第19話:表と裏

 ◆

 アラーム機能くらいしか、小説を書かない僕には現在活用できない携帯がけたたましい音を立てたので重たい瞼を開ける。

 身体がだるいし眠い。布団にくるまってベッドから起きたくなかった。

 そういえば、アラームは六時に合わせたままだった。

 まだ寝ていても構わないよなと誘惑と戦いながら身体を起こしてシャワーを浴びて目を覚ますことにした。

 温いお湯が肌に当たるたびに眠気が霧散していく。

 濡れた身体を拭きながら、腕に残る生々しい跡は見なかったことにして、早々に着替える。

 その後は、帰り支度の準備をしつつ、綺麗なままではあるが、気が済まないのでできる限り部屋の掃除をする。掃除機や雑巾といった掃除道具が切実にほしかった。

 時刻が七時を回ったところで、徒野の部屋を訪ねた。

 扉をノックする。


「あと五分……」


 そんな返事があったので、遠慮なく扉を開けると、徒野は既に着替えを終えてベッドでくつろいでいた。


「起きているじゃないですか」

「私の演技力もなかなかのものだろう?」


 白のブラウスに、赤いハイウエストスカートを履き、スカートの下からは白のフリルが垣間見える。ダイヤ柄の黒タイツを履いていて、綺麗な足のラインがより一層引き締まって主張されている。足首まである長い髪はストレートにおろされており、ハイウエストスカートと同じ色のベレー帽を被っていた。


「全く、寝ているのかと思いましたよ」

「おはよう。葛」

「おはようございます。そして葛はやめて下さい」

「仕方ないな。じゃあ裏見草」

「なんですかそれ!?」


 まんじゅうって言われたときは、葛桜が饅頭だからだってわかったけど、それは何からとったかわからない。


「知らないのか? クズの別称だ」

「……葛でいいですよもう」


 やはり、徒野に呼び方を変えさせるのは無謀なのだろうか。

 まぁ諦めるつもりはないけれど。

 目指せ鏡呼び! いや、桜呼びも素敵だったから、もう一度してもらいたい。


「変なところ意気込むなよ」

「心読まないでください」

「葛の表情がわかりやすすぎるのがいけないだろ。さて、葛。行くぞ」

「行くってどこにですか? あぁ、食事の時間が近づいているからダイニングルームですね」

「いいや違うよ。漆原あやめに会いに行くんだ」

「わかりまし――は!? どういうことですか」

「暗証番号を入力して漆原あやめに会いに行く。聞きたいこともあるしな、もう二泊三日の三日目だ」


 ニヤリと浮かべる笑みは、まるでとっくに暗号は解けていたのに二泊三日を楽しみたいがゆえに、黙っていたかのように感じるが、いいやそれは流石にないだろう。

 徒野が自信満々に見えるから、僕がそう感じるだけだ。


「では、漆原あやめに話を聞いた後は、警察に連絡をしましょう」

「あぁ、構わないぞ」

「荷物はどうします?」

「邪魔になるからとりあえずおいていく。あの女と話したあと、戻ってくればいいだけだ」

「わかりました」


 廊下を渡り、漆原あやめの肖像画を一瞥してからダイニングルームへ入る。

 朝食が運ばれてくるという不思議な暖炉、シリアルキラーの肖像画と見慣れた光景を通りながら、暗証番号を入力するための場所へ到達する。

 時刻は七時を少し回ったころ合いだからか、誰もいない。

 漆原あやめに会いに行くのだから、そのほうが都合はいい。

 壁の一部を開き、徒野が暗証番号を入力しようとしたが、その手が止まった。


「どうしたんですか? 早く入力しましょうよ」

「……」


 せかしても徒野は入力しなかった。

 開いた壁の一部をパタンと閉じてから、驚く僕を無視して開かずの扉に手をかけた。

 すると、開かないはずの扉が――開いた。


「えっ!? どういうことですか!?」


 あの時、真緒が開かないのを確認している。

 いや、実は開いたのに開かないふりをしていたのか? 違う。それはない。

 他の人も確認する可能性が――特に相馬が――大いにあるのだから、そんな演技見破って下さいといっているようなものだ。

 だから、扉は確実に閉まっていて、僕たちを閉じ込めていた事実は正しい。


「簡単だ。私たちより先に暗号を入力したものがいるんだよ」

「一体誰が……」

「検討はついている」

「えっ誰なんですか?」

「……それよりも先に、漆原を確認しにいくぞ。もしかしたら――最悪の事態があるかもしれない」


 最悪の事態とは――嫌な予感が焦りを生む。

 廊下に出て、開かないもう一つの扉に手をかけると、あっさりと開いた。


「此処の奴も、同じ仕組みだったのですかね?」

「さぁな。暗証番号を正解したから漆原に開けろと命じたのかもしれない」

「あぁ……その可能性もありますね」


 早歩きで薄暗い廊下を進んでいくと、やがて一つの部屋を発見した。

 部屋に入ってみると、眩い光が瞳を刺激する。

 次第に明順応して、光の源が判明する。無数のモニターが並び、一つの巨大な画面のように存在していたのだ。

 この部屋は、僕たちを監視するための場所であり、暗黒の館は実験をするためだけの施設であったことが如実に伝わってくる。


「漆原はっ――!?」


 空白の椅子。物音のしない静かな空間に、漆原あやめの存在を探して周囲を見渡すと、モニターの明かりにともされて、彼女はうつ伏せになり、背中にナイフが突き刺さった状態で死んでいた。花咲いたように血だまりが広がっている。

 最悪な予想が、当たってしまった。

 コピーキャット探しに執念を燃やしていた真緒の顔が浮かぶが、暗号解読ができるほどの頭脳を持ち合わせてはいなかった。

 千日は早々に投げ出していたが、しかし、怜悧な頭脳は有しているだろうから不可能とも思えない。早乙女や不知火は言わずもがなだ。

 念のため脈をとるが、やはりもう死んでいる。血は乾いているようで、手に付着しなかった。


「死後硬直から考えると、恐らくは夜中に殺害されているな」


 徒野が漆原の身体を触れ、状態を確認する。


「……では、漆原は夜中までは生きていたってことですね」

「あぁ」


 背中のナイフを見ると折り畳みナイフで、どこにでもあるような代物にみえた。いや、折り畳みナイフが何処にでもあったら困るけど。

 血を流して死んでいる漆原は、肖像画の姿よりも一層肌が白い。

 黒の和服に、彼岸花が描かれており、フリルがたくさんあしらわれたゴシックな装いは千日とは異なる妖艶な雰囲気を生きていれば醸し出していたことだろう。

 扇子は床に転がっており、手に取ってみると、それはすでに壊れていた。漆原を殺害した犯人ともみ合った結果なのだろうか。


「誰かが暗号解読をして……いえ、コピーキャットの仕業ですかね?」

「手を組んでいたが裏切られたと? その可能性は低い」

「……では、コピーキャットではない人物が漆原あやめを殺害したのでしょうか?」

「あぁ。自分を利用されたことが業腹だったプライドの高い奴が漆原あやめを殺害した」


 ん――? 徒野の言葉遣いが引っかかった。

 利用されたことが業腹のプライドが高い人物、確か、誰かそんな性格の人がいた気がする。

 けれど漠然としたもので答えは導かれなかった。

 何か思い出せないかと周囲を見渡し、光が灯るモニターを眺めて息をのんだ。


「っ――! 徒野っ!」


 思わず叫んで徒野の視線をモニターへ向けさせる。

 全員部屋にはいた。暗号解読をし、漆原を殺害したのち、一人は平然と部屋に戻ったのだろう。

 それだけならば異変はなかったのに、室内では真緒が殺害されていた。

 悲惨に、無残に、残酷に、どうしようもないほど死を濃厚に主張している。


「何故、真緒が!?」

「当たり前のことを聞くな。真緒は、コピーキャットに殺害された」

「なら、真緒が漆原あやめを殺害して……怒りに触れたコピーキャットに殺害されたということですか?」

「いいや、恐らくコピーキャットは漆原あやめが殺害されていることを知らない。コピーキャットは、己の役割として真緒を殺害した。それと時を同じくして、漆原あやめを別の人物が殺害したのだろう」

「っ――そんな」


 漆原はナイフで刺殺されているだけだが、真緒の死体は損壊が酷かった。

 思わず、目を死体慣れしている僕でも目を背けたくなるほどに、凄惨だ。

 鋏の殺人鬼は身体を構成している部分をえぐり取って転がしたり、ぐちゃぐちゃに内臓をかき乱したりしていたが、それとは次元が違う不気味さが漂う。

 即ち、死体が芸術品のように組み立てられていたのだ。


「『死体アーティスト』……のコピーキャット」

「あぁ。集まったメンツの誰かが死体アーティストの殺人鬼だったようだな」


 死体慣れしているのに、気持ち悪い。

 どうしてこんなにも人が死ぬのだろうか。

 全て、夢だったら良かったのに。

 日ノ塚沙奈も、相馬宗太郎も、佐原真緒も、そして漆原あやめもどうして、殺されなければならなかった。

 今日は、暗黒の館から脱出できる日だというのに、何故死の連鎖は終わらない。


「葛、顔色が悪いぞ」

「そうですかね……」

「死体を連続してみたから、お前は疲れたんだよ。いくら私と一緒にいて死体に慣れているからといって、慣れと感情は別物だ。だから、少し休んだらどうだ? そうしたら――全てが終わっているさ。逃避すればいい、否定すればいい」


 ぐらりと世界が暗転した気がした。

 視界が闇に塗りつぶされていく中で、徒野が何かを呟いた気がしたが、聞こえない。

 頭が、痛い。


「安心しろ。葛。お前の否定は『桜』が全てを引き受けてくれる」

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