二部

一話:美しき赤

 紅葉よりも美しい紅が一面に乱れ、透き通るような艶やかな首元に手を触れる。

 暖かな温もりを感じながら、赤いリボンを巻きつける。

 赤が美しく彩られ、高揚する。


「どう、して」


 絶望に染まった瞳が、何故と問いかけてくる。

 当たり前の答えを求める姿に、満ち足りた笑顔を向ける。


「美しいから、ですよ――千日」


 赤いリボンを巻いた女性は儚く脆く美しい。


「俺に貴方の美しさをください」



 美しいから、殺します。




◇◇◇

 枯れ葉が空を踊り水たまりに落下するのを窓から眺め、それから室内へ視線を戻す。

 高級住宅街の一角にある屋敷の執務室は選りすぐりの高貴を集めて詰め込んだかのようで趣味が悪い。

 徒野は依頼を受け、殺人事件の被害者遺族の屋敷であるこの場所まで足を運んだ。

 殺害されたのは依頼主の兄で、依頼主はその妹だ。この場には妹のほかに兄の双子の弟がいる。兄の写真を見る限り区別がつかない程瓜二つだ。

 広々とした室内で、徒野は凛とした表情を浮かべる。

 それは謎を解き明かした探偵としての顔だ。


「兄を殺害したのは、おまえだ」


 徒野の残酷な言葉に妹は信じられないと両手を口で覆う。

 犯人だと指を差された弟は黙って言葉の続きを待っているようだ。


「お前ら兄弟は互いに殺意を抱いていた。兄はお前を殺害するための計画書を用意した。それを不運か幸運か、お前は発見したんだ。そして、それを利用しようとたくらんだ」


 弟は無言で無表情。何を考えているのかさっぱりわからないが、万が一徒野に危害を加えようものならいつでも間に入れるよう僕は、一挙一動を警戒する。


「兄はお前を殺害するためにアリバイ工作をした。お前はそれを利用した。それによって死亡推定時刻の幅が狭まり、死んでいたのに生きていることにされた時間が生じ、結果としてお前のアリバイが成立することになった」


 けれどその計画も妹が兄の殺害犯を見つけたいと一心に願った結果、暴かれることになった。


「……馬鹿な兄だと思いませんか」


 弟は貝のように閉じていた口を開いた。


「ご丁寧に印刷したのをファイリングした殺害計画書なんて作るから、俺に利用されるんですよ」


 弟は罪を認めた。妹は顔面蒼白で、今にも倒れそうな程に弱弱しく生気が失われている。

 それは妹が願ったように犯人は判明したが、けれど願ったような結末ではなかったことへの絶望か。


「さて、これで依頼は終わりだ」


 仕事は完遂したと、徒野は上着を羽織って悠然とした足取りで執務室を後にする。

 僕は慌てて徒野の元を追うが、執務室を出る前に一礼だけした。

 外に出ると、冷たい風が容赦なく暖かかった身体を凍えさせてくる。

 マフラーを口元に当てながら追いついた徒野の隣を歩く。


「徒野、お疲れ様です」

「ふふん。こんなもの私にかかれば朝飯前だ」


 自信満々に徒野が断言する。


「そうですね。でも僕は……兄弟で互いに殺しあおうとしていた事実なんて、なければよかったのにと思います」


 妹の心にも深い傷跡を残したに違いない。

 コインパーキングに到着したので、恭しく助手席の扉を開けて徒野が座ったのを確認してから、運転席に座り、カーナビを自宅に設定する。

 徒野探偵事務所へ戻ってくると三時を少し過ぎている頃合いだったので、休憩をしようと台所で眠気覚ましにコーヒーと冷蔵庫に入れておいたロールケーキを二人分小皿に分けてテーブルに置く。


「徒野食べましょう」

「おう、そうだな」


 徒野と並んでソファーに座りながら、何か面白い番組でもやっていないかなと思い、リモコンを手に取りテレビをつけると運悪くニュース番組だった。

 チャンネルを切り替えようと数字ボタンに指を置こうとした直前で流れてきたテロップに目が行き硬直して手が止まる。


『先日、千日紅さんが殺害されました。彼女は遺産目当てで男性を殺害されたと噂され世間を毒牙の魔女として騒がしていた人物であり、現場には赤いリボンがあったことから警察は赤いリボンの殺人鬼が、千日紅さんを殺害したとみて捜査をしているとのことです』


 ニュースキャスターが淡々と事件の概要を説明しているのが、何処か遠くの出来事のように聞こえる。

 目を白黒させながらソファーにふんぞり返っている徒野の方を見る。


「徒野! 千日が……殺害されたみたいです……!」

「の、ようだな」

「どうして千日が、赤いリボンの殺人鬼に殺されなければならないのですか!」


 思わず声を荒げてしまう。


「落ち着け。赤いリボンの殺人鬼が殺す条件を千日が満たしていたというだけのことだ」

「それでもっ……」


 千日紅せんにちくれないは、かつて漆原あやめに招かれた『暗黒の館』というネーミンングセンスのかけらもない場所で出会った人。

 三人の男性を保険金目的で殺害したと噂され世間からは毒牙の魔女と呼ばれていた。

 真っ赤な髪が内側に跳ね胸までの長さがあるワンレンに、大人の妖艶な雰囲気を全身から醸し出した美女。

 会話を交わした女性が殺される事実が、もう会えない現実に胸が締め付けられるように苦しい。

 例え千日が、男を殺害していたとしても――だ。

 いや、千日は有罪判決を受けていない以上、人を殺したと証明されたわけではないから、この言葉と想いの例えは不適切かもしれないが。


「……徒野! 赤いリボンの殺人鬼の正体を明らかにしましょうよ!」


 せめて犯人を見つけることが出来れば、千日への手向けになれるんじゃないかと思った。


「断る」

「な、なんでですか!」


 しかし、予想外の言葉に動揺してしまう。


「それは私の仕事ではない。赤いリボンの殺人鬼は、警察が捕まえるさ。それに、赤いリボンの殺人鬼の正体を明らかにしてどうする? 殺したいのか?」


 冷静な瞳が此方を見据えて、僕は言葉に詰まる。


「そういう……わけではないですけど」

「それに赤いリボンの殺人鬼は相馬が見つけ出したかった相手だ。相馬が私を頼ることは最後までなかった。相馬が死んだから私が赤いリボンの殺人鬼を見つけ出そうということをするつもりはない」


 相馬宗太郎そうまそうたろう

 赤いリボンの殺人鬼を見つけ出すことに執念を燃やし、そしてコピーキャットであった不知火に殺害された。

 徒野と旧知の仲だった警察官。


「私は相馬の意思を尊重しよう」


 そういわれてしまえばそれ以上何も言えなくて僕はそれ以上の情報を遮断するようにチャンネルを回した。



◇◇◇


 あいつは馬鹿か。


「はははははは! あはははっ!」


 夜、意識が浮上した俺は昼間にあった出来事を徒野から聞かされ腹がねじれる程笑った。

 あぁ、腹が痛い。

 徒野がうるさい黙れ、とぬいぐるみを投げ飛ばしてきたのでそれをキャッチして抱き枕の代わりにしてソファーで横になる。


「笑うしかないじゃないですか! 一体どこの馬鹿が自分の正体を、自ら探偵に依頼するんですか! 『葛桜鏡』が殺したくせに、犯人を『葛桜鏡』が求めるなんてこれほど滑稽なことがありますか?」


 笑いがとまらない。


「千日紅を殺したのは俺であり『葛桜鏡』だ。なのに何を知ろうというのですかね」

「依頼は適当にあしらっておいた。赤いリボンの殺人鬼の正体を葛に告げるつもりはないからな。桜」

「なんですか?」


 徒野は『葛桜鏡』の中に存在する、赤いリボンの殺人鬼である俺のことを桜と呼び、何も知らない人格のことを葛と呼び区別している。


「愚門だが、聞いておこう。何故千日を殺害した。知り合いを殺害すれば葛は驚くだろう。それこそ私に依頼する可能性を考えなかったのか?」

「本当に愚問ですね。千日を殺したのは、彼女が美しかったからですよ」


 ニッコリ微笑んで答える。

 俺より年上で美しい千日。彼女の首に赤いリボンを巻きつけた感覚は今も手に残っている。

 殺す瞬間は言いようのない興奮が訪れ、死体は綺麗で艶やかに輝く。

 赤いリボンが彩られた女性の死体は、何よりも美しい。


「そんなの、美しいからに決まっているじゃないですか」

「危険を犯してまで殺したい程、美しかった、と」

「えぇ。美しかったです。まぁ徒野には及びませんけれどね。どうです? 殺されてみませんか」

「そんな口説き文句で女が落とせると思うな」

「それもそうですね」

「よし、酒を飲もう」

「あいつの記憶がない時のアリバイ作りに信ぴょう性を持たせるために酒を飲むのやめませんか? 大体、あいつの時ならともかく、あいつのことを知っている俺に酒を飲ませる必要はないでしょう」


 あいつの記憶が抜け落ちたと騒ぎ、徒野が酒を原因にするときは、半分以上が嘘で、偶に本当が紛れている。

 嘘に信ぴょう性を持たせるために、本当の酒を用意している。


「私が酒を飲みたいだけだ」

「じゃあ、ビールにしましょう」


 徒野が酒を飲みたいだけならば、翌日に響かない程度に抑えておきたいものだと思いながら抱き枕にしたぬいぐるみをソファーに置き、立ち上がり冷蔵庫へ向かう。

 この間一ケース買った瓶ビールの残りがあったはずだ。

 ひんやりと冷えた瓶と、グラスを両手に徒野の元へ戻る。

 並々と注ぎ、三対七の黄金比率にしてから徒野に手渡した。


「では、乾杯しましょう」

「先に落ちたほうが負けな」

「飲み比べって……俺に勝ち目がないに決まっているじゃないですか」

「なら勝てるように頑張れ」

「はぁ」


 鎮痛剤、残っていたかな。

 そう思いながらビールを徒野と一緒に飲んだ。


 翌朝はもちろん、二日酔いだった。

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