第6話:赤い偽物

 夏も終わり頃、ようやく過ごしやすくなってきたと冷房を切って窓を開けると、窓の下に、此方を見ている男がいた。

 依頼人だろうかと思って会釈をしたが、無視されて男は階段を上ってきた。


「徒野はいるか」


 乱暴に扉が開けられたので、いつも以上に鈴がなる。心なし、ガランガランと聞こえた。


「えぇ、いますよ」


 探偵である徒野のことを名指しで呼んだので、恐らく知り合いだろうと判断しながら、暖簾を開けると青いストライップが入ったお洒落なシャツにスーツ姿の男性がいた。

 年のころ合いは二十代後半。スラリとした長身に、傷んでいない黒髪、淵なし眼鏡をかけた姿は知的に見える。

 堂々とした足取りで暖簾と僕を退けてわが物顔で事務所兼リビングの中に入っていったので、僕の知らない常連客なのだろう。

 僕が徒野に拾われたとき、既に彼女は探偵事務所を開いていたわけだし。

 徒野は椅子に踏ん反りかえって新聞を読んでいた。

 いつも通り偉そうだ。

 鈴の音が聞こえたのだから――しかも普段より盛大に――佇まいを直していてもいいものを、良くも悪くもマイペースの我が道を貫く。


「どうした相馬。また私が必要な殺人事件でも起きたか?」


 この依頼人の名前は相馬というようだ。


「相変わらず上から目線の奴だな」

「一発殴っても罰は当たらないと思いますよ」

「おい。葛。それは随分と酷くないか」

「……葛?」


 相馬は首をやや傾げた。そう言えば自己紹介をしていなかった。


「僕は葛桜鏡くずざくらきょうって言うんですよ。宜しくお願いしますね」

「…………」

「?」


 怪訝そうに僕の顔を見る相馬に、今度は僕が首を傾げる番だった。


「葛桜は……その、私と前に一度会っているんだが?」


 相馬と僕が以前出会っている? 確かに、徒野の態度から初見でないのはわかったが、僕とまで顔見知りだった?


「えぇっと、すみません。覚えていないです」


 全く覚えがないので、正直に告げて頭を下げる。


「葛は物覚えが悪い奴だな。まぁ私ほど怜悧な頭脳は持ち合わせていないから仕方がないか」

「物覚えが悪いことに関しては反論しませんけど、自分を持ち上げないでください」

「もっとも、葛が覚えていないのも仕方ないだろう。相馬は別に普通のキャラをしているからな。私の元に来る色々な依頼人全てを覚えているわけないだろ?」


 確かに、徒野に比べたら誰だってキャラは薄いだろうし、僕も全員の名前と顔を覚えていられるような優れた記憶力は有していない。

 強烈なインパクトがあったら、別だろうけれど見る限り相馬は普通の人っぽい――ってこれは失礼か。


「相馬と葛が初めて出会ったときは、春だな。桜の季節だ。その日は隣のおっさんたちと麻雀を囲んでいたぞ。朝まで盛り上がったな」

「春……麻雀……可能性がありすぎて思い出せません」


 春の陽気に浮かされていたのか、やたらと麻雀に付き合わされた記憶ならある。


「で、麻雀が終わっていざ寝ようって時に相馬から依頼があって高速をひとっ跳びして、事件を快刀乱麻に解決してから褒美にラム酒を飲ませてやったんだ」

「えっ」

「ふふふ、しかも大奮発して現在は生産されていないやつだぞ。アルコール度数なんと」

「嫌です聞きたくないです」

「飲んだら泥のように眠ってつまらなかったけどな」


 そりゃ寝るわ。

 しかも徒野のことだから絶対アルコール度数の高いラム酒を飲ませてくれたに決まっている。


「折角だから起きたら感想を聞いてやろうと思ったのに、二日酔いで頭痛いとか言いだすわ、前後の記憶抜けているわで面白くなかった」


 あぁ、あの時の麻雀かと段々と記憶が蘇る。

 肝心の相馬との記憶は失礼ながらないのだが、夕方に目が覚めたら頭が割れるように痛くて、風邪でも引いたかと思ったら床に酒瓶が転がっていた。

 掃除をしていない事実と二日酔いの現実に愕然として、何が起きたか記憶を手繰りよせるも、麻雀を途中までやっている光景しか蘇らなかった。

 ここはスピリタスじゃなかっただけ良かったとでも思うべきなのか。


「それにしても、酒って前後の記憶までなくなるものでしたか……」

「さぁ。私は酔ったことがないからな。人それぞれなんじゃないのか、あぁそれともあれか、十円で買った栄養ドリンクが拍車をかけたかもしれんな」

「十円!?」

「はぁ!?」


 僕と相馬の声が重なった。


「おう。十円のツチノコエキス入りの栄養ドリンクだ。眠い眠い我儘いうから、車を走らせているときに飲ませたぞ」


 喜々としていうな馬鹿。


「うぇ……なんですかその絶対合法じゃなさそうな栄養ドリンク……」

「案ずるな。その後千円の栄養ドリンクもプレゼントしてやった!」

「最初から高いほう下さいよ」

「そっちはなんと」

「聞きたくありません!」


 ドラゴンエキスとか言い出すんでしょ!


「コンビニで買った」

「よかった」


 とても普通だった。

 いや、そのコンビニが普通の店だったらだけど。


「僕の記憶ないのは絶対ツチノコエキスと酒のダブルパンチのせいですよ……得体のしれないもの飲ませないで下さい」


 本当に勘弁してほしい。

 徒野と違って酒に強くないのだから。


「わかった。次はウォッカを用意してやる」

「もっとアルコール度数抑えめでお願いします。カシスオレンジとか……」

「えー。面白くない」

「黙れ」


 あの時の二日酔いの恨みは一生忘れないぞ――尤も、そのあの時が多すぎるほどに、二日酔いの回数が沢山あるのだが。


「またお前は思いつきで人を巻き込んだのか、仕方ない奴だな」


 相馬も納得したようで――というより徒野に対して呆れていた。

 どうやら麻雀後の出会いが僕と相馬の初ではあっても、徒野と相馬の付き合いはさらに深いようだ。

 麻雀後の記憶を思い出してみようと思ったが、モヤがかかっているようで思い出せない。

 脳裏に浮かぶのは酒瓶だ。

 酒はもういいよ。

 もう一度思い出そうとしたら麻雀パイが転がった。

 麻雀ももういいよ。

 つい数日前も朝まで徹夜で麻雀やらされて、その後の記憶が曖昧で徒野に聞く羽目になったわけだし――徒野に意識朦朧とさせられるのは今に始まったことじゃないけど――思い出すのは諦めた。地平線の彼方へ記憶が飛んだのだろう。


「葛は巻き込むために存在しているのだ」

「酷いです……」

「あれ? 葛桜のことはさくらって呼んでいなかったか?」


 桜? そんな風に徒野から呼ばれたことはないのだが。


「あの時は、桜と呼んでみたい気分だったのだ。ちょうど桜の季節だったからな!」

「えぇ! 僕が呼ばれたことを忘れている日は桜って呼んでくれる気分だったのですか!?」


 思いっきり食いついた。

 なんでそんな、『ミラー』でも『卯月』でも『ヨウ』でもない呼び方をしてくれた時が、寄りにもよってツチノコエキスを飲まされた日だったんだ!


「今からでも葛呼びを止めて桜呼びにしませんか? 鏡でも構いませんよ?」

「どちらも面白くないから嫌だな」

「面白くないっていう理由で桜呼びを止めたから、僕の記憶にないんですね!」


 どうせ二回くらい桜って呼んで面白くないなって飽きたんだろ! 僕に記憶がないのが悔やまれる。

 桜と呼ばれる場面を体験しておきたか――いや、しなくていいか。

 どうせ葛呼びに戻されるのならば、知らない幸せというものだ。今知ってしまったけど。


「忘れてしまった葛に、もう一度懇切丁寧に説明してやろう。こいつは相馬宗太郎そうまそうたろう。刑事だ」

「何度も言うが、正しくは警部だからな」

「警視正になったら呼び方を改めてやる」

「……おい」


 相馬はため息をついた。

 警部を刑事と呼ぶのは――あまり警察知識に詳しくないけど、それでもどうにも違和感がある。

 まぁ刑事というあだ名とでも思っておこう。

 僕が警部と呼ぶとなんかややこしい気もするし。


「相馬と私はそこそこ付き合いが長くてな。相馬が解こうと努力をしない事件は大体私に回ってくる」

「解く努力してくださいよ……警察なんでしょう……」

「どうにも食指が動かなくてだな、ある一つ以外」

「成程。徒野と付き合える、つまり類ともだったというわけですね」


 食指で事件をえり好みする刑事とか嫌だ。


「嫌な納得をするな。それに今回は私が解こうと努力をしない事件じゃない、私が解きたい事件だ」

「『赤いリボンの殺人鬼か』」


 徒野が目の色を変えて、間髪入れずにいった。

 食指が唯一動く事件――それが、世間を騒がしている赤いリボンの殺人鬼だったというわけか。

 赤いリボンの殺人鬼は、約七年間逮捕されていない連続殺人鬼。

 被害者は皆女性で、首に赤いリボンを巻き付けられた状態で絞殺されているのが特徴の殺人者だ。


「そうだ。被害者は三船亜美みふねあみさん十九歳。赤いリボンで絞殺された」


 相馬は懐から一枚の写真を取り出して、事務机の上を滑らせて徒野のもとへやった。

 徒野と僕が写真をのぞき込むと、死後の――赤いリボンで絞殺された女性の姿が生々しく映っていた。

 十九歳というだけあって、若い。

 目は瞑られているが、表情は苦しそうで死ぬ直前までもがいていたのだろう。

 まだまだ未来があっただろうに可哀想だ。

 日焼けの少ない白い肌に、真っ白なワンピースを着ているせいもあって、赤いリボンはやけに際立っている。

 素足でかつ白のシーツ上で絞殺されていて、内装が死体と共に僅かではあるが映っており、可愛しい小物がおいてあるので、恐らく彼女の部屋だろう。

 深層の令嬢とでも思わず呼びたくなる清廉さを感じる。


「成程な、だから私にこれを見せたか。お前が望む答え通りだよ、相馬」


 徒野は写真を見ただけで相馬の思考を読み取ったようだ。

 相馬は極悪人もびっくりの笑顔を見せる。


「やはりか」

「えっ、ちょっと二人で納得していないで僕にも教えてくださいよ。どういうことですか!」

「三船亜美を殺害したのは赤いリボンの殺人鬼ではなく模倣犯だよ。相馬はこの被害者を殺害したのが、赤いリボンの殺人鬼であるか、模倣犯であるかを私に見極めてほしかったのさ」

「模倣犯……」


 徒野の言葉を反復する。『お前が望む答え通り』といっていたから、相馬も模倣犯だと予想したうえで、徒野の元を訪ねてきたということだろう。


「そうだ。私は偽物だと思っていたが、捜査本部は本物だと思っている。だからこそ、徒野の意見も聞きたかった。癪だがお前が偽物だと言えば、偽物だと確信出来るからな」


 徒野の探偵としての能力を評価しているのが伝わってきて、自分のことのように嬉しくなった。徒野が褒められるとやはり事務員としては喜ばしいものである。


「どうして、赤いリボンの偽物だとわかったんですか?」


 しなしながら、僕には二人が何故模倣犯だと思ったのかがわからない。

 赤いリボンで殺害しているのだから、赤いリボンの殺人鬼ではないのか。


「是を見てみろ」


 相馬が手帳から五枚の写真を取り出して並べてくれた。

 全員が女性で、首に赤いリボンを巻き付けられて殺害されている。

 死体を見慣れているからと言って、できれば被害者の写真は見たくないが、我儘を言うわけにはいかないので順々に眺める。


「是は五カ月以内に殺害された被害者だ。鈴木知美すずきともみ二十三歳会社員。船越葵ふなこしあおい二十五歳大学院生。佐藤歩さとうあゆみ三十一歳教師。槇美空まきみそら二十二歳大学生。五島ごとうりえ二十八歳看護師」


 相馬がすらすらと被害者の名前を羅列する。

 何度も読みこんで被害者を忘れないようにしている印象だ。


「えっと……? これと、三船亜美の写真は何か違うんですか? せいぜい三船亜美の方が少々若い程度ですけど……それでも三歳違うだけですよね? 十代の女性被害者は少ないですけど、三年前だか四年前とかにも殺害されていましたよね……?」

「あぁ、赤いリボンの殺人鬼は大体が二十代の女性だが、十代後半の女性も、三十代の女性も殺害はしている。しかし、違う。年齢の話ではない。赤いリボンをよく見るんだ」

「……ん……赤いリボンの色……は、一緒ですよね?」


 色にさしたる差は見えない。

 これで青いリボンだったら、偽物だとわかるのだが色は赤い。


「赤いリボンの殺人鬼は同じメーカーのものをずっと使用している。そして、今回殺された三船亜美の首に巻かれていたリボンも同じメーカーだ」

「なら、本物なんじゃないですか?」


 ニュース嫌いだが、赤いリボンの殺人鬼は嫌でも耳に入ってくるので知識はある。

 マスコミが赤いリボンのメーカーを発表したことは知る限りはない。


「犯人しか知りえない情報として、隠匿しているからな」


 心を読んだように相馬は説明してくれた。


「なら、やはり犯人なんじゃないですか?」

「ただな、この赤いリボンには問題があって量産品なんだ。特別なリボンじゃなく、広く流通しているから、リボンを買おうと思って買いに行ったら売っているレベルだ。だから偶然一致する確率は珍しくない」


 赤いリボンの殺人鬼は首に赤いリボンを巻くと言う拘りがあるのに、リボン自体は量産品で拘りがないのか、そこも拘ればいいのに。


「因みに葛桜。一つ教えてやろう」

「なんです?」

「お前が首に巻いている赤いリボンもまた同メーカーだ」

「まじですか」

「マジだ」

「偶然って多いですね」


 もしかしたら過去、週刊雑誌が僕を犯人扱いしたのは同じリボンだったことも要因なのかもしれないと思ったが、これはマスコミ発表されていないことだからその記者が知るわけもないので違う。


「……あっ」


 メーカーでもないと何だろうか、僕は再び赤いリボンに注目すると――何か違和感を覚えた。


「気づいたか?」


 徒野が遅いぞ馬鹿がみたいな声色で聞いてくる。


「いえ、まだ何が違うのかはわからないのですが……何かが違うような?」

「そこまで気づけたのならばいいだろう。答えは、リボンを巻いた回数だ」

「あっ……!」


 今度こそ違和感の正体がわかった。


「三船亜美だけ、リボンを巻いている回数が少ないんですね。だから、赤いリボンの面積が小さい!」

「そうだ。本物は後ろからリボンを時計回しに四回巻き付けて殺害する。しかし、三船亜美は三回しか巻き付けられていないんだ、故に偽物さ」


 徒野が拍手をしながら、仔細を語ってくれた。

 しかし、殆ど徒野に答えを言われたので褒められたというよりは侮辱の拍手だ。


「偶々間違えただけかもしれませんよ?」


 回数で偽物だと判断するには聊か強引な気がする。


「偶々間違えることはあり得ないな。それこそ、目撃者に発見され慌てて逃走したというのならば可能性を否定しないが、今回は違う。赤いリボンの殺人鬼はな、七年前から今日に至るまで、全て四回巻いて殺害しているのだ。殺害に用いる赤いリボンが同メーカーを使い続けているのと同じようにな。それなのに、間違えて三回巻くとは思えない」

「言われてみればおかしいですね……でも、何故四回に拘るのですか」

「一種の崇拝や自己主張。几帳面――病的なまでに拘りがあるんだ、四回以外の殺害は全て偽物だと疑ってかかる方が正解さ。怨恨の線を調べて、それでも誰も浮上しなかった時に本物がミスした可能性を考慮するべきだ」

「納得しました。じゃあ相馬も三回だからだと思ったんですか?」

「あぁ。赤いリボンの殺人鬼が現れたとき、すぐにわかったよ、偽物だってな。しかし偶々の可能性も捨てきれない以上、私と同じ考えを徒野がするかどうかで確信を持ちたかったのさ」

「本当に、お前は赤いリボンの殺人鬼絡みになると推理力が働くよな。私をこのまま雇って偽物を捕まえる手伝いをしてやってもいいぞ?」


 徒野は上から目線で期待しながら相馬を見る。


「今回は問題ない。偽物ならば犯人は割れているも同然だからな」

「恋人か」


 徒野がつまらなさそうに言い捨てた。


「あぁそうだ」


 相馬も同意をする。


「えっ恋人なんていたんですか」


 恋人の表現に驚いたのは僕だけで、徒野と相馬双方から何故わからないという風貌で見られてしまった。

 馬鹿なつもりはないけれど、探偵と刑事の前では推理力も想像力も足りないがゆえに、馬鹿丸出しの発言に聞こえていることだろう。


「今時、清廉な女ですって服装も部屋の小物も揃えてアピールしているやつが、男いないわけあるか。どうせ、男を誑かして遊んでいる魔性の女だろ」


 徒野の理不尽な偏見だった。

 流石に相馬は刑事なのだから、理不尽な偏見ではなく被害者の交友関係を知っての同意だろうと思いたい。


「偽物だと確信できたから、私は帰る」

「あぁ。困ったときはいつでも私を頼るといい。殺人事件ならば地の果てだって飛んでいくぞ」

「報酬はいつも通り振り込みでいいな?」

「勿論だ」


 相馬は来た時よりゆったりとした満足げな雰囲気を漂わせる動作で、徒野探偵事務所を後にした。


「それにしても刑事って――あぁ正しくは警部でしたね。確信を得るためだけに探偵を使うのですか? 毎回徒野は依頼料をとっているのでしょう?」

「勿論だ。まぁ普通の警察はそんなことしないよ。相馬が特別なだけだ」

「どうしてですか? 赤いリボンに拘りがあるからですか?」

「それもあるな。赤いリボンの殺人鬼にあいつは執着している。だから、それ以外の事件には興味がわかず、時間を浪費することを望まないが故に、すぐに解決しないかもしれない事件は私を頼ることが多い。つまり、それができるほど、あいつは金に困っていないということだ」

「そんなに儲かるのですか? 公務員って」

「キャリアで警部の独身だが、探偵にポンポン依頼しては生活ができないだろうな。違うよ、あいつは実家が金持ちなんだ。本来なら警察の仕事なんてしないで道楽息子でも生きていけるんだよ」

「そうだったのですか」


 そういえば、ワイシャツもスーツも仕立てがいいものだったような気もするが、そう徒野に告げたら金持ちだと言われたからそう見えるだけだと言われるのがオチなので心にしまっておく。


「それにしても、赤いリボンの殺人鬼が首の巻き方に拘りがあるとは思いませんでしたよ」

「赤いリボンの殺人鬼には、もう一つ拘りがあるぞ。警察も――いや、相馬すら知らない拘りがな」


 不敵な笑みを徒野は浮かべる。


「えっそうなんですか!? 相馬に教えてあげないんです? 赤いリボンの殺人鬼以外の事件を、徒野に解決させようとするほど、強い執着心があるのに!」

「教えるつもりはないさ。それに、相馬は自力で赤いリボンの殺人鬼を捕まえたがっている。それなのに、私が導いてやる必要はないし、親切にするつもりもない」


 徒野はそう切り捨てた。

 冷たいのか、それとも相馬が赤いリボンの殺人鬼に拘っているからこそ自力でたどり着けるその日まで黙っている優しさなのかは定かではないが、これ以上の詮索はやめた。

 代わりに赤いリボンの殺人鬼の拘りを教えてもらおうと粘ったが、秘密の一点張りで知ることはできなかった。


 後日、三船亜美を殺害したのは、赤いリボンの殺人鬼に罪を着せて警察の手を逃れようとした元恋人の犯行だと判明した。

 赤いリボンが同メーカーだったのは、三船亜美の部屋に合ったのを使った全くの偶然だったと徒野が謎の情報網――恐らくは相馬から――教えてくれた。

 故に、本物の赤いリボンの殺人鬼は未だ大空の元を闊歩している。

 危険な殺人鬼は早く逮捕されればいいのにと思いながら、通販で届いた帽子を嬉しそうに被る徒野を見る。

 彼女も女性だ、年齢的にも赤いリボンの殺人鬼が狙う理由になりえる事実に思い至って慌てて頭を振る。

 そんな可能性はない、そんなことにはならない。

 この世の中には十代から三十代の女性なんて沢山いる。

 だから大丈夫だ、と呪文のように繰り返して、過ってしまった一抹の不安を消し去るために、徒野の帽子試着室と化した事務所兼リビングに投げられた帽子の山を拾って、片づけを始めることにした。

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