第12話:彼らの紹介
◆
夢を見た。
大好きな人の背中を追っているのに一向に追いつけない。
走っていく子供は、徐々に大切な人の背中が見えなくなっていく。
待ってと叫び続けた声は、やがて枯れ果てる。
足がもつれて倒れる。
唯一の光は消え去り、周囲が奈落に包まれる。
絶望の淵で、泣き続けていると一面が赤に彩られる。
闇から移り変わる世界は――目が覚める、嫌な夢をみた。
身体中が汗をかいている。息が苦しくなるような悪夢だった。心臓がバクバクと鼓動している。
此処は一人、部屋に窓はなく闇の牢獄を彷彿させて手が震える。
一人は嫌だ、徒野の部屋へ行こうと思ったが、その前に汗を流そうと思った。
「何を……ただの夢で怖がっているんですかね」
自嘲する。今は一人でも隣の部屋へ行けば徒野がいる。一人ではないとわかっている。
悪夢は夢であって現実ではない。
「二十一にもなって、悪夢に恐怖するとか……徒野に笑われてしまう」
重たい空気を吐き出すように深く息を吐いて、思いっきり吸う。心の空気を入れ替えていると幾分、気持ちが落ち着いてきた。
「よしっシャワーを浴びましょう」
服を脱いで、丁寧に畳んでからシャワーを浴びる。お湯が汗を洗い流していってくれるのが気持ちいい。
ユニットバスに用意されていた、タオルで身体を拭いていく。
湯気が消えるたびに自分の身体が嫌でも瞳に移るので、早く水をふき取って服に着替えたい一心でタオルを動かす。
肌を見るたびに忌まわしい記憶が蘇るから嫌いだ。
服に着替えた後は、赤いリボンを首に巻き付けるため、洗面台に立つ。
首にくっきり残った怪我のあとを、忘れ去るようにリボンを巻く。
「姉さん……」
ぼそりと呟く。
赤いリボンに手を触れるたびに、亡き姉の姿を思い出す。
赤いリボンを髪飾りにしていた、笑顔が素敵だった優しい姉。
何時でも、弟である自分を守ってくれた、誰よりも大切だった人。
「……さて、徒野の部屋にいきますか」
暗い気分を入れ替えるように、僕は部屋を後にした。左隣の部屋を叩くと、徒野が出てきた。
「おっ桜どうしたんだ?」
「――! 徒野! 僕をようやっと桜と呼んでくれる気になったのですね!」
桜と呼んでと主張した時は断られたのに、嬉しすぎる。
思わず徒野に抱き着きたくなって突撃したが、華麗にかわされてしまった。
「葛……抱き着こうとするほど嬉しい動作をとるとは予想外すぎて避けてしまったじゃないか」
「嬉しかったのですものって、葛呼びに戻っている!? なんでですか! 折角、桜って呼んでくれたのに! そのまま呼んで下さいよ!」
「嫌だ。前に、桜と呼べとせがまれてから、一度くらいは呼んでやろうと思っていたから、今回言ってやったのに、葛がそこまで喜ぶとは思っても見なくて引いた」
「だって! 嬉しいんですよ!」
「そこまで喜ばれると、桜と呼んだ私が恥ずかしくなってスピリタスを浴びるように飲みたい」
「死にたいほどに恥ずかしいのですか!?」
アルコール度数九十六%の酒を浴びるように飲んだら、死ぬ気しかしない。
「普通に流してくれると思っていたんだ仕方ないだろう。そこまで飛びつかれるとは思わなかったぞ、己、葛根湯め!」
「葛の字が使われているからって名前を変えて八つ当たりしないでください! 葛根湯に失礼ですよ!」
「そうだな。彼は優秀だ、風邪の引き始めや、頭痛や肩こりなどに聞く。葛と葛根湯を同じ字が使われているからと言って八つ当たりするのは彼に失礼だったな」
「葛根湯を擬人化しないでくださいよ……」
折角、桜と呼んでくれたのに喜びは幻の彼方へと消え去りそうで悲しい。
できればまだ桜と呼んでいてほしかった。
「で、葛。私の元へきた理由はなんだ?」
「廊下で騒いでも迷惑ですし、部屋に上がりますよ」
もう十分騒いでいるので今更な気もするけれど、相馬はともかく日ノ塚にまで声が届いて、万が一僕のように惰眠を貪っていたのを起こしてしまったら申し訳ない。
「あぁ、勿論構わないぞ」
部屋に上がると、すでに汚れていた。
服が皺にならないようキャリーから出したはいいが、そこで満足したのだろうベッドの上で本に押し潰されている。
いっそキャリーから出さないほうが綺麗だったなと思いながら、手遅れになった服に手アイロンをかけてからハンガーにかけ、片づけを始める。
「此処は、私の家ではないぞ?」
「僕の気が済まないだけです」
ベッドに散らばった小説は一つに纏めて、机の上に置く。キャリーの中は、必要なものは、出して徒野が使いやすいように配置してからキャリーをしまう。
他にも汚した場所がないか確認をすると、ベッドが既に皺が寄っていて綺麗じゃないので座っていた徒野を追い出してベッドメイキングを始める。
一通り部屋が綺麗になったところで、気持ちが落ち着く満足した。
「これで良し!」
「おお、来た時のように戻ったな!」
「徒野が汚すの早すぎるのですよ、少しは整理整頓という言葉を覚えてください」
「無理だ。片づけは苦手なのだ、それに葛がいるからいいだろう」
「僕を頼ってくれるのは嬉しいですけれども、僕に頼りっきりじゃだめですよ」
「努力はしよう。無駄だとは思うがな」
「やる前から諦めないでください」
「で、葛は何しに来たのだ?」
「怖い、夢を見たのですよ」
徒野にはいい歳をしてって笑われるかもしれないが、吐き出した。
「いいことを教えてやる。悪夢を見たときは、夢の続きを妄想しろ」
「妄想ですか?」
「そうだ、自分自身を正義のヒーローに仕立て上げて、悪夢を木っ端みじんに打ち砕け、そうしたら気持ちが楽になるぞ。悪夢を悪夢のまま終わらせるから気分が悪いのだ。悪夢を打ち勝つ姿を妄想しろ、イメージしろ。気分が晴れるぞ」
「そうですかね」
「あぁ、そうだ。どんなデウス・エクス・マキナだったとしても、夢の中のお前に文句を言うやつは誰もいないのだからな、好きに無双しろ。私はそれで悪夢を吹き飛ばす」
屈託のない笑みを徒野に向けられて、正義のヒーローを妄想しなくても、それだけで鬱蒼としていた気分が完全に晴れた。
気付いたらどんな悪夢を見ていたか、おぼろげになっていく。
僕の中でヒーローは徒野だ。
徒野は、僕を助けてくれた。僕を拾ってくれた。
姉が死んで、両親が事故死して、施設になじめなくて逃げ出した僕が、死にそうになっていたのを、拾ってくれた。
美味しくないココアは、今まで飲んだ中で一番心が温まったのを今でも覚えている。忘れられるわけがない。
「有難うございます。いい方法を聞けたおかげで、悪夢なんて平気になりそうです」
微笑んでお礼を言う。
「話が変わりますけれど、漆原あやめは僕たちになんの実験をさせたいのですかね?」
スピーカーからの声で実験と言っていた。実験の言葉に得体のしれない不気味さを感じる。
「そんなことか」
「そんなことはって切り捨てないでくださいよ。気になっているのですから」
「予想はつくよ」
「一体なんですか?」
「あとで教えてやる。今は気分じゃない」
「気まぐれな猫ですか、全く」
徒野が本当に猫だったら、この気まぐれを愛せるというのに、猫じゃないからため息が出る。
いっそ猫耳をつけてみようかと思ったが、猫を冒涜している気がするのでダメだ。
「葛。状況を楽しむ適応力を見せつけて見せろ」
「どうやってですか……」
二泊三日だと予め言われてキャリーに荷物を詰めてここへやってきたが、まさか二泊三日の間、ダイニングルームとこの部屋がある場所以外行き来ができないとは思わなかった。
外界から隔離された空間。
意図的に電波妨害の装置でもあるのだろう、携帯の電源は圏外である。
あれ? そういえば、圏外なのに日ノ塚はなんで携帯を弄っていたのだろうか。
「さて、そろそろ夕食の時間だな、移動するか」
徒野が腕時計を指さした。時刻は五時五十分。移動するのにはちょうどいい時間だ。
ダイニングルームへ移動して、何となく暖炉の中をのぞき込んでみたがまだトレーは運ばれていないようだ。
「六時に夕飯が届く仕組みなんだろう」
「ですね」
暖炉から届いてほしくないが、ついついこまめに確認したくなるほど気になる。
ダイニングルームには不知火が、髪を後ろで一つにまとめて座っていた。
徒野が椅子に座るとき、わざわざ髪の毛を床につかないよう椅子の隅に丸めておいている姿を見ると、お団子にしてあげるべきだったと後悔する。
「不知火。早いな」
「そうでもないですよ。ここの椅子座り心地がいいですし」
「確かにそうだな。事務所にある椅子と取り換えたいくらいだ」
「二泊三日の実験が終わった後にでも、漆原さんに頼んでみたらどうですか? もらえるかもしれませんよ、椅子」
「そうだな。そうしてみるさ」
いや、椅子貰わないでくれる? ピンクの軽自動車じゃ持ち帰れないから。
最初適当に座った席に座る。
指定席ではないけど、なんとなく同じ席のほうが落ち着く気がしたのだ。不知火も最初と同じ席だし。
早乙女が部屋に入ってきた。狐色の髪は、男子にしては毛先がやや長く、灰色の瞳に、まつげは長く女子と紛うだけの童顔な顔立ち。中性的な声は、声変わりをまだしていないのかと疑う。
不知火を見て早々軽く睨んだので、根に持つ性格なのだろう。
「そういえば、早乙女は相馬と一緒に来たんだよな? どうやってきたんだ?」
「ボクは、途中までバスで来てそこから歩いていたんだよ。そしたら相馬の車が通りかかってね、乗せてもらったんだ」
「成程な」
「運が良かったよ。思っていたより道のりが遠くてね、歩くのに疲れていたところだったから、渡りに船とはこのことだね」
バスがどこまで走っていたのかは知らないが、ここまで通っていないことは間違いないので相馬と出会わなかったら、本当に早乙女はかなりの距離を歩く羽目になっただろう。
僕たちはすでに到着していたわけで、相馬は最後の運転手だ。
不知火、早乙女と少し談笑していると、相馬、千日、真緒が殆ど同時にやってきた。
「はぁ、腹が減ったなぁ」
真緒が腹をさする。
「よく食事を期待できるよな。暖炉から届くのに」
「美味しけりゃなんでもいーんだよ」
相馬は呆れていたが、美味しいのは事実なので心境は複雑なのだろう。
六時ぎりぎりに、日ノ塚がやってきた。
相変わらず携帯を弄っている。
圏外なのに、何をしているのか気になるが、日ノ塚の冷淡な態度から質問したところで答えてはもらえないだろうなというか、質問しても知らない言葉を連発されて意味を理解できないに違いない。
六時になると暖炉が音を発して夕食を届けてくれた。
本当に場の雰囲気ぶち壊しの暖炉であるが、料理が美味しいのはたちが悪い。
夕食はビーフシチューだった、肉が口の中でとろけるように柔らかい。
味が胃袋ではなく心に染みわたるようだ。
食べる手が止められなくて、気付いたら名残惜しいが完食していた。
「いやーさっきの料理うまかったな!」
腹を叩きながら真緒が、明日のお弁当をつけながら満足そうな表情でいった。
「真緒さん。ほっぺに米粒がついていますよ」
不知火の言葉に、真緒が慌てて頬に手を当てて米粒をとった。恥ずかしいのか若干顔が赤い。
「真緒は本当に見ていて飽きないな」
「うるせぇ!」
徒野の言葉に、真緒が怒鳴ったので、日ノ塚以外が微笑んだ。日ノ塚は淡々としていて表情の機微が少ない。
トレーを暖炉に戻し終わると、空白の間ができる。
一体この後どうすればいいか、わからないからだ。
そう思っていると機敏に空気を察知したかのように声が響いた。
『折角皆が集まったのだから、自己紹介とかでもいかがだい?』
凄いなと最初は空気を察知した声に感心したが、よくよく考えるまでもなく、いたるところに監視カメラが設置されているのだから、僕たちの会話は筒抜けで感心する必要はなかった。
「……確かに、自己紹介は結局していませんが、今更な感じが漂っていますよ?」
不知火が何処かの声に向かって受け答えをする。
確かに、あとでしようという話は流れてしまっていた。
『今更でもいいじゃないか、折角なんだしお近づきになりたいだろう?』
「いや、それよりもオレは……実験っていっていた二泊三日何させられるかのほうが気になるんだけど」
真緒が顔を顰めながら、問う。
『それは明日の朝になったらわかるよ。一日目は平穏に過ごすといい』
「平穏とか、言葉とは裏腹に物騒な響きが聞こえた気がするんだけど、オレの気のせいか?」
『気のせい気のせい』
軽やかに言われたが、んなわけあるか! と、突っ込みを入れたかった。
「明日の朝になったらわかるという言葉を信じよう。そして、私は漆原の自己紹介案に賛成だ、折角だ名前以外も知りたい」
刑事である相馬は、自己紹介として個人の情報を集めたいのだろう。
視線が抑えているつもりなのだろうが、抑えきれておらず狩人の目をしていた。
「わーた、わーた。じゃあ、オレからな。佐原真緒。佐原って呼べ。年齢は十九の大学生だ。専攻は人文学」
「とっても意外だね」
早乙女の率直な感想に皆が頷いた。
「あと、多分佐原って呼べの所は受け入れられないと思うよ」
「うるせぇ。学校の奴らも皆オレを真緒とか真緒ちゃんって呼ぶし、誰も佐原って呼んでくれねーのは何故なんだよ」
「それはキミがとてもからかうのに最適な面白い人間だからデショ」
早乙女が袖の長い服で口元を隠しながらいった。同意である。
「勉強は苦手だが、留年とか浪人はしていないぞ。サークルはバスケ部だ」
「運動神経はよさそうだもんね、真緒は」
「おう」
千日の言葉が嬉しかったのか、えっへんと誇らしげな表情をする。
「の、わりには腹筋割れていないが?」
真緒の態度を一瞬で崩したのは、我が雇い主、徒野様である。
「……それはこれからだ。ほい、次」
「じゃあ私が、名前は相馬宗太郎。年齢は二十七だ。会社勤めをしている。特技と呼べる程かはわからないが剣道が得意だ。趣味は小説を読むことだ……ふむ、改めて自己紹介をしようと思うと難しいな。小さい頃の渾名はそうまそうたろうからとって『ソソ』だったが、お前らは呼ぶなよ」
「そう言われると呼びたくなるのが性ってものだと、あたしは思うけど――まぁソソってなんか呼びにくいわね」
確かに、ソソって呼びにくいので相馬の方がいい。
会社勤めってまぁあながち嘘ではないか。
本当は刑事だけど。自営業でもないし。公務員と名乗るのはなんかうさん臭い。個人的感想だが、公務員と名乗るは、刑事を偽装するための定番文句に思える。
「では、私が次に。私の名前は不知火礼司です。年齢は今年二十七になりました」
「私と同い年か。ちなみに、髪を伸ばしているのは何故だ? 珍しいだろ」
相馬が目ざとく、男にしては長い髪を言及する。
不知火が薄茶の髪に手を触れた。
「願掛けですよ。願いが叶ったら切るつもりです。あぁどんな願いかは問われても答えませんよ」
「成程。叶うといいな」
「ちなみに、徒野さんも願掛けをしているのですか?」
不知火が柔らかい笑みを徒野に向ける。
確かに足首まで髪を伸ばすとか相当な意志がないと無理な気がする。少なくとも僕なら一日でギブアップだ。
「ん? 私は願掛けしていないぞ。ただ、長髪が好きなだけだ。ところで不知火は美人だよな、昔は女に間違われたりしなかったのか?」
今でこそ、体格的に男だとわかるが、体格差が少ない幼少期であれば確かに少女と間違われても不思議じゃない。
「小さい頃はよく女に間違われましたね。髪は短かったんですけど……ボーイッシュな女の子にでも見えていたんでしょうか」
「お前にボーイッシュなんて言葉は想像出来ないほど似合わないな」
確かにボーイッシュよりも、深層の令嬢とかその辺が似合いそうである。
野原を駆け巡り、麦わら帽子を被りながら日焼けしたとかは、あり得なさそうな印象しかない。
「それはそれで失礼ですね」
「不知火なら『おじょうちゃん。おじさんと一緒においで』とかいって誘拐されそうだぞ」
「誘拐されそうなことは何度かありましたけれど、私がそんな怪しい人についていくわけないでしょう。大声で人を呼びますよっていったら皆逃げていきましたよ」
「逃げなかったらどうするつもりだったんだ」
「僕は男ですって答えるに決まってるじゃないですか」
「モノ好きがいるかもしれないぞ」
「……小さいころにそんなもの好きがいるかもしれないなんて思考回路働きませんよ」
「ふむ。それもそうだな」
そこで納得するんだ、とも思ったが幼少期から物好きの存在を知っていても困る。
「じゃあ次はボクでもいくよ。早乙女柚木、高校生。年齢は十七だね」
「高校二年だな」
「えぇそうです」
徒野の質問に早乙女は頷く。制服姿を想像するが、どうにも制服に着られている可愛い印象しか浮かばない。袖丈とか合わなさそうだ。
「早乙女は、真緒と違って頭が良さそうだな」
「おい、オレに対してめっちゃ失礼じゃね!?」
「まぁ真緒とは違って、頭がいいつもりだけど?」
早乙女は自信満々にいった。
ぐぬぬと真緒は唸ったが、まぁ真緒と早乙女を比べたらどう考えても早乙女のほうが頭よく見える。
「真緒の試験問題くらい余裕で解けそうだな」
「そうだね、真緒のだったら解けるデショ」
「流石に高校生に試験問題解かれたらオレの立つ瀬がないだろ!」
「元からないデショ」
早乙女の辛辣な言葉に、真緒はうなだれた。
「早乙女は、男から告白されてそうだよな」
徒野の言葉に、早乙女は露骨に眉を顰めながら
「……そりゃ、数え切れないほど」
そう答えてくれた。やっぱり有るんだ。
「全く。同性が好きならもっと筋骨逞しい人間に対して告白すればいいのに。おあいにく様、ボクに同性愛の趣味はないからね」
いや、早乙女が女だと思って告白しただけだと思うぞ。
本人もその可能性には気づいているだろうが、出来るだけ同性愛者であってほしいのだろう。
女に間違われる事を嫌っているみたいだし。
「女からは告白されたことがあるのか?」
「そりゃあるよ。まぁ野郎よりは少ないかな……」
「それは仕方ない。早乙女は可愛いのだから。そもそも早乙女は気づいているのか? 身体の華奢なラインを隠そうと無駄な悪あがきをしている姿がまた愛らしさを助長させていることに」
「なっ!」
早乙女が勢いよく立ち上がったせいで、椅子がガタンと倒れる。身体が怒りでプルプルと震えていた。
「なんだ? 気づいていなかったのか? まぁしかし華奢なラインが見える服を着ていたら着ていたで、その細さがにじみ出て結果としては変わらないのだから、仕方ないか」
「徒野。そのくらいにしないと早乙女が怒り心頭ですよ」
今なら早乙女の頭で湯が沸かせそうなくらい怒っている。早乙女は無言のまま倒れた椅子を直して座った。
「早乙女が男くさくないのが原因だ。私のせいではない!」
「火に油を注いだのは徒野のせいです」
いや、それよりも粉塵爆発させた勢いだ。
「そうか? さて、では私が自己紹介でもするか。私は徒野。職業は探偵をやっている。葛は私の助手というか事務員だ」
後から遅れてきたやってきた相馬は、徒野が既に探偵だと名乗っていることを知らない。
故に、何故隠しておかなかったのだと眉を顰めていた。
「じゃあ、徒野の流れで僕もいきますね。僕の名前は葛桜鏡です。事務員で雇われていますが、主な仕事は掃除洗濯炊事です」
早乙女達には言っていないので改めて事務員を強調する。決して家政婦ではない。
「女王様と召使じゃないの?」
「……ははっ。よく言われますよ」
早乙女に言われるまでもなく、自覚している。
「一ついいかしら、気になっていたのだけれど葛桜はどうして首に赤いリボンを巻いているの?」
千日が頬付けをつきながら問うてくる。
想定の範囲内だ――首に赤いリボンを巻いた男など、赤いリボンの殺人鬼を彷彿させる。
今まで幾度となく質問されてきた、ありきたりな反応。
珍しくもない。
「姉の形見なんですよ、これは」
リボンに手を触れながら答える。
「形見って」
「僕が十四歳の時に、亡くなりまして。いつも赤いリボンの髪留めをしていたので、それを形見として身に着けているのです」
「そうだったの。でも、それだと赤いリボンの殺人鬼に間違われるんじゃないの?」
「えぇ。以前週刊誌にマークされましたよ」
「そうなの。可哀そうにね、でも実は裏を返して赤いリボンの殺人鬼だったりして」
妖艶な口元を指でなぞりながら千日は言う。
「ははっ。冗談はやめてくださいよ、僕が赤いリボンの殺人鬼なわけないですって」
「ふふ」
千日の笑いに吊られて僕も笑う。
本気で思われたら困るけれど、千日の言葉からは冗談っぽさしか感じられない。
それに、相馬と一度会っている――あぁ違う、麻雀の日にも会っているから今回で三回目だ――僕が赤いリボンの殺人鬼なら相馬に怪しまれて今頃豚箱の中だろう。
「じゃあ、あたしが自己紹介するわね。あたしは千日紅。知っているとは思うけど、マスコミからは毒牙の魔女と呼ばれているわ。あたしが実際に夫三人を殺したかは内緒よ」
口元に指先を当てながら、優美な仕草と大人の魅力をいかんなく発揮して自己紹介を千日はした。
毒牙の魔女と自ら名乗るあたり、大胆だ。
「最後は日ノ塚ね」
質問は許さないとばかりに千日は手早く、自己紹介のバトンを日ノ塚へ渡した。
「わたしは日ノ塚沙奈。年齢は二十歳よ。趣味はそうね、サボテンを育てるのは好きよ」
「じじくさいわね」
「ってか、日ノ塚の趣味はわけわかんねー言葉でしゃべることじゃねぇーのかよ?」
真緒が余計なことをいった。
「あなたは己の頭の蠅を追ったほうがいいわよ。少しは勉強したらどう」
「ぐぬ……それどんな意味ですか」
「人のことにあれこれと口を出す前に、自分のことをきちんとせよという戒めのことわざよ、わかったかしら?」
「つまり、知識をみにつけてから、わけわかんねー言葉に対応しやがれってことかよ……?」
「そういっているわ」
「ぐぐぐ」
真緒は本日何度目かわからないほどがっくりと肩を落とした。
「ところで、日ノ塚って淡々としているわよね。あたしたちに興味ない?」
千日が妖艶な動作で問う。
「そうね。わたしは、人の
日ノ塚の答えに、真緒の方を見ると、クエスチョンマークが具現しているのがわかった。
「だーかーら! お前難しい言葉使いすぎだ、もう少しわかりやすく説明しろ!」
「それはあなたが浅学だからじゃないの?」
辛辣な言葉に、本日何度目かわからないくらいを乱用しすぎな程、真緒は肩を落とした。
『さて、これで一通りの自己紹介は終わったね』
漆原の声がタイミングよく聞こえるので、椅子に座って踏ん反りかえっているイメージが脳内に浮かんだ。
「いいや、まだ終わっていないデショ。キミの自己紹介はまだだ」
早乙女が口元に手を当てながらいった。ふむ、と漆原が思案する声がする。
『僕は特に自己紹介をする必要を感じない。漆原あやめと名乗ったしね』
「キミの思惑とかが、知りたいね」
『――好き、だからさ。それ以上のことが知りたければ、君が推理すればいい』
漆原は音声を途絶えさせた。
早乙女が舌打ちをしたのが聞こえた。
可憐な容姿に過激な心をお持ちなようだ。
「明日の朝までわからないってことは、今日は是でお開きかしら」
「そうですね」
千日の言葉に不知火が同意を示す。
美男美女のカップルが誕生したら面白いのにと不謹慎ながら思ってしまう。
尤も不知火が上品な身なりに違わずお金持ちであるならば、千日は玉の輿を狙って遺産目当ての殺人事件を起こし、あの世へ旅立ってしまいそうだ。
そういえば、暗黒の館の駐車場には一台の高級車が止まっていたことを思い出す。
あれは一体誰の車だったのだろうか、相馬も高級車を乗り回していそうだが、後から来たので除外される。
漆原本人の車という可能性も考えられる。
招待客が乗ってきた場合は夫三人を殺害して一億の保険金を手に入れた千日か、上品な身なりで美形の不知火かの可能性が高いだろう。
失礼ながら、日ノ塚は高級車を乗り回しているイメージはない。
本日はお開きになったので、それぞれ順番に立ち上がってダイニングルームを後にして部屋へと戻った。
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