第2.5話:アリバイ×アリバイⅡ

「えっ!?」


 相馬と同時に驚愕の声を上げる。

 被害者が犯人ということはつまり――


「じ、自殺だったというのか!?」

「そうだ。被害者の作井遼太郎は自殺したんだよ」

「ならお茶のコップはどう説明する!? これ見よがしに洗い物籠に入っていただろうが」


 驚愕の声をあげながら相馬は徒野に詰め寄る。長身の男に見下される形を嫌ったのか、徒野は相馬から離れた。


「そんなもの、第一発見者が『うっかり』コップを洗っただけだろ」


 とんでもない発言に目を丸くする。


「だから、犯人じゃないのか? 毒の痕跡を消すためにコップを洗ったと……」

「違う。第一発見者が怪しいのは定番、恨みを持つ者の犯行も定番で――容疑者にアリバイがあるのは鉄板だろう。けれどな、全てが重なるというのも、パチンコで確変を当てるような確率だろう」

「それ結構な確率じゃないですか」


 思わず突っ込みを入れてしまった。

 徒野としては非常に珍しいことだ、と言いたかったのだろうが、アリバイ×容疑者×第一発見者が起きる確率よりは高い。せめて九蓮宝燈にすればいいのに。

 尤も、パチンコはやったことがないので――徒野が一人でやるパチンコより数人でやるギャンブルの方が好きなためだ――知識が間違っている場合もある。

 そうだとしたら恥ずかしいので穴を掘ろう。


「ごほん。それはおいておいて」


 若干徒野は恥ずかしそうに咳ばらいをした。


「どれだけ怪しくても、現場不在証明がされているのならば、容疑者に犯行は不可能であり、無実であるということだ。故に、考えられる真相は自殺だ」

「だが、自殺ならばどうして都合よくアリバイがあるんだ」

「答えは簡単なことだ。意図的にアリバイを用意した。だからこそ、完璧なアリバイが存在する」

「被害者が死ぬとわかっていたということか!?」

「そうだ。そして疑われることもわかっていた。だからこそ犯行が不可能である証――鉄壁のアリバイを用意したんだよ」

「しかし、助手席はともかく、防犯カメラがあった店は容疑者の友人が選んだものだぞ」

「同窓会で十年ぶりに再会したわけじゃないだろうが。計画的な自殺ならば、以前より防犯カメラがあるカラオケ店に通っておいて仲間内で集まるときはそこの店になるよう仕向けておけばいい。万が一、違うカラオケ店に行きそうになったら容疑者が言い出せばいいだけだ。どの道怪しまれようとアリバイは崩せないのだからな、問題はない」


 怪しまれることが前提である以上、猜疑を持たれる要素が増えたところで構わないということだ。


「必要なのは防犯カメラによる完璧なアリバイ。それを用意してから被害者を発見して警察に通報する。それでOKだ」

「……何故、被害者は自殺だと判断した」」

「一人の容疑者、完璧なアリバイ、そして死亡推定時刻と毒薬にトリックがないならば、真相は自殺以外あり得ない」

「聊か強引だ。被害者には死ぬ動機なんてないぞ、手帳にも今後の予定がびっしりあって、とても死ぬようになんて……」

「それが狙いだよ。被害者はそういうことさ」


 徒野の言葉は衝撃の数々で、相馬は何か反論の余地がないか必死に検証しているようで視線がせわしなく動いている。


「被害者と容疑者は共犯関係にあったというわけか?」

「そうだ。自殺と疑われるわけにはいかないのだから、確実な方法は他殺で犯人がいることだ。けれど、他人を冤罪にしてしまえば、無実であったと証明されたときに都合が悪い」


 ただ単に、他人を冤罪に陥れたくない良心が働いたのかもしれないが、どちらでも感情が変わるだけで結果は同じだから黙っておく。


「ならば、犯人はこいつしかいないというほどの、動機を持った容疑者を用意すればいい。容疑者はいる、けれど完璧なアリバイが存在することで捜査を攪乱させ、未解決のまま事件を闇に葬り去られることを望んだ」

「……徒野。どちらもリスクがあると思いますよ、どの道自殺なのですから」

「それこそ、どの道リスクがあることには変わりないだろ。都合よく自分を殺してくれる人間がいてくれるのが、最良だったのだろうが、それは用意できなかった。ゆえに、最善を尽くしたのだろう」


 徒野は闇のように深い髪に手を触れながら猫のような瞳で、相馬を見つめる。


「何故、容疑者はコップを洗って片づけたです? 頼まれたから手伝いました、とでもいうのですか?」

「共犯関係と相馬も言っていただろう。つまりそういうことだ。殺人をすることだけが共犯とは限らない。共犯だから、コップの片づけくらいする。自殺の手伝いを頼まれて、ちょこっと手伝ったのだろう。コップの痕跡を始末することで、自殺ではなく他殺であるとより一層認識づけることができる。洗い物籠の中にコップが一個だけなんて流石にあからさますぎるとは思わないか? 不自然な程、疑って下さいと主張しているぞ」


 ケラケラと徒野は笑った。

 恥ずかしいほどに言われればそうである。

 コップを使って殺したと判別してもらいたくないのならば、洗っただけでなく片づけまでするはずだ。

 何も入っていない洗い物籠にコップを置くなんて、疑って下さいと自己主張している。

 偽装工作をする余裕がなくて中途半端に洗っただけで終わらせたというよりも、わざとそこで終わらせた――作為があったほうが自然。

 偽装工作ととるには雑。雑であるがゆえに、怪しまれやすい。その怪しまれやすさを優先したということだろう。


「……それは、そうだが」

「被害者の家に呼び出された容疑者は、リビングに入ると偶々テーブルの上に置いてあるコップが気になって、勝手に洗っちゃたんだろ」


 コップの前に死体が目を止めるだろうし、偶々コップを洗うのだろうかとか色々と突っ込みどころはあるだろうけれど、恐らくそう証言するように被害者から予め言われているだろうな。

 できる限り、可能な限り――この計画が終わったとき、自殺幇助などの罪にならないように配慮しているはずだ。


「まぁ、死んでいる被害者を見て、自分が疑われると思い慌てて証拠を隠滅しようとした――とかのほうが信ぴょう性が高いだろうが、その場合証拠隠滅罪に問われる可能性がある。なら、気が動転してうっかり洗ってしまったというほうが、まだ罪状にはならないと判断したのだろう……とはいえ、これは憶測だからどちらがコップを洗った経緯がどうであるかの正解は本人のみぞ知るってところだな」

「でも、徒野。一つ疑問があります、どうしてもっと親しい人間に頼まなかったんですか?」

「それだとダメだろ」


 徒野の代わりに、相馬が腕を組み眉間に皺を寄せながら答えてくれた。

 どうやら反論する余地が見当たらず、自殺であると納得したようだ。


「親しい人間だと、疑われないから駄目なんだ。目的は自殺を他殺に見えるようにすること。親しい人間では殺害する動機がないし、被害者に頼まれて自殺の手伝いをした可能性も浮上するだろう。けれどな、動機がある――殺意を見せていた相手が、自殺の手伝いをしたとは思わない。その感情をまんまと利用されたってわけだ」


 犬猿の仲で、酒の席では被害者を殺してやるとまで言っていた容疑者が、被害者を殺害こそすれ自殺の手伝いをするとは誰も思わない。


「でも、だからこその謎があります。どうして、犬猿の仲の人が自殺の手伝いをするのですか? 自殺幇助の可能性を――罪を犯す可能性もわかっていたはずなのに」

「既に和解していたが、和解していない演技をしていた、もしくは仲たがいすること自体が演技だったのかもしれない」


 徒野の推理に全幅の信頼を置いているが、疑問点は潰しておきたい。


「演技って……容疑者の彼は、会社を辞める羽目になって給料が半分になったんですよ? それを演技でできますか?」

「何も給料が全てじゃない。例えば、給料は多いが休みが少なく残業も多い会社と、給料は少ないが完全週休二日制で定時に帰れる会社だったとしたら? 例えば、夫婦との時間を多く持ちたい男だったらどちらを選ぶ? 趣味があって、趣味を満喫したい人間ならばどちらを選ぶ? 例えば、入院している妻がいたらどちらを選ぶ? 例えば、貯金が趣味ならばどちらを選ぶ? 人間の趣味や置かれている立場、状況によって勤めたい先など千差万別だ。給料が減ることが、全ての人間にとってマイナスになるわけではない。その代わりに得るものがあるのだとしたら、演技で仲たがいをして会社を辞めることすら利用した可能性だってある」


 そういわれればそうだ。

 十人十色、その人の価値観や求めるものが全て他人と同一ではない。

 たった一つの物事だけで損得を計算することは、表面上の結果しか見ていないことになる。


「これは、一番他殺に見える方法で、容疑者が罪に問われない可能性を考慮した計画的自殺だったんだ」

「自殺を――止めなかったのですか?」

「止めたけど意志が固くて止められなかった。そこまで決心しているなら見送ってやろうとか思ったかもしれないだろう。ま、全ては憶測だがな」


 親しい友人だったからこその死を見送ってあげる――か。

 もし徒野がのっぴきならない理由で死を選ぶとして、そこに手伝えることがあったら――うん。手伝うな。

 それが、どれほど切なく悲しかったとしても。例え、どのような罪を犯したとしても、手伝う。

 尤も、解せぬ表情をしている相馬には理解できないことだろう。


「私には理解できないことだが、何故死ぬ?」


 実際、理解できないと相馬は冷たく言い放った。

 被害者が死を選んだ理由――計画的な自殺であれば、死をだいぶ前から決意していたことになる。

 今日まで、その計画を崩すことなく、実際に実行をした。

 その精神力は果たしていかほどか、それを見送る側として仲たがいした彼の心はどのような空模様だったのか。


「のっぴきならない理由で金が欲しかった。けれど大金なんてすぐに用意できる当てがなかった――ただ、一つを除いて」

「保険金か……一億の保険金」

「そう。おそらく自殺では下りないタイプだったのだろう。一億の保険金。その受け取り手は子供。死亡推定時刻にアリバイを作った子供の容態が急変して病院へ元妻が駆け付けたということは、入院していたのだろう。難病か、治療困難……海外での移植手術が必要、等の病気。なんにせよ、法外なお金が必要だった。妻と離婚したとしても、愛する子供の危機だ。文字通り命を懸けて助けたとしても不思議じゃない」

「……確かに、子供は病気で入院している」

「ならば、それが自殺の理由だよ。そう、子供が病気だから保険金目的で自殺したと思われる可能性がある。だから、何としても自殺したとは思われないように振る舞い、予定を立て、計画を立てたんだ」


 それは、なんて悲しい結末なのだろうか。

 終わらないことを願った死は探偵の手によって迷宮入りする前に完結を迎える。


「自殺なのだから容疑者にアリバイがあって完璧。そして毒で自殺するにあたって容疑者のアリバイを完璧にしてのけた被害者がお茶を買いに行く行動だっておかしいだろ? わざわざ深夜にコンビニまで行ってお茶を買い足す必要もない。明日まで我慢すればいい。さらに一番おかしい点は――何故、容疑者を、しかも犬猿の相手を深夜二時に呼び出す必要がある? 深夜二時と時間を設定したのは容疑者以外の人間が死体を発見することを恐れたからだ」


 例えば別の人間が死体を発見したとしてコップが転がっていれば自殺を想像したかもしれない。

 被害者の事情を知っている人間が自殺だと言うかもしれない。

 自殺に見られては困る。

 だからこそ、他殺にみられる――けれど容疑者――いや、共犯者がまかり間違っても逮捕されないために計画を練った。

 計画的自殺。

 まさか二人も夢には思わないだろう、刑事が探偵を雇うことなど。


「後は、お前たち警察の仕事だ。事件の裏をとって決着でもつけろ。……相馬。後味が悪いと思うのならば、勝手に共犯の片棒でも担いだらどうだ? 非公式に探偵を雇ってお前は事件の真相を知った。けれど、それを誰かに伝えるかどうかはお前の自由だ。お前が事件の真相を伝えなくとも、誰かが真実にたどり着く可能性は大いにある」

「……それはしかし」

「私は探偵であって警察ではない。犯罪者の末路は見たいが、既に被害者は死んでいる。これ以上の末路には興味がないよ。だからこそ、真相の取り扱いは好きにしろ。事件が迷宮入りを願うのも、事件解決に動くのもお前の自由だ。探偵を雇ったお前の権利だ。尤も、早期事件解決を願って私を呼んだお前としてはこの結末は不本意だろうけれどな」

「あぁ、わかったよ。しっかり熟考させてもらいさ」

「熟考するのは構わないが、忘れずに依頼料を私の口座に振り込んでおけよ」

「わかっているよ」

「私としては儲かるから有り難いが、相変わらず無駄遣いだぞ」

「無駄遣いじゃない。私がどう結末に決着をつけるか選んだとしても、事件自体は私の中で終わった。不本意ではないよ、余計な事件に手間を取られなくて済む。それだけで金を払う価値は存在する」

「ふっ、せいぜい頑張れ」

「あぁ頑張るよ。私は――必ずあいつを捕まえる。『赤いリボンの殺人鬼』をな、それ以外の事件など、私には興味がない」


 相馬の黒い瞳から光が消え、深い憎悪の色へ染まる。

 煮え滾るマグマのように、揺らめく殺意の塊。

 奈落の中から、殺意の光を頼りに相馬は生きている。そんな感覚が肌から伝わってきた。

 興味ない、の言葉が酷く冷淡に聞こえたのは錯覚ではない。

 被害者の死に同情したのか、覚悟の決意に胸を打たれたのか、事件の真相を解明していいか悩みはしたものの、犯人に対して怒りの感情は一切見せていなかった。

 それが、『赤いリボンの殺人鬼』に対してだけは熾烈な感情を見せた。


「ふっ、頑張れ。しかし、周りが見えなくなっては解決できるものもできないぞ、ゆめゆめ忘れるな」

「あぁ、わかっているよ」


 偉そうな上から目線で徒野は相馬を激励した。

 事件は解決したので、被害者作井遼太郎の部屋に用はない。


「徒野!」


 玄関で靴を履いていると、相馬が徒野の名前を叫んだ。足が止まる。振り返ると相馬が廊下に出てきていた。


。昔のお前なら、此処で終わらず私がどの結末を選んだか、何が起きたかを知りたがったはずだ」

「そうか?」

「あぁ。昔はもっとギラギラと犯罪者を求めていた。なのに変わった、それは隣に葛桜がいるからか?」

「――そうだな」


 不敵な笑みを浮かべながら、徒野は外に出た。

 相馬に一礼してから、徒野に続く。

 空は明るくて強制的に朝を感じさせて恨めしい。

 階段を下りて、コインパーキングまでの道のりを歩いていると徒野は上機嫌で口笛を吹いていた。

 春風が吹くと、開花した桜が空を舞い、徒野の髪についた。

 手を伸ばして桜をとり、空へ飛ばす。


「そうだ、徒野。今度花見に行きません?」

「ヤダ」


 徒野の返答は芳しくなかった。


「桜の木の下に死体が埋まっているなら考えてもいいけれどな」

「桜吹雪が舞う幻想的な光景を想像していたのに、急に血生臭くしないでください。花見台無しです……徒野」


 静寂な空間がひと時訪れる。世界が滅んで、この空間には自分たちしかいないような錯覚に陥る。


「被害者は、犯人で自殺でしたけど――それでも、だったんですか? 今回の事件は、徒野にとって満足いくものでしたか?」


 徒野が変わったと相馬が言った言葉が気になったので質問をした。

 今の徒野しか知らないから、過去にどれほどギラギラと犯罪者を求めていたかを知らない。


「あぁ、例え殺人事件でなかったとしても、これも私が見たい立派な犯罪の結末だ。死をもって完結したな、昔の私ならまだしも、今の私はそこから先の番外編には興味がないから相馬に任せるさ」


 相馬の言葉は正しかったのか、と納得しながら徒野の顔を見ると破顔一笑していた。

 尤も、変わったとはいえ、今も昔も徒野は愛している――を。

 正しくは、犯罪者の末路というべきか。

 徒野は罪を物語として見ていて、物語の結末を見届けるのが好きなのだ。

 だから

 コインパーキングへ到着すると、帰りも一時間かけて帰られねばならない現実に直視し頭を抱えたくなったが、此処で時間を浪費しても睡眠が遠のくだけなので運転席に座る。


「では私は寝る」


 助手席に座った徒野は、シートベルトをして早々瞼を瞑った。


「おやすみなさい――お疲れさまです」

「あぁ」


 怜悧な頭脳で事件を解決に導く、ろくでもない探偵――それが徒野朔の本性であり素顔だ。


「って……寝るの早すぎないか」


 三秒も立たずに爆睡をし始めた。

 助手席で徒野が眠りの世界へ旅立っているのを恨めしく思いながら運転する。

 高速を使って一時間ほど車を走らせると見慣れた景色に戻る。

 白い三階建ての住宅のガレージに車をしまうと、隣で爆睡している徒野の肩を数度叩く。

 あどけない表情は、探偵ではなくただの少女に見える。


「徒野つきましたよ」

「そうか、お疲れ様」


 夢の世界から現実へ戻ってきた徒野は、ポシェットから栄養ドリンクを手渡してくれた。

 あの怪しい栄養ドリンクかと身構えたが、誰でも知っているような一本千円する高級な栄養ドリンクだった。

 先に渡してほしかった。というか、これ……もしかして。


「徒野。コンビニに寄ったときに買ったのこれだったんですね」

「あぁ、勿論だ」

「ホント、あの怪しい栄養ドリンクはどこで買ったんです?」

「秘密だ」


 満面の笑顔は、悪魔が降臨したかのように邪悪で、けれど可愛らしい笑みだった。

 ため息をつきながら車から降りて、執事かと思いながら助手席の扉を開けると、


「さて、私を二階の事務所までおんぶしてくれ。眠くて動きたくない」


 徒野が両手を広げて、待っていた。


「自分で歩け!!」


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