第4話:目には歯を、歯には
依頼人は二十代後半と思しき女性だった。素朴な顔立ちは優しそうで、ナチュラルメイクが合っている。
白のカーディガンに緑のロングスカート姿は大人しい令嬢のような印象を与えてくれるが、その姿に不釣り合いな包帯が気になった。左手をぐるぐると包帯で吊って固定しているのだ。骨折をしているのだろう。痛々しくて、守ってあげたい印象を与えてくる。
女性を徒野のもとへ案内して、椅子に座るよう促す。
「こちらは、徒野探偵事務所の探偵である徒野です」
僕が徒野を紹介すると女性は一瞬驚いたようで目を丸くしたが、すぐに表情を戻した。
「私にかかればどんな殺人事件も解決してやる。依頼内容はなんだ? 殺人か?」
殺人を繰り返しすぎなので頭を殴ってやりたくなったが、依頼人の前では無理だ。
「あ、いえ……違うんですけど」
「そうか。なら帰れ」
しっし、と手を振って拒絶をし始めたので、依頼人は困惑しながら顔を下げて帰ろうとしたが、帰してたまるか。
二日続けて依頼があるなんて、明日は槍が降ってきそうなほどレアなんだぞ。
「お茶入れますからどうぞ、ソファーに座っていて下さい」
温厚な声色と表情で、依頼人にお茶を勧めることで引き留めることにした。
「おい、葛」
当然徒野からは非難の声があがるが、知らない。
「働け」
「葛。私は」
「いいから働け!」
依頼人の前だとかもうどうでもいいので、笑顔で探偵の仕事を促す。
「……わかったよ。今回は特例だ。どんな事件だって解決してやる。さぁ、私に仔細を話すといい。あぁでも葛にお茶をもらってからにするか? 葛は茶を入れるのがうまいぞ」
「偉い偉い。それから徒野、偉すぎです。控えて下さい。王妃じゃないのですから」
「人をガキ扱いするな」
僕らの会話が面白かったのか、依頼人が顔を下に向けながら笑っていた。
別に意図したわけではないが緊張が解れてくれたのならば嬉しい限りだ。
「では、どうぞ」
僕はソファーを指さす。最初からソファーに座るように言えばよかった。
依頼人はゆったりとした動作で腰かけた。ロングスカートが皺にならないように手で整えている。
台所でお茶と饅頭を徒野と依頼人、僕の三人分を用意して出す。
「本当に美味しいですね、有難うございます」
依頼人が口をつけて感想を言ってくれたのでにっこりと微笑む。
「饅頭もどうぞ、美味しいですよ」
「葛が同胞を差し出した」
「同胞じゃありませんし、これ美味しいのですよ」
毒は入っていませんとばかりに、饅頭を食べる。
「あぁ、なんてことだ! 葛が共食いをした!」
大仰な言いぐさに、徒野の頭を殴ってやろうかと思った。『葛桜』は葛粉で包んで、桜の葉で巻いたまんじゅうのことだが、この饅頭は葛粉を使っていないはずだし、桜の葉で巻いてもいない黒糖饅頭だ。
正確にいえば共食いでもなく、徒野だってそれを承知したうえでからかってくるからたちが悪い。
「で、どんな依頼だ?」
徒野が視線を僕から外して、黒糖饅頭を一口で食べきってから依頼人へ訪ねる。
「……実は、この怪我なんですけど、何者かにやられたみたいで……」
「えっ!? それって警察に連絡したほうがいいんじゃないですか」
思わず口を挟んでしまった。探偵ではなく警察の管轄だ。いや、殺人事件も警察の仕事だけど。
「いえ……できれば大事にしたくないんです」
「大事にしたくない理由があるんだな?」
徒野の怜悧な視線が依頼人に向く、その鋭さに怯んだようだが意を決して彼女は言葉を続けた。
「えぇ、これを」
そっと取り出してきたのは小さいボタン――いや、何かの校章だった。
「これは……校章か?」
徒野がそれを転がしてから言った。依頼人は頷く。
校章は六枚の花弁と中央に点が一つあるデザインだ。
「私は
宮埜高校といえば、誰でも知っているような名門進学校で、日本最難関の大学の合格率も高いと噂に聞く。
成程、校章だと僕が一目でわかったのは見覚えがあったからだったというわけか。
「宮埜高校の校章です。それが、突き通された階段の上に……落ちていまして……」
「成程、お前の怪我は階段から落ちたときのものなんだな」
「えぇ。校章が置いていたことから、犯人は生徒の誰かだと思うのです。ですので、警察を呼んで大事にはしたくないんです。何か、事情があってそのような行為に出たのならば、話し合いで解決したいと思っています。教師としてはまだベテランではありませんし、私に至らぬことがあったのならば、直していきたいですから。だから、私のクラスの誰が犯人か知りたいんです」
教師の鏡のような先生だった。
「で、それでなぜ探偵を雇おうと思った?」
「実は、私のクラスにも探偵がいるんです」
「高校生探偵というやつか、面白いな」
最初に高校生探偵の話を出していたら、そっちに興味が向いて依頼人に雑な対応を取らなかったのじゃないかと思うくらい、口元が笑っていた。
徒野がやや前のめりになって話の続きを促す。
「そうです。学校では、事件が起きればゆーちゃんに――あぁ、ゆーちゃんとは探偵のあだ名です。ゆーちゃんに依頼すれば万事全て解決するといわれているのです」
「ならば何故そのゆーちゃんに解いてもらわなかった?」
徒野の疑問は尤もである。僕としても理由を知りたかった。
「勿論、依頼をお願いしましたが、断られたのです。今回の件には関わらないって」
「断った理由は?」
「わかりません……普段なら依頼を選り好みすることなく、引き受けてくれるので、どうして今回は……ダメだったのか見当も……で、私は他の探偵に依頼して、犯人を見つけてもらおうと思いまして、ここに来たのです。勿論、校長の許可はとってあります。校長も、ゆーちゃんのおかげで探偵を認めているので」
校長までも認めるゆーちゃんとは果たして何者なのか、牧野には悪いけれど、そっちのほうが僕も気になってしまう。
「それで、もしよければこれから学校まで来ていただけませんか?」
「放課後の時間、ですよね? だからといって僕たち部外者が一緒にいてもいいんですか?」
「普段の時間でしたら授業がありますし……それに、放課後でも部活動などで残っている生徒はいますから」
時計を確認すると、時刻は四時を回ったころ合いだ。
確かにこの時間なら部活動ではなくても友達と居残って騒いでいる生徒もいそうだ。
ガレージへ向かい、ピンクに軽自動車を運転して、徒野、牧野かな恵とともに宮埜高校へ向かった。
春であれば桜吹雪が新入生を迎えただろう校門を雨の中通り過ぎて職員用の入り口から進み、来訪者用のプレートをもらい首からぶら下げる。
グランドのほうから、陸上部の掛け声が聞こえてくる。
廊下の窓からグランドを見ると、陸上部や野球部、サッカー部などが練習に励んでいた。
部活をやらなかった身としては青春を満喫する声が少し羨ましい。
「部活動も盛んなのですか?」
「えぇ、文武両道を謳っているので。とはいえ、勉学に集中したい生徒は部活に所属していないのですけどね」
中々文武両道は難しいですとはにかみながら牧野は言った。
「ここが、私の担当している二年四組の教室です」
校舎三階にある二年四組のプレートがある教室に入ると、机に行儀悪く座っている女子を取り巻くように四人の女子が談笑をしていた。
制服の色は白のブレザーにピンク色のブラウスと、黒のネクタイに、白のプリッツスカートという組み合わせだ。
ブレザーの襟には宮埜高校の校章が輝いていて、それは牧野が拾ったのと同じものだ。
「あっ! 牧野ちゃん、どうしたんー?」
牧野の姿を視認した女子生徒の一人がハキハキとした声で、先生の名前を呼ぶ。
牧野ちゃんと呼ばれているあたり、生徒と友好関係を築いている先生のようだ。
「私が階段から突き通された事件あったでしょ? 誰がやったか知りたくて、探偵さんを雇ったの。だから、この二人が質問をしたら素直に答えてほしいんだ、お願いできるかな?」
「勿論いいよー。先生を誰が突き落としたのか、わたしたちも知りたいし。牧野ちゃんも災難だよね、折角怪我治ったばかりなのに。にしても、どうして今回はゆーちゃん断ったんだろ?」
首を傾げてうーんと少女は唸るが、答えは出てこなかったようだ。
此処でも探偵ゆーちゃんの名前が出るほど、その信頼と有名度は高いのだろう。
「では、徒野さんと葛桜さん、よろしくお願いします」
自己紹介は車の中での暇つぶし会話でしていた。遅すぎるくらいだったけど。
「わかった。牧野は職員室で待っていてくれ」
「わかりました」
同席するつもりだっただろう牧野は不思議な顔をしながらも、探偵の指示には従うべきだと判断して、その場を立ち去った。
教室には僕と徒野、そして女子グループの五人が残った。
雨なのに開けっ放しにされた窓から雨音が聞こえてくる。
湿気が漂ってくるから、個人的には締めたいのだが、勝手知ったる探偵事務所とは違うので我慢する。
「では質問だ。ゆーちゃんはどれほどの名探偵だ?」
思わずこけそうになった。なんで、牧野のことではなく、名探偵ゆーちゃんの質問をするんだよ!
興味は後回しにしろ! まぁどうせ言っても聞かないことはわかっているので、徒野が満足するまで待とう。
「ゆーちゃんはね! 凄い名探偵だよ。基本的には、校内で依頼を受けているけど噂じゃ殺人事件も解決したって!」
ゆーちゃんのことが誇らしいのだろう、自分のことのように少女は喜んでいる。
「例えば、校内の依頼はどんなものを引き受けるのだ?」
「色々だよ。虐めの犯人を突き止めたり、無くしもの探したり、プールの水抜き事件とか、生徒会資金行方不明事件とか、猫の迷子探しとか、十円玉交換事件とか」
十円玉交換事件が一番気になった。詳細を知りたいが、そんな場合ではないので自重する。徒野と違い僕には自重がある。
「そうか。じゃあ名探偵――それこそ推理小説の名探偵のように、推理は正解するのだな?」
「そうだよー! その辺の探偵なんてよく知らないけどゆーちゃんは誰にも負けないよ!」
「わかった。名探偵の実力は信じよう。ちなみに念のための確認だが、ゆーちゃんはこのクラスの生徒で間違いないな?」
「そうだよ」
「今回、ゆーちゃんが拒否したことで普段と何か違うこと、もしくはいった言葉があったら教えてくれ」
徒野の言葉に、女子生徒たちは互いに顔を見合わせた。
そして数秒のち、一人の女子生徒が控えめに手を挙げた。
「実は……あたし、聞いたんです。どうしていつもは依頼を引き受けるのに今回は引き受けないのかって。そしたらゆーちゃん『引き受けて何になるの? 望む結末を用意するのが、役割じゃないよ』って。望む結末って……なんのことだろうって、聞いたんだけどそれ以上は教えてもらえなかった……の」
「何それ、どういうこと?」
女子生徒の一部も初耳だったようで問いかけるが、少女自身よくわからないため首を振る。
「そういえば、わたしも聞いたかも。そしたらゆーちゃん『与えられた筋書きは、好きじゃないよ』とか言っていたかな?」
「ゆーちゃんって不思議なオーラ放っているけど、そんなことも言っていたんだーあたしは『解決することだけが全てじゃない』ってきいたなー」
「そうそー」
「まぁゆーちゃんって変なとこプライド高いから何かダメな理由があったんだろうねー。可愛いから抱き着こうとしたらゆーちゃん怒るし」
「ほんと不思議だよね。牧野ちゃんの怪我、今まで一番痛々しそうなのに……犯人見つけてあげないなんて」
「ゆーちゃんならそっこう解決してくれたに違いないのにね!」
女子トークに花が咲き始めた。
「そうか、よくわかった。有難う。もう一つ知りたい、先生を恨んでいるような生徒はいるか」
確信に迫る問だった。
仲間を売るみたいで躊躇したようだったが、やがておずおずと答えてくれた。
「えっと、同じクラスの高橋君は、先生のこと馴れ馴れしくて嫌っているみたいでした、こう例えるなら……反抗期みたいな?」
「先生の言うことなすこと全部嫌いみたい。『気持ち悪い』って前に言っていたんだ」
「あんないい先生のこと、『気持ち悪い』だなんて高橋君も酷いよね」
「ホントだよねー」
「有難う。もう少し色々な生徒から話が聞きたい、誰か呼んでこられるか?」
「あ、うん。ちょっと待っていてください」
女子生徒のネットワークで暫くしたら人数が増えた。女子だけじゃなく男子も混じっていたから交友関係の広い生徒なのだろう。
様々な聞き込みを徒野はした。
「牧野ちゃんっておっちょこちょいなんだよねー」
「そうそ。どじっこかわいいけど」
「牧野ちゃんは真面目で生徒にも平等に接してくれて優しいよね」
「それなのに高橋はどうして牧野ちゃんのことが嫌いなんだろうな」
「『気持ち悪いっ』てひでーよな」
「探偵のゆーちゃんは、まじすげーぞ、まじすげー」
「学年主席で、様々な知識があるから、名探偵なんだよな」
「この間、オレ。ゆーちゃんが他校の男子生徒から告白されてんの見たぜ!」
「マジか、おれも見たかったなー」
「ゆーちゃんホントモテモテだよな。告白は全部断っているから、恋人いねーけど」
「そうそ、高橋も成績はわるくねーぞ。優等生って感じだし、でも何を考えているのかよくわからねーよな。俺たちともあんまりつるまないし」
「それでも牧野ちゃんはしっかりと面倒見ようとしているんだけど、この間なんて、触るなって牧野ちゃんを拒絶していたんだぜ」
「牧野ちゃんかわいそうだよな」
「牧野ちゃんはおっちょこちょいすぎて怪我には僕たちも動じなくなってきたけど、流石に骨折は心配だよね」
「しかも、誰かに突き落とされたんでしょ、怖いよね……」
「こえーよな」
「ホントだよ。早く犯人つかまればいいのに」
「ね! 牧野ちゃんの怪我も早く良くなってほしいよ」
「病院で休んでいてほしいくらいだよね」
此方の質問を挟む余地もなく、時々脱線しながらも流れるように会話を生徒たちはお喋りをする感覚で話してくれた。
「有難う、助かったよ。それでは、私たちは失礼する」
凛とした言葉を告げてから徒野は廊下に出たので、慌てて僕は生徒たちへお辞儀をしてから続く。
「これって高橋君が犯人なんですか?」
クラスメイトの証言から一番怪しいのは高橋君と呼ばれている人物だろう。
「いや違う」
「じゃあ一体……」
「もしかして名探偵が犯人? だから今回の事件に関しては解決しなかったとかですか?」
「それも全然違う。そもそも名探偵の推理に絶対的な信頼がおかれているんだ。ゆーちゃんが犯人だったのならば、嘘の解決を作り上げればいいだけだ。解決しないという手段を選んで、怪しまれる必要はない」
「確かにそうですね」
「犯人はあいつさ」
徒野が悪魔の裸足で逃げだしそうな笑みを浮かべた。
なんで徒野って事件解決をするとき邪悪な表情をするのだろうか、表情だけだと犯人とそのうち間違われそうだ。
職員室の扉をノックもしないで徒野が開きそうになったので、その手を制して二回ノックをしてから扉を開けた。
先生の数は少なく空白の机がちらほらある。
「牧野、ちょっと個室で話したい」
「わかったのですか!?」
「あぁ、わかった」
「わかりました、では此方へ」
牧野は期待した眼差しを徒野へ向けながら、面談室を用意してくれた。
椅子に座って牧野と向き合う。
「で、一体誰が犯人なのですか――!」
身を乗り出しながら牧野は問う。
「犯人はお前だよ、牧野」
徒野は笑いながら犯人を名指した――って牧野が犯人!?
僕が驚くのと同様に、牧野の瞳も驚愕で見開かれた。
机の上に置いていた拳が心持震えている気がする。
「どうして、私なんですか……?」
「お前の自作自演だよ。ミュンヒハウゼン症候群の可能性もあるから、病院へ行くことを勧めるぞ」
ミュンヒハウゼン症候群って確か、周りの同情をかったりするために、病気を殊更重く見せたり、自傷行為をするってやつだよな?
「周りの同情や心配を得るために、お前は怪我をよくしていたんだ。お前と一緒にいたときに話を聞いた生徒は『折角怪我治ったばかりなのに』って言っていた。怪我が治ったばかりなのに怪我をした、牧野に対する違和感が増えた瞬間だよ。だから、職員室で待っていてもらうように追い出した。他の証言を聞くとおっちょこちょい、どじっこといった評価が多かった。そして――とある生徒は『牧野ちゃんはおっちょこちょいすぎて怪我には僕たちも動じなくなってきたけど、流石に骨折は心配だよね』といっていた。ならば、お前は日常的に怪我をしていたことになる。しかし、怪我の頻度が高くて心配されなくなってきた。満たされなくなったお前の行為はエスカレートして自分で階段から落ち、骨折をしたんだ。新しい怪我によってお前は心配を得る。そして、より悲劇的に自分を見せるために、誰かに突き落とされた、という物語を捏造しようとしたんだ。警察に連絡しなかったのは、自作自演がバレないためだろ」
「……いつから、私が……怪しいと思ったんですか」
震える声で牧野は問う。
それはもう、自作自演と認めているようなものだった。
教師の鏡だと思っていた人物が、自ら同情を引くために怪我をしていたとは思いたくなかった。
「きっかけは、お前の言葉のミスが二つある」
「えっ」
「いいか? お前を突き落とした犯人が何故、自分の身元を示す校章を落としたんだ? 犯人だと疑って下さいと言っているようなものだ。よしんば、偶然だったとしても――お前は、校章を見ただけでクラスの誰かが犯人だと疑ったんだ。校章は学年ごとに色わけなんてされてないぞ? クラスは確かに受け持っている時間が長いかもしれないが、授業で受け持つクラスだって多いだろ? 高校は、各教科ごとに先生が違うしな。なのに、どうして限定できた? どうして『クラスの誰が犯人か知りたいんです』なんていったんだ」
「そ、それは」
牧野は言葉に詰まる。
「犯人を捏造したい相手が、クラスにいたから、生徒を犯人に仕立てようと誘導したんだ。失敗だな。まぁこれに反論したければ、思い込みによる言葉の綾だとでもいえ」
「では……思い込みによる言葉の綾です……」
「ははっ。そうか、じゃあ今回の事件で一番の異常はなんだ?」
なぞなぞを出すように徒野は質問してきたが、答えを待たずに徒野は続けた。
「牧野が突き落とされたことではない。満遍なく依頼を受ける名探偵ゆーちゃんが、今回に限っては依頼を拒否したことだ」
誰もが疑問に抱き、答えを知らなかった謎である。
「ゆーちゃんには、拒否する特別な理由があった。その理由とはなんだ? 生徒からの情報で、印象的だったのは、『与えられた筋書きは、好きじゃないよ』『引き受けて何になるの? 望む結末を用意するのが、役割じゃないよ』『解決することだけがすべてじゃない』だ。即ち、今回ゆーちゃんが探偵の役割を断ったのは、牧野に思惑があり、その思惑通りに動いてもらう滑稽な人間としてゆーちゃんが選ばれたからだ。だから、引き受けないことで、筋書きから外れたんだ」
「……牧野さんの思惑とは何なのですか?」
僕が口を挟む。徒野みたいな頭脳は有していないので所々口を挟まないと理解が追いつかない。
「高橋君が犯人だという筋書きだ。本来、牧野が描いた稚拙な物語はこうだ、体育の時間に着替えた制服から校章を外すなどしてまず高橋の校章を盗み取り、突き落とされた階段に落ちていたということにする。当然、校章が落ちているのだから宮埜高校の生徒が犯人だと、思う。そして――校章を所持していない生徒が犯人となる。犯人が日ごろから牧野のことを嫌っていた生徒であれば動機も十分で、物証もあり誰もが高橋であることを疑わない。警察沙汰を牧野は嫌っていたが、仮に指紋を調べようといったことになっても、バッチリ高橋の指紋は付着しているというわけだ」
筋は通っている。
名探偵ゆーちゃんが誤って解いたとしたら、校長すら信じるゆーちゃんだ、高橋は弁解の余地なく犯人に仕立て上げられていただろう。
即ち、ゆーちゃんの言葉ならば無実すら有罪にできる可能性があるということ。
それを牧野もわかっていて利用しようとしたんだ。
結果としては失敗に終わり、しかも徒野に企みを看破される結末となったが。
「だが、牧野は考えなかったのか? ゆーちゃんが依頼を引き受けてさらに目論見を看破するかもしれないって」
「……自意識過剰だったんですかね、証拠があればゆーちゃんは私の道筋に乗ってくれると思い込んでいました。きっと心の中で名探偵と呼ばれていようが、所詮高校生って思っていたのですね」
「浅はかだな。その程度で誘導されるのであれば、名探偵と呼ばれ信頼される存在になどならないよ。何処かで間違いを既に犯していて信用は失墜している」
「そうですね。……私の依頼を引き受けなかったってことは、徒野さんの言葉通り、ゆーちゃんは目論見を看破していたってことなんですよね?」
「そうだろうな。ゆーちゃんは解決しない方法を選んだ、それが今回ゆーちゃんが依頼を断った理由だ」
職員室で真相を語るのではなく、個室にした理由もわかった。
「……そうだったのね」
「高橋が牧野に反抗的な態度をとっていたのは、自傷しているところを恐らく見られたんだろ? 『気持ち悪い』というのは、高橋がお前を理解できないって意味で使ったのだろうな」
「そうだと思います」
「だから、自分を気持ち悪いという高橋を犯人にすることで真実を知っている彼を排除し、かつ悲劇のヒロインとして同情を一心に集められると思ったんだろうな。さて、これで私の依頼は完遂だ。依頼料はちゃんと口座に振り込んでおけよ、それが例え自作自演でも、私はそれを解決した」
「……はい、依頼料は勿論振り込みます」
徒野は拘らない。依頼をされた通り、犯人を突き止めただけ。
だから、僕は言う。
「余計なお世話でしょうけど、牧野さん。高橋君にだけは真実を伝えるべきだと思います、それで高橋君からいくら軽蔑されようとも、貴方はそれ以上のことをしようとしたのが事実なのですから。もし、ゆーちゃんが貴方の思惑に気付かなければ、今頃高橋君の人生は滅茶苦茶だったでしょうことは心にとどめておくべきです」
「そうですね……」
「それじゃあ私たちは失礼するよ」
「さようなら、有難うございました」
牧野は頭を下げた。
果たしてどのような感情を、抱いているのかは知らないが、知る必要もないだろう。
帰りの車を運転しながら徒野は詰まらなさそうに足をばたつかせていた。
「ゆーちゃんに会ってみたかったな」
徒野の興味をそそらない事件ではあったが、名探偵ゆーちゃんにだけは興味があるのだろう。
「名探偵、でしたもんね」
「尤も、私のほうが名探偵だ。ゆーちゃんごときに負けはしない」
頬を膨らませて徒野は文句をいってきた。
まぁ僕も、ゆーちゃんより徒野のほうが名探偵だとは思っている。
傍で徒野の姿を見続けてきたのは、誰よりもこの僕だと自負しているから。
数日後、久々に見せた晴れやかな晴天に浮かれて、満足するまで洗濯物を干し終わった頃、牧野かな恵が徒野探偵事務所にやってきた。
「その節はどうも有難うございました」
お辞儀をする表情はどこかやつれているように見えた。
流石に数日では骨折は治らないので包帯姿が痛々しいが、以前とは違って守ってあげたいと思う感情は働かない。
「どうしたんですか?」
「いえ、お礼をと思いまして、実家の九州にしばらく帰るので、此処にはもうこられませんから」
「えっ?」
「……実は、高橋君をはめようとした自作自演だったことがばれたんです」
「どうして、ですか」
穏やかに告げる内容ではなく驚く。徒野も目を見開いているようだ。
「教卓の上に、徒野さんたちとの会話が録音されていたテープがおかれていたんです。私の肉声付きですからね、誤魔化しようはなかったですよ」
「一体誰が……それこそ、探偵のゆーちゃんに依頼したんですか?」
自業自得とはいえ、教卓の上に録音したテープを置くような真似をされるほどではないだろう。
計画は非道だったとしても、結果としてそれは成就しなかったのだから。
「いいえ」
あっさりと、牧野は言った。
「どうして、ですか」
「私の自業自得に、自作自演の結果を公にした犯人を、探偵に突き止めてほしいと私が思わなかったからです。いい機会だったと思うことにします」
微笑む姿は疲れ果てていて、精一杯のやせ我慢だろう。
それだけを告げて牧野は立ち去った。
ここに来たのは、僕らが真相を知っているから、誰かに告げて共有したかったのだろうと、推測した。
「高橋君が……仕返しでもしたのでしょうか?」
牧野がいなくなった空間で、探偵の徒野に答えを求める。
「違うな。彼は私たちのことを知る術を持っていなし、そんな技術があるとは思えない。牧野の自傷を見て面と向かって気持ち悪いというような生徒だ、真実を知ったのならば、会議室の扉を開けて乗り込んでくるだろうし、そうしなかったとしても悪質な真似はしないと思うぞ」
「どうしてですか?」
「牧野に対して『気持ち悪い』といった高橋だが、気持ち悪いといった理由――即ち、牧野が自作自演の自傷行為を行っていることを誰にも言わなかった。だから、高橋個人が牧野を嫌っても、悪質な真似はしないと私は考えている」
「じゃあ、あの女子グループと、その後呼ばれた人たちの誰かが真相を知りたくてこっそり後をつけたということですか?」
「その可能性もゼロではないだろうが、確率としては無視していいほどに低い」
生徒に尾行されて気付かなかったとしたら僕も間抜けだ。
だが、徒野はあの生徒たちを疑ってはいないようだ。
無視していいほど低くとも、零じゃない以上、犯人である可能性は残っているのだろうが、それよりも徒野の中には有力な容疑者――いや、犯人が存在しているのだ。
「では、誰が」
「名探偵ゆーちゃん。そいつが犯人だろう」
「……名探偵は最初からこの事件の仕組みを理解していた。牧野さんの自作自演で、自分に間違った推理をさせようとしていることを。知っていたからこそテープで録音ができたってことですか? でも、あの場にゆーちゃんはいませんでしたよ?」
「私たちが出会っていないだけだ、どこかで探偵として聞き耳を立てていた可能性はあるし、女性生徒たちが『探偵が来ているから話が聞きたい』と友人を呼びよせるためのメールの中にゆーちゃんが混じっていた可能性もある」
「それは……確かにありますね。けど、どうしてゆーちゃんは牧野さんを陥れるのですか?」
「ゆーちゃんはプライドが高いと生徒も言っていただろう。自分を陥れて利用しようとした、牧野が許せなくて復讐に出た可能性がある」
「復讐……」
「そうだ。まぁ全ては僕の憶測だけどな。牧野も真相を知るつもりはないようだが、恐らく直感で理解しているだろう。名探偵が犯人じゃないかと、ならば勝ち目など牧野にはない。何せ、ゆーちゃんの言葉は学校では絶対なのだろう?」
不敵に微笑む徒野に対して、言葉はなかった。
名探偵ゆーちゃんは、牧野が無実の高橋を犯人にしたてるために利用しようとした。ゆーちゃんが犯人だと声高に宣言すれば、シロはクロになり替わる。
ならば、音声を流した犯人を教えてと牧野が依頼したところで、牧野が自作自演の犯人として挙げられても不思議じゃない。
そして、牧野がどれだけ声高に違うと主張しても、誰も信じない。
回答を導き出したのが名探偵ゆーちゃんだから。
「徒野の言葉通りなら、僕は名探偵ゆーちゃんには会いたくありませんね」
「そうか? 僕は益々あってみたくなったぞ」
自業自得とはいえ、後味の悪い結末を生み出したゆーちゃんに微妙な心境を抱いた僕とは裏腹に、徒野は猫のような笑顔で言った。
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