第11話:最高の玩具

「おい。起きろ」


 声がしたので、目を開けてみると徒野の顔面ドアップが待ち構えていた。艶やかな黒髪が頬を撫でる。円らな猫のような瞳は怒りのようなものがこみ上げているようだ。

 視線をずらすと、仕立てのいいスーツを着た、相馬が一緒だった。


「あーと……どうしたんですか、人の眠りを妨げて」


 状況がいまいち理解できない。


「永眠させてやってないだけ感謝しろ」

「闇討ちするなら返り討ちにしますよ」

「ふっお前にやられるほど私は弱くない。というか寝ているとは意外だった。此処が何処だかわかるか? 暗黒館の、お前に割り当てられた部屋だ、こっちは道楽息子の相馬宗太郎」

「……なんで、道楽息子の相馬宗太郎って紹介なんですか……?」

「刑事だと、バラしたら可哀想だからに決まっているだろ」

「そうですか。ところで、何故闇討ちにされないといけないのです?」

「私が安眠出来るからだ」

「酷い言い草ですね」


 徒野が身体を引いたので、顔面ドアップだったの顔が遠のいた。

 苦笑しながらベッドから身体を起こす。


「私の部屋に来ると見越して待っていたら来ないものだから、慌ててやってきたら、ぐーすーぴーとだらしなく寝ているものだ。全く、十分も待っていた責任をどうとってくれる」

「十分しか寝かせてくれない徒野の不親切さに嘆きますね、こっちが責任を取ってほしいくらいですよ」

「何を言っている。私が呼んだら三十秒でこい」

「暴君め。大体呼んでいないじゃないですか。で、何故来たのですか? 相馬を一緒に連れてきて、相談事が?」


 会話に口を挟んでこない相馬を見る。


「相馬は漆原あやめに私たちと同じく招待されたようだ。その時までのお楽しみ、だった私たちとは違い、此処に来れば犯罪者を捕まえられるという甘言に唆されたそうだ」

「唆されたわけじゃない。私の意思だ」

「誘惑に抗えず有給休暇を使ってまでこの二泊三日暗黒館のたびに来たんだ、唆されたようなものだろう」

「黙れ。まぁ、漆原の言葉は、此処にくるまでは半信半疑だったよ。漆原が纏う雰囲気こそ犯罪者のように思えたからな。しかし、実際に来てみればどのような要件で呼び出したのかは知らないが、毒牙の魔女がいる。つまり――毒牙の魔女以外の犯罪者が紛れ込んでいる可能性がある」


 相馬の瞳が、爛々と光を伴っていて、率直に似合わないと感じた。


「毒牙の魔女以外の犯罪者――即ち、赤いリボンの殺人鬼が紛れ込んでいるかもしれないと、相馬は願っているわけですか」

「そういうことだ」


 半信半疑だった漆原の言葉が真実味を帯びた以上、相馬は期待せずにはいられないでいるのだろう。

 しかし、狩人のような鋭い視線は、油断すると誰構わず食い殺してしまいそうな殺意をはらんでいて物騒だ。


「……で、紛れているかもしれない赤いリボンの殺人鬼に警戒心を与えないために、刑事であることを名乗らず道楽息子の相馬宗太郎として振る舞う、そういうことですね?」


 今までの経緯から推測して纏めた結果を、徒野と相馬に訪ねる。


「それにしても、毒牙の魔女を歯牙にもかけないで赤いリボンの殺人鬼を追うなんて、毒牙の魔女が可哀想ですね」


 クスクスと笑ってしまう。

 赤いリボンの殺人鬼は、確かに七年の捕まっていない連続殺人鬼ではあるが、毒牙の魔女だって三人の男性を殺害したとされる犯罪者には違いない。

 毒牙の魔女は容疑者の段階で証拠がなく逮捕されてはいないが、流石に偶然三人の夫が死んで保険金を大量に手に入れるなど、ありえない。

 二度あることは三度あったとしても、普通はあり得ないことだ。


「可哀想って……徒野と違って結構まともな性格かと思っていたが、やっぱ類は友を呼ぶのだな」

「その言葉そっくりそのままお返しします」


 相馬だって、赤いリボンの殺人鬼以外に食指が動かない警察官は、犯罪者の末路を物語として楽しむ徒野と同類だ。


「でも、赤いリボンの殺人鬼だけじゃなく、犯罪者が紛れているなら、死体アーティストとか、鋏の殺人鬼とかの可能性もありますね」

「死体をアーティスト作品にするような変態はごめんだし、鋏の殺人鬼はそのうち捕まるだろうからいーんだよ」

「録音してマスコミにでも送ったら警察の不祥事として大々的に取り上げられたりしますかね?」

「おい、送り付けるなよ」

「しませんよ。マスコミは個人的な理由により嫌いなので」


 自然と手が首に巻いている赤いリボンに触れる。


「そうか。とにかく、私は赤いリボンの殺人鬼が紛れていることを願っている。この手で――葬り去ってやるつもりだ」

「銃殺するようなセリフ言わないでくださいよ」


 警察官の癖に殺気を纏わせすぎだ。


「抵抗されて――ってやつでいくつもりだ」

「駄目ですって。ちゃんと牢屋にぶち込んでください」

「わかっているよ、冗談だ。くれぐれも私が刑事であることは内密に頼むぞ」

「わかりましたよ」


 仕立てのよいスーツの中には、果たして赤いリボンの殺人鬼を待望して拳銃が眠っているのだろうか、と余計なことを考える。

 勝手に持ち出したのならば始末書じゃすまないだろうが、拳銃を三日も持ち出して見つからない可能性が高いか低いかは別として、相馬ならそんなリスクを冒さず――本当に殺す気があるのなら――金に物を言わせて自前で手に入れていても不思議ではない。

 願わくは、拳銃など所持していないことを祈ってでもおくか。

 まぁ、相馬が無差別に発砲するとも思えないけれど、先ほどの赤いリボンの殺人鬼に対する殺意は本物だった。それだけはわかる。


「というわけだ、理解したか?」


 部屋にまだ残っていた徒野が問うてくるので頷いた。


「えぇ、理解しましたよ。暗黒の館は思った以上に、物騒な予感がするってね」

「面白そうだよな!」


 徒野が無邪気な笑みを浮かべた。


「面白くはないと思いますよ。ただ――徒野が好きそうな、物語は見られるかもしれませんね」


 徒野が好きな物語、求める物語、それは犯罪者の末路。

 犯罪者の末路を堪能できそうな気配を、徒野は敏感に感じ取っているだろうことは、無邪気な笑みを見れば想像に難くない。


「ふふふ、そうだ。暗黒の館、楽しむぞ。では、私は部屋に戻る」

「楽しむ、ね」


 相馬が意味深な態度をとったのが不思議で、視線を向ける。相馬は腕を組みながら言った。


「やはり、徒野。お前は変わったな」

「そうか?」

「あぁ。昔なら自ら率先して動いた。肉食動物が狩りをするさまを見ているようだった。しかし、今のお前は、ひな鳥が餌を待っているようにしか見えない」


 今以上に犯罪者の末路を執拗に求めていた徒野を想像しようとしたが、無理だった。


「あの頃の私は若かったのさ」

「事件が起こると率先して事件現場に足を運んでいたものな」

「では、そのころに相馬と知り合ったのですか?」

「いや。私が相馬と知り合ったのはもっと前だ。出会い自体は偶然さ。そもそも五年以上前に知り合っているのだ、相馬の年齢的に警察官の可能性は少ないだろ?」


 相馬の実年齢は知らないが、外見的に二十代後半だ。

 大学を卒業する年齢が二十二歳だとして、そこからプラス五をしても二十七歳。確かに、警察になってから出会ったというよりも、それ以前に交流があったほうが自然だ。


「言われればそうですね……もしかして、閑古鳥が鳴く事務所を経営しながらも金銭的に余裕があるのは、以前は探偵として犯罪者を求めまくって荒稼ぎをしていたのですか?」


 今は、依頼があるまで犯罪者の末路を楽しまないが、以前は率先して犯罪者を求めていたというのならば、そのころに目玉が飛び出るほど稼いだ可能性はある。

 何せ、性格には問題しかない徒野だが、その知識と推理力は折り紙付きだ。


「ん、それもあるが違うぞ」

「そうなのですか?」

「当てたんだ」

「へ?」

「宝くじを当てたのさ!」


 思わずこけた。


「謎の資金源、宝くじだったんかい!」

「あぁ」


 まさかの斜め上の解答。予想もしていなかった。

 徒野探偵事務所謎の資金源の謎は解明されたが、宝くじって……なんていえばいいのか全くわからず、口を魚のようにパクパクさせていると、相馬がごほんと、わざと咳をした。


「じゃあ、私はそろそろ失礼するよ。赤いリボンの殺人鬼がいるか、見極めなければならないからな」


 狩人の視線を向けられると、此方が狩られる人間になった気分だ。


「徒野」


 玄関の前で、相馬は立ち止まった。振り返らず、背中を見せたまま徒野に問うた。


「もしかして、お前が変わったのは――お前が求める最良の物語が、玩具が手に入ったからか?」


 徒野は返事をしなかった。相馬も答えを待たず部屋を後にした。


「では、私も退却するかな」

「それはそれは喜ばしいですね」

「どういう意味だ」

「人の睡眠妨害がされなくて済むじゃないですか、目が覚めたら徒野の顔面ドアップとか引きますから」

「女の子の顔を見て引くとか失礼な奴だな」

「女の子って年齢じゃないでしょうが」

「黙れ」


 ベッドにあった枕で顔を叩かれた。痛くはないが乱暴は酷いである。


「じゃあな」


 徒野が外に出たところで、再びベッドへ横になって惰眠を貪ることにした。

 中途半端に起こされたことで、身体は睡眠を欲していた。

 弾力のある柔らかさが睡眠を誘ってきて程なく再び夢の世界へと旅立った。

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