最終話:彼と彼女の末路

 消えていた意識が浮上してくる。

 徒野が嘘と真実を織り交ぜた話を信じた記憶が残っている。

 頭に手を当てながら、千日に活躍の場面を与える必要が果たしてあったのだろうかと考えたが、まぁ別にどうでもいい。

 あいつが、赤いリボンの殺人鬼である事実に気付かないのならば、それでいい。

 暗闇の中、電気をつけることもせず、部屋から出て、あいつは踏み入れない三階への階段を昇っていく。

 徒野の部屋へ到着した俺は、物音を立てないように侵入した。

 脳裏に過る鮮血が拭えないのだ。

 衝動のままに、真っ赤な血を求める。

 暗黒の館で不知火が振るった刃が彼女を傷つけ鮮血を飛び散らせた、その姿は芸術の完成品のような美しさを醸し出していた。

 世界が赤、赤、赤、赤で埋め尽くされる。

 ――あぁ、美しい。

 彼女こそが、完璧なる美しさだ。

 姉が見せてくれた美しさを寸分の狂いなく再現してくれる、唯一の人。

 薄暗い室内。ベッドへ視線を移すと、彼女がすやすやと寝息を立てている姿を見て――殺したい衝動が抑えきれなくなる。

 ゆっくりと近づき、首に巻いている赤いリボンを外して、傷一つない綺麗な首に手が回る。

 赤で彩られる彼女は、暗闇の中でも美しい。

 締め付けようと、力込めた刹那、腕を噛まれた。


「調子に乗るな」


 心を鷲掴みする低音が心地よく耳に届く。


「痛いですよ」


 噛まれた腕に手を触れれば、歯型がくっきりと残っている。容赦がない。下手をしたら肉まで食いちぎられていたのではないかと思う。


「以前いっただろ。私を襲ってくる輩がいたら、骨まで食いちぎるってな!」

「そこまで乱暴なことはいってないはずですよ。ってか起きていたんですか?」


 てっきり熟睡中だと思っていたのに油断した。

 ちっ。

 心の中で舌打ちをする。


「ふん。私が気付かないわけないだろう」


 徒野は上半身を起こして、首に巻かれていた赤いリボンを外して、俺の首に巻き付ける。

 暗闇で動く必要はないので、手を伸ばしてヘッドサイドランプをつける。


「探偵辞めて格闘家になったらどうですか?」

「断る。そもそも、葛桜鏡が私を殺したいのを知りながら、一緒に暮らしているんだ。無防備なわけないだろう? いつだって、お前の殺意に反応するさ」

「それもそうですね」


 俺は

 彼女ほど、美しい人間はいない。


「相馬は」


 徒野が相馬を偲ぶように、寂しげな表情で彼の名前を呼ぶ。


「私が変わったといった。玩具を見つけたようだといった。当然だとは思わないか?」

「そうですね」

「私が変わるのは当然だ! 何せ――赤いリボンの殺人鬼という最高の玩具を、解離性同一障害で記憶がない葛と、赤いリボンの殺人鬼である桜が同居している葛桜鏡が手元にあるのだ。これほどまでに滑稽で、最高の末路を見られる存在は存在しない! 私が求める最高の末路はここに存在するのだ! 以前のように獲物を求める必要はない。獲物は、この手にある」


 滑らかな手つきで、徒野は俺の頬を撫でる。


「私が見つけ出した、私が手に入れた、最高の玩具だ」


 赤いリボンの殺人鬼に興味を抱いた彼女は自ら動き推理し、そして正体を突き止めた。

 突き止めた正体が、彼女の求める物語の末路を刺激した。

 だから、倒れていた葛桜鏡を拾って事務員として手元に縛り付けた。

 徒野が見つけて、手に入れた玩具だ。


「知っていますよ。そして、徒野は俺にとって最高の殺害対象だ」

「知っているさ」


 徒野にとって赤いリボンの殺人鬼が最高の玩具であるのならば、俺にとって徒野は最高の殺害対象だ。

 真っ赤なリボンが似合う女性。

 姉が見せてくれた美しさを、差異なく再現してくれる唯一の女性。


「赤いリボンで殺害する女性はみな美しい。血のように染まりながら苦悶の表情を浮かべ死んでいくさまはなんて儚く、醜く、美しいのだろう! そして、徒野は俺にとって、姉と同等の美しさを見せてくれる唯一の存在だ。殺したいに決まっている!」


 徒野の死を赤いリボンで包んだとき、俺は最高の至福に包まれるだろう。

 双方の目的が一致しているから、徒野は葛桜鏡を手元に置き、俺は徒野の元を離れない。 

 あいつの知らない、俺たちの本当の関係。


「そうだ。徒野、ずるいですよ。なんで、あいつにだけクッキーあげたんですか!? 身体は一つでも俺は食べていませんよ!」


 あいつだけ、徒野の御手製クッキーを食べるとか、ずるすぎる。

 ココアを飲んだのだってあいつのほうだ。


「煩い奴だな。変なところばかり記憶していやがって。全く、ほら桜のだ」


 枕の横から、赤い包装紙に包まれた箱を手渡してくれた。

 成程、今日俺が徒野を殺そうとするのはお見通しだったわけね。


「有難うございます」


 焦げたクッキーを取り出して口に含む。


「驚くほどまずいですね」


 焦げ味以外に味はしないし、口の中の水分が、クッキーに奪われていく。

 美味しくないとしか表現できない。


「こんなにもまずいものを作れるなんて一種の才能ですよ」

「葛は喜んで食べたぞ。桜は酷いな」

「正直な感想です。美味しくなくって、健康に悪そうで……でも――有難うございます」

「宜しい」


 俺たちは笑いあう。

 徒野は、葛桜鏡の物語が、破滅か絶望か、狂気かを見届けたいがために手元に置き。

 葛桜鏡は――赤いリボンの殺人鬼は、徒野を殺害したくて、此処にいる。

 終わりが訪れるまで、俺らは、殺人鬼と探偵という歪な関係を続ける。

 そこに救いはない。


 訪れる末路はどう転んだところで――救われることだけはない。

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