、葛桜がコピーキャットだとは思えなかった。キミは、赤いリボンの殺人鬼だと思っていたからね。とはいえ、葛桜鏡は赤いリボンの殺人鬼の正体を知らないように見えた。嘘をついているようにも思えなかったから、実際は結構混乱したよ。赤いリボンの殺人鬼は葛桜鏡でしかありえないのに、葛桜鏡は赤いリボンの殺人鬼ではないという矛盾した方程式が出来てしまう。けれど、解離性同一性障害ならば納得だ」


 徒野に負けず劣らずの推理力には舌を巻く。


「普段、徒野が葛と呼ぶ彼は、葛桜鏡が赤いリボンの殺人鬼であると知らないのデショ」

「そうですよ。あいつは自分が殺人鬼だなんて思ってもいないのです」

「かわいそうだね」

 かわいそうとはひとかけらも思っていない表情で早乙女は言う。

「えぇ。かわいそうな奴ですよ。だからこそ俺が生まれたわけですけど」


 怪我していない方の手で、首に巻いているリボンに触れて解く。

 ハラリ、と赤いリボンが首を伝って手のひらに零れる。


「……首に怪我」


 早乙女が目を細める。ついでに怪我をしていないほうの腕をまくった。


「……なるほど。虐待かな?」

「えぇ」


 古い怪我。癒えない傷跡は――虐待によるものだった。

 だから、俺もあいつも自分の身体を見ることは嫌いだ。過去を思い出すから。

 過去を忌まわしいものとして話せなくなるほどではないけれど、嫌いなものは嫌い。

 雪の降る寒い夜空で、傘を差した徒野朔と出会って救われたから、過去を振り返ることができるだけだ。

 あいつは、気絶したところを拾われたと思い込んでいるけれど。

 怪我をしているせいで思うように動かない腕を動かし不器用な手つきで首に赤いリボンを巻き、めくった袖を戻す。

 虐待という救いのない地獄の日々で唯一の希望は、三つ年上の姉だった。

 姉だけはいつも葛桜鏡を守っていてくれた。

 姉の温もりがあったから、葛桜鏡は生きてこられた。

 絶望の淵で、希望があるのだと知っていた。

 それは、ある意味残酷な希望だったのだろう。絶望しかなければ、それが日常で普通だったのだから。けれど、大切な希望だった。

 しかし、唯一の光はやがて失われる。

 葛桜鏡が十四歳の春、姉は地獄の日々に耐え切れず、首を吊って自殺した。

 そのとき、目の当たりにした光景は耐え難い惨劇だったはずなのに――ほどけたリボンがゆらゆらと動き首にまとわりつく光景が、美しいと思ったのだ。

 それが可哀そうでなくてなんというのだろうか。

 実際の死体なんて美しくない。

 特に首吊り自殺は醜い。

 それなのに、葛桜鏡は美しいと思ったのだ。

 姉の死体を前にして絶望に酔いしれながら、同時に美しいと思っている事実に気づいて、絶望した。

 そして其れを否定した。

 美しくない、悲しい、美しくない、つらい、美しくない、お姉ちゃんと、死なないで、死を見せてくれてありがとう、違う、美し、違う、いなくならないで、ぼくは――否定し続けた結果、俺が生まれた。

 元々、虐待のせいで精神が不安定で、いつ俺が誕生しても不思議ではない状況だったのだろう。だから、姉の死は引き金できっかけに過ぎない。

 それでも、葛桜鏡の否定から、人格は確固たるものとして意思を持ち、一つの存在として成長した。

 だから、俺は葛桜鏡が否定した、死体の美しさを肯定するための存在。

 赤いリボンを纏った姉の死が美しかったから、俺は殺人鬼になった。

 姉の美しさを求めて、年上の女性を絞殺する。

 赤いリボンを巻き付けてその美しさに酔いしれる。

 あいつは、否定したままだから己が赤いリボンの殺人鬼であるとは気づかない。

 抜け落ちた記憶は、二重人格である事実から目をそらす為か、不自然な継接ぎを生み出して、気付かないように心が防衛する。

 けれど、同時に事実を見せようと捏造されない記憶が存在する。

 しかし、それは徒野が阻止して記憶を捏造させる。


「ねぇ一つ知りたいのだけれど、キミは、彼……えっと主人格……でいいのかな? の記憶があるんだよね?」

「いいえ、違います。いえ、一部分の記憶は存在しますよ、特に色濃く印象に残った記憶とかは残りやすいですね。多分」


 実際のところは印象の濃度が関係しているのかはわからないので、曖昧な表現しかできない。


「じゃあ、どうしてあたかも知っているかのように――そうか、徒野か!」

「そう。元々、俺らは異なる人格を有しているとは知らなかった。俺は俺で葛桜鏡という一人の男だと思っていたし、あいつもそう思っている。けれど、違うと、俺らは解離性同一障害であると、徒野は俺だけに告げたのです」

「あはははっ、酷いな」


 早乙女は腹を抱えて爆笑した。

 そう、徒野は酷い。


「赤いリボンの殺人鬼だと知らない方には、何も告げず。赤いリボンの殺人鬼である方にはすべてを告げるって……! 探偵さんは最低だね!」


 最低という言葉とは裏腹に、早乙女は他人事のように楽しそうだ。実際他人事だが。


「だから俺は知っている、けれどあいつは何も知らない。徒野が優しい人だと思い込んでいる。何も知らない」

「ますます哀れだ。かわいそうな人だね。何も知らず、事実を知ったら果たしてどれほどの絶望が待ち受けているのか、見てみたいとすら思うよ」

「早乙女も最低ですよ」


 何も知らないあいつは、かわいそう。その評価は揺らがない。

 姉の死を美しいと思い否定したあいつは、救われることはない。

 何故、美しいと思ったことを否定していると俺が知っていて、記憶があるのか、答えは明確で、徒野が探偵だからだ。

 俺とあいつ、二人の人格と会話して推理して、俺だけに話した。

 あくまで推理であって証拠はない。

 人格が生まれた経緯だって記憶だって徒野の推測だ。

 だから、俺という存在はもっと昔から存在した可能性もある。けれど、そんなことはどうでもいい。

 俺は徒野の推理を真実であると信じている。

 徒野が優しいとは思っていないが、盲目的に徒野を信頼している点は、あいつと変わりないのだろう。


「まっいいよ。それより、キミはもう一人の方が元の人格であると思っているようだけど、実際にはどうなのかな? 主人格である彼もまた、人格が形成された存在であり基本人格とは異なる人物であるのか、それともはたまたキミと彼以外の役割を与えられた人格が複数存在するのか、どうなのかな?」

「さぁ。それは知りません。徒野が教えてくれるのは、俺と、あいつの人格だけなので」


 もしかしたら、俺の知らないところで、あいつの知らないところで、第三、第四の人格が存在して、子供のように泣きわめいたり、親の愛情を求めようと愛を渇望したりしている人格が存在するのかもしれないが、知らないし興味もない。


「俺からも聞きたいことがあります。早乙女」

「なんだい?」

「徒野が、暗号をあっさり解読していたという前提をもとに考えると名探偵であるお前もまた暗号を、今日を待たずに解けていたはずだ。けれど、今日まで漆原あやめを殺害しなかったのは、この利用された状況を甘んじていたのは何故ですか?」

「そんなものは簡単だ」


 早乙女への疑問に返答をしたのは徒野だった。

 徒野は、悪魔に求婚されそうな笑みを浮かべて断言した。


「漆原が、最もで殺したのさ」

「それって」

「ドラマに例えるなら、最終回の次回予告が流されたところで漆原あやめを殺害した。漆原が、結末を待ち望み心を踊らしているところを、最終回を見せずに殺害することで、彼女の希望を、願望を打ち砕いたのだ。考えられる限り、一番残酷な方法で、自分を利用したこと対する仕返しをしたのだ」


 プライドが高い早乙女柚月は、自分を利用されることが許せず、それ相応の報いをもたらす。

 ならばこそ、漆原あやめが最も望むものを見せないという形での報いをもたらした。

 死は、報いのための結果でしかなかった。


「ご名答。流石ダネ」


 早乙女は笑った。


「徒野。怪我は大丈夫ですか?」


 早乙女に対する質問は尽きたので、徒野の怪我を心配する。


「今更か。酷い奴だ。私はふてくされるぞ」

「徒野より俺のほうが重傷ですもーん」

「もーんとかいうな可愛くない」

「ふふ、冗談ですよ」


 俺は和やかに笑う。怪我は痛いけれど普通の人より痛覚が若干鈍いのが、こんなところで救いになるとは酷いものだ。

 程なくして救急箱をもって千日が走ってやってきたので、消毒をして清潔な包帯に取り換える。


「簡易的には手当できるけどあとでちゃんと病院にいきなさいよ?」

「わかっていますよ」

「ところで、あの暗号って一体なんだったのかしら? あたし最初から解くの諦めていたけれど、徒野と早乙女はわかっていたのよね?」


 一通り応急処置が終わったころ合い、千日が指を唇に当てながら質問してきた。


「『13287144』だ」


 徒野が電話番号を読み上げるような滑らかさでいった。


「……どうしてそうなったのかしら?」

「俺も知りたいですね」


 千日は一人称の違いに気を止めていないようで、何も言ってこなかった。

 まぁ普通すぐに人格が違うなんて思い当たらない――早乙女のような探偵でもない限り。


「花札だ」

「花札ってあの花札ですか?」

「そうだ。数字ではなく絵で現されていたのは、全て花札に登場するものだ。花札の絵柄には月が決まっている。絵はその月を現していて、月を数字にする。例えば紅葉の絵があれば十月、数字の十という具合にな。全てを数字に直すと全部で四十八文字。これは花札の枚数と同じだ。そして、暗証番号に必要な数字は八ケタ。四十八を八で割って六。八×六のマスを作る。そのマスの中に四十八文字の数字を順番に組み込んでいくんだ」


 頭の中の計算がややこしいことになってきたぞ。

 でも、成程、何処かで見た絵柄だと思ったら花札か。

 徒野は存外ギャンブルが好きだから付き合わされてやったことがある。

 花札ならば徒野が是は薔薇ではなく牡丹だ、といったことにも説明がつく。


「で、唯一絵で描かれていない月がある、どれだ?」


 徒野が意地悪な顔をしながら言ってきた。千日は首を横に振る。


「あたし、花札は詳しくないからわからないわ」

「お前はどうだ?」

「……桜」

「正解だ」


 俺の時は桜と呼ばれているので、クイズを出されたのに出題者が答えを言ってしまっているみたいな心境だ。

 絵の中で唯一桜がない。桜はえっと、何月を現すんだっけか。

 俺の疑問を読みとってくれたようで徒野は続ける。


「桜は三月、つまり三だ。桜だけ意図的に省かれたということは、八×六マスに埋められた、三番目の文字を選んで八桁にすればいいんだ。三番目の文字を選ぶと、『13287144』という番号になるというわけだ」

「成程。えっ、でも――何故他の数字は絵があるのとないのがあるのですけど、そこに意味があるとかは?」

「それはないデショ」


 早乙女が口を挟んだ。


「どうしてかしら?」


 千日も俺と同じ疑問を抱いているようだ。どうにも、探偵は頭がよすぎる。


「単に花札だよってヒントを与えたくて一部の数字を絵に変えただけ」

「じゃあ、あたし、もう一つ気になっていることがあるんだけど」

「何? 暗証番号はもうこれ以上説明することないけど」


 早乙女が首を傾げる。


「部屋番号よ。あの法則性のない適当な数字の羅列はなんだったのかしら。意味なんてないのかもしれないけど、気になるじゃない」


 確かに、あの覚えにくい統一性のない部屋番号は何だったのか。


「漆原の遊びさ。徒野の部屋は、探偵の部屋だよ」


 早乙女がさらりと答えた。


「へっ」


 千日と声が被る。

 なんだか、真緒がいなくなったせいで自分たちが馬鹿になった気分になる。


「だから、徒野は371号室を選んだのデショ」

「そういう早乙女だって、4504号室を選んだだろ」

「二人だけで会話をしないでこっちにもわかるようにしてください!」

「だーから、探偵の部屋ってボク答えたけど?」


 まだわからないの? と呆れた視線を送られたが、わからないものはわからない。


「371を、さんびゃくななじゅういち号室でも、さんなないち号室でもなく読むんだよ。例えば、15をいちご、145をひよこって読むように」

「――数字の語呂合わせ」


 そこまで言われれば流石にわかる。


「そう。数字の語呂合わせで、部屋番号を振っていたから、バラバラだったんだよ。徒野の371号室は『探偵』、葛桜の1564号室は『人殺し』だよ」


 うわっ物騒な部屋に泊まっていた。まぁ実際人殺しですが。


「で、日ノ塚の431号室は『死体』だ」


 徒野が続けた。

 実際に死体になってしまって洒落にならないぞ、と思ったが何も言わないでおく。


「相馬の831号室は『犯罪』、千日の23号室は『罪』、不知火の5648号室は『殺し屋』、真緒の372号室は『道ずれ』そしてボクが選んだ4505号室は『仕返し』さ」


 怖い。

 早乙女も絶対意味がわかって選んでいたのなら冷や汗が背中を流れた。鳥肌がたつ。

 何この高校生『仕返し』の部屋を選ぶとか、自分を利用されたことを、最初から報復するつもりで部屋を選んでいるし。

 漆原を殺害することは部屋を選んだ時点で決定事項だったのかよ。


「……徒野、寒いです」


 早乙女が不気味で。


「酷いなぁ」


 ケラケラと早乙女は笑った。


「成程ね。あ、そうそうもう一つあったわ」

「まだ何かあるのか?」

「えぇ。赤いリボンの殺人鬼は一体誰だったのかしら」

「さーね。誰でもいいんじゃナイ? 相馬が刑事で赤いリボンの殺人鬼と二役だったのかもしれないし、徒野や葛桜がそうかもしれない。ボクはまっ違うけどね。あと、ミスをした不知火も違うね。けど、既に殺害された日ノ塚や、真緒が両方の殺人鬼として動いていた可能性も残っている」


 早乙女が真実を暴露するのではと、一瞬身構えたがそんなことはなく、徒野が誤魔化すより先に、嘘八百を並べ立てた。


「探偵なのに興味が薄いのね」

「別にボクは誰が、赤いリボンの殺人鬼でも興味ないからね。ボクは、ボクを利用しようとした奴は許せないけど、赤いリボンの殺人鬼は別に、ボクを利用したわけじゃないからね、どーでもいいの」

「そう。まあ、あたしもどうでもいいわね。部屋の番号より興味ないことだしね」


 早乙女の言葉がいちいち怖いわ。利用したら一体どんな報復をされるのか気が気ではなくなる。

 千日のざっくばらんとした性格は、赤いリボンの殺人鬼の正体を気にしないようで助かった――けど、部屋の番号より興味ないのは酷いと思う。

 まぁ、秘密を知っている人間は少ないほうがいい。

 早乙女は怜悧な頭脳で、自ら回答を導き出していたから仕方ないが、千日にその様子はない。

 知らないなら知らないままがいい――何より、千日に赤いリボンを巻き付けたら、美しいだろうなと俺の心がざわめいている。

 正体が知られたら不都合が生じる。


「ところで、警察は呼ぶのかしら? 毒牙の魔女としては、指紋やあたしたちにかかわる痕跡を抹消して、立ち去りたいわね。死んでいった彼らには悪いけれど、事情聴取されるのもできれば避けたいしね」


 千日の言葉には同感だった。

 赤いリボンの殺人鬼として誰も殺害はしていないが、存在した痕跡を僅かでも残してはおきたくない。


「ボクも構わないよ。不知火と漆原を殺害したのはボクだからね。正当防衛とかいけると思うし未成年も利用しようとは思うけれど、やっぱ面倒だ」


 平然と酷いことを言う名探偵ゆーちゃんである。

 誰も彼もが、事件に巻き込まれた表紙に、犯罪が露呈することを避けたのだ。

 皆、等しく、人でなし。


「なら、今回の事件は闇に葬ろう。漆原のことだ、私たちをここへ呼んだ証拠を残してはいないだろう。あの女は犯罪マニアで、犯罪を面白いと思っているからこそ、犯罪者や警察、探偵、共犯者を呼び寄せて二泊三日の物語を高みの見物しようとしていた。ゆえに、訳アリじゃない警察を呼び寄せる真似はしないはずだ」


 それは漆原あやめに対する嫌な信頼。

 訳アリな刑事である相馬は利用されたということだ。

 尤も、訳アリでも相馬は警察を呼ぼうとしていたわけだが、それを見越して暗号を用意していたのだろう。

 あくまで、漆原にとってこれは一つの物語――いや、実験でしかなかったわけだ。

 鬼を紛れ込ませた中に、同類や狩人を混ぜたらどのような結果が訪れるかの試み。

 結果としては、漆原の命を代償として支払う羽目になったが、殺される直前まで彼女は物語を心から楽しんでいたことだろう。

 そして、クライマックスを見ることなく未練を残したまま死んだ。

 葛と徒野から呼ばれるあいつは、恐らく警察を呼びたかっただろうが、俺は呼びたくない。

 警察と宜しくなんてしたくないから、失った記憶は徒野に任せてこのまま失礼しよう。


「じゃあ仲良く掃除をしてから、ボクらは暗黒の館とおさらばしますか」

「そうね。葛桜と徒野は怪我をしているのだから、後始末はあたしたちに任せておきなさい」

「お願いします」


 掃除に加わったのに掃除残しがあっては困るので、大人しく任せることにした。

 俺がやれば清掃業者も驚きの綺麗さに普段ならばできるけど。

 汚いのは苦手――怖いから。

 部屋が少しでも汚れていたら難癖をつけて両親の拳が飛んできた。

 だから、綺麗じゃないと心が殴られるのではないかと悲鳴を上げる記憶が濃厚に存在する。

 徒野はいつか慣れれば綺麗じゃなくても大丈夫なるといってくれたし、以前より症状は改善されているのだろうが、まだまだ綺麗じゃないのは落ち着かない。


 毒牙の魔女に名探偵ゆーちゃんは流石という手際で、俺たちがここへ滞在した痕跡を消した。俺も満足するぐらいの綺麗さだった。

 朝食も昼食も抜いたので腹は空腹を訴えていたが、漆原が死んだことで暖炉からの食事は運ばれなくなっていた。

 どういう仕組みかは知らないけれど、漆原のことを信頼して、その食事を届けたのが漆原にしろ第三者にしろ口外されることはないと判断する。

 三時のおやつがた食べたくなる時間、俺たちは久々の外へ出た。

 外の空気が新鮮で美味しい。

 自然の香りが漂い、太陽の光が眩しい。

 閉じ込められた空間は、居心地が悪い。


「どうする? 葛桜と徒野は怪我をしていることだし、あたしの車で乗っていく?」

「あっそれはボクが乗りたい。徒歩だから」

「いいわよ」

「そうだな。普段ならば遠慮したいところだが今回ばかりはお願いしよう。こいつも医者に見せたいしな。私がお世話になっている医者の所まで運んでもらいたい。構わないか?」

「えぇ、いいわ」

「私の車はあとで、こいつの怪我がよくなったら回収しにくるさ」


 回収にくる手段は徒歩なのだろうか、この距離を歩かされるの嫌だなーと思ったが、今回ばかりは仕方ない。

 運転して事故を起こすよりはましだ、と千日の車にお邪魔した。

 千日の車は、高級車だった。乗り心地が抜群で、クラシック音楽を聴きながら、暗黒の館を後にした。

 木々が深い森を抜けて、田舎道を走りやがて一軒家からビルが並ぶ空間へと景色が移り変わっていく。


「徒野。ついたら起こしてください」


 手当をしたが、特に腹部から痛みがじわじわと伝わってくるので、病院に着いたら起こしてもらおうと、瞼を瞑った。

 しばらくして徒野に起こされた俺は、リアドアガラスから外を見ると、血のように美しい夕焼けが空を覆っていた。

 綺麗だ。

 徒野と共に車を降りる。到着した病院はどう見ても、闇医者が経営していそうな個人宅であったが、ナイフの傷を普通の病院で治療してもらうわけにもいかないので仕方がない。

 助手席側から、運転席にいる千日に向かってお礼を言う。

 ハンドルに左手を置いたまま、右手で手を振ってくれた。


「それじゃあ、あたしは早乙女を送るわ。もう、会うことはきっとないでしょうね。だからさようなら」

「えぇ、さようなら。あぁでも、もし千日が毒牙の魔女として警察に捕まったら面会に一度くらいはいきますよ」

「いやね、そんなの来てもらったら恥ずかしいじゃないの」


 千日が毒牙の魔女として逮捕される日は果たして来るのか、それは俺の知るところではない。


「じゃあね。ボクは探偵だけど、依頼するようなことはなくていいからね」

「ふん。お前に依頼するようなことはない。私も探偵だからな」


 下されたリアドアガラスから探偵二人は握手を交わす。

 手が離されたところで、千日は車を発進させた。

 その姿が、他の車に隠れて見えなくなるまで、見送ってから個人経営の病院へ足を踏み入れる。

 一通りの治療を施されてから、タクシーで帰宅した。

 暗黒の館での二泊三日はこれで、終わった。

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