第2話:アリバイ×アリバイ

 カーテンでは隠し切れない眩い朝日が、室内へ張り込んできて眩しさにもう少し寝かせろとタオルケットを深く被るが効果が薄い。

 元気な朝日を恨めしく思っていると、徒野あだしのの携帯が愉快な音楽を鳴らす。

 嫌なことが起きると直感が睡魔を吹き飛ばし勢いよくソファーから起き上がり自室へ駈け込もうとした瞬間、首根っこを掴まれて逃亡は失敗に終わる。


「……寝たいのですけど」


 本心を告げながら振り返ると、徒野が首根っこを掴んでいない右手で携帯の画面を爛爛と眺めていた。

 その瞳は徹夜明けとは思えないほど生気に満ち溢れていて、嫌な予感敵中にため息をついた。


「殺人事件が私を呼んでいる!」

「裸足で逃げて下さいよ、危ないです」

「私は探偵だ。事件があれば駆けつけるのは当然のこと」

「営業時間前です! 犯罪は営業時間に出直してください!」

「事件は二十四時間営業だ! 犯罪者は待っていてくれないぞ」

「睡魔も待ってくれません」

「数日寝なくても死なない」

「健康面で問題発生します」


 抗議は右から左へと流されてしまった。

 普段は閑古鳥が鳴いている探偵事務所なのに、徒野の興味を引く事件の依頼が寄りにもよって徹夜明けに舞い込んでくるとは不運だ。

 因みに徹夜明けの理由は、近所のおじさんたちと麻雀をやっていたからだ。


「さぁ行くぞ! 場所はここから車で一時間はかかるからな、早々に準備せねば」


 寝間着姿の徒野は変装の達人かと思える速度で服を着替えた。

 リビング兼事務所で着替えるな、部屋行って着替えろ、目の前に男がいるだろボケ。

 徒野は三つ編みに縛っていた髪ゴムを取り、拘束から解かれた長髪はサラサラと揺れ足首までの長さになる。

 深緑のベレー帽を被り、茶色のポシェットに財布と携帯を詰めて、無意味に一回転を決めた。


「遅いぞさくら!」

「はいはい……わかりましたよ」


 男より早く身支度を済ませた徒野が、ウサギのように飛び跳ねながら催促してくるので、仕方なく自室へ向かいクローゼットからワイシャツに、ラインの入った黒のベストを着て、黒のズボンを履く。黒のパジャマとベッドが誘惑してくるが我慢して、引き出しから財布を取り出す。免許証を確認してから、リビング兼事務所へ戻る。


「準備できたな! ではいくぞ!」

「徒野、ちゃんと鍵はかけてくださいね」

「わかっているぞ」


 玄関に出て、徒野が鍵をかけている間に階段を下りて一階のガレージでシャッターを開ける。

 愛らしいという言葉を形にしたようなピンクの軽自動車に乗り込み、猫のキーホルダーがついたキーを差し込み、エンジンをかける。

 物凄く行きたくない。

 ため息と眠気しか出てこない。

 徒野が、助手席に乗り込んでくる。

 白のブラウスと緑のハイウエイストスカートの組み合わせは大人しいお嬢様を彷彿とさせるが、いかんせんこのお嬢様は我儘でお転婆で外見を中身が裏切っている。


「徒野、本当に引き受けるんですか? 寝ていないんですよ?」


 往生際悪く、諦め十割期待零割で尋ねた。


「栄養ドリンクでも飲んでドーピングしろ」


 徒野はばっさりと要求を棄却した。


「ブラックだ、ブラック会社だ!」

「労働基準法なんて、私の会社には存在しないの知らなかったか?」

「知っていましたよ!」

「ならば問題ないな」

「問題オオアリだ!」


 問題しかない探偵事務所だ。

 元々就業時間も自由時間も休憩時間も全てが一緒で年中無休であり年中休暇でもあるような探偵事務所とは言え、営業時間は十時から五時までだが、悲しいかなそれが当てになったことなど殆どない。

 犯罪者も、就業時間決めればいいのに。

 道路ですれ違う車を見るたびに、この人たちも早朝から仕事をさせられている仲間なんだなぁと思うと、親近感がわいてメアド交換したくなる。車ぶつけたらメアド交換してくれるかな。


「わかったよ、仕方ないな。依頼の報酬が来たら、桜に好きな物を奢ってやろう」

「ホントですか!? 低反発枕買って下さい!」


 ちょっと眠気が飛んだ。


「懐柔楽だな、というかそれ以前に低反発枕って……まぁ私としては全然構わないが。それと、事故起こしたら末代まで祟るからな」

「理不尽」


 高速に乗る。徹夜麻雀につき合わされた肉体と精神で、居眠り運転であの世へ旅立たないか心配しながら安全運転で進む。 

 高速道路から降りた所で、徒野が栄養ドリンクを二十四時間営業のコンビニで買ってくれたのだが、コンビニで売っていたの!? と疑いたくなるくらい得体のしれない禍々しいオーラ―を放っていた。

 戦々恐々としながら飲んだが、幸運なことに命はあったので、胸を撫で下ろす。


「ふふふ、恐怖で目が覚めただろう!」


 徒野が憎たらしいくらい満面の笑顔を向けてきた。


「確信犯怖いわ!」


 目は覚めたけれど、恐怖のドキドキで目を覚ましたくはなかった。せめて偽薬にして欲しかった。


「ってか、ホントにコンビニに売っているんですか!? 髑髏のマークに赤い血がべったりとしたデザインの栄養ドリンク!」

「いや、これは持参した。コンビニに売っているわけないだろ」

「ですよね!」

「破格の十円!」

「近日中に死んだら徒野が犯人ですからね!」


 恐ろしいことを後から述べるな、もう飲んだぞ!

 吐き気が襲い掛かってきて、胸が苦しくなり交通事故を起こして死ぬ――そんな最悪な未来に恐怖しながらも、何とか無事に目的地へ到着した。

 コインパーキングに駐車してから、二分ほど歩くと、五階建ての茶色い外装のマンションが見えてくる。


「……エレベーターないんですか……」

「健康的でいいな!」

「ポジティブというかテンション高すぎですよ……不謹慎ですよ、徒野―って聞いていないか」


 徒野がスキップをしながら階段を昇って行った。

 老体に鞭を打つ気持ちで、徒野の後に続く。目的の部屋は505号室だ。表札には作井さくいとある。


「此処が、あいつの言っていた殺人事件の現場だな」


 殺人現場には不釣り合いな、意気揚々とした態度で、徒野は白の手袋した手でチャイムを鳴らした。

 現場検証は終わっているようで、周囲に警官の姿は見当たらない。

 チャイムから返答は数秒待ってもなかったので、待ちきれないと徒野は玄関の扉を開けた。


「失礼するぞ」

「お邪魔します」


 勝手に上がっていいのだろうかと思いながら、玄関で靴を脱ぎスリッパを拝借して掃除が行き届いた廊下を歩く。

 短い廊下には寝室、洗面所、和室があるようだ。扉は開かれ、ちらりとみると余分な私物がない綺麗な部屋だった。

 真っすぐ進むとそこはリビング。部屋は2LDKのようだ。

 テーブル近くの床には白い線が引かれており、ここで被害者が殺害されたのだろう生々しさが伝わってくる。

 食事用のテーブルと椅子は一人暮らしには不釣り合いな程大きく、椅子も四つ並べてある。

 食事をしながら見える位置にテレビが配置されており、窓からはベランダに出られる。

 ベランダは物干し竿があるだけで、ガーデニングの趣味はないようだ。

 窓の隣には日差しを避ける配置で本棚がおいてあるが、半分物置のようで、本の数はそこまで多くない。


「よう、相馬そうま。来てやったぞ」


 徒野は一通り部屋を見渡してから、椅子に足を組んで座っていた人物へ偉そうに手を振った。


「思ったより、早かったな」

「殺人事件を解決してくれという依頼ならば、飛んでやってくる」


 胸を張って徒野が答えたので、この刑事風の人物が依頼人のようだ。


「ねずみ取り機は大丈夫か?」

「それは問題ない! そこだけは速度を落として貰ったぞ」

「おい。警官の前で堂々と速度違反を誇示するな」

「私は別に、ネズミ捕り機の前では速度を落としたといったが、それ以外の場面を超過速度で走行していたとは一言もいっていない」

「いらん揚げ足をとるな」

「それが私なのだから諦めるんだな」

「少しは性格を矯正してきたらだどうだ?」

「それだと没個性になってしまう」


 落ち込むように顔を下げた徒野だが、性格が矯正されても、没個性になる心配はないほど個性があるから問題ない。


「性格が良くなって、輝くかもしれないじゃないですか。矯正しましょうよ」

「煩い。黙れ」


 怒られてしまった。

 それにしても油断すれば船を漕ぎそうなほど眠い。

 怪しさ百点の栄養ドリンクは、当然のことながら効果も怪しかったのかな。


「おい、桜。寝室を羨ましそうに見るな。ベッドを窃盗しそうだぞ」

「ベッドを窃盗する体力なんて有りませんよ。つーか、あったら寝る」

「現場のベッドで寝るとか神経図太いよな」

「ベッドで死んだわけじゃないでしょ……」

「それもそうだな。で、相馬。一体、お前の言う不可解な事件とはなんだ?」


 期待の眼差しで依頼人の名前を呼んだ。

 警官の前で、と先刻言っていたので刑事風ではなく実際に相馬は警察官なのだろう。

 長身で目算百八十㎝はある、程よく引き締まった体格の持ち主だ。癖のない真っすぐな黒髪と知的さを感じさせる黒目にはフチなし眼鏡をかけている。

 青いストライップが入ったお洒落なシャツにノーネクタイのスーツ姿は、警官というよりもホストで働いている方が似合いそうだ。


「その前に彼は? 前に会った時は見なかったが」


 相馬の視線が此方へ向く。


「桜のことだな、お前が前に私のところへ依頼に来たとき、合宿免許を取りに行かせていたから知らないのも当然か。名前は葛桜鏡くずざくらきょう。私の元で事務員をやっている。主な仕事は私の健康管理だ」

「事務員の仕事じゃねぇだろ」


 反論の余地がない突っ込みを有難う。


「初めまして、葛桜鏡です」

「こっちの刑事は、相馬宗太郎そうまそうたろうだ。まぁ相馬の階級は警部だけどな」


 徒野が人差し指を差しながらいった。


「何故刑事と呼んでいるんです?」

「響きが好きだからだ」


 とても個人的な理由だった。


「てっきり巡査部長の時とかに出会ったのかと思いましたよ」

「こいつは警部補からだぞ」

「キャリアでしたか」


 外見の年齢が二十代後半で警部ということは、徒野に言われるまでもなくキャリアであることを考えるべきだった。


「別に私は刑事だろうが警部だろうがどうでもいいけどな。葛桜、宜しく」

「はい、宜しくお願いします」


 警察官と宜しくはあまりしたくないけど建前は必要だ。


「で、相馬。本題を話せ」

「わかっているよ。私としてもこの事件に時間をかけたくないからな。被害者はこの部屋を借りている作井遼太郎さくいりょうたろう


 相馬は懐から写真を取り出した。

 死後の写真かと一瞬身構えたが笑顔だったので、生前だ。

 はにかむ笑顔は、幸せそうだ。


「年齢は三十歳。娘が一人いるが、妻とは二年前に離婚していて親権は妻のほうにある。この家は、もともと家族で住んでいたそうだ。バリバリの営業マンで、業績は社内でもトップクラス。交友関係が広く、友達も多い。死因は毒物による毒殺。死体発見時刻は日曜日の深夜二時で、死亡推定時刻は一昨日の夜十一時から十二時の間。第一発見者がリビングの床に被害者が倒れているのを発見して通報した」


 テーブルの横に倒れていたということは、毒が入っているとは知らず、水物を飲んで死んだということか。


「部屋の鍵は開いていたが、金品が盗まれた形跡はない」

「ほほう。それで他殺だとした根拠は? 毒ならば自殺の可能性もあるだろう?」


 徒野が面白そうに口を歪めながら相馬に問いただす。


「毒を飲んだ容器が見つからない」

「容器というのはコップだな?」

「そうだ。毒を飲んで自殺したはずならば、毒を飲んだ容器が転がっているはずだ。しかし、そんなものは存在せず、洗い物籠の中にはコップが一つだけ洗われた状態で置かれていた」

「成程な。で、容疑者がいるんだろ? ただの毒殺事件ならばお前だって解けているはずだ」


 相馬の実力を信頼しているのか、正当評価を下した結果の分析なのかは不明だが、遠回しに私ならば問題なく解けると宣言していた。


「問題は、容疑者なんだ」

「完璧なアリバイがあったか?」

「そうだ」

「なら、そいつは犯人じゃないだろ」

「しかし、殺人であるならば彼以外考えられない」

「例えどれほど怪しくても、不可能であるならば不可能であって、原因はそれ以外だぞ」


 徒野の言葉に相馬はわかっていると言いながらも不服だ。

 毒殺ならばアリバイがあっても怪しいと思ったが、刑事と探偵が気付かないわけもないので、口を慎む。


「納得できないならば、一つ一つ可能性を排除していこう。他に恨みを持っている人物は?」

「零ではないが、殺人を犯すほどの人間はいない。例えば、貸していたDVDを酔った勢いで壊されたとかな、昔に貸した本を返して貰うのを忘れていたとか、同窓会にいったら整形手術をしていた同窓生の顔を見てもわからなかったとか」


 ツッコミを入れたくなるような恨みばかりだ。


「悉く殺人の動機にはならないな。まぁそんな下らない理由で人を殺す殺人者がいないわけではないが……この場合は除外してもいいだろうな。別に同級生が女で、彼に恋をしていたとかいうわけでもないんだろ?」

「あぁ。整形したのは男だ。しかも妻子持ち。だから殺害するほど強い恨みを持っていたのは、第一発見者であり、容疑者である彼しかいないんだ。現在の調べでは、だがな。彼は元々被害者と高校時代からの悪友で、会社の同僚だったそうだが、ある日仲たがいをしてそれから彼は会社を辞めて、今は中小企業に勤めている。給料は以前の半分で、悉く文句を言って『自分の人生を台無しにしたあいつを殺してやる』とさえ言っていたそうだ――まぁ酒の席で、だがな」


 聞いた限りでは逆恨みの要素もないわけではないが、一番動機が濃厚だ。

 徒野は顎に手を載せて思案しながら、相馬に続きを話せと促している。


「被害者の作井遼太郎は、一昨日の土曜日の朝から仲の良い友人六人を招いて自宅で騒いでいたそうだ。パーティーみたいな感じだな。で、どんちゃん騒いで夜の九時に解散した。その後、仕事で来られなかった友人に被害者は携帯から電話を入れて十分ほど会話をしている。履歴も確認済みだ。それが、夜の十時五十分。そして深夜二時に容疑者である彼が自宅を訪れて死体を発見した」

「……随分と夜中だな。恨みを抱いている相手がどうして訪ねてきた? まさか殺害するつもりで行ったら既に殺害されていたってわけでもあるまい」


 それはそれでややこしい事件だが、相馬は首を横に振った。

 そもそも、それならば容疑者から第一発見者は除外されるよな。


「違う。あぁそれと当たり前だが容疑者は容疑を否認している」

「そりゃそうだろ。犯人が逮捕されていたら私を呼びはしない」

「容疑者が深夜二時に被害者宅を訪れた理由だが、三日前、突然連絡が来て深夜二時に会う約束をしたそうだ。呼び出された理由に関しては、知らないと供述している。深夜に呼び出すなんて常識知らずだと憤慨しながら訪れたら、何度チャイムを鳴らしても出ない。鍵が開いていたので寝ているのかと思い室内に入ると死体を発見したそうだ」

「ふむ、で? 容疑者を真っ黒に出来ない完璧なアリバイとはなんだ」

「死亡推定時刻に、容疑者は友人四人と夜の七時から深夜一時半までカラオケに行っていた。トイレなどで席を五分程度外すことはあったが、それ以外はずっと一緒にいたことの証言が取れている」

「友人の証言だ、裏付けも勿論とったのだろう?」

「あぁ。家族や恋人までとはいかなくとも、偽装アリバイの可能性はあるからな。しかし、カラオケ店の入り口には防犯カメラが設置されており、行きと帰り以外、姿は確認されていない。また、従業員用の裏口は鍵がかかっていて出這入りは不可能。此方も防犯カメラが設置してあり従業員以外の出這入りはない。非常口も普段は施錠されているし、防犯カメラがこれまた恨めしいくらいに設置してあるんだ。防犯意識のない店も困るが、防犯意識がありすぎても困るな」


 アリバイは崩せないとお手上げポーズを相馬はとる。


「つまり外部と内部を行き来するための場所には全て防犯カメラの存在があるというわけだな」

「そうだ。防犯カメラを潜り抜けて外に出ることは出来ない。容疑者の密室が出来てしまったんだ」

「くくっ容疑者の密室か、いいなその表現私は好きだ」


 悪人かと思う笑顔を浮かべながら徒野は言った。


「続けるぞ、カラオケの帰りは、予め容疑者の友人が皆を車で送迎することが決まっていた。いつもの流れで、運転手は送迎の代金としてカラオケ代の室料は皆が払うと決まっているそうだ。で、容疑者も被害者宅まで送ってもらっている。到着時間は深夜一時五十五分だったと証言している。それを証明するかのように、助手席に容疑者が座っていたこともあって、道路の防犯カメラ複数に移っている」

「成程な。こうも完璧に防犯カメラが容疑者の現場不在証明を立証するのは、完璧であるがゆえに怪しいと相馬は思っているわけだ」

「そうだ。あまりにも都合よすぎるんだ――アリバイ工作を疑うほどに、な」


 友人の証言、人間の証言であれば曖昧で嘘や勘違いが混じるかもしれないが、防犯カメラとなればそうはいかない。

 科捜研で本人である証明もされていることだろう。


「後頭部席ならば証明は出来なかったかもしれない。防犯カメラに映りたかった容疑者は、助手席に座らなければならない理由があったのだろう?」


 独特の言い回しで、徒野は相馬へ訪ねる。

 相馬は足を組み替えてからため息をついた。恐らくはアリバイのための理由が自然だったのだろう。


「被害者宅を友人は知らなかったため、道を案内する目的で助手席に座ったそうだ」

「理に適っているな」

「都合よく防犯カメラがあるカラオケ店は、容疑者ではなく友人が此処にしようと決めたそうだから、防犯カメラがある店を意図的に選んだとは思えないんだよな……」


 大抵の店には防犯カメラが設置されているだろうから、それ自体に不自然はない。

 しかし、容疑者が一目を盗んで行動が不可能であることを証明できる店はそう多くはないだろう。

 完璧すぎるアリバイはかえって怪しいものだが、切り崩すことができない鉄壁の防御になってもくれる。

 だからこそ、探偵である徒野を呼んだのだろう。

 しかし、未だ相馬は肝心な疑問を説明していない。


「さて、相馬。毒殺なのに完全なアリバイを立証されているわけを説明してもらおうか? 大方、被害者にも容疑者のアリバイを完璧にするアリバイがあったのだろうがな」


 徒野が不敵に微笑んだ。

 睡眠を欲している頭では、アリバイを連呼されて意味がわからなくなってきた。

 つまり、容疑者のアリバイを確固たるものにしている要因の一つに被害者もいるってことだよな?


「そうだ。テーブルの周囲にはお茶が零れた痕跡や、口から涎のように零れていた水からはお茶の成分と毒の成分が検出された。すなわち、毒を飲んで死んだ。そのお茶が問題なんだ。調べたところ、冷蔵庫に入っている飲みかけのお茶であることが判明した。そして――そのペットボトルのお茶に毒が仕込まれていたんだ。問題はここからだ。そのお茶はパーティーが終了後、被害者がコンビニで新しく購入したものなんだ。お茶は開けて丁度一杯分しか減っていなかった」

「ほほう。それは面白いな」

「面白いとか不謹慎ですよ」


 今更過ぎるかもしれないが、一応注意しておく。


「面白いものは面白い。コンビニでペットボトルを被害者が購入している時間、既に容疑者はカラオケにいた。即ち、容疑者がペットボトルにお茶を入れることは不可能だと証明されている以上、毒を入れられる機会は存在しなかった」

「そうだ。お茶はそのメーカーのものしか飲まないほど大好きだそうで、普段から買いだめをしているそうだが、パーティーで散々飲み干してしまい無くなった。夜にでも買わないとなーと嘆きながら空のペットボトルを振り回していたらしい。コンビニの防犯カメラを確認したところ、パーティーのあとお茶を購入したことは確認済みだ」


 買いだめしてあるペットボトルは全て無くなり、新しいのをコンビニで購入したため、夜にアリバイがある容疑者には、毒を混入する方法が不明となる。

 やはりどれだけ疑わしい人間でも犯行が可能ではない以上、シロではないだろうか。

 しかし、そんな推測を嘲笑うかのように、探偵である徒野は真実を見つけ出したようで悪魔のような笑みを浮かべていた。


「因みに保険金などはどうなっている? 恨まれる可能性がなくとも金のために殺した可能性はないのか? 現場から金品を盗むよりも確実だろ」


 己の推理を確固たるものにするためか、穴埋めを徒野は始めた。


「保険金は一億。普通じゃあり得ない金額だから当然保険金殺人を疑ったさ。受取人は子供だ。だから最初は妻も容疑者の一人だったが早々に外れたさ」

「またアリバイか?」

「あぁ。それ以前に元妻は沖縄の実家に住んでいてな物理的に距離がある。そしてアリバイだが、子供の容態が急変して六時に病院へ駆け付けている証言が病院関係者からとれている。その後、病院を後にしたのが十時だ。つまり、物理的に犯行は不可能だ。飛行機を使って東京にこようにも病院から空港までは片道三十分。最終便は出発しているし、仮に最終便があったとしても、死亡推定時刻には間に合わない。毒殺だが問題の容器が何せ被害者が夜に購入したお茶だからな」


 物理的に鉄壁のアリバイが存在したというわけだ。


「しかも、子供に保険金が掛けられていることを元妻は知らなかった。被害者が元妻と離婚後に保険に入っていることも確認が取れている。知らなければ殺害しようがない。容疑者以上に現場不在が証明されているといっても過言ではない」


 容疑者と元妻、どちらも鉄壁のアリバイだが、防犯カメラというアリバイを用意しているともとれる容疑者と比べたら、元妻には犯行が不可能であると誰にも思わせるだけの力が存在した。


「納得だ、全てわかった」

「徒野――解けたのですか? この謎が!」

「本当か!?」


 相馬と共に食いつく。

 一体何が起きたのか見当もつかない自分たちと違って、徒野は話を聞いただけで全てを理解している。

 閑古鳥が鳴く事務所だが、実力だけは折り紙付きだ。

 これで性格が良ければ完璧だったのに天は二物を与えずということか。


「私は探偵だ。条件が提示されれば、事件を解決してやるよ、余すところなくな」


 上から目線の態度は、この身を委ねたくなる不思議な安心感がある。

 真相を見つけた探偵――徒野朔あだしのさくは、傷一つない滑らかな指先を動かして


「犯人はお前だよ」


 指した犯人は、被害者が死亡した場所だった。

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